ここでギャンブル捜査というのは、逮捕・勾留するだけの嫌疑はあるが、自白がないと起訴するに足る嫌疑がない場合のように、起訴の成否を自白獲得という将来的に不確定な事情にかからしめて逮捕・勾留に着手する捜査を言っています。
 (分かりやすそうなので使ってみましたが、あまり一般的な用語ではないと思いますし、誤解を招く表現かも知れません。)

 捜査に行き詰った警察が誘惑にかられやすい捜査手法です。
 検察庁では基本的に嫌う捜査手法です。
 深刻な問題が指摘されている捜査手法です。

 しかし、ギャンブル捜査というレッテルを貼っただけでその当否を論じても意味がありません。
 問題を分析する必要があります。

 検察庁が嫌う理由の一つに、被疑者の逮捕以前の捜査が十分尽くされていないというのがあげられます。
 例えば、聞き込み捜査はやりつくしているのか、などです。
 しかし、聞き込み捜査というのは、犯行現場の付近住民というような限定的なものであればある程度の時間をかければ網羅的にできますが、たまたま現場を通りかかった人がいないかどうかまで拡大しますと、対象者の範囲は無限に広がり、やりつくそうと思うと無限の時間がかかります。
 そんなことはできませんから、どこかで見切りをつける必要があります。

 また、物理的に可能な捜査をやりつくしたとしても、事件の性質や証拠隠滅工作などによって、自供なしでも起訴できるような証拠収集ができない事件もあります。
 つまり、現実問題として、「逮捕・勾留するだけの嫌疑はあるが、起訴するには自白が必要だ。」という事件は存在するのです。

 そのような事件の場合において、逮捕・勾留自体は、逮捕・勾留の要件を満たしている限り、違法でも不当でもありません。
 実際に嫌疑があり、裁判官が嫌疑の存在を認めて令状を発付している以上、勾留までは問題はありません。

 問題なのは、勾留中の取調べなのです。
 自白がなければ起訴できない、というのが前提なわけですから、勢い警察は自白を得ようとします。
 しかし、被疑者は否認する。
 さてどうなるか?
 言うまでもありませんが、無理な取調べに走る警察官(ときには検事も)の存在が否定できないということです。
 ただし、一部の人が言うように、必ず無理な取調べが行われるというわけではありません。
 が、その可能性が高くなるという傾向は否定できないのであって、そのような取調べが行われた場合、冤罪が生じることになるわけです。
 別エントリで指摘していますが、逮捕・勾留の要件を満たす程度の嫌疑があるということと、その被疑者が真犯人であることは別問題です。
 このようなギャンブル捜査で冤罪が生じた実例がいくつもあります。
 その結果として、ギャンブル捜査と認められる事件の自白は、無理な取調べによる虚偽自白ではないかという一般的疑いも生じてくることになります。
 裏づけ証拠のない自白は眉につばつけて読まなければいけないという基本原則の典型的適用場面ともいえます。
 その結果として、公判が紛糾することになります。
 検察官が嫌う理由のその2です。

 そして自白が得られなかった場合はどうなるかといいますと、起訴できないわけです。
 検察官が不起訴処分をするということになります。
 その場合は、警察とともに検察も批判の矢面に立つことになります。
 検察官が嫌う理由のその3です。

 いくつか問題を指摘しましたが、最も深刻かつ重要な問題は、虚偽自白の可能性です。
 取調べに関する問題がクリアされれば、ギャンブル捜査に対する主要な批判がクリアされます。
 そして、取調べ上の問題をクリアするための考える得る最良の方法は、取調べの全面録画です。
 私は、録画情報の管理については配慮を求めていますが、全面録画自体には反対していません。
 
 舞鶴の今回の事件については、決め手となる物証の存在が報道されておらず、被疑者は否認しているとのことから、ギャンブル捜査の匂いが感じられますので、「舞鶴女子高生殺人容疑者逮捕」で全面録画の必要性を指摘しました。

 舞鶴の事件については、もう一つ問題があります。
 それは、本件は批判されるべきギャンブル捜査なのか否かという問題です。

 科学捜査や周辺捜査が尽くされているのであれば、自白偏重捜査というような批判は当たりません。
 逮捕にあたって地検と協議したと言う報道もありましたので、その点については地検も捜査は尽くしたと考えているのだろうと思います。

 次に、逮捕前の段階での捜査によって得られた証拠に基づいて、被疑者にどの程度の嫌疑が認められるのかという問題があります。
 薄い嫌疑しか認められないのに逮捕したというのであれば、やはり自白偏重捜査の批判を受けることになると思います。

 ところで、本件がそうであるかどうかはともかく

かなり濃い嫌疑はあるが、自白がなければ起訴できない。
被疑者は否認しており、自白するかどうかは分からない。
真犯人ではない可能性も否定できない。

 という場合に、一般的な市民感覚はどうなんだろうか? 逮捕を正当なものと認めるのだろうか、それともそれ以上の証拠が得られない限り、犯人検挙は諦めるべきだと考えるのだろうか、という疑問を抱いています。

 考える材料の意味を込めて、捜査の実情の一端とその問題点を紹介してみました。

関連エントリ
 まだ真犯人かどうかわからない。
 捜査批判に少し突っ込みを入れてみました。

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コメント(11)

