「パブ弁!さんと語るエントリ」の続編エントリです。
 タイトルに掲げた三つを区別して議論していただけるとうれしいです。

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コメント(242)

モトケン先生,新エントリ立てていただきありがとうございました。

前のエントリで,議論の前提を(勝手に)列挙してしまいましたが,明らかにおかしいというものがあればご教示下さいませ。>各位

ところで,捜査官の方々は,可視化の弊害への対処が十分ならば,取調べの可視化はやむを得ないと考えているのでしょうか? それとも,可視化の弊害に対する対処が現実的にできないから,取調べの可視化をすべきではないと考えているのでしょうか?

はじめまして、ROMっていたのですが、ちょっと気になることがありましてこの機会にすこし参加させてくださいませ。

えっとSouさんの提示してくださった「前提」は弁護人立会いの議論のなかで、可視化の問題に偏重しすぎていると思います。まぁ、それは置いといて

"ところで,捜査官の方々は,可視化の弊害への対処が十分ならば,取調べの可視化はやむを得ないと考えているのでしょうか? それとも,可視化の弊害に対する対処が現実的にできないから,取調べの可視化をすべきではないと考えているのでしょうか?"
というくだりなのですが、Souさんがおっしゃっている可視化の「弊害」というヤツは、弁護人が立ち会うこと(可視化と言い換えてもいいですが)により「益」というのと、表裏一体です。つまり、弁護人の権限を強化することは、一方で捜査の力を削ぐことになるのは必然だと、、、立会い(あるいは可視化)によって、捜査の信頼性を向上させるという面はあるかもしれませんが、それは証拠としての信頼性、つまり証拠の評価という段階においての問題であって、捜査機関にとって実際に被疑者から有益な証言を得るために有利になることはないんじゃないんですか?
つまり、
(い)被疑者から有益な証言を得たい捜査機関側
(ろ)被疑者の利益、権利を守りたい弁護士側
等の多面的な「利害関係」があって、それらが相反するから、「一人の冤罪も許さない」「犯人であっても、その権利は守られなくてはいけない」と「社会を犯罪から守る」というそれらの背景にある理想論が両立しないというのが、それこそ、重要な前提なのではないでしょうか。実際の制度設計はその両方の理想の間に線引きをする作業で、従って、Souさんがおっしゃっている「弊害への対処」を十分しちゃったら先述(ろ)の利益も(ほとんど)、失われてしまって意味が無くなってしまうと思います。

因みに、私は捜査関係者でもなければ実務家でもありません。自然科学に携わる一学徒です。すいません。ただ、ちょっとSouさんの意見は今までの議論をすっとばしてしまっていると感じたもので。

まあ,いままでの議論をすっとばしているという批判もあるでしょうが,気分を一新させたいということでご了解くださいませ。

例えば司法取引は被疑者から供述を得るための新たな手段として,可視化の弊害の対処法の一つと思っております(それが国民性になじむかどうかという問題点はありますが。)。
そういった対処法がない限り,捜査機関(ひいては法務省)は取調べの可視化に同意しないのではないでしょうか。

エントリが新しくなったので、
こちらでもう一度質問させてください。

惰眠さんへ

「弁護士が立ち会っている以上、黙秘等は防御権の放棄と看做される」

これの効果がよく分からないので、ご教示ください。

 米国かぶれによる米国の実例ですが、組織犯罪(マフィア)取締では、取調べ録音録画を被疑者が停止することを要求したインキャメラ自白というのがありました。コードネーム「バラキ」氏によるマフィアの組織全貌を語る宣誓供述(アフダビット)で、「自己が敢行した暗殺は、ソットカポ(コルシカンマフィアの代貸)経由で、ファミリーのドン(組長)の指示だった」などと詳細に組織的殺人と共同謀議指示状況をも自供したものでした(映画「バラキ」のモデルとなった被疑者です。)。
 もちろん免責特権と引き換えで、証人保護プログラムの適用を受け、宣誓供述後は、別の新しい名前とパーソナルヒストリー(出生証明・学歴・職歴・社会保険番号)を与えられて整形手術まで施し、まったく別人に生まれ変わって、FBIの隠れた保護下で余生を過ごしたと言われています。
 ご参考まで。m(_ _)m

