古館アナのコメントはとりあえずほおっておきまして、日弁連からの出席者のコメント

 「冤罪など間違った刑事判決が繰り返されたが,これについて,法曹三者だけでは改善が出来なかったため,裁判員制度を導入して,国民に負担をお願いしたものです。」

 まあ、日弁連としてはありがちはコメントですけど、いまだにこういうイデオロギッシュな言い方しかできないのかな、と嘆息半分というところです。

 国民が裁判員として参加すれば、それだけで冤罪が減ると思ってるんですかね?

 額面どおりに聞いちゃいますと、能天気以外の何者でもないのですが、まさかそんなはずはないと思いますので、このように言えば国民の理解が得られると考えての発言だと思いますが、

 もっと,国民が参加したくなるような表現をすべきでしょう。テレビでは・・。(by ボツネタ管理人)

というのは就任されたばかりの新管理人のかなり遠慮した言い方でしょうね。

 で、とりあえずほおっておいた古館アナ(か他のコメンテイター)のコメントですが

 「結局,自己改革できないツケを国民に回したってことですね。」

と言いたくなるのも理解できますね、今回は。


 ただし、裁判員制度導入に伴って、冤罪防止のために改善または改善の方向が見える点があることは事実だと思います。
 例えば、証拠開示制度の明文化と強化や取調べの可視化への動きなどです。
 保釈の許可率も若干上がったような気がしますし。

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 本日、平成21年の裁判員候補者名簿に記載されたという通知が届きました。今までは多少なりとも好奇心を持っていましたが、今更ながら、なんとなく他人事のように感じていた自分に気付くと同時に、他人事ではなくなってしまったことを実感しました。

 まだ候補者名簿に載っただけで、候補者になるかどうかも分かりませんが、改めて裁判員関連の過去ログを読み直してみようと思います。

裁判員候補者名簿に載った事を公にすることは禁止されているのでは。

ただし、罰則規定はないようですが。

裁判員法第101条1項 何人も、裁判員、補充裁判員、選任予定裁判員又は裁判員候補者若しくはその予定者の氏名、住所その他の個人を特定するに足りる情報を公にしてはならない。

HNだけで「個人を特定するに足りる」かどうかは微妙でしょうけど、一応控えたほうが良いように思います

届いた通知の中の冊子を確認してみたところ、

・公表してはいけませんが、身近な人に話すことは構いません。

・法律上、何人も、名前、住所その他裁判員であることを特定するに足りる情報を公にしてはいけないとされ、裁判員自身が、自分が裁判員であることを公にする場合も含みます。
(中略)
そこで、例えばインターネットで自分が裁判員になったことを公表することは許されませんが、日常生活の中で家族や親しい人に話すことまでは禁止されません。なお、裁判員でなくなった後に、自分が裁判員であったことを公にすることは禁止されていません。

HNを用いた投稿という点では、確実にアウトとは言えないものの、好ましく無いことは確かですね。弁護士であるモトケンさんのブログでグレーゾーンの行為をすることは、迷惑をかけることになってしまうかもしれません。軽率でした。申し訳ありません。

以降、裁判員制に関わることについては投稿を控えます。

 ハンドルだけなら「個人を特定するに足りる情報」とは言えないと思います。
 だって、特定できませんから(^^)
 但し、具体的な話を始めると、総合して特定し得るということになる可能性はあるかも知れません。

 個人的な興味の本音としては残念ですが(^^;

裁判員法101条って、現時点では未施行なのでは・・・・・・

101条は先行施行されるようです。
附則第1条2号
施行日が見つかりませんでしたが、裁判員候補者予定者を対象にする以上、裁判員候補予定者に対する通知が発送される時点で101条は施行されている必要があるはずですよね。

私は裁判員制度って、司法改革を促すための出汁として存在価値があると認識してます。(個々の改革案件の良し悪しは別として・・・)
これを推進者が言ったら「国民を出汁にするな!」という意見が多いのかなぁ。私自身はスッキリしますけど・・・
実は○年から開始するといって、開始時期直前に「素人を受け入れる準備が未だ充分ではない」ということで、繰り返し延期していくのが全体的に一番だったりするかもと思ってました。

附則1条2号関係の条文は、7月15日に施行されていますよ。
※4月18日付けの「施行期日を定める政令」より(官報に載ってます)