「ギャンブル捜査((C)小倉秀雄弁護士)」という言葉は、生まれて初めて耳にしました。「匿名の卑怯者(前同)」なら、「Anonymous Coward(アノニマス・カワード)」の単語直訳だとわかりましたが(汗。
 ギャンブル捜査じゃなくて、「ギャンブリング・インベスティゲート」なら映画「アンタッチャブル」で耳にした記憶です。

ギャンブル捜査((C)小倉秀雄弁護士)
(C)小倉秀雄弁護士ではないような・・・

 普通「ギャンブル捜査」といえば「賭博捜査」を意味するので、小倉秀夫弁護士先生が使う意味では小倉先生の造語かと思いましたが?
http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6099465&dispNo=001005001006002

今回の流れでは、私が先に使っているはずです(^^;

物的証拠はないけど、いちかばちか捜査してみよう、ってことでしょうか?
まだ真犯人かどうかわからない」でも皆さんがご指摘になっているように、報道が先行した事件なんかだと厄介なことになりそうな気はします。
ちなみに松本サリンの時は私は最初からおかしい、とは思っておりました。化学の知識が有ったわけではないのですが、直前の「湾岸戦争」で化学兵器に備えた米兵の防護服のすごさを見たので、あんな軽装でサリンを作っていたならあの人が最初に亡くなっている、と直感したからです。
でも、「ロス疑惑」や「砒素カレー事件」では、はっきり言って(「犯人」として報道された人が「真犯人かどうか」)は私にはわかりません。メディアが「絵になる情報」「(視聴率や販売数アップに)都合のいい情報」だけを流す傾向にあるのも皆さんのご指摘の通りだと思います。
素人として言える事は、「推定無罪の原則」が一般になじまないなら(逮捕、即犯人という考え方が一般的であるように思いますので)有罪が確定するまで「匿名」にする、というメディアのルールを確立する必要があるように思います。尤も容疑者が政治家や有名人の場合は難しいでしょうけれど。
あと、取り調べの映像・音声の管理もきっちりしていただきたいですね。自衛隊の機密資料でも「流出」する昨今です。ウィニー経由でユーチューブにアップされたりしたら、目も当てられないことになりますから。

>モトケン先生

 ご指摘ありがとうございます。m(_ _)m

>物的証拠はないけど、いちかばちか捜査してみよう、ってことでしょうか?

 将来の不確定要素に起訴不起訴がかかるという意味では「いちかばちか」という側面は否定できませんが、自白以外の証拠がどれだけあるかによって、捜査全体の評価は相当変わってくると思います。
 安易に自白に頼ろうとしているのか、できることはやり尽くしたが最後の決め手としてどうしても自白がないと起訴できない状況なのか、この違いは大きいです。

 「物的証拠はないけど、」と仰っていますが、物的証拠の有無は重要ではありますが、逮捕の着手の評価にあたっては、必ずしも決定的ではありません。

>自白以外の証拠がどれだけあるか
>物的証拠の有無は重要ではありますが、
>逮捕の着手の評価にあたっては、
>必ずしも決定的ではありません。

非常に気になるのですが、合理的な疑いが確定しない時に、自白を得たとして、他に証拠が無いつまり合理的と断定できない証拠と自白で、起訴できるものなのでしょうか?

ちょっと分かりにくいと思いますが、鑑定者が「わたしの判断は・・」と鑑定しただけ、といった状況ですね。

合理的とは一般常識に照らして納得できるもの、という意味です。
この部分が、鑑定者は断定したが、一般的には断定できない、ということは大いにあり得るでしょう。

実際に、鑑定人の意見が割れることはありますから。

このような状況で、得た自白は有効性がかなり落ちると思います。
ここらヘンの、判断はどうなのか?が気になるのです。

>ここらヘンの、判断はどうなのか?が気になるのです。

 これはケースバイケースとしか言いようがありません。
 
 酔うぞさんが引用された部分は、「逮捕の着手の評価にあたっては、」とありますように、逮捕時点における評価の問題です。
 起訴時点(正確には不起訴の場合もあるので「検察庁の処分時点」)においては、その時点における証拠の全体(この中には勾留中の供述及びその供述に基づいて得られた証拠や自白の裏付けとなる証拠を含む)を検討して、有罪判決を得るに足るものであるかどうかが判断されることになります。

> 一般的な市民感覚はどうなんだろうか?

 現状では逮捕=真犯人というのが、マスコミによる一般的な市民感覚でしょう。身柄を拘束され、手錠をかけられ、テレビカメラの前で晒し者にされるに至っては、そうされても仕方ないような、相当に悪い奴なのだろうとしか思われません。

 今後、警察官、検察官にはそれを前提とした行動が求められるのだろうと思います。

モトケン先生 ありがとうございます。

物的証拠の有無は重要ではありますが、逮捕の着手の評価にあたっては、必ずしも決定的ではありません。

どうやら私は、「状況」は真っ黒なのに、「証拠」がない・・・うーん、困った、みたいな「刑事ドラマ」に影響されていたようです(^^:
それと、私たち素人が目にし、世間が騒ぐ現実の事件でも、例えば「ケネディ暗殺」みたいな特異な(又は猟奇的な)事件の方が印象に残りやすいですものね。変な言い方で恐縮ですが「普通」の事件は、やはり「普通」に捜査されているだと思います。

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