> まったく別人に生まれ変わって、

 証人保護プログラムが発動していたならちょっとおかしな事ですが、公式には刑務所内で心筋梗塞を起こして死亡したことになっているようです。

…もっとも、刑務所を出た後に生き返っていたとしても、そもそも、ずっと前に独房がカラッポになっていたとしても、不思議とは思いません。

 真実は後世の史家が公文書の山の中から探し出してくれることでしょう。

 よく米国実務をご存じで!ナカーマ( ゚∀゚)人(゚∀゚ )ハッケソ
 コードネーム「バラキ」氏は心筋梗塞で公式的には死亡しました。15年後の上院秘密聴聞会で
>オリジナルのコードネーム「バラキ」氏の素性を厳重に秘匿するため,我々(FBI?)は,もう一人のコードネーム「バラキ」氏を登録(レジストレイト)した。
というのがあります。
 どうも「影武者」まで作ったみたいですね。ここまで来ると映画イレイザーの世界です。

えぇ~と、コレは刑事訴訟の素人としての疑問なんですが。

全ての取り調べが、弁護士の同席と被疑者へ自由な助言の下に行われ、かつその取り調べの全てが録画録音されていた。その上で起訴されたが、公判開始前にも弁護士と被告人は自由に打合せや意見交換できる状態にあり、取り得る法廷戦術と裁判審理の予測見積もりについて、被告人は十二分に弁護人より説明を受けていた。

このような状態にある被告人が、公判の罪状認否(起訴事実の認否)において、明解にかつ全面的に起訴事実を認めたとする。このように被告人が保障された防御権を完全に放棄した場合は、公判では事実審理を全て省略し、直ちに検察の求刑と弁護人の弁論を行い、判決を言い渡しても良いと思う。

こうしたアメリカの刑事訴訟法廷であれば、被告人が起訴された罪状を認めている場合は、検察側立証に対する反論の権利を失い、情状面の弁護のみしか認められないと聞いた覚えがある。だからアメリカで刑事裁判の被告人になったら、罪状認否では必ず「not guilty =無罪」と答えないと、即結審して即有罪判決だと記憶している。(スミマセェ~ン、英米の事情に詳しい方、間違っていたら訂正して下さい)

日本では刑事訴訟法に限らず基本的な法体系そのものが違うので、必ずしもアメリカの刑事訴訟手続がそのまま適用できるわけでは無いとは思う。だが、取り調べでの完全な弁護士立合や全面的録画記録など、被疑者・被告人の防御権が疑いなく保障された中で、被告人が訴追された罪状を全面的に認めるなら、起訴事実についての争いは放棄したとみなせるのではないだろうか。つまり争う権利=防御権を放棄したのだから、検察の主張通りの判決とするリクツが成り立つと思う。

取り調べでの弁護士立合と助言を主張される方々は、こうした防御権の放棄との整合性をどのようにお考えなのであろうか?

大して意味はないですよ。Souさんの書き方にバイアスが感じられたので、ちょっとツッかかってみただけですので。

自白をめぐるレスポンスの中に「『ある便利』の対義語は『ない不便』だ」としているような、辻褄の合わぬ論法を持ち出していらっしゃることを確認できたので、論者の考え方や論法を推し量るに資する材料は、まぁ得られたと思ってます。

その程度の話です。

 「あると便利」では、立法事実としては弱いですが、「ないと不便」の方が予算が付き易いです。「便利」程度では昨今の超緊縮財政では「我慢せい」と言われる可能性があるし。例:送迎車、外国高官をもてなす高価ワイン……。

 弁護人の取調べ立会権を認めて、弁護人が承認した限度でしか自白調書を作成しないということを許容するのであれば、検察官もその範囲で訴追できればいいと考える事案においては、何も10日も20日も勾留する必要はないわけで、弁護人(及び被告人)と検察官の妥協が成立すれば、直ちに起訴・公判を行えばいいと思います。
 ついでに量刑についても弁護人と検察官が合意して裁判官もそれに拘束されることにしてしまえば情状立証も不要になって、捜査及び公判に要するコストを大幅に低減させることができます。