ご参考まで

うまく言えないけど、裁判員制度は肯定です。冤罪が増えること、仕事を休まなきゃいけないことは導入後の目標であって、比較したり、政府は悪化することを容認しているのだと認識することはナンセンスだと思います。なぜ専門職のみの判断が社会的な判決であるかのようにされてきたのか?人の人生に拘るから裁判官に任せておけば良いというのは、それのみでは正当化にしか思えないんだけど。今は導入するべきかどうなのか。そこには疑問の余地はありますがね。

間違えましたm(_ _)m
施行期日は平成20年7月15日でしたね(平成20年政令第141号)。

某法令検索ソフトが間違っていたということで・・・・・(^_^;)

裁判員ではなくて、陪審員にすればほとんどの問題は解決のようにも思うんですがねぇ。

国民が裁判員として参加すれば、明らかに冤罪は減りますね。無くなることはないにしても、現状より酷くなることはあり得ない。ただし健全に評議が行われることが前提ですが。

しかし今のところ評議は密室で行われるので、裁判官による誘導、恫喝の可能性は排除できない。

裁判員に対する過剰な守秘義務は、裁判官による不当なコントロールを隠蔽する目的以外の何者でもありませんので、今後の課題は評議の可視化にあります。裁判員の顔を分からないようにし、声を特殊処理して別室に中継・録画するとか、せめて評議録を公開するのは最低限必要です。まっとうな評議をしているなら何の障害もないんですがね。

裁判官による不当なコントロール

に対する懸念が払拭できないというご意見とお見受けしました。

したがって、

健全に評議が行われる

という 「前提」 が、現行法と現在予定されている運用では、何ら担保されていないという評価になるわけですね。

その結果、

国民が裁判員として参加すれば、明らかに冤罪は減りますね。

という結論は、上記の 「前提」 が欠ける、したがって裁判員制度によって冤罪が減る保証はどこにもないではないか、というご指摘と理解しました。

ご主張に賛同できかねる部分もあるものの、「現状では冤罪が減る保証はどこにもない」 との点は重要な問題提起だと思います。

上の№13のコメントは何となく釣り臭いですね~。
HNの(弁)が弁護士を意味するのかキングストン弁を意味するのかは分かりませんが、とりあえず弁護士であるならば、公判廷で職業裁判官の審理に耐える主張を行うことが出来ず、自分が負けた裁判はすべて「これは検察(警察)&裁判所による冤罪!!11!1」と主張することしかできない人なんでしょうね。
私が担当する被疑者にはこのような弁護人が付かないことを祈ります。
まあ冗談はともかくとして、上記のように裁判員制度を肯定し、「裁判員による裁判なら冤罪は減少する」と主張する人たちは、なぜか裁判員の方が冤罪を見抜ける=職業裁判官よりも素人の一般市民の方が正しく事実認定が出来るという理由を説明されないんですよね。
むしろ「素人の裁判員の方が懐柔あるいは印象操作しやすい」というような、一般市民を侮った本音が透けて見える事が多いです。
と言いますか、裁判員制度って冤罪を減らすために導入されるものでしたっけ?

>まっとうな評議をしているなら何の障害もないんですがね。

 この点について異論を述べます。
 評議が公開されますと、個々の意見に対して必ず批判が加えられます。
 どんな意見に対しても批判があります。
 冷静な批判にとどまっていればまだいいのですが、誹謗・中傷にわたる批判が当然のごとく予想されます。

 裁判員は、たとえ名指しされなくても、自分の意見に対してどのような批判・誹謗・中傷が加えられたか知リ得ることになります。

 私は、多くの裁判員の方がそのような批判等に耐えられるとは思えません。
 特に、死刑求刑事件に関与した裁判員は、その意見如何にかかわらず、一生癒えない傷を負う可能性があります。

評議は井戸端会議ではないし、有罪の認定をするには、合理的疑いを入れない、いわば確信が必要になります。

批判に耐える自信がないなら、それは結局、本来有罪を言い渡せるだけの心証にいたっていないということです。いっぺんの曇りもない、客観的証拠に裏打ちされた確信にいたっていれば、批判に動揺することもありません。

