危険運転致死傷罪を適用、懲役20年判決 福岡3児死亡(asahi.com 2009年5月15日12時1分)
福岡市東区で06年、飲酒運転で3児を死亡させたとして危険運転致死傷罪などに問われた元同市職員、今林大(ふとし)被告(24)の控訴審判決が15日、福岡高裁であった。陶山博生裁判長は、業務上過失致死傷罪の適用にとどめて懲役7年6カ月(求刑懲役25年)を言い渡した一審・福岡地裁判決を破棄。「酒の影響で正常な運転が困難な状態で事故を起こしたと認められる」として危険運転致死傷罪と道交法違反(ひき逃げ)の罪を適用し、懲役20年を言い渡した。弁護側は判決を不服として、上告する方針。
旧館において、何度か危険運転致死傷罪の規定の仕方が下手くそだと述べたことがあります。
01年の刑法改正で施行された危険運転致死傷罪の適用の可否については、一、二審で裁判所の判断が分かれるケースが相次いでいる。
それがこのような混乱を招いていると思われます。
上告審では、そのような混乱が収束するような明確な基準を示す必要があると思います。私が言うまでもなく最高裁も待っていることでしょう。

以前にもコメントをした福岡の弁護士です。
私自身は、高裁で危険運転致死傷罪を認めたことに若干驚いております。
現場は今でもよく通っています。
こんにちは
新聞記事を見る限りでは、高裁の判断がかなり強引かもと思えるところもあるのですが、被告人側の主張も相当無理筋に思えて、その辺が全体的評価に影響した可能性なきにしもあらずかも、という印象的な感想を覚えています。
旧館リンク
http://www.yabelab.net/blog/2008/01/08-213006.php
私も判決は意外に感じました。
長いわき見が不可能なほど直進するのが難しい道なら、その道を直進した被告人は正常な運転が可能な状態だったんじゃない?とか思っちゃいます。事故前も複雑な道をちゃんと運転していたらしいし新聞報道なのであれですが
私がモトケン先生のブログを知ったのも、この事件がきっかけでした。(その節は、突然乱入した形になっていまい、今でも申し訳なく思っております)
もし素人の私が、飲酒運転で3人の幼い子供が亡くなったという事故の裁判員になったとしたら、被害者の方に目がいってしまうでしょう。そして、加害者が飲酒の上で運転したというところに「未必の故意」的な心証を持ってしまい、加害者が正常な運転ができたかどうかなど考える余裕がなくなり、冷静な判断ができなくなるような気がします。
そう考えると、「裁判員制度」って恐ろしいです。
こんにちは。いつも興味深くROMさせていただいております。
現場付近は市の中心部から車で20分くらいの場所で、海の中道やその先の志賀島(金印発見の地)というメジャースポットに行く途中なので、一審も控訴審も、裁判官は、車で通ったことがあるんじゃなかろうかと思ったりします(控訴審は検察の求めた現場検証をしなかったそうですが)。
私もこの事件を考えるときに、自分自身がここを通るときの感覚に照らして考えたりしています。もちろん、自分自身が飲酒運転したわけでもないのでわからないのですが。
現場及びその付近は、(1)100km/hで走っている車もままある、(2)現場の前の道路は確かに若干曲がっており、きちんと走るためにはある程度の注意力は必要、(3)現場付近は橋の上からの眺めがよく、なんとなく脇見をするかもしれない、という自分の経験から一審判決を見て納得していたところがありました。
といっても、(1)~(3)が決定的なものとも思ってはおりませんので、控訴審がどう考えたのかはまた見てみようと思います。
福岡は狭く評判は広まるのですが、控訴審の陶山裁判長、一審の川口裁判長いずれも少なくとも変な仕事はしていないだろうと思います。
夕方の民放ニュースで、某キャスターが「今回の高裁判決は、裁判員制を先取りしたものだと思う。というのは、厳密に法律を解釈すると一審のような結論になるのかもしれない。しかし、裁判員制度導入の大きな目的は、被害者の心情をくんだ“一般市民感覚の判決”を下すことにある」といった趣旨の発言をしていました。
これでは、「被害者がかわいそうだから、事実はどうであれ、厳罰を」という展開になってしまうようで、逆に心配です。裁判を「報復の場」にしてしまって良いのでしょうか。
そのキャスターの発言は聞いていませんが、成田の近くの住人さんの紹介に従えば、マスコミというのは被害者フィルターを通してしか裁判が見えないようですね。
光市事件のときにそれではまずいという指摘があったはずなんですが、学習能力がないというかなんというか。
刑事司法は、罪刑法定主義の枠からはみ出ることは許されません。
裁判員制度のもとでも同様です。
No.6 成田の近くの住人さま
>裁判を「報復の場」にしてしまって良いのでしょうか。
私も同じように思います。
世間の気分で刑罰が決まる、って、いくらなんでも裁判所はそんな「リンチみたいなこと」はしない、と思うのですが、その某キャスターは司法制度への信頼というものをどう考えているのでしょうね・・・。
危険運転致死罪傷罪は(専門家の方々から問題があるとご指摘があるようですが)、そのときの気分で刑罰が変わらないようにするために国会で刑法に盛り込んだものですよね。
世論の盛り上がりを受け、ある程度の社会的合意を作り、飲酒運転をさらに厳しく取り締まるために刑法を改正しよう、というのなら理解はできますけど、市民がうるさいから罪が重くなった、なんて言い方は司法関係者に対する侮辱にも思えてきます。
一般論として、裁判員制度が始まった後に、裁判員裁判が行われない高裁にこそ、「厳密に法律を解釈」して欲しいと思いますが、どうなるのでしょうね。
それにしても、ご紹介のキャスター氏については、裁判員裁判の対象にならない高裁の判決について、裁判員制度を引き合いにしてコメントするのも、どうかと思いますけど。
旧館の過去ログを読み返してみました。
もうあれから1年半近い月日が経ってしまったのですね。
熱く入れ込んだ自分の過去コメを読み返すのは、少々気恥ずかしさを覚えます。
さて、モトケンさんのエントリ本文最後のコメント
私も最高裁が手ぐすね引いて待っていると期待したい。何せこの危険運転致死傷罪という法文には、読めば読むほど何かスッキリしない歯切れの悪さを覚えます。その自分としては素直に納得できない何かモヤモヤした感じが、最高裁でどうのようにスッキリと切り込まれていくか、興味深く見守って行きたい。
刑事裁判の量刑基準に被害者感情や、社会全体の被害者への同情心を取り込むべきじゃないと思う。そもそもが感情に任せた報復リンチを否定するからこそ、刑事裁判での罪刑法定主義が謳われている筈。
被害者が納得できる判決が正しい判決と言わんばかりのマスコミ報道は、いい加減にして欲しい。
「危険運転致死傷罪」は、刑法では故意の罪に分類される(というか、過失による罪に分類されない)と記憶しています。
一方、こうした事案での報道などでは、過失による罪である「業務上過失致死傷罪」の延長のように扱われる事について、違和感があるんですけど、これは的外れな違和感なんでしょうか。
いずれにしても、私も最高裁の判例が、早期に生まれることを望みたいです。
酒に酔って運転するのは故意の危険運転だという解釈が一方の極にあるなら、その立場では危険運転致死で何も問題ないのでしょう。むしろ一般人の感覚に合致します。
あくまでも酒酔い運転=危険運転という故意の犯罪とした場合の結果的過重犯ですかね。
もし過失犯とすれば刑が重すぎのように感じますね。
まったく唾棄すべき判決です。
さっさと最高裁には高裁判決を破棄してもらいたいですね。
単なる過失なので一審判決でも重いくらいです。
人を殺してもないのに懲役20年なら
「殺人」なんてみんな死刑ですね。まったく馬鹿馬鹿しい。