 これって、もろに司法取引ですよね。
 私は、以前から司法取引の導入を主張してますので、このような立法を検討すべきではないかと思うのですが、一つ問題があります。

 司法取引は、弁護人・被告人と検察官の双方に妥協の余地がある場合には機能するのですが、妥協の余地がない場合はだめです。

 例えば、被疑者が犯人性を争う事件では、弁護人としては妥協の余地がないと思われます。
 そのような事件では、弁護人の立会を認めれば自白調書が作成される可能性はありません。
 そうなりますと、被疑者の自供がなければ起訴できない事件というのは現実にありますから、そのような事件ではその被疑者が真犯人であれば、処罰を免れることになってしまいます。

 立会権を認めることが何より重要であると考えるのであれば、それもやむを得ないことと割り切ればいいのですが、はたして国民の多数意見はどう考えるのでしょうか?

 冤罪の発生を極小化しようとすると真犯人が罪を免れる可能性が極大化するという関係にあります。
 自供が得られなくても警察が捜査を尽くせば真犯人を起訴できない事件はない、というのは幻想です。

 私が現職検事の何人かに聞いたところでは、いずれも取調べの全面録画がなされるようになったらなったでかまわない、という意見でした。

 法律の範囲内で精一杯やるということだと思います。

 現在より自白が得られにくくなる可能性がありますが、国会が自白の全面録画法案を成立させるのであれば、国会が自白が得られにくくなる可能性を受け入れつつ立法したということですから、重大事件の起訴率が下がるとしても、それも国会の意思の結果と見るべきでしょう。
 実際にどうなるかはやってみないとわかりませんけど。
 全面録画しても今までどおりに自白が得られるかしれません。

日頃からブログを愛読している者です。
法律には素人です。

モトケン先生に質問ですが、「被疑者の自供がなければ起訴できない事件というのは現実にあります」とのことですが、具体的にはどんな場合なのでしょうか? またなぜ起訴できないのでしょうか?

理想論からいえば、モトケンさんの言う様に、いわゆる司法取引(弁護人(及び被告人)と検察官の妥協)で解決できるところは、時間、コストをかけずに解決し、被疑者が犯人性を争う事件では、自供がなくても起訴し、時間・コストをかけて争うべきだと思うのですが。

わざわざ解説ありがとうございました。

私の中にそのようなバイアスがあるとは思っていませんでしたので,とても参考になりました。

この件に関して,これ以上つっかかることはしません。
どちらの見方が正しいか,ご覧になっている方の評価にゆだねたいと思います。

ご回答ありがとうございました。

全面録画を定める法律ができたのであれば,その枠内で仕事をするほかない。それで真相解明や真犯人の検挙に支障が生じる事態となっても,それが国民の選択なのであれば仕方がない。公務員である検察官がそのように考えるのは至極当然ですね。

問題は,そういった取調可視化のデメリットないし副作用が存在することを,国会議員や国民は理解しているのかということなのですが(取調可視化の推進論者は,デメリットはあるとしても,虚偽自白の強要等による弊害がなくなる利益の方が大きいと主張していますね。)。

自分から質問しておいてすいませんが、仕事が入ったのでしばらくコメントできません。

こういう専門的なところで理想論を述べると、「現実的でない」と批判を浴びる傾向にあると思いますが、何をするにおいても理想論って必要だと感じます。

あなたに返答したわけではありません。それともダブルハンドルを用いた同一人物だったと言うことですか?