「職業裁判官よりも素人の一般市民の方が正しく事実認定が出来る」のではないのです。「職業裁判官には健全な一般市民が備えている公正さがない」のです。

彼らにとって刑事裁判とは「有罪判決を書くための儀式」です。刑事裁判修習の段階からして明らかですよ。「刑事判決起案の手引き」という教科書的な本、彼らにとってバイブルがあるのですが、その中で「無罪判決の書き方」を説明しているのはわずか1ページ。残りの数百ページは、総て有罪判決の体裁をどう取り繕うかに終始しているのです。刑事裁判修習で無罪判決を起案しようものなら問答無用で落第です。

裁判員制度は、冤罪に代表される、現在の刑事司法の病理を減らすために導入されるものです。目的がそれに尽きるものではありませんが。

後ほど反論コメントの予定

 ええっと~。突っ込みどころ満載なので、どこから話してよいのやら。

 もちろん、述べられていることは、一定の立場からみれば「正論」なので(もちろん立場違えば違う見方ができる)、論としてはいいのですが、いかんせん先入観、決めつけが強「過ぎる」(ある立場から物事を論評する場合、その立場に有利な主張をすることは当然ですが、その「有利」さが極端「過ぎる」と、嘘くさくなる)ので、ちょっと引いてしまいます。

 とは言え、ある立場からの評価の部分はどう考えるかは人それぞれ(有り体に言えば、どんな極端な考え方をしても人の自由)なので、事実関係で明らかに誤っている部分のみ、「自称弁護士」が指摘させて頂きます。

>裁判員に対する過剰な守秘義務は、裁判官による不当なコントロールを隠蔽する目的以外の何者でもありません
 →少なくとも、被告人のプライバシー保護の目的があります。

>いっぺんの曇りもない、客観的証拠に裏打ちされた確信にいたっていれば
 →神様でない限りできません。「客観的証拠」とは何をいうのでしょう?

>職業裁判官には健全な一般市民が備えている公正さがない
 →裁判員になる一般市民の過半数が「公正さ」を備えているのですか?「公正さ」を備えていない裁判員が過半数いたらどうなるんです?

>刑事裁判修習で無罪判決を起案しようものなら問答無用で落第です。
 →おそらく、司法修習の卒業試験である二回試験のことを言っているのだと思いますが、嘘です。実例も知っています。そのような「噂」はあるのですが。

外にも、「評価」の部分で突っ込みたいことはたくさんありますが、今はこの程度で。

ちなみに、私自身も、最近まで刑事の客観的証拠がほとんどない否認事件を受任して、もし、裁判員制度があったら、少しはやり方も変わっていたのかなあ~と、考えることはある(だからと言って、すべての事案で裁判員がいいとは考えません)ことは付言しておきます。


以前にも、似たような論調の弁護士を名乗る方、いらっしゃいましたね。

>千住の小僧【弁護士】さん
ああ、自称弁護士の方でしたか。
そんなバイアスで弁護方針を立てていれば、そりゃあ裁判に勝てなくなって職業裁判官を恨むようになるのも当然でしょうね。
>いっぺんの曇りもない、客観的証拠に裏打ちされた確信にいたっていれば、批判に動揺することもありません。
衆人環視での現行犯以外は有罪にするな、ですね。
分かります。
…犯罪天国ですね。
>職業裁判官には健全な一般市民が備えている公正さがない
いや、ですから一般市民が公正さを備えていると断言できる証拠は?
そして、それは何の基準に照らして公正なのですか?
自分基準ですか?

>nuki先生
我々も、あまりにも厳格な法適用による無罪判決が出たときなどには、「これが裁判員なら違っていたかも」と考える事はあります。
甘えた考えではありますが。
>fuka_fuka先生
からくりさんでしたっけ?
あれ?なんか違うな。

 裁判員制度って、一般市民の意見も入れてますと、判決内容をマスコミやら政治家やらにコメントされたときに言い訳するためのものであるように思ってます。
 でも、仮に問題があっても、控訴されれば、高等裁判所でちゃんとしてくれるんですよね?今のところ、どこにも高等裁判所での審理に参加するというようなことは書いてませんし。

 たしか、最高裁から、高裁は地裁の裁判員裁判の結果を尊重すべし、というお達しがあったように記憶してますが。。。

「刑事判決起案の手引き」って、数百ページもないですよ。
ひょっとして「百数十ページ」の間違いでしょうか?

