中津川5人殺害の被告、異例の無期懲役判決(asahi.com 2009年1月13日11時16分)
岐阜・中津川の家族5人殺害、元老健施設事務長に無期判決(2009年1月13日14時10分 読売新聞)
中津川5人殺害:被告に無期懲役 岐阜地裁判決(毎日新聞 2009年1月13日 10時44分(最終更新 1月13日 13時18分))

 本件で、完全責任能力を認めながら無期懲役というのは異例と言えば異例でしょう。
 検察官もびっくりしたと思います。
 乳幼児二人を含む5人を殺害しているにもかかわらず無期懲役とした判決の量刑理由を知りたいところですが、報道では要領を得ません。

 田辺裁判長は情状酌量の理由について「私利私欲に基づく犯行でないことは明らかで、一方的な逆恨みでもない。母の嫌がらせで苦しみ自殺も図った。精神的に追いつめられての一家心中で、再犯の可能性もあるとは言えない。また、被害者も極刑は望んでいない」と述べた。

 朝日は以上のように要約していますが、「被害者も極刑は望んでいない」の被害者とはいったい誰のことなんでしょう?
 たぶん、殺人未遂被害者(長女の夫)のことだと思いますが、裁判官は殺された被害者の気持ちをどう考えているのでしょう。
 他の3紙にはそのような要約はないのですが、本当に死刑回避の理由としてこんなことを言ったのだとしたら、私はこの裁判官たちの見識を疑います。

 理不尽に奪われた五人の命を考えるときに、「私利私欲に基づく犯行でない」とか「一方的な逆恨みでもない。」などという消極的事実認定を持ち出すことは、死刑判決の宣告から逃避した裁判官の言い訳としか聞こえません。

 他の死刑事件との公平性の観点から見て、本件は死刑以外に考えられない事案だと思います。それとも報道に表れていない特殊事情があるのでしょうか?
 どうせ死刑回避をするのであるならば、心神喪失か心神耗弱を認定すべきだったでしょう。
 それはそれで批判はあると思いますが。

 ともかく、検察官控訴は間違いないと思います。

 死刑廃止論もあるわけですから事の是非には議論があると思いますが、この判決は裁判員裁判にかなり影響を及ぼすのではないかと思われます。
 従来の例との比較において死刑相当の事案について、無期懲役判決が頻発するようになったら高裁はどう対応するのでしょうか?
 それも国民の意思として尊重するというのも裁判員制度を採用したことの帰結であるという考え方は当然ありますが、それで裁判員以外の国民が納得するかどうかも問題になってきます。

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コメント(21)

前に言われていた「是が非でも自分で死刑判決を下したくない裁判官」なのではないでしょうか。そのため、死刑に値しない理由を最大限に強調した判決文になってしまったとか。どうせ検察が控訴するだろうから、死刑を下すのは高裁の裁判長にお任せ、などと考えたかもしれません。

それはともかく、どうも家族間の殺人事件だと量刑が軽くなるような印象があります。家族間の殺人はそれまでの因縁が絡むことが多いから、一方的に厳しく断罪すべきでないという判断なのでしょうか。

覚せい剤使用で心神喪失、強盗など無罪に 岐阜地裁

覚せい剤所持・使用や不法残留、強盗致傷など10罪に問われたイラン国籍、名古屋市千種区上野、塗装工ジャムシッド・モハマディ被告(34)の判決公判が17日、岐阜地裁であり、
田辺三保子裁判長は覚せい剤使用・所持と不法残留のみ有罪とし、懲役2年執行猶予4年(求刑懲役10年)を言い渡した。
覚せい剤使用後に及んだ強盗などは「覚せい剤の影響で心神喪失の状態にあった」と無罪を言い渡した。

