秋田児童連続殺害事件、二審判決の量刑理由(asahi.com 2009年3月25日20時56分)
要するに、より悪質な事案と比較するとその事案ほどは悪質ではない、というのが死刑回避の理由のように読めました。
高裁は、
いずれの犯行も利欲的な目的の手段として敢行されたものではない。
と判示していますが、豪憲君殺害の動機については、
先に犯した彩香殺害事件の犯人として自分が疑われるのを避けるため
と認定しており、これは豪憲君の命を自己の利益を図るための手段として奪ったことを意味するのであって、経済的利欲目的の犯行の悪質性と本質的に異ならないと思います。
また、高裁は
豪憲殺害・死体遺棄の犯行も場当たり的な面が強く、用意周到な計画的犯行とみることはできない。
と判示していますが、被害者が児童であること、殺意が強固であること、連続殺人であることなどを考えますと、犯行の危険性は用意周到な計画的犯行と大差ないと言えます。
そう考えますと、本件は死刑でも全然おかしくない事件だと思うのですが、絶対に死刑でなければいけない事件かというと、そうとも言い切れない雰囲気も感じています。
被告人を含む全体に不条理感を感じているせいからかも知れません。
ただし、検察は上告する可能性が高いと思われます。

死刑なんて本当はない方がいいのですが、これだけ殺伐とした仰天殺人事件が続くと、死刑の威嚇力と応報の必要性を感じてしまいます。死刑が社会防衛機能として重要な地位を占めるなんて、忸怩たる思いがあります。
死刑廃止論だけが声高に唱えられていた昭和40年代が懐かしいです。
これは私が軽く知ってる範囲だと動機が判らないんですよね。
それで勝手にこの人は人格障害+代理ミュンヒハウゼンなんじゃないかって気がしてるんです。
豪憲君は被告のこどもじゃないからミュンヒハウゼンは有り得ないという意見も有りますが、閉鎖的な土地でみんながある意味、身内同士みたいだったんじゃないかと。
皆が身内みたいな田舎でまわりから浮いた存在だった被告が彩香ちゃんのことで周囲の人の関心と同情を得られた。
でもみんなしばらくすると関心を失った。
それでもう一度、あの盛り上がりと一体感をという動機から豪憲君を手にかけた...
もしこう考えると彩香ちゃんに対して殺意があったかどうかもあやしくなるんです。
鑑定で責任能力は有りになってるわけですから、別にこう考えても無罪にはなりませんが。
こんな風に考えるのは、単に彩香ちゃんに対して殺意を持っていて欲しくなかったと思ってるからかもしれません。
精神鑑定てそんなに量刑を左右するものなの??
刑事弁護の実務に役に立つ、実務に直結する書籍を紹介してください。
裁判官が読む、裁判実務に直結するような本をいくつか紹介してください。
メディアではこの「秋田児童連続殺害事件控訴審判決」が専ら話題になっていますが,同じ25日,東京高裁では
「埼玉夫婦強殺で東京高裁、計画性も認定し死刑に」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090325-OYT1T00739.htm
という控訴審判決があって,
一審判決が無期懲役だった被告人に対して,高裁では死刑判決となっています。
その判断の変更の事情が気になりますが,社会的には,これも秋田の事件と同じくらいに量刑の判断について重要な示唆を含んでいるはずなのですが,メディアの扱いは異様に軽いです。
ハスカップとさらみと沼地の3人で、
裏のスレで遊ぼうよ。
さらみが刑事被告人
ハスカップが検事
沼地が判事
ヒマな時に書き込んで刑事法廷ごっこするの。
沼地が判決を出すまで遊ぶのよ。
さらみさん、遊ぶかどうかは別にして裏に行きましょ。
表じゃご迷惑でしょうし。
asahi.com上の二審判決の量刑理由を読みましたが、モトケンさんのご指摘のように、論の展開からして
>利欲的な目的の手段として敢行されたものではない
と結論づけられるのは釈然としません。
それはそれとして、この裁判で気になっているのは、殺害されたのが二名とは言え、彩香さんについては実の子であったから軽く量られているのでは? という点です。確かに「冷酷・非道」といった言葉も見られますが、「彩香の養育について悩んでいたことも事実」などを「被告人に有利な方向で考えられる事情」として掲げ、「幾分なりとも考慮の余地がある」としています。様々な事例を見るにつけ、日本の世論も司法も「子殺し」に甘すぎると感じておりますので、またか、と思わされます。(死刑判決が出るべきだったと言いたいのではありません。それはまた別の話です。念のため。)