あと、色々言いたいことはありますが、刑事判決書については、刑事訴訟法44条、335条、336条をお読み下さい、とだけ申し上げておきます。

>キングストン弁を意味するのかは

吹いたw

いっぺんの曇りもない、客観的証拠に裏打ちされた確信にいたっていれば、批判に動揺することもありません。
衆人環視での現行犯以外は有罪にするな、ですね。

「いっぺんの曇りもない」 は、 「客観的証拠」 ではなく 「確信」 に掛かっている可能性もあるように思われます。
(証拠は状況証拠のみであっても有罪とすることまで否定していないのでは、と。ご本人の釈明次第ですが)

いずれにしても、そのような「確信にいたる」ことが可能な場合であっても、評議内容が公開され、外部の批判に曝されることになることを裁判員が知っている場合、不当な萎縮効果を生み、そもそも「まっとうな評議」が期待できなくなるという点はどうお考えになるのでしょうね。

そして、音声処理や議事録上記載しないことで発言者を特定できないようにしたとしても、内容自体が公開されれば、「あの発言をしたのは誰だ」という邪推が始まります。不可避です。
そして、「過剰な守秘義務」と言われていますが、裁判員が評議の秘密を侵せば、容易に発言者は特定可能。
守秘義務を厳格に守れば、「私ではない」という弁解もできないことになり、「お前がアレを発言したんじゃないのか」という疑念を払拭することができず、薄ぼんやりした「嫌疑」を受け続けなければいけない。

評議内容を公開することによるこれらのデメリットを上回るようなメリットとは、何なのでしょうね。
私の乏しい想像力では、イメージ困難です。

ということは、ここで、これまで医療者が(私なども典型的ではありますが)ボケをかましてきた、法律用語なんかも含めたことなんかが、裁判所の中で起こったりして、専門家の方たちの意図するところと大きく違ってしまっても、その判決に高等裁判所が縛られるということになるのでしょうか?
 まるで、研修医にすべての決断を丸投げするような無責任さを感じるのですけど。
 それとも地方裁判所での審議でも、一般市民の意見が極端なものにならないように、なんらかの手段が講じられるのでしょうか?

>それとも地方裁判所での審議でも、一般市民の意見が極端なものにならないように、なんらかの手段が講じられるのでしょうか?

マイナー医志望なのにスーパーローテーションでやむを得ずメジャー科に廻ってきてるやる気のない研修医を指導させられるメジャー指導医を彷彿とさせますねw。ご苦労な事ですww。

…陪審制であろうと裁判員制度であろうと、参加する市民によって冤罪は作られる得るものです。

 陪審制の國でえん罪がないということはありませんし、もし職業裁判官のみによる裁判制度の國に比べて少ないということがあったとしても、そもそも比較可能性に大いに疑問があります。

 陪審制の國アメリカでヘンリー・フォンダが陪審員8号を演じた「十二人の怒れる男」で、当初どのような雰囲気で議論が始められたのか、そしてそれはあながち空虚な妄想ではなく、説得力のあるプロットとして当時のアメリカの観客に受け入れられたということを考える必要があるのではないでしょうか。

 あのシナリオでは、ヘンリー・フォンダが疑問を呈することがなければ、えん罪による有罪判決に至ったであろう事が示唆されています。

 一部の(自称?)弁護士こそ、過剰な期待を持ちすぎることのないよう、映画でも見ながら自戒されるべきであろうと思います。

感覚的な話で申し訳御座いませんが、
裁判員制度導入に於いて、冤罪が減るというイメージはあまりなく、寧ろ、証拠に対する分析能力を専門家のそれと比較しても、ちょっと増えてしまうんじゃないかな?という危惧は感じます。
最高裁が裁判員裁判を尊重すべきだという見解を以前見たときも、一抹の不安を感じました。いや、だからといって、裁判員の方々がいい加減な姿勢で臨むんだろう、と思っている訳ではありませんが・・。
あとは、隔離でもしない限り、報道、身の回りの反応のありかたにも、疑問が残るところがありますので、変なバイアスが掛からないように心掛けるだけでも、一苦労する気がします。

たしかに合理的疑いを超える証明がなければ有罪判決は下せないけどねぇ。
だからといって本当にこの判決でよかったのか、と迷わないやつには裁判官であろうと裁判員であろうとやって欲しくないですね。
「俺の判断は無謬!」とか確信しちゃうような人は信用できまへん

>その判決に高等裁判所が縛られるということになるのでしょうか?