ジャムシッド被告は06年6月6日、海津市南濃町の国道で乗用車を運転中に対向車と衝突した後、自分の車を乗り捨てて他の車を次々奪ったとして、強盗容疑で県警に逮捕された。
43分の間に、車の強奪や当て逃げを繰り返し、女性3人に重軽傷を負わせたとされるが、ジャムシッド被告は「何も覚えていない」と供述していた。

判決によると、ジャムシッド被告は、同日の少なくとも約2カ月前から覚せい剤を摂取していた。
公判では責任能力の有無が争点となり、弁護側は「覚せい剤使用によって心神喪失の状態だった」と指摘。
検察側は完全責任能力を有していたと主張してきた。

私は民放数社とNHKの昼ニュースで見ただけですが、唖然としました。なに、この判決(死刑回避)理由・・・ってなもんです。

あまりにも要領を得ない「理由」をテレビの記者が言うものだから、最初はよくよく無能な記者が取材してたのかと疑ったものですが、どの社のレポートを聞いても大体、似たり寄ったりの要約。
ということは、司法記者をしても「この裁判官(合議体)、いったいなにを考えてんだ????」と果てしなく長くクエスチョンマークが並ぶようなことを死刑回避理由として挙げたと見るほうが妥当なのでしょう。

当事件において死刑判決を下すことの妥当性がいかがかの判断は兎も角として、説得力とか他人を納得させられるだけの論理強度を備えているかとの視点から見て、著しく劣悪な、水準以下の判決理由であると感じます。こーゆーリクツで判決する人に司法を担われるのは大変迷惑な話です。

小生は個人的には死刑には反対の立場ですが、現行法では当然に死刑になるべき罪状の被告人だと思います。検察は控訴するのでしょう。裁判員制度になって判決の量刑が余りにもぶれると問題になりそうですね。

昨年春に社労士会で裁判員裁判の研修を受けたとき、実際に裁判員として量刑の評議をする際に、素人裁判員は死刑判決には踏み切れないだろうと感じていました。

「お茶の間世論は厳罰化の傾向」などと良く言われますが、傍聴席どころかマスコミ報道をネタにお茶の間という外野席から「死刑相当!」とネット発言する軽さと、法廷の一段高い裁判員席から被告を目の前にして「死刑の選択はやむを得ない」と自ら宣告する重さと、この両者の隔たりは非常に大きいと感じます。実際に裁判員裁判で死刑求刑事件を裁くとき、以前のプロ裁判官だけの法廷ならまず九割方死刑間違いなしという事実認定でも、量刑判断は無期懲役に流れる懸念を強く持っています。

そして真の問題は、そうした裁判員裁判での死刑回避傾向が「司法に対する市民感覚」の結果として顕著であった場合、裁判員制度の直前の昨年までの死刑判決の閾値低下傾向との整合性を、高裁などプロの司法がどのように匙加減するかです。この春までの裁判員制度前の起訴事件だったために、所謂永山基準などの過去の裁判例に照らしても厳しい印象の死刑判決での被告側が控訴した事件と、裁判員制度後に多発するであろう死刑回避判決を検察側が控訴する事件と、高裁なり最高裁なりがどのように「公平均等な基準」で裁き直すのか。

初審としての裁判員裁判の3日とか4日間の審理をトラブル無く乗り切るだけでなく、その後の「素人市民の感覚」と「法曹専門家の感覚」とを均し直す役割を持つ、高等裁判所の控訴審が非常に重要になると感じます。

法曹三者は裁判員制度の広報活動するだけでなく、そうした均質かつ継続的に公平な司法判断の維持確保に、そろそろ本腰入れて準備作業に掛かるべきと思います。

みみみ様
>家族間の殺人事件だと量刑が軽くなるような印象があります

昔、尊属殺人は別途重罰の規定があったと記憶してまして、その尊属殺人に対し「違憲判決」が出た時の新聞の一面記事を妙に覚えているんです。(すいません、素人なんで詳しい内容までは良く覚えてないんですが・・)
それ以降、尊属であろうと、通常殺人と同列で刑罰を決めるようになるんだなと、単純に思い込んでおりました。
しかし、私は少ない判例しか見聞してないせいか、尊属傷害、尊属殺人に対しての刑罰が、みみみ様と同様に普通のそれと比して、ちょっと軽くなってないかな?と常々感じていました。
他人にはうかがい知る事ができない積み重なった因果や血というものの重さなどに対して同情的になってしまうんでしょうか、でも今まではそれもしょうがない事かもしれないと思っていました。