真っ当に『議論』を行うのであれば、論点の箇条書きと、その論点にまつわる評価は別個のものとして示すべきです。評価コミのものを「これが論点です」と提示するのは、最初からバイアスをかけて『議論』を誘導しようとする手口です。
あなたの『論点』の出し方、さらにはモトケンさんらに投げかける『質問』の仕方からは、かなり濃厚に「こういう言質を取って、こういう結論につなげるんだ」というバイアス思考のにおいが漂ってきます。曲解や揚げ足取りを駆使してでも『言質を取る』ことが目的のように見受けられます。
それは真っ当な『議論』ではなく『プロパガンダ』や『アジテーション』です。

その疑いを強く抱いたので、どららさんにはツッコミ入れられましたが突っ掛かってみたのですが、どうやら私の悪い想像は当たらずとも遠からずだったように感じています。

 例えば、和歌山カレー事件でスプリング8による鑑定がなかったら起訴できたかどうかかなり疑問です。
 少なくとも、裁判官が死刑判決をできるだけの確信を持つことは困難だったのではないかと思います。

>またなぜ起訴できないのでしょうか?

 つまり、証拠が十分でない場合が生じるからです。

>理想論からいえば、モトケンさんの言う様に、いわゆる司法取引(弁護人(及び被告人)と検察官の妥協)で解決できるところは、時間、コストをかけずに解決し、被疑者が犯人性を争う事件では、自供がなくても起訴し、時間・コストをかけて争うべきだと思うのですが。

 そのような制度設計や制度運営は政策判断の一つとしてありだと思いますが、自供がないことから無罪になる事件(必ずしも冤罪に限らない)は増えると思われます。

お返事ありがとうございます。

また、ROMに戻って、議論の続きを見守りたいと思います。

もちろん,ダブハンではありません。
#これはモトケン先生が容易に確認できるはずです。

ご指摘のとおり,前提とすべき論点と考えるものの中に評価を含む命題があったことは事実です。
この程度であれば問題ないかと思ったのですが,厳密な議論をする際に問題だというのであればそのとおりです。
お詫びします。

ただ,取調の可視化が現実的に実現可能かという方向に議論を誘導しようとしたことは間違いありませんが,アジテーションやプロパガンダ目的で行ったわけではありません。

いずれにせよ,ほとんどROMの人間がしゃしゃりでて申し訳なかったです。

また,どららさんへの返信に横やりをいれて,不快の念を与えたこともあわせてお詫びします。

今後私が書き込みすべきではないと,モトケン先生が考えられるのであればそれに従います。

(他の方のコメントは飛ばして、モトケンさんのコメントにだけ返信します)
モトケンさんが言うところの司法取引は検討してよいと思うのですが、

被疑者の自供がなければ起訴できない事件というのは現実にありますから、そのような事件ではその被疑者が真犯人であれば、処罰を免れることになってしまいます。

しかし、冤罪というのは、被疑者の自供がなければ起訴できない事件を起訴しようとするために起きてしまうのではないでしょうか。そもそも、「被疑者の自供がなければ起訴できない事件」は被疑者が黙秘していれば起訴できない事件ということですよね? 別に取り調べで「あなたの自供がないと起訴できないんです」と言う必要はないわけですから、たとえ弁護士が同席しようと、常に黙秘する方がよいという判断になるわけではないと思いますが。まさか、被疑者が黙秘しようとしても警察が頑張れば起訴できない事件はない、とお考えのわけではないですよね。

国民の多数意見はどう考えるのでしょうね。別に多数決が正しい判断を下すとは思っていませんが。

>冤罪というのは、被疑者の自供がなければ起訴できない事件を起訴しようとするために起きてしまうのではないでしょうか。

 否認の冤罪が取りこぼす立論ですが? 著名な吉田岩窟王事件(戦前の拷問を加えられても終始一貫して否認)、同ローゼンバーグ事件など枚挙に暇がありません。

PS:
 3対2と僅差とはいえ、地裁高裁実刑が最高裁で逆転無罪となった「痴漢冤罪事件」も、被告人は捜査段階から一貫して否認していたことは、記憶に新しいところです。

 自白がなければ証拠不十分で起訴できないが、自白によって確たる証拠が得られて起訴できる(有罪になる)という事件は珍しくありません。
 秘密の暴露が得られた事件がそういう事件です。
 従って、

>被疑者が黙秘しようとしても警察が頑張れば起訴できない事件はない

とまでは言いませんが、被疑者が黙秘しようとしても嘘をつきとおそうとしても、警察と検察が頑張れば起訴できる事件はあります。

 しかし、頑張らなければ、つまり自白を得る努力をしなければ、真犯人がやすやすと処罰を免れる事態が生じます。

 あなたは、警察は自白を得る努力をする必要はないとお考えですか。

 ここで一言申し上げますが、「自白を得るための取調べ」と「自白調書を作るための取調べ」は根本的に違います。
 どういう意味だか分かりますか?