またもやマスゴミは自称被害者のお涙ちょうだいキャンペーンをやっていますが、光市母子死亡事件の教訓が活かされていませんね。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090515-OYT1T00492.htm?from=top
自称被害者のマスコミ露出は法律で禁ずるべきです。
私も交際が危険運転致死傷の成立を認めたことに驚きました。
一審での事実の概要に照らせば、同罪の成立はかなり困難との印象を持っていましたので、上級審が事実関係の何をどのように評価した結果、適用できると判断したのかに興味がありました。
今のところ、ニュースで記者がサマライズした理由しか確認できていないのですが、こりゃアカンやろ!と思ってます。
報道されている限り裁判官は、道路には横断勾配(水はけのため路肩側に向かって道路の断面が下がっている)があるのだから絶えずハンドルで進行を制御する必要があり、それを約12秒もの長きにわたって停止したとすれば酒精の影響によるものと認定せざるをえないとの検察主張を支持しているようです。
が、実際にクルマを日常的に使っている方や、自動車の設計なんかやってる人には自明のことでしょうが、きちんと検査をパスして国内を走っている車の場合、道路の横断勾配は織り込み済みの設計になっていて、それこそ側溝や深い轍に片輪落として走るような極端なギャップがあるのでもない限り、今の自動車は「絶えずハンドルで進路を修正」しなければならないような危険な乗り物ではありません。
裁判所の判断(もしくは検察主張)には、前提となる根拠に誤りがあるのです。
私自身の感情としては、当該事件の被告人に危険運転致死傷罪が適用され、それに基づいた判決が下るのは“溜飲の下がる思い”ではありますけれども、その結論を導く論理の過程が誤っているのは、かなり承服できかねるものです。
約12秒の前方不注視の原因を、もっと直接的に「深酒・酩酊によるマイクロ・スリープの発生」みたいに出来なかったんですかね・・・単なる居眠り運転との棲み分けがハードルになるのも分りますけど。
あらためて本件で犠牲となった3人のお子さんのご冥福をお祈りします。
現場を通ることも多い地元の人間の感覚としては、一審の「前方の車両を視認できないほどの長時間脇見運転が事故の原因。運転にアルコールの影響は見られない」という事実認定に疑問を持っていましたので、控訴審での「アルコールの影響により、正面を向いてステアリングを保持していたが、前方に車両が走行していることを直前まで認識できない異常状態だった」という事実認定の方が個人的には理解できます。
ただ本件に関しては、一審二審ともに事実認定にはそれなりの説得力があり、この辺に危険運転致死罪の適用の難しさが如実に表れていると感じられます。
最高裁が危険運転致死罪についてどのような解釈を行うのか、今後の法運用に関わる所ですから、その判断が待たれる所ですね。
立法趣旨を考えれば、二審の判断が維持されるようには思えますが。
量刑については一審は軽すぎる印象を持ちましたが、二審については些か重すぎるように感じられます。
>リンチ反対さん
自称も何も第二当事者の過失は全く認められていませんから、本件で二当を被害者と呼ぶことには何の誤りもありません。
被害者を貶め、被告人を支持するのはあなたの勝手ですが、用語の使い方もまともにできなければ、反対に足を引っ張る事になるだけだと理解しましょうね。
危険運転致死罪の立法の趣旨は、故意に危険な運転(制限速度70KMオーバーとか飲酒運転)を行って事故を起こした結果として人の生命を奪った場合に厳罰にすることで、故意に危険な運転を行う人間を減らそうとするものだと思います。アルコール依存症の場合でも故意は否定できませんが、この人たちの場合にはこういう犯罪があっても抑制が利かないだろうと思われるので、完全に酒酔いを運転させないようにするのは難しいです。
これから裁判員制度が始まる前に、マスコミが異常に報復感情を盛り上げるのはどうかという気がします。
たとえば、今回、死亡したのが小さなお子さんでなく、ご年配の方だったらば、マスコミはここまで報道したのでしょうか。
冷静に中立的観点から客観的に法の意味内容を探る「事実認定(罪となるべき事実)」と「法的判断(法令の適用)」というレイシオデシデンダイ部分と、被害者感情が許されて被害者が参加する「情状事実(量刑の理由の一部)」とを混同したマスコミ報道に問題があるやに愚行します。
簡単なことです。
飲酒・酒気帯び運転による死亡事故は全て危険運転致死罪の適応にすればよいのです。
少量のアルコールだって注意力の低下を招きます。
日本人は酒の上の不始末に寛大すぎなのです。
個人的に気になったのが、多くの新聞で弁護士側主張の
「被害者車の居眠り運転も事故の一因」がばっさり切り捨てられたという趣旨の記事がみられたことです。
これを見て多くのブログで弁護士批判が起こっていますが、メディア側に弁護士批判誘導の意図があったのでは?と疑っています。
私も当初は「なんて非道な言い訳だ」と激怒しましたが、実際はどうだったのでしょうか。弁護側が主張する以上、ある程度の根拠はあったはずです。
どこのメディアにも、被害者側の失点は当然のように載っていませんので真実は不詳ですが。。。
私はメディアの医者に続く標的は弁護士だと思ってまして、このような弁護士側を揶揄するような記事が著増していることに危惧を覚えています。
メディアに、弁護人を批判するよう誘導する意図があったとは思いません。
本件のように社会的に注目される事件で、弁護人が無罪ないし原判決の量刑を争っている以上、主張に対する裁判所の判断は報道すべきでしょう。
また、最終的には判決文を確認しなければなりませんが、相当あっさり弁護人の主張が排斥されたと思われます(これは法曹としての直感にとどまりますが。)。
そうであれば、メディアはなすべき事件報道を淡々とやっていると思います(ワイドショーは知りませんが。)。
>弁護側が主張する以上、ある程度の根拠はあったはずです。
「被告人の弁解供述」だけが根拠みたいだすよ。
裁判所の判断(もしくは検察主張)には、前提となる根拠に誤りがあるのです。
私自身の感情としては、当該事件の被告人に危険運転致死傷罪が適用され、
それに基づいた判決が下るのは“溜飲の下がる思い”ではありますけれども、
その結論を導く論理の過程が誤っているのは、かなり承服できかねるものです。
わたしもほぼ同様に感じますが、危険運転罪というのが、無理だろうと感じます。
元が、東名高速の東京側終点での追突火災死亡事故で決められた法律ですが、あの事件は常習的な飲酒運転者による事故(というより事件)でした。
逆に言うとこんな事件を引き起こす者に対応する法律を新規に作らねばならないのか?ということですよね。
その結果が、危険運転罪になるかなら無いかとか、下手すると無罪になるといった同じような事故について非連続的な判断が出ることになってしまった。
例えば、自動車事故による人身傷害についての幅広い法律を決めた方が現実的かもしれませんね。
被害者への同情以上に類似事件の再発防止を願っての率直な気持ちとして、「危険運転ではない」と認められるのは、少なくとも「ひき逃げ」ではない場合に限って欲しいと思います。
そのような法改正につながる最高裁の判断を期待します。
私のしろうと感覚では、従来の業務上過失致死傷と道交法違反(ひき逃げ、酒気帯び運転)の組み合わせでは懲役7年6カ月が最高刑というのが変なんじゃないかって気がします。
事故は過失でも、逃げたことのほうがしろうと感覚ではあんまりだって思わせる部分かなと。
現場に留まって子どもを救助しようとしていたら(酔ってたから本人が溺れてたかもしれないとかたぶんそれでも子ども達は助からなかっただろうというのは置いといて、)加害者にも同情できたかなと。
この場合は事故を起こした事を危険運転致死傷罪で重く裁くより、救護義務違反の厳罰化ができればそっちのほうが私の心情にはしっくりくるんですけどね。
逃げたら故意で殺人だってならないかなあ?