>他の死刑事件との公平性の観点から見て、本件は死刑以外に考えられない事案

と、モトケン先生も仰られていますように、今回の罪状でこの判決では、死刑を選択するという事に対し、私のような素人には、かなり???の状態に成ってしまっています。
もし、この裁判官の私情が混ざっての判決だとしたらそれもまた困った事なんじゃないでしょうか。

 ふた昔くらい前には、子殺しは軽かったという印象がありますが、最近はそうでもなくなってきたように思います
 私としましては、孫二人を殺害したことこそ死刑の根拠になると考えます。

 毎日の別記事に犯行動機として

法廷で原被告は「家族が(殺人者の家族として)生き残れば、可哀そうと思った」と説明した。

という記事がありますが、このような動機は自己中の極みだと思います。
一片の酌量の余地も見いだせません。

モトケン先生
さらに突っ込んだご解説を賜りまして、ありがとうございます。

>法廷で原被告は「家族が(殺人者の家族として)生き残れば、可哀そうと思った」と説明した。

ご指摘のところはまさしく私も憤りを感じたところでした。
でも、私には「自己中の極み」という言葉、解釈は浮かばず、ただただお孫さん二人の不憫さを改めて悲しんでいるばかりでした。
(モトケン先生の罪状への解釈には納得できます。故に余計この判決はなんなんだろう・・・)

検察官の立証が不十分・不適切だったってことは…

そんなことはないか(笑)

にしても,皆様方の今回の事件の判決の扱いが,医療訴訟におけるトンデモ判決の扱いとが,だいぶ違う気がします。

とはいえ,今回の裁判所の判断よりも,今回の事件に対する裁判所の判断はおかしいという皆様方の苦言のほうが正しいのであろうという心証は持ちます。

 多分ですが、検察庁は控訴するでしょう。最近気のせいか、原審問題判決を高裁が破棄自判or破棄差戻しするのが増えたような気がします。

被告の近所の人とかが、減刑の嘆願書を出したと言う報道も有ったみたいですが、そう言う嘆願書が量刑に影響するものなんでしょうか??

私個人は、厳罰化が犯罪の防止etcに役立つかに関しては、かなり懐疑的だったりするんですが、でも、減刑を求める嘆願書が量刑に影響するのは、なんか、納得がいかないような……

嘆願書が量刑に影響するかどうかは分かりませんが、当時の新聞記事には、地裁は「関連性がある」として証拠採用を決めた、とあります。

また、被告は自分の首を刺して一時重体になったそうですから、無理心中という側面もあったようです。

私が気になるのは、家族5人を殺した犯人を減刑する嘆願書に、地域住民約1000人が署名したという、常識では考えにくい状況であり、「なぜ嘆願書に署名したのですか?」というマスコミの取材も当然あったはずなのに、少なくともネット上には見当たらない、ということです。

被告に同情的な内容が多かったため、記事にできなかったのかな、という気もします。

また、凶悪犯罪においては、詳細な裁判レポートをするはずの産経の姿勢が、なぜか消極的なのは、もしかしたらこの事件の無期判決を予想していたんじゃないか、という気さえします。

モトケンさんが、殺された被害者の気持ちをどのように考えているのか気になりますが、それはともかくとして、生き残った被害者遺族が死刑を望まないとなると、殺された人間の気持ちを考えろというのは、モトケンさんの私憤が最優先であって、置き換え可能な被害者の気持ちを選べば良いということのように思えます。

