裁判長「反省」見極め無期に...無念の遺族「更生なんて」(2009年2月27日03時18分 読売新聞)
この記事は、YOMIURI ONLINE の社会 最新記事にあった今日付の記事なんですが、記事中の判決は5年以上前の2003年9月2日のものです。
掲載する場所を間違ったのかなという気がしますがそれはさておき
今は退官している仲宗根裁判長は数多くの経験から、「量刑を判断する際、被告の反省の態度を見極めるのは非常に難しい」と身をもって感じてきた。だからこそ、法廷では、被告の表情や雰囲気、言動のすべてに注意を払った。心の中が見えるはずはないけれども、外面に出てくるあらゆる手がかりを探す。反省を装っている可能性はあるかもしれないが、最初から演技と決めつけることは決してしない。そして、「3人の裁判官の見方が一致すれば、反省が本当かどうか、判断を誤ることはないだろう」と信じていた。
今はどう思っていらっしゃるのでしょうか?
私も、自分なりに目の前にいる被疑者・被告人が本当に反省しているのかどうかを真剣に考えてきましたし、自分なりに反省が本当かどうかを判断してきました。
しかし、その自分の判断が正しいかどうかいまだに自信が持てないでいます。
反省していないんじゃないかという判断はかなり自信と根拠をもって言える気がするのですが、反省しているという判断については、結局「そのように思える。」という主観的判断の域を超えないように思われます
それが3人一致したからといって「判断を誤ることはないだろう」というのはやや楽観的に過ぎるのではないでしょうか。
また、その時点では真実反省していたとしても、その反省が将来的に維持され深化されるかどうかはもっと疑問です。
法廷の場で、後悔を含む反省をしない被告人はほとんどいないと思われます。
しかし、再犯者の数は決して少なくありません。
被告の反省の態度を見極めるのは非常に難しい
私もそう思います。
だからこそ、反省の態度というようなものを死刑の当否を決する決定的な判断材料にするのは正しくないのではないかと思うのです。
懲役刑が問題になる場合は、反省の態度は刑期の長短に影響を及ぼす相対的な判断材料にとどまります。
しかし、死刑の当否が問題になる場合は同様に考えることはできないように思われます。
なお、この事件については遺族側の対応にも一貫しないところが感じられます。
死刑回避の理由としては民事上の和解成立のほうが大きいかも知れません。
約60年の分割払いの支払い義務を被告人に認めると言うことは、被告人の存命すなわち死刑回避を前提とする和解であるということになります。
つまり、論理的には遺族側は被告人の死刑回避を望んだ、ということになります。
もっとも、和解内容の詳細が明らかでないので的外れなことを言っている可能性がありますし、死刑判断が遺族が処罰感情に左右されるというのも反省の態度を重視するのと同様に正しくないと思います。
及川被告は受刑者となり、現在、関東地方の刑務所にいる。無期懲役の確定を境に遺族への手紙は途絶え、損害賠償の分割払いも3年前から止まっている。
予測された範囲内のことです。

>「被告の反省の態度を見極めるのは非常に難しい」
プロの方でさえそう思われるのですから、裁判員に選ばれた素人にとっては判断不能とさえ思えます。
ですから、モトケン先生の「だからこそ、反省の態度というようなものを死刑の当否を決する決定的な判断材料にするのは正しくないのではないかと思うのです。」という示唆を念頭に置くべきだと思います。
裁判員になった場合に予断をもって臨む積もりはありませんが、外野から見聞きしている限りで言えば、被告人が「自分は……死刑になった方がいいと思ってます」と言うのも「一生償っていきたいと思ってます」と言うのも、どちらも反省の態度を示したいだけと思えてしまいます。