酒酔いがばれるのをおそれて逃げるというパターンが多いのですね。逃げ得許さないためには、ひき逃げの法定刑を酒酔い、つまり危険運転致死罪のそれ以上に引き上げ必要を認めます。
脇見=横を見、では無いのが司法の用語なのでは?
以前も書きましたが、本当に脇(横)を見ていたら直進することは極めて困難、視ている方向に車が寄ってしまいます。
だから特別な訓令を積んだ人以外は、正常な神経なら10秒も目を瞑ったり横を見て運転することは恐すぎて不可能と言っても良い。
むしろそれが出来たなら神経が異常で、危険運転と認定できるかと。
脇見と言うけれど、漫然と前方を注視しないまま高速で車を走らせていた、程度の意味ぽい。
ならば脇見が原因か否かは事故原因の核心では無く成ります。
事故の直後に運転手は、現場から逃げた・・・
第一当事者は自分で「正常な判断が出来無かった」と身に覚えが有るようだ?←ここの評価が判断の分かれ目で。
「危険運転の判断」VS「逃亡の判断」/難易度・酒
高裁の判断は「危険運転を避ける事は出来ず、逃亡は出来た」・・・酩酊の度合いで判断とは難しい。
施行してみて初めて顕在化したってことなのかもしれませんが、おっしゃるとおりですね。
通報義務違反、救護義務違反の合わせ技で危険運転致死傷を上回る罰が設定されないと、かえって飲酒事故⇒ひき逃げの誘惑を絶てない気がします。本体犯罪(事故)についての罰則は強化せずに、と言う考え方ではありますが・・・これも重罰志向って言うんでしょうか。
いっけね、基本的なとこで変なこと書いてた。
日本の司法制度だと刑事罰は「足し算」にならないんで、合わせ技で“重罰”化するのは簡単にいかないんでしたっけ。
それこそ「危険運転致死傷逃亡罪」みたいなもんでも新設しないことには。
大変痛ましい事故で、3人のお子さんのご冥福をお祈りします。
私の少ない経験上では、交通事故は、最終的には悪い方を裁くことで決着している感があります。この場合でも、飲酒、暴走した車が、追突して、さらに逃亡、証拠隠滅を図ったところから、加害者が裁かれることには全く異論はありません。
ただ、1つ疑問なのは、この事故が起こった原因に関しての検討が無いことなのです。加害者の肩を持つわけでは決してないのですが、私外科医をしており、60時間以上勤務をした後に運転することは残念ながらあります。おそらく居眠り運転をしそうになった医師もたくさんいるのではないでしょうか?私が眠り運転をして追突し、被害者の車が残念ながら橋から落下し、同じようなことを起こす可能性は0ではありません。もし、私が起こせば、“医師居眠り、3人の子供を殺す”としてマスコミ等集中砲火をあびることは目に浮かびます。間違えれば自分も加害者になると深刻に受け止めています。
個人的な意見なのですが、追突して逃げようとするだけの意識はハッキリしている加害者であれば、普通に走行している車にはぶつからない可能性はある気がします。“被害者の車が急ブレーキを踏んだ”と加害者が言い訳するのはけしからんなどの論評もありますが、事実がどうであった、警察の現場確認でブレーキ痕等がどうであったなどの情報が全く入ってこないことに不安を感じます。私の調査不足かもしれませんが、事故が起こった真実が知りたいです。
加害者が悪いという結果は同じであろうと思いますが、事故が起こった原因をハッキリして、このような痛ましいことが起こらないための、法律整備、道路整備なども本当は大事なのではないかと素人として思うのですが、裁判とはそういうものではないのですよね。
法律的にはどう理解したら良いか先生方のご意見をお聞かせください。
皆様のご批判と同様の批判が、自動車運転に限り最高刑を2年引き上げた自動車運転過失致死傷罪(刑法211条2項)の成立をみたものとおもいます。これでも軽いと批判があったと思いますが、過失犯規定の刑法全体のバランスを図った旨の政府答弁があったような記憶があります。
(業務上過失致死傷等)
第二百十一条 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。
2 自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、七年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる。
参考資料です。m(_ _)m
法制審議会刑事法(自動車運転過失致死傷事犯関係)部会 第1回会議議事録 平成19年2月9日(金)
http://www.moj.go.jp/SHINGI2/070209-1-1.pdf(PDF)
「刑法の一部を改正する法律案(自動車運転過失致死傷
事犯関係)」に対する意見書 2007(平成19)年4月20日 日本弁護士連合会
http://jfba-www1.nichibenren.jp/ja/opinion/report/data/070420.pdf(PDF)
救護義務違反は10年以下の懲役又は100万円以下の罰金にすでに変更されていると思います。
私がその情報を得たのがたしか、モトケンのつぶやきだったと思います。
皆さんぼけるの早すぎでは?
救護義務違反との併合罪でも、危険運転致死罪の方が重いから逃げる動機になりますね。
「危険飲酒運転の後に救護義務は果たしたが、被害者死亡」
と
「飲酒による自動車運転過失の後に逃走、被害者死亡」
裁判員裁判なら、どっちが罪は重くなるでしょうね?
(後者は、危険運転で起訴しての認定落ちになると思いますが)
あるいは、これまでの裁判官裁判なら、どっちが重いでしょう?