>(他の方のコメントは飛ばして、モトケンさんのコメントにだけ返信します)

 自分は明らかな誤読でも(後に謝罪した)食い下がるように質問や批判を続けながら,自己の答えに窮する(答えようがない)質問や批判は全部スルーするというのは、冷やかしでない論者としては誠意と信用性が疑われるので,可能な限り避けられた方がよろしいかと思います。
 あなたが自分のブログで常日頃,小倉弁護士を批判されているロジック(それ自体はほとんど私は支持しています)を思い出してみてください。

 ネットでの言論は、プログラムやコードじゃないんですから、論理矛盾やブーメランなどのバグには厳密にならなくても、大人の対応でいいじゃないですか。人間は完璧ではありません。
 私がよく使うコード諺は「バグではありません仕様です」でうよ(爆。誰しも答えに詰まったら、取引でも論文審査でも決済でも通訳でも、黙ってスルーするしかないじゃないですか。

自己(事故)レスです。('A`)

 私もフランス語とスウェーデン語のメールはスルー放置して、忘れた後で職場で大問題となりました。それだけに人のことは言えません。orz

真犯人がやすやすと処罰を免れる事態が生じます。
やはり、弁護士が立ち会わなくとも、本人が黙秘を貫き通すことで処罰を免れる事態はある、ということですよね。そもそも、“自白を得る努力”って、どんなものなのでしょう(カツ丼出しながらお袋さんの話をする?) 

もっとも、全面録画に反対されないということであれば、まずは録画から導入することはできると思います。モトケンさんが懸念されている被疑者や被害者のプライバシーという問題はあるでしょうから、“誰でも検証できる”ようにはならないでしょうが、弁護側が確認でき、そこで問題のある取調べがあるなら、それをもとに弁護士の立会いを主張できるでしょうし、録画を確認した上で具体的な問題が提示できなければ立会いを推進することは難しいでしょう。

「自白を得るための取調べ」と「自白調書を作るための取調べ」は根本的に違います。
正直に申し上げて、とくに考えたことはありませんでしたが、この文脈からすれば、前者は確たる証拠(起訴材料)を得るためのもの、後者は被疑者が有罪を認める材料(“秘密の暴露”)を明確にするためのもの、ということでしょうか。“リアリティがある”と評されている「それボク」においては、前者は脅しで、後者は作文だったようですが。

キメイラさん、私は別にスルーしているつもりはありません。感熱紙さんは「もう何も言うことはない」と書かれていますし、ハスカップさんは先には「文字通り読め」と書かれていただけですし、No.22&23は、特に反論するようなことではないといいますか、ここは「やっていないことをやったと嘘の自供をさせてしまうために」という意味ですから。私は、他の方の議論にまで割り込むと発散しすぎる気がしているだけです。それに私はどんなときでもロジックを変えているつもりはないですよ。

それにしても、ここでの議論は、どうしても「疑わしきは罰せず」という原則から離れているように見受けられます。私は、これを「疑わしいだけで確証がない場合は、たとえ犯人かもしれなくても罰しない」(冤罪は、それほどまでに忌むものである)と理解しているのですが。

むしろ「疑わしきは罰せず」を守っているから

自白によって確たる証拠が得られて起訴できる(有罪になる)という事件は珍しくありません。

ってことになるんじゃないでしょうか。

>ここでの議論は、どうしても「疑わしきは罰せず」という原則から離れているように見受けられます。

 個人の主観的感想は、事実に基づかない限り的外れです。
 犯罪白書などの司法統計によれば、ざっくりここ20年平均で、起訴率は50%を切って40%台で、半数近くが罰金だったと記憶しています。大数の法則に基づけば、起訴が例外で、不起訴が原則となります。これは疑わしきは被告人の利益が順守されていると評価できるかもしれません。