 「縛られる」というほどの拘束力はないはずです。
 法律上はもちろん、事実上の問題としてもです。

 ただし、よっぽど変な事実認定でもないかぎりは尊重する、という感じなのかなと想像しています。
 実際に制度が動き始めてみないと分からないところが大杉です。

 もう言うことがなくなっちゃったみたいです。
 本物の弁護士だとしますと、ハンドルどおりにかなり若い弁護士さんかな、と思えますが。

 私宛のコメントにはレスしておきます。

評議は井戸端会議ではないし、有罪の認定をするには、合理的疑いを入れない、いわば確信が必要になります。

 確信と言える程度の心証が必要であることはわかっていますが、井戸端会議を持ち出す理由がわかりません。

批判に耐える自信がないなら、それは結局、本来有罪を言い渡せるだけの心証にいたっていないということです。いっぺんの曇りもない、客観的証拠に裏打ちされた確信にいたっていれば、批判に動揺することもありません。

 批判に耐えられない、というのは判例批評とかの問題じゃなくて、心理的または精神的に、という意味なんですけど、その点の誤解はないですよね?
 もしないとすると、人間または人間の弱さというものを考え直す必要があると思います。

NHKの裁判員制度の特番を見ました。

「裁判員制度によって、迅速で公平な裁判が実現できる」と制度設計した専門家が言ってました。

”単純に裁判官や検事の数を増やせばどうなのよ?!”と思ってしまいました

医療崩壊と同じく、少ない人数で頑張りすぎることが冤罪や証拠不十分、検証不十分な捜査になったり、判決まで時間が掛る理由だと思ってます。

司法にお金を掛けるのは必要としても、素人を呼ぶことに使うのは無駄金であって、素人を呼ぶ予算で専門家を沢山養成すれば良いのでは?と思ってしまいます

少なくとも制度が開始される以上、裁判制度が良くなる方向に進むことを願うばかりです

やっぱり難しい。冤罪と裁判員制度の関係が全くわからない。そもそも制度を作る目的の一つなのか、こんな影響もあるのではということなのか?

 高裁の御怒り連発です。裁判員裁判を見越した公判前整理手続きを経た事案の破棄判決連続。
 
【仙台高裁破棄自判(理由簡略化は理由不備過ぎる?)】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081210-00000003-khk-l04
【広島高裁破棄差戻し(争点整理しながら審理不尽?)】
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/203057/
 
 新制度導入にありがちな初期故障と信じたいですが、「理由不備」と「審理不尽(訴訟手続きの法令違反)」の破棄は、原審裁判官にとって屈辱判決と聞いたことがあります。高裁判事は怖いよ~。

ど素人考えで申し訳ないのですが、裁判員制度があれば、高知での白バイ・バスの衝突事故のように限りなく冤罪に近いものが不自然な形で有罪となってしまうことは無くなるのではないか、と淡い期待を抱いております。
行政・警察など権力が絡む場合には裁判員制度も有用に思うのですが、やはり見識不足から来る盲信に過ぎないのでしょうか・・・

権力が絡む事案に裁判員制度が有用である理由がよく分かりませんね。
裁判員なら、証拠に関係なく権力側に不利な判決を出せるということですか?
冤罪が確定してしまうということは、裁判官が証拠の評価を誤ったということになりますが、裁判官よりも裁判員の方が証拠を正しく吟味できるのでしょうか。
むしろ裁判官よりも思想信条のバイアスが掛かりやすい分、不適切な判決が出る可能性は増大するように思えます。

ちなみに高知の事案が確定したのは、被告側の訴訟戦術が根拠のない「警察の捏造」説を柱にした稚拙なものだったからでしょう。
あれを冤罪とするなら、その主因は弁護側にあると思いますがね。

自分の稚拙とも言えないようなレベルの書き込みにご指摘頂き、本当に有難うございます。
裁判員が権力絡みの裁判に有用だと考えたのは、証拠に関係無く権力側に不利な判決を出すというより、証拠に関係無く権力側に有利な判決を出さないのではないかという、ちょっとした期待を抱いたからです。
職業裁判官は行政と人事の出入りもあることから、権力側に理解を示してしまうのではないかと思っていたところ、更に高知の事故の報道を目にしたもので、普段はデメリットの方が大きいがこういうケースなら有用なのでは?と考えていました。
素人から見ると、高知の事件は再現実験や証言等の証拠の採用の仕方が不自然に感じるのですが、あの程度の証拠類では覆らないものなのでしょうか?

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