5月14日付けの西日本新聞の記事ですが、
「被害者の居眠り運転」という主張はともかく、弁護側の「検察の主張は矛盾している」との主張の方が理屈が通っているように思います。
危険運転致死傷罪を適用するならば、正常な運転ができないだけの酩酊運転だったという明確な物証か、それに相当するだけの状況証拠に基づくべきだと思います。「疑わしきは被告人の利益に」という大原則があるわけですから。
それを考えると、今回の判決には無理があるように思います。
最高裁が明確な基準を示してくれないと、非常に恣意的に運用され、しかも量刑が重い刑罰になってしまいそうです。
うぅーん・・・
モトケンさんは「危険運転致死傷罪の規定の仕方が下手くそだ」とご指摘になってきましたが、福岡高裁の判決がNo.36 七誌さん さんがご紹介くださった記事の論旨でなされたのだとすると、法律の定めがどうこう論ずる以前のヒドさだと言わざるを得ないような・・・
記事が「事故現場の橋には中央線から歩道側に傾斜があり」と「時速100キロの速度で長時間の脇見運転は不可能」という別々のセンテンスを論理的整合性無視で接ぎ木してるなら別ですが、もし裁判所がこの通りの「論理」を持ち出したのだとしたら・・・デタラメこの上ない話です。
高速道路なんか、横断勾配2・5%ですよ。
12から13秒間、目をつぶって運転できるかどうかは兎も角として、その高速道路で横断勾配にハンドル取られて車がどんどん路肩に向けて寄って行きますか。行きやしませんよ。
被告人に重い罰を科してやりたいっていう報復感情ばかりが先走って、論理性を放棄したとしか言いようがない。
しかし、弁護側も大概だらしないですな。
裁判所がこんなトンデモな検察主張を容れると想像しなかったのかも知れんですが、自動車メーカーの設計者でも整備士でも構わないんで証人申請して、この検察主張をツブしとけば良かったのに。
てゆーかマスコミも気づけよ!って思う。
裁判所ホームページに控訴審判決全文が掲載されました。
みなさん、ご検討下さい。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090529170703.pdf
リンクです。
トピズレですが、素人にもこうして簡単に判例って検索できるんですよね。
まあこれは超の付く有名判決なんですが。
この2つのサイトで、著名な判例はだいたい検索できると思います。ご参考までm(_ _)m
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0010?action_id=first&hanreiSrchKbn=01
http://kanz.jp/hanrei/
追加:通達告示や審決まで検索できる公務員必携です。
法令・告示・判例・例規等の検索http://www.lawdata.org/index.html
流し読みしますた。
というのも、う~ん(;¬_¬)デモやっぱりしっくりきません。
高裁は、運動に関する能力それほど低下していなかったが視覚による探索能力が飲酒によって低下した、といっているようですが…まあありえないわけではないけれども「そう説明せざるを得ない」的な認定…。
視覚による探索能力が低下して前方注視が困難であったというのだけれど
そしてやっぱり一番違和感を感じるのが、「右方向にハンドルを微調整しなければ直進できなかった」のならば「自車が走行している車線を十分視覚的に認識しなければ直進できない」ことと表裏だと思うのだけれど、裁判所の認定が「車線はバッチリ見えてたけど車は衝突直前まで見えませんでした」ってことにならざるをえないと言うのはどうなのか?ってとこ
社会的な当否はともかくこれで危険運転~罪適用はどうなの?とやっぱ思っちゃうんだよな~。
判決全文有難うございます。
高裁判決は、一審判決で原因とした「約13秒間連続で前方を見ていなかった意味の脇視」を否定して、「前方を或る程度は視界に入れながらも認識と判断が出来なかった」と認定。
その主原因をアルコールと、又容疑者の酒酔いへの自覚を認め、危険運転致死を適用。
高裁判決全文を読めば、論旨には特段の科学的不合理は無い、新聞の要約が誤解を招いていますね。(←いつもの事との影の声)
ろくろくび様
>裁判所の認定が「車線はバッチリ見えてたけど車は衝突直前まで見えませんでした」ってことにならざるをえないと言うのはどうなのか?ってとこ
海の中道大橋の写真を見ると、夜間は大して明るくなさそうな道だけど、割と中央のオレンジ線と両側の白い破線がくっきりと書かれていて、その外側を白っぽいガードレールがカバーしてるから、これで車線が見えないなら、酔ってるというよりもハンドル持ったまま寝てるのでは?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Uminonakamichi_ohohashi.jpg
交通量の少ない、大して明るくない夜道で、先行車のテールランプを見つけられるかどうかと、この道で車線が見えるかどうかでは、必要な集中力に大きな開きがあるんじゃないかな。
一審、二審と判断が分かれたように、何をどの程度評価するのかで、どちらにも転び得る難しい判断なんだろうとは思う。
ただ、「車線はバッチリ見えてたけど車は衝突直前まで見えませんでした」(判決は「見えなかった」というよりも「認識できなかった」という捉え方をしてると思うけど)という事態が、ろくろくび様が仰るようにそれほどあり得ないこととは私には思えません。
>社会的な当否はともかくこれで危険運転~罪適用はどうなの?とやっぱ思っちゃうんだよな~。
これはどうなんでしょうか。もちろん、難しい判断ですから、ろくろくび様が判決に否定的見解を持っておられること自体にとやかくいう積りはないですが、別に裁判官も「社会的な当否」などという事を考慮した訳じゃないでしょうし、判決に対する否定的評価の話に「社会的な当否」などという贅肉をつけると、またぞろ「裁判官が世論に阿って不当判決を下した」という声を勢いづけるだけだと思うんだけど・・・。多分、筆が滑られただけかと思いますが。
>ここまで接近しなければ気づかないというのはおかしいのではないか、というのが個人的な感覚です。
私は逆に、物理的に見えている(というか視覚情報としてはある)が、酔っ払っていて当該視覚情報の意味を認識できない状態という方が感覚として理解できます。
ドライバーにとって「両脇に引かれた線の中で走る」という行為は、非常にシンプルで、本能的に身に付いたものであると思います。前のコメでも申し上げたとおり、目の前に続くはっきりとした車線すら認識できないほど酔ってるのであれば、運転行動そのものができないでしょう。ていうか間違いなく寝ます。
酔って認知力や判断力が極端に落ちる経験をしたことがある(もしくはそういう人を見た)人は多いと思います。歩道と車道の区別くらいはつく、帰宅に使う電車の駅の方向くらいは分かる状態でも、見えているはずの段差に躓いてこけたり、歩道を走る自転車にぶつかりそうになったり。
これらは物理的に視界の中に入っていても、認知力・判断力の低下でその意味が理解できない(歩行の危険性となり得るハザードとして認識できていない)のではないかと愚考します。
ですから、私にとっては一審の認定にあるような「時速100k以上の夜道で13秒以上連続してわき見した」という怖すぎる事態よりも、「直前まで認識できなかった」という方がまだ理解できるのです。
これもせいぜい「まだ理解できる」というレベルのものですので、実際には証拠調べをしたわけでもない我々には、これ以上の判断は無理ですね。最高裁の判断を待ちたいと思います。
>誤解を招く表現をしてしまったことについては申し訳ありませんでした。
こちらこそ出すぎたマネをm(_ _)m
全くの素人考えです。
「酒を飲んで車を運転するだけで実刑にする」ぐらいにしないと、飲酒運転の因習(^^;は根絶できないように思います。
運転時に判断力がどうだったか、操作能力がどうだったか、に関係なく、他者に対する加害の可能性が高い行為を敢えて行う無責任さを考えると「飲酒・酒気帯び運転は懲役」にしてもいいような気がします。もちろん他の犯罪とのバランスが大事だ、ということも理解してはおりますが、どうもわが国の「タバコには厳しく、酒には甘く」という風潮には違和感を感じます。
そういう私は「過激派」でしょうか?
PS.