刑事司法の門外漢としてはなるべく割り込みたくないのですが、mohnoさんのご意見で気になったこの1点だけ、私の意見というかROM者の希望を言わせて下さい。

ここでの議論は、どうしても「疑わしきは罰せず」という原則から離れているように見受けられます。私は、これを「疑わしいだけで確証がない場合は、たとえ犯人かもしれなくても罰しない」(冤罪は、それほどまでに忌むものである)と理解しているのですが。
「疑わしきは罰しない」と「疑わしきは取り調べない」とは違いますよね。「疑わしいだけで確証がない場合は、たとえ犯人かもしれなくても取り調べない」ということが冤罪を生まない一つの解ではありましょう。が、それは冤罪防止という側面だけで突き詰めた解であるし、犯罪捜査そのものが否定され、成り立たなくなると思う。「疑わしきは罰せず」と「疑わしいから捜査する」とを如何に両立させるか、その両立の面から詰めた別の解が「捜査取り調べの公正さの担保」ではないでしょうか。

ここで討論されていることは「疑わしいだけで確証がない場合は、たとえ犯人かもしれなくても罰しない為には何が必要か」という議論でしょう。そしてこの理念を具現した規定が憲法31条から40条の規定であり、中でも不利益な供述の強要禁止と自白の証拠能力について定めた憲法38条の具現化を、現実の捜査活動の中でいかに担保するか、その担保手段として弁護士の取り調べ立合や全面録画などが議論されているのでしょう。

犯罪捜査での公正さの担保をいかに実現すべきか、そして公正さを実現しつつ如何にして社会から犯罪を減らすのか、そこの両立性の確保が議論の主論点だと思います。「疑わしきは罰せず」と「疑わしきは取り調べず」とは違うという認識に立ち、「疑わしきは罰せず」を実現するための「取り調べ捜査の公正さの担保」とを混同しないよう、明確に切り分けた討論が進むよう希望します。

前者は確たる証拠(起訴材料)を得るためのもの、後者は被疑者が有罪を認める材料(“秘密の暴露”)を明確にするためのもの、ということでしょうか。“リアリティがある”と評されている「それボク」においては、前者は脅しで、後者は作文だったようですが。
違うんじゃないですか?脅しも作文も後者の「自白調書を作るための取調べ」だと思います。とにかく調書を作ればいいんでしょうから。

「自白を得るための取調べ」は、犯人に間違いないという供述を引き出すことで、確たる証拠(起訴できる材料)となるものを得るものであり、秘密の暴露(被疑者"が"有罪"を"認める材料ではなく、被疑者"を"有罪"と"認める材料)を含んだものではないでしょうか。例えば、凶器を捨てた場所を喋り、そこから出てくるとか、もっと言えば死体の場所と殺し方を喋り、そこから死体が出て自白に合う傷があるとか、前者はそういうことではないですかね。
死体の場所を喋らなければ殺人では起訴できないでしょうし、被疑者だって重い刑になると分かっているというのによく喋ると思いますよ。そこには警察の取り調べの苦労やテクニックがあると思います。まさか脅しや作文で死体のありかが分かるはずもなく、刑を軽くしてやるからと言って死体の場所を喋らせるわけでもなく(重い刑になることは分かる)、今どき拷問で喋らせているわけではないでしょうに。

>それにしても、ここでの議論は、どうしても「疑わしきは罰せず」という原則から離れているように見受けられます。私は、これを「疑わしいだけで確証がない場合は、たとえ犯人かもしれなくても罰しない」(冤罪は、それほどまでに忌むものである)と理解しているのですが。

 過去ログをまともに読んでない明後日向いた決め付け感想で強い不快感を感じます。少しは過去ログ読むか憲法の該当条文くらい読まれてからカキコしては? 素人の投稿で内容が普通ならよおしいかと思いますが、ほとんど誤読曲解に「見受けられます。」

横レスすみません。

>そもそも、“自白を得る努力”って、どんなものなのでしょう(カツ丼出しながらお袋さんの話をする?)

