【被害者参加制度】今後の刑事裁判に与える影響は...(産経ニュース)
被害者裁判参加 真相究明に役立つ制度に(12月2日付・読売社説)(読売社説)
被害者参加制度が12月1日から施行されました。
個人的には不安のほうが多い制度です。
いったい何のために被害者が参加するのか、という点がどの程度検討されたのか?
実際の運用の現実において、それが実現できるのか?
弊害も主張されていますが、その防止または低減策は考えられているのか?
裁判員制度と同様に付け焼き刃的な印象があります。
読売の社説は、冒頭に
あくまで慎重に運用し、刑事裁判の真相究明に役立つ制度にしていかなければならない。
と書いています。
たぶん、真相解明が被害者参加制度の最も大きな意義と考えているのでしょう。
しかし、これはあまり期待できないと思います。
社説はこのように言ってます。
確かに、被害者の質問に答えることにより、被告が反省の念を募らせ、新たな供述をする可能性もあるだろう。
冒頭で真相解明に言及しながらえらく控えな言い方です。
私としましては、被害者または遺族が直接被告人に質問したからといって、被告人が捜査段階以上に詳細な新たな事実を供述すると楽観することはできません。
否認事件ならなおさらです。
優秀な弁護士が証拠を詳細に検討して、検察官とは違う見方をして、事件の本質に迫ることはあるかも知れません。
最近、大阪地検の筋悪起訴が無罪になったことからすると、こっちのほうは可能性が高いかも知れません。
社説はこうも言っています。
この社説だけでなく、一般的に危惧されているところです。
来年5月に始まる裁判員制度の対象となる公判の多くに被害者が参加することになるだろう。一般の人から選ばれる裁判員が、「被告に厳罰を」といった被害者の"求刑"に心を動かされ、被告により重い刑を科すことはないだろうか。
情に流されて結論を出すことのないよう裁判員に徹底するのも、裁判長の大切な責務である。
しかし、制度設計的には、裁判員が被害者の求刑に心を動かされることは予定されているように思われます。その当否は別にして。
裁判員制度は、なぜ裁判員に量刑判断もさせることにしたのでしょう。
市民感覚的量刑を期待したからではないのでしょうか?
被害者参加制度は、なぜ被害者・遺族に求刑することを認めたのでしょう。
被害者の意見を量刑に反映させることを是としたからではないのでしょうか?
そして、被害者の気持ちを酌むことは、市民感覚的には当然のことではないのでしょうか?
繰り返しますが、その当否は別にしてです。
既に2000年から被害者の意見陳述が始まり、被害者の気持ちに沿った判決は数多く下されているので、少なくとも裁判官に対しては頭打ちというか、被害者参加制度が、衝撃的な感情的影響を及ぼすことは少ないのではないでしょうか。
むしろ、被害者はこれまで以上に発言することになるので、周囲が今まで自由に推し量っていた被害者の内心を、本人の言葉として述べることになり、被害者の言葉が、場合によっては被害者に都合の悪い影響を、周囲に与えてしまう可能性もあると思います。
被告側だけでなく、被害者も戦略的な振る舞いを要求されるような気がしました。