お酒は、1年にビールをコップで2~3杯の飲むか飲まないか程度です。他人が飲んでいるのを羨ましいとも思いません。酒を勧められるのはイヤですが、一緒に騒ぐのは大好きです。ですから、友人たちには「理想的な運転手(?)」と呼ばれ、飲み会にはよく誘われます。もちろん私はもっぱらウーロン茶を飲み、終わったら車を運転して彼らを自宅に送っております(^^;
ところで私も禁煙1年の壁を越えるのには成功しました(^^)v
通行人1(被医療者)様
賛成です。
以前のこの事件での皆様の議論を拝見して、危険運転致死傷罪の基準は曖昧であるということは、理解はできているつもりなんですが、業務上過失致死傷罪とは一線を隔ててほしいです。
あとは、危険運転致死傷罪への可罰には、執行猶予から数十年の懲役まで幅のある対応ができないものかな、と素人の浅知恵で考えたりしてます。(しかし現実問題としては、事故もしてないのにどんどん検挙されると、捜査関係や裁判所がパンクしてしまうでしょうか)
危険運転の定義は曖昧ですが酒気帯び運転致死傷罪をつくれば問題ないのでは。血中のアルコール濃度が一定値こえればいいです。
地裁判決の認定のように、時速100キロで走行しながら10秒以上脇見をしたということが客観的に立証できるなら、殺人罪で起訴してもいいように思います。
私の知っている裁判官は、半分冗談半分本気で(たぶん)、自動車運転者はみんな殺人の未必の故意がある、と言ってました。
あながち暴論と言い切れないところがあります。
もちろん、そんな論理で判決をしているわけではありませんが。
>医療集中部watcherさん
ありがとうございます。リンクを貼っていただいた資料に、先ほど初めて目を通しました。
結論から言うと、やはり判決には無理があると思いました。
一つは、ろくろくびさんもおっしゃってますが、『運動に関する能力それほど低下していなかったが視覚による探索能力が飲酒によって低下した』との論理は矛盾していると思えることです。
飲酒によって、運動に関する能力は低下しないが、視覚による探索能力は低下するという科学的な根拠はあるのでしょうか。そして、その根拠が検察から提出されたのでしょうか。
その点について、重大な疑問があります。
また、15頁あたりには、被害者が居眠り運転をしていたかどうかについての考察がなされていますが、ここの論理展開は「疑わしきは被告人の『不利益に』」という論理であり、本来あるべき「疑わしき葉被告人の利益に」に反しており、納得できないところがあります。
このPDFを読んだことによって、今回の高裁の理論構成が、危険運転致死傷罪のリーディングケースになってはならないとの思いが一層強くなった気がします。
>このPDFを読んだことによって、今回の高裁の理論構成が、危険運転致死傷罪のリーディングケースになってはならないとの思いが一層強くなった気がします。
最高裁判決に至る一里塚でしょう。
個人的には、No.46 じじいさんの意見に同意できる部分が多いです。
>本来あるべき「疑わしき葉被告人の利益に」に反しており、納得できないところがあります。
どこが疑わしいのか理解できませんでした。
ありがとうございます。
なるほど、横断傾斜については複数回の実験に基づいての認定だったわけですね。納得しました。
私もNo.46じじいさんのおっしゃることに共感する部分が大きいです。
ドライバーはまず目で対象物を捉え、ついでその対象物が何であるか認識し、その対象物の「脅威」の程度を判断し、それから「脅威の度合い」に応じた回避行動をとることになるんだろうと思うんですが、アルコールが入ってるとその各段階の精度が甘く緩くなってきよるんですよね・・・。
素面なら明らかにヤバいとわかる状況に直面してるのに、酔ってると「だぁいじょぉぶぅぅ」とか思ってしまったり。ようやく「やっべぇぇぇ~」と気づいたときには、もう対処しようのないとこまで来てしまってたり。
>ここの論理展開は「疑わしきは被告人の『不利益に』」という論理であり、本来あるべき「疑わしき葉被告人の利益に」に反しており、納得できないところがあります。
判決文を読んだ限りでは、ROM様と同様私もどこが「疑わしき」点なのか理解できませんでした。
モトケン先生
過激な意見を吐いてスミマセン。
>私の知っている裁判官は、半分冗談半分本気で(たぶん)、自動車運転者はみんな殺人の未必の故意がある、と言ってました。
お酒を飲んでいなくても、車を運転する、ということは他者に対する大きな危険を含んだ行為ですから仰る通りかも知れません。
免許証の更新時講習のときによく言われる「(大丈夫)だろう運転はだめ!。(危険)かもしれない運転を心がけなさい」という言葉を思い出しました。
自分が100%正しい運転をしているか?ときかれればその自信はありません。もちろん、注意して車を運転しているつもりですが、単に運が良かっただけといえるかもしれません。
この事故をも「他山の石」とすべきですね。
ところで私も
No.51 七誌さん様の仰る、
>ここの論理展開は「疑わしきは被告人の『不利益に』」
という部分がよくわかりません。
被害者が居眠りしていた可能性があるから、そこは考慮する必要がある、と言うことでしょうか?
変な言い方ですが、もし仮に万一被害者が居眠り運転をしていた、としても、「被害者が居眠り運転をしていなかったら避けられた事故だった」とは思えないのです。つまり、被害者が居眠り運転しててもしていなくても、加害者側の(わき見か、酒酔いでの)時速100kmというスピードでは避けられなかった事故にも思えます。
私には20年ぐらい前に、高速道路の料金所で、後から突進してくるダンプに追突されそうになって、危うく難を逃れた経験があります。お釣りを待っていた時に異様な気配(恐らく「音」)に気付いて(幸にも前が空いていたので)自分の車を前に出しました。そのまま料金所に止まっていたら明らかに追突されていたと思います。
向こうの運転手が飛び出してきて私の手を取って「にいちゃん、よう動いてくれた。ホンマにありがとう!」とやたら感謝されたのを覚えています。
>私の知っている裁判官は、半分冗談半分本気で(たぶん)、自動車運転者はみんな殺人の未必の故意がある、と言ってました。
講壇事例でよく出てきます。あと「交通頻繁な通学路に我が子を送り出す親は未必的な殺人行為の着手か」(シュミット)というのもあります。
「許された危険」と「未必の故意」の関係で習います。m(_ _)m
心臓外科医がハイリスクの手術をするのは未必の故意ですね(^^;)
そこで、殺人の「故意の欠如」と「許された危険」との関係となり、故意の不存在で構成要件該当性欠如で不可罰となるか「許された危険」で違法性が阻却されて不可罰となるか。結論は同じですが、どちらで不可罰となるかというこの論点だけで、日本と独逸の合計で論文が200本以上ありました。もっとも25年くらい前のカウントですから、今ならもっとあるでしょう(汗
なお、許された危険は、過失犯だけに適用があるとする少数説(不破教授)と故意犯にも適用があるとする通説判例(団藤教授ほか)があり、団藤先生は「故意犯についても--ことに未必の故意の場合など(たとえば生命の危険を知りながらあえて手術する外科医)には--考えられないわけではないとおもう。」(刑法綱要総論改訂版212頁・昭和55年)と既に昭和50年代から指摘されているのは、さすがすごい先見の明がある先生と思います(医療者の見方の理論\(^o^)/ )。
ROMさん、じじいさん、通行人1さん