さらに、量刑相場が崩れるから死刑、世間が納得しないから死刑というのでは、被害者の気持ちは、単に出汁として使われただけのような気もします。

> 私が気になるのは、家族5人を殺した犯人を減刑する嘆願書
> に、地域住民約1000人が署名したという、常識では考えにく
> い状況であり、「なぜ嘆願書に署名したのですか?」という
> マスコミの取材も当然あったはずなのに、少なくともネット
> 上には見当たらない、ということです。
>
> 被告に同情的な内容が多かったため、記事にできなかったの
> かな、という気もします。

そこには
どんなことをしても(この場合は家族を5人殺してまでも)
守られるべき価値(体面っていってもいいのかな?)があって、
地域住民のみなさんもその価値が守られたことに
同意と共感を表明されておられるってこと?
なんか事実認定においても完全責任能力ってことらしいし。

だとしたら、きわめて危険なのでは?
少なくとも私はそんな被告が住んでいたところは
日本と呼びたくないし、当然立ち入りたくない。
だって、そんなに価値があるものが何なのか
私には分からないので、そんなルールの世界で
生き残る自信ないですもの。

>置き換え可能な被害者の気持ち

 これはどういう意味ですか?

No.14 通りすがり さん

国民の大半は死刑制度を容認していますし、マスコミが、国民が喜ぶような記事を乗せた方が視聴率販売部数ページビューを延ばせる、と考えるのは当然のことですすし、私は、国民の厳罰志向に水を差すような報道を、マスコミは避ける傾向があるように感じています。

>被告に同情的な内容が多かったため、記事にできなかった

というのは、被告に同情する報道をしても視聴購読閲覧者の受けが悪いので、ボツにしたのではないか。という意味です。


>No.15 モトケン さん


>>置き換え可能な被害者の気持ち

> これはどういう意味ですか?


モトケンさんの死刑を望む気持ちを代弁できる被害者の気持ち、といったような意味です。

より率直な書き方をすれば、

モトケンさんは死刑にしたいのに、生き残った被害者は死刑を望んでいないので、使えない。

そこでモトケンさんは「殺された被害者なら被告の死刑を望んでいるはずだ。」と考えて、

>裁判官は殺された被害者の気持ちをどう考えているのでしょう。

と書いたのではないか、と思いました。

モトケンさんの気持ちが被害者の気持ちより優先されているように感じます。

ビール犬 様

横入り失礼いたします。

殺人事件での裁判は被害者は当然裁判に参加・傍聴はできませんので、被害者側は被害者遺族が一部参加・傍聴するしかありません。
一部参加と申し上げたのは、私の大雑把かもしれませんが、裁判に対する理解としては、国家がその罪の罪状を判定し量刑を判断、決定する、という理解を持っています。
(こんなことを法律家のブログへ書き込むのは勇気が要りました)
ですので、被害者遺族の気持ちも最近は表明することはできるとは思いますが、大筋の判断としては国家権力の判断になるということだと思いますので、ビール犬様のコメントにはどうにも違和感を感じます。
その違和感の理由のもう一点としては、失礼な物言いになりますが、「ビール犬様御自身はどう思っていらっしゃるの」ということが良く見えなく、報道がどうのとか、モトケン先生のお気持ちがどうのとか、ビール犬様御自身は遠目の安全地帯から他に向かって批判(?)めいた事を仰られておられるところです。
お題がなかなか重い記事でしたので余計にそう感じてしまったかもしれません。
しかし、裁判員制度が始まる今年度を鑑みても、私には的確な判決とは思いませんでした。

こちらの地方版の記事が詳しいですね。

http://mytown.asahi.com/gifu/news.php?k_id=22000000901140004

 (被告人は)事件前には中津川市老人保健施設の事務長として頼りにされていた。「あんなに温厚な人はいない」「立派な人だ」という声も少なくなく、知人らが集めた嘆願書の署名は千人近くなった。
 残された遺族は原被告の身内でもある。妻子3人の命を奪われた藤井孝之さん(43)は検察官の取り調べに「(義父の原被告に)世話になったことを思い出したり、同情もわいてきたりして、死刑にしてほしいという気持ちにはなれない」と述べ、原被告の実弟も「これ以上肉親をなくすことは耐え難い」と死刑を望まなかった。