僕が「疑わしきは被告人の利益に」と書いたのは、弁護人が「被害者が居眠り運転をしていた」と主張している内容について、高裁がことごとく否定していることへの違和感からきたものです。
例えば15頁をみると、高裁は「被害車両についても被告車両同様に,上記横断勾配による進路への影響にもかかわらず進路を保って走行していたことからすると,Aが居眠り運転をしていたとは考えられない」と述べています。
しかし、被告人が酩酊状態にあっても進路を保って走行していたのなら、被害者が居眠り運転をしていたとしても進路を保って走行していたことは十分考えられます。何も居眠り運転だからといって、長時間完全に眠っていたわけではなく、うつらうつらの状態であり、進路を保つことくらいは可能だったと考えることも十分にできると思います。
また、その後、両車両の衝突による傷の位置についても考察してますが、ここでも「被害車両の右後部バンパーカバーの後部下面と接触してできたと認められる傷」について合理的な説明ができないという理由で居眠り運転を否定していますが、「ボンネットの付け根から約13センチメートルの位置」にある傷についての合理的な説明についてはスルーしています。これでは片手落ちというものです。
高裁の論理は、どちらとも断定できないことについて一方的に被告人の不利になるよう断定しているように思えたので、ああいったことを書きました。
ただし、「疑わしきは被告人の利益に」という言葉の使い方がズレていたなとは思っています。
ここから話は変わりますが、じじいさんのおっしゃる「物理的に見えている(というか視覚情報としてはある)が、酔っ払っていて当該視覚情報の意味を認識できない状態」というのは、僕も感覚的に理解できます。
ただし、追突事故というのは仮に酔っ払っていなくても、例えば運転中に考え事をしていたり、ボーっとしていたことによっても引き起こされます。そういった通常の追突事故と危険運転致死傷罪になる追突事故を分けるポイントは、今回の場合は「正常な運転ができないくらいの酩酊状態だった」というハッキリした証拠があるかどうかです。
今回のケースでは、その証拠が弱いと思いますし、地裁もそう判断したから危険運転致死傷罪を適用しなかったのだと思います。
高裁の論理は結局、被告人が飲酒していたのだから、脇見運転が原因でないのなら、正常な運転ができないくらいの酩酊が事故の原因であり危険運転致死傷罪に該当するというものです。
その理屈が通るなら、飲酒運転で事故を起こして人を負傷させたら、酩酊の程度によらず全部が危険運転致死傷罪になってしまいます。それは非常に危険な論理だし、危険運転致死傷罪の構成要件に反してると思います。
No.60 七誌さん 様
ご説明ありがとうございます。
私もやっと冷静になって、皆さんが仰っているように現行の危険運転致死罪については最高裁の判断が待ざるを得ない、と思うようになりました。
世間一般と同様、私も幼児3人死亡という結果の重大さに引きずられていると思います(裁判員になったときが怖いです)。
この事件についてはやはり現行法の枠内でしか判断するしかないですね。(逆に現行法の不備がはっきりした、と言えるかも知れません)
ただ、モトケン先生やハスカップ様からもありましたが、車を運転する行為自体が「未必の故意」的な要素を持っている以上、私は「飲酒して運転すること自体」の罪を重くしても良いように思います。(もちろんこの事件には適用されないのは当たり前のことです)
東名高速の事故やこの事故を受けて法律が改正されてきましたが、飲酒運転を撲滅するまでには至っていないように私は思います。
タバコを例に出して恐縮なのですが、タバコを吸う人間は「ニコチン依存症」なんて糾弾されてます。依存症という言葉からは、一日中チェインスモーキングしているようなイメージ(一般的な「アルコール依存症」のイメージからの連想です)を持ってしまうのですが、実際は、一日に数本であってもタバコを吸っていて禁煙できない人のことをいうようですね。その論理でいくと、車を乗る前に酒を飲んでしまう人もアルコール依存症として治療の対象に含めても良いように思います。(また暴論を吐いてしまいました)
七誌様、レスありがとうございます。
出勤まで時間がないので3点だけ。
まず、被告人の「居眠り運転」の主張は、自身の犯罪そのものに関する立証ではなく、第二当事者にも事故原因があった(可能性ではない)ことを立証し、間接的・相対的に自身の責任軽減を図るものです。そういう主張をするのであれば、その主張に関する基本的な立証責任は検察側ではなく被告人側にあると思います。
それを前提として考えると、七誌様の横断勾配クリアに関する説も、うつらうつらとしながらも真っ直ぐ走れた、というのはあくまでそういう可能性もあり得るというレベルのもので、居眠り運転の立証には程遠いものでしょう。
また、被告人が、自身の車のノーズダウンだけでなく、第二当事者の車の急ブレーキによるテールアップがあったという主張も、テールアップでは説明できない傷が現にあるというのですから、被告人側指摘の傷がテールアップがなければ起こり得ないものであるというところまで立証されていればともかく、そうでなければ裁判官指摘の傷の評価だけで十分だと思いますが。
「片手落ち」などと裁判官の姿勢を非難されるのであれば、その辺はいかがお考えでしょうか。
>しかし、被告人が酩酊状態にあっても進路を保って走行していたのなら、被害者が居眠り運転をしていたとしても進路を保って走行していたことは十分考えられます。何も居眠り運転だからといって、長時間完全に眠っていたわけではなく、うつらうつらの状態であり、進路を保つことくらいは可能だったと考えることも十分にできると思います。
たとえ短時間でもいねむりをすると進路を保つのは難しいと思います。私自身の経験上ですが。
高速ではときどき、ふらふらと蛇行する車を見かけます。
そのような車は、酩酊よりうつらうつら状態の可能性のほうが高いのではないかと思います。
意識を失ういねむりと意識を保っている酩酊は決定的に違うと思います。
じじい様
居眠り運転についての挙証責任は被告人にあること。そして車両の傷を含めて、それを立証するまでには至っていないことは、おっしゃる通りだと思います。
しかし、だからと言って「居眠り運転はなかった」と断定するのは一方的に思えます。
居眠り運転(もしくはそれに近い状態)があったことを示唆する証拠もあることを踏まえ、「居眠り運転、もしくはそれに近い状態による被害者側の過失が無かったとは断定できない」と考え、被告人の過失軽減を考慮するというのがバランスのとれた判断ではないか、というのが僕の考えです。
今回の事故は、被告人の過失(脇見、アルコールによる判断能力の低下、ただし正常が運転ができない酩酊状態ではなかった)と、被害者側の過失の両方によって引き起こされたと考えるのが自然なように思えます。
№60には書いていませんが、衝突時に被害者側車両の速度が時速30㎞台だったということも、被害者側の過失を示唆しているように思います。
ここからは、僕からの質問です。
高裁は、被告人が「正常な運転ができないくらいの酩酊状態だった」ということに関しては、確固たる証拠が無いのに事実認定しているように思います。(これは「疑わしきは被告人の利益に」という原則に反していると思います)
しかし、被害者側の過失(居眠り運転)については、確固たる証拠がないことをもって事実認定しないという、言わば逆の発想をしていますよね。
これは論理が矛盾していると思えるですが、それについてはどう思われますか?
モトケン先生
僕は自分の経験として、夜中にもの凄い眠気を必死にこらえながら運転したことがあります。
その時の自分の思いとしては、目は前に向けて見開き、道も真っ直ぐに走っていたはずでしたが、瞬間的には寝ていたのではないでしょうか。
それも居眠り運転であり、今回の被害者もそういう状態だった可能性もあると考えて、№60のコメントを書きました。
余談ですが、助手席に座っていた同乗者にその時言われたことによると、僕は信号が赤に変わってから交差点に突っ込んだらしいです。(事故にならなくてよかった。。)
そうした経験から、朦朧とした意識で、進路は真っ直ぐに保ちながらも前方の状況は認識できない状態は存在するとは思っています。
七誌様、再度のレスありがとうございます。
>居眠り運転(もしくはそれに近い状態)があったことを示唆する証拠もあることを踏まえ
すみません。これまで何度も申し上げてるんですが・・・。
私の文章力、説明力が決定的に不足していることを実感いたします・・・。一体何から手をつけていいのやら(^^;
>だからと言って「居眠り運転はなかった」と断定するのは一方的に思えます。
裁判において、その主張する内容の立証責任を持つ側が全く立証できていないのですから、その事実を認めないことを「一方的」といわれても・・・。
それこそ立証できていない事実(?)でも被告人が主張すれば、完全に否定されない限り全て判決に考慮しなければならないとすれば、被告人が「白いワニが急に現れて運転を邪魔した」とか、「神様が私に目隠しをした」などといったら、「白いワニがそこに来なかったこと」「神様が存在しないこと」が検察官によって立証されなければ、判決に考慮しなければいけないのでしょうか。
それでは被告人は何でも言った者勝ちで、それが起こり得ないことの立証(いわゆる悪魔の証明)責任が検察にあるのと同じでしょう。
>居眠り運転(もしくはそれに近い状態)があったことを示唆する証拠もあることを踏まえ、「居眠り運転、もしくはそれに近い状態による被害者側の過失が無かったとは断定できない」と考え、被告人の過失軽減を考慮するというのがバランスのとれた判断ではないか、というのが僕の考えです。
裁判官はその七誌様が「居眠り運転(もしくはそれに近い状態)があったことを示唆する証拠」と評価されている証拠が、「居眠り運転(もしくはそれに近い状態)があったことを示唆する証拠」であることを否定しています。
私は、これまで何度も書かせていただいていますが、こうした裁判官の評価を否定してまで、七誌様の評価に基づく前提を支持する立場ではありませんし、その根拠も持ちえません。
そうした七誌様の「思い」や「感覚」を是とした立場に立てば共感できるのかもしれませんが、私はそうした七誌様の思いや感覚について、そう考えられ、感じられる方がいらっしゃることは理解しましたが、その考え方、感じ方自体は理解できません。
>№60には書いていませんが、衝突時に被害者側車両の速度が時速30㎞台だったということも、被害者側の過失を示唆しているように思います。
ちなみに被告人は時速30k台であったことを主張していますが、第二当事者の車両速度は、この二審のみならず、一審でも40kと認定されています。
それはさておき、制限速度が50k、しかも上り勾配の夜道で40k(30k台でもいいですが)で走ったからといって、途中をすっとばして突然「被害者側の過失を示唆しているように思います」といわれても何が何やら・・・。世の中のドライバーが、皆被告人のように夜道を100k以上出して走る訳ではありません。
>ここからは、僕からの質問です。(以下略
で、被告人が本当に危険運転だったか否かは、以前のコメントでも「難しい判断であり、最高裁の判断を待ちたい」と申し上げました。
七誌様の思いや感覚を前提としてこうした質問をされても、私はその思いや感覚を共有していないのですから、「七誌様の仰ることが、全て事実であるとすれば、矛盾してるかもしれませんね」としか答えようがないのですが。
ご期待に沿えず申し訳ありません。
飛び入りすみません。
地裁判決の時から意見を述べてきましたが、
こうなったら最高裁での差し戻し判決、自判を待つしかないようですね。
私としては、弁護側の被害者運転手の居眠りの主張には、納得できてません。
事故現場を整理する意味で、
加害車両の前部の損傷状況(湘南のJOHN LENNON)
をリンクしました。
じじい様
ちょっと話がズレているように思います。 「言った者勝ち」を奨励しているわけではなく、「合理性のある主張は、例え立証するまでは至らないものだとしても一定の尊重をすべきだ」と言っているだけです。これが悪魔の証明だというのは論理の飛躍を感じます。 №44でじじいさん自身がリンクを張ってくださった道路の写真を見ると、大半のドライバーが高速道路感覚で突っ走っているんじゃないかと想像します。実際、福岡の弁護士honさんも№5で「100km/hで走っている車もままある」とおっしゃってますね。 時速40kmというのは、この道路の実態としてはかなり低速運転の部類に入るように思いますし、被害車両が急ブレーキを踏んだことの示唆と考えることは十分可能だと思います。 つまり、じじいさん自身も、高裁判決において危険運転だという確たる立証がなされたとは感じていないわけです。それであれば、じじいさんの目からしても高裁の論理は矛盾したものに映るはずですが。七誌様
延々すれ違いになりそうなのでこれで最後にしますが、「立証するまでは至らないけど合理性のある主張」と評価しているのは、七誌様であって裁判官ではないでしょう。(もし判決にそういう評価箇所があれば教えてください。)
ですから、前のコメントで私は七誌様と思いや感覚を共有していないことを強調したんですけど。
七誌様が被告人の主張の物的証拠と考えられている衝突痕については、裁判官は被告人の主張する状況では「合理的に説明できない傷」が別にあると指摘しています。
つまり「立証には至らないけど合理性のある主張」と認めているのではなく、被告人の「第二当事者の車が異常な急ブレーキをかけた⇒そのため第二当事者の車がテールアップした」という主張をまさに「否定」しているのではないですか。
急スピードで後ろから接近する被告人の車が、近づくまで気づかなかったというのも、人間は通常前を見て運転することを考え合わせれば論理の飛躍があり、居眠り運転に関する「合理性のある主張」とはいえません。
>時速40kmというのは、この道路の実態としてはかなり低速運転の部類に入るように思いますし、被害車両が急ブレーキを踏んだことの示唆と考えることは十分可能だと思います。
被告人の主張は、この道を30k台で走るのは異常運転であり、居眠り運転の根拠の一つとなるといってるのではないですか。それに対して裁判官は、上り勾配の自然減速を考えると40kで走っても異常運転とはいえないから、40k走行であることが居眠り運転の根拠にはならないといっています。
七誌様が飛ばし易い道というのはあくまでも七誌様の感覚に過ぎません。また、どんな道でも飛ばす奴はいますから(私の友人にもいる)、hon様の仰る100kの車がままあるというのと、40kが異常運転というのは全く結びつかないのですが。
制限速度100Kの高速とかならともかく、いくら空いてても制限速度50kの上り道を40kで走って「異常運転」というのは言いすぎです。渋滞等でなくとも50kの道を40kで走ってる車なら、いくらでも見かけられますよ。それが居眠り運転の根拠になる、若しくは立証まではいかないが合理的な説明となるのなら、彼らの多くは実際に寝ているのですか?私にはそうは思えませんが。
>「合理性のある主張は、例え立証するまでは至らないものだとしても一定の尊重をすべきだ」と言っているだけです。これが悪魔の証明だというのは論理の飛躍を感じます。
重ねて言いますが、「立証するには至らないが合理性のある主張」という前提は、七誌様の個人的評価に過ぎません。悪魔の証明は言い過ぎかもしれませんが、判決を読めば「居眠り運転」の主張はほとんど「完封」に近い形で否定されているのですから。
>つまり、じじいさん自身も、高裁判決において危険運転だという確たる立証がなされたとは感じていないわけです。
私は、裁判官ではないし、本件の証拠を全部見た訳でも、裁判官とともに証拠調べをした訳でもないです。ましてや危険運転致死傷と自動車運転致死傷罪の限界事例の考え方を熟知しているわけでもありません。
しかし、私は日本人として、日本の裁判制度に一定の信頼をおいています。だから、前例も少なく、本件のように一審と二審で判断が全く変わるような難しい案件について最高裁がどういう判断を下すのか注視したいと言う意味で申し上げたまでです。別に高裁の判断を疑っているという意味ではありません。
私の表現が拙いために誤解を与えたのならお詫びしますが、私の頭の中を想像で決め付けられるのは余り愉快なものではないので避けていただけると幸いです。
私、個人的には被告人は運転中に「マイクロ・スリープ」の状態に陥ったんじゃないかと想像してます。そして、そのこととアルコールの影響を結び付けて考えることは飛躍ではないとも思っています。
加害者側の居眠りの可能性ですが、仮に居眠りをしていたとしてもあくまで「飲酒」によるものであって「睡眠時無呼吸症候群」の影響によるものではない(本人に睡眠障害のようなものはなかった)、と考えて良いのでしょうか?