 08年9月の最終弁論で、弁護側は「誰も死刑を望んでいない」と総括していた。

「誰も死刑を望んでいない」というのは、確かに生き残った人だけみればそうでしょうね(ただ、孝之さんの心情としては複雑なものがあると思いますし、上記コメントを額面通り受け取ってよいものか、疑問の余地がありますが)。
「被害感情」って何なのでしょう。
刑事裁判って、結局は生き残った人達のためにあるのでしょうか・・・・・・?
考えさせられます。

(この判決の当否については何らコメントするものではありません。)

>モトケンさんの死刑を望む気持ちを代弁できる被害者の気持ち、といったような意味です。

 なんで被害者が私の気持ちを代弁できるんですか?
 そんなことできるわけないでしょ。
 こんなことを議論する意味がどこにあるのですか?

 根本的に誤解がありますね。

>モトケンさんは死刑にしたいのに、生き残った被害者は死刑を望んでいないので、使えない。

 以下は全く的外れです。

 私は、厳密な意味では死刑を望んではいません。
 本件では、死刑判決をすべき事案だとは思いますが、それは遺族が犯人の死刑を望むという気持ちとはかなり違います。

 私は、もともと死刑の判断において遺族感情にそれほど決定的な意味を認めていません。
 しかし、無視もできません。
 遺族が積極的に死刑を望まないのであれば死刑回避の理由の一つにはなりうると思います。
 しかし、それもすでに声を上げられない被害者の声を(私ではなく)遺族が代弁していると認められる範囲でのことと思います。
 殺人罪の保護法益はあくまでも被害者の命であって、遺族の感情ではありません。
 その観点で、全く何の落ち度もなく一方的に命を奪われた乳幼児二人の気持ちに何の配慮もしないかのような判決は到底支持できないということです。

 私の死刑に関する考えは、旧ブログで何度か書いてます。
 お暇でしたら過去ログを探してみてください。
 

>「ビール犬様御自身はどう思っていらっしゃるの」

判決の是非について私がどう考えているのか、ということと思いました。

無期判決が妥当かどうかについては、私は考えがまとまらず、決断が難しいのですが、強引に選べと言われれば、現時点では無期判決を支持すると思います。

とりあえず現在の理由としては、私は新聞やマスコミ報道でしか当事者を知りませんが、事件現場周辺の住民は、一緒に暮らしていたのですから、はるかに当事者について詳しかったはずですし、被害者の気持ちについても、より正しく酌み取っているのではないかと思うからです。

一家6人を殺傷した事件で1000人の減刑嘆願があったというのは、私にはちょっと信じられないことですが、近所の人々は、さまざまな思いを巡らした末に自分の名前を書いたと思いますので、今回は署名した人々の意見を尊重したいと思います。

私は、モトケンさんが遺族の被害感情を重視しているような印象を持っておりましたが、どうも、他のどなたかの意見と勘違いをしていたようです。

大変失礼をいたしました。申し訳ありません。

過去ログについては、いくつか目を通しただけなので、時間のある時によく読んで見ようと思います。

それから、殺された被害者の気持ちについてですが、もし自分が家族に殺された場合、死後の世界があったとして、自分を殺した家族の死刑を望むかというと、実感としては、かなり微妙な気がします。うちの家族仲は、さほど良いわけではありませんけれど、吊るされろとは言えないかもしれません。

祖父に殺された赤ん坊の気持ちは見当がつかないのですが、一般的な感覚として、自分自身が家族の誰かに殺された場合、ほとんどの人は殺した相手の死刑を望むものなのでしょうか。

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