じじい様
じじい様の主張はとても良く分かりました。また、とても説得力があると感じました。そして、じじい様のおっしゃっていることが、高裁の考え方をブレイクダウンしたものなのだと思います。
それでも、高裁の居眠り運転に関する事実認定が被告人に一方的に不利なものでありバランス感覚を欠いており、その他全体的にも「危険運転致死傷罪の適用ありき」で理論武装されている主張との印象は変わりません。僕の考え方は既に述べたとおりです。
しかし、それはじじい様のおっしゃるとおり、あくまで僕の個人的な「思い」に過ぎませんので、これ以上主張することは慎みたいと思います。
七誌様、先のコメントで最後といいながら少しだけすみません。
私も危険運転の限界事例に属する話だと思っていますし、「危険運転」の認定の難しさが如実に現れた事例だと思います。
ただそれでもここまで拘ったのは、今回の「居眠り運転」を指摘することは、3人の子どもたちの痛ましい死の責任がお父様にもあると指弾することでもあるからです。
もちろん、被告人が自らの防御の一環として裁判所で主張することは責められる筋合いのものではないことは言うまでもありません。(個人的な感情は別にして)
一方で、全くの第三者である我々が、子どもたちの死の責任を悲嘆にくれる親に求めるときは、そのことの「重さ」を十分踏まえるべきと考え、種々指摘させていただいた次第です。
しかしながら、これまで大変失礼なことを申し上げたことを深くお詫びいたします。
肝心なのは「それ」をどう立証するか、ですよ。
私は、そういう考え方でシナリオを書くことは可能だと思っていますし、個人的にはアルコールの影響でマイクロ・スリープに陥ったとしたほうが納得しやすいと言うことです。
No.74 惰眠さま
お返事ありがとうございます。
レスが遅くなりました。すみません。
よく、一瞬で酔いが醒める、なんて言いますが、重大事故を起こしたときに、シャキっとすることなんてあるのでしょうか?
私は若干「睡眠時無呼吸症候群(SAS)」の気がありまして、今はマウスピース(と鼻腔拡張テープ)を使っております。
お酒をほとんど飲まないので、アルコールによるマイクロ・スリープの経験はないのですが、SASの「ウトウト」では、ハッと目が覚めた後は眠気は吹っ飛んだ、という体験はあります。そのため、医者にかかるまでは車の運転は止めておりました。
飲酒運転による5台が関係する玉突き事故の、前から2番目にいたこともあります。私の車は前・後ともダメになって、廃車になりました。信号待ちの最後尾にいて、直接当たられた車の運転手は首の痛みを訴えていました。警察で事情を聞かれているときに、ベロベロに酔った(゛ `-´)/コラッ! 加害者が警官に連れられて、私たちのいる部屋に入って来て「ろうもすみまひぇん」と頭を下げましたが、彼が入ってきた瞬間部屋にお酒の臭いが漂うほどでした。血中濃度は聞きませんでしたが明らかに「酒酔い運転」だったと思います。
もちろん、あんまりシャキっとはしてませんでした(^^;
1.白癬の見える直線路で真直ぐ進行するのには
「二次元画面上の線の焦点に向かう」<これだけ。
2.追突の危険を回避には。
「前方に見える物体を認識」し
「周囲の構造物との関係から大きさ想定」し
「距離を仮定、測定」し
「大きさの変化を視認」し
「距離/時間、の変化を測定」し
「時間前後の距離差を演算」し(を繰り返しデータ修正)
「衝突までの時間を計算」し
「回避の方法を選択し」・・・<と複雑な作業。
酔っていたら視神経、脳神経の働きが鈍るので、眠く成る上に。
↓
1.程度なら出来る
2.は難しすて不可能・・・
で、こんな道具や努力も↓
「酒酔い体験ゴーグル」
HSEはハスカップさんが御存知かもしれないけれど、この広報は警察の仕事ポイです。
あちゃ~失礼しました(汗) 当然ながら
白癬⇒白線
辞書が医療寄りに成ってたみたいです。
>HSEはハスカップさんが御存知かもしれないけれど
少し前はドップリと首まで漬かっていました。(^^ゞポリポリ
呼気アルコール濃度が0.3mg/lを超えると、ポールとポールの間を時速40km/hで通過しようとしてポールに接触する率がグンと上がります(距離感覚錯視)。時速70km/hで10ポール通過実験するとポールへの接触・衝突率が40%を超えたこともあります。
あら~、そうですか。
自動車免許更新に行っても、距離感覚錯視などの情報は教えられた事が無いです。
経験では、事故の映像を流して脅すだけ。
情報は具体的なほど理解し易く、そして記憶に残る。
事故に関する研究の成果と言うのは、判りやすく皆に知らせてこそ価値が有り。
それでなければ研究も自己満足で予算の無駄が増える。
危険を具体的に周知させた上で、飲酒運転や危険運転の罪を議論し公布すれば効果も上がりやすいはず。
>自動車免許更新に行っても、距離感覚錯視などの情報は教えられた事が無いです。
そのためHSEや各種交通安全啓蒙団体が活発に活動しているわけです。(^^ゞポリポリ
>そのためHSEや各種交通安全啓蒙団体が
それって、免許更新で筆記試験や実地をやる方が確実、効果的且つ安価なのでは?
ハスカップさんを責める意図ではないので追記します。
安全ネットの性能は破れ目の大きさで決まります、建物の断熱性能や防水も同様です。
つまり、所定の性能を上回る部分を幾ら補強しても、全体の性能向上には(極僅かしか)寄与せず。
破れ目や機能的弱点を補強すれば確実に大きな効果が見込める。
飲酒運転の危険に対しては、優秀な企業の社員や安全性に関心の高い層に働きかけるよりも。
飲酒で免停に成ったり関心が薄かったり、既に免許が剥奪されたのに運転している層を何とかするのが正しいヤリ方、と思う訳です。
おそらく思いは同じです。
なお、免許更新の研修は馬耳東風な方がほとんどですし、免許更新で耳にしても忘れてしまう方が多いので、日常的に啓蒙活動を継続的に行う各種団体として、飲酒運転撲滅活動に立ち上がったのがほとんどです。ご参考まで。m(_ _)m
>免許更新の研修は馬耳東風な方がほとんどですし
所定の時間をこなせば良いだけの講習はそんなものですが、じゃあ街で広報をやったら聞くのかと問えば、尚更関心の有る人しか聞かないような?
ということで、啓蒙活動は立派ですが限界が直ぐそこに。
教育の実行を上げるには感覚に浸み込む方法が必要で、その一手段が試験、実体験そして飴と鞭ですね。
おそらく問題意識は同じだと思います。
啓蒙活動だって、やらないよりやった方がマシ、とみなさんわかってのボランティア活動ですから。免許更新試験も終わればのど元過ぎれば何とかで……。
確かディスカバリーチャンネルで、プロのドライバーにモスコミュール(だったと思います、つまりウォッカベースのカクテル)か何かを飲ませて運転させる(もちろん運転シミュレーターを使ってです)という実験をしていたのを見た事があります。結果は惨憺たるものでした。
普通の高速道路の状況を再現した実験でしたが、酩酊状態で運転するともうボロボロ。あのビデオを見せるのも効果があるように思いますが、ドライバーを飲酒運転状態の車(シュミレーター)に乗せて「事故」の疑似体験をさせるのもいいかも・・。(よく「地震体験車」で震度7を体験させる、というのがありますが、あんな感じです) でもお金がかかりそうですね。
ところで、ここに来られている方々には「釈迦に説法」ですが、自転車の「酒酔い運転」も道交法65条で禁止されていることをご存じない人も多いようですね・・・・。(というか、自転車には「道交法」そのものが適用されない、と考えているとしか思えないような乗り方をしている人のなんと多いこと!)
第2条
8.車両
自動車、原動機付自転車、軽車両及びトロリーバスをいう。
11.軽車両
自転車、荷車その他人若しくは動物の力により、又は他の車両に牽引され、かつ、レールによらないで運転する車(そり及び牛馬を含む。)であつて、身体障害者用の車いす、歩行補助車等及び小児用の車以外のものをいう。
(酒気帯び運転等の禁止)
第65条 何人も、酒気を帯びて車両等を運転してはならない。
困っていますのが、飲酒操船です。