私のような素人が普通に考えても、「罪悪感」を感じることができる人間なら、裁判では不利になるかもしれなくても事実を話してしまいたいという衝動はあると思うんですよ。(無論、冤罪の場合は別)

自分の胸にしまっておけば、罪悪感は責め苛み続けますから。そこをいかに誘導するかというのは、捜査官の手腕であろうと思います。

また、虚偽の供述内容は現実との矛盾点が生じることが多いでしょうから、そこを丁寧に調べ上げて、虚偽性を崩せば、真実を話す場合もあるでしょう。実際には、長年にわたって蓄積されてきた数多くのテクニックがあるのでしょう。

()内の話は冗談の積りかもしれませんが、「バラエティ番組」程度の知識で、警察を小バカにしているようにも感じます。

>それにしても、ここでの議論は、どうしても「疑わしきは罰せず」という原則から離れているように見受けられます。

それは取調べの話ではなく、裁判官(裁判員)の判断の話でしょう。「罰する」か「罰せず」かどうかは裁判官(員)が判断すべき話ですから。少なくとも私はそう理解していますが。

警察や検察は、「疑わしき」があれば捜査するのが基本でしょう。その上で起訴するに足る十分な嫌疑があれば起訴する。そうした取調べ、捜査の話をしていて、何故唐突に「疑わしきは罰せず」という「捜査」ではなく「裁判」の原則を持ち出して、自らの悪印象だけで他人を非難されるのか理解に苦しみます。

 了解です。m(_ _)m
 最近はパソ通時代と違って過去ログをろくに読まないで平気で投稿する時代なんですね。昔は、「過去ログ読んでから議論に参加しましょう。」と怖いシスオペにネチケットの基本を注意されたものですが……(遠い目。

確かに、捜査機関の存在意義は、「疑わしくは調べる。」ですよね。疑義が真と結論づけられるのであれ、偽と結論づけられるのであれ、とにかく捜査機関として何らかの結論を出すまでは、調べないといけない。
そうした捜査機関の活動の結果(判断の内容)が真であるか偽であるか、それは裁判の結果を以て確定することで、結果を受けての後出しの議論として妥当しても、「捜査をしない」事の理由にはならないと私も思います。「疑わしいから捜査しない」という考え方は、突き詰めると、「捜査機関は犯罪に対して何もしない(=捜査機関は必要ない)」という事に行き着いてしまいますから。

裁判の規範である「疑わしくは罰せず」と、捜査の規範である「疑わしくは捜査する」を混同すると、却って公共の福祉を阻害する結果につながると思うですよ。

>やはり、弁護士が立ち会わなくとも、本人が黙秘を貫き通すことで処罰を免れる事態はある、ということですよね。

 いろんな場合があるんですよ。
 制度というのは、想定可能な起こりうる事態を全て織り込んだ上で設計されるべきであると考えています。

 ところで、20日間黙秘を貫くというのは容易なことではないですよ。
 あなたは黙秘しようと思えば簡単にできると考えているかも知れませんが。

>そもそも、“自白を得る努力”って、どんなものなのでしょう(カツ丼出しながらお袋さんの話をする?)

 その場に身を置いた人間(机のどちら側かはともかく)でなければ、録画を見ても理解できないかも知れませんが、全面録画を見て貰うのが一番分かりやすいでしょうね。
 しかし、しばらくは実現しないでしょうから、ヒント程度を言いますと、究極の説得工作と言えばいいですかね。
 そして技術的方向性としては、いかに相手にしゃべらせるかです。
 真実というのは、真実を知っている人間が真実を語ろうとしなければ語れないものですからね。

 あなたは、取調べについて、どのようなイメージを持ってるんですか?
 これ以上聞きたいのであれば、あなたの誤解を正しながら説明したほうがわかりやすいと思います。

「自白を得るための取調べ」と「自白調書を作るための取調べ」は根本的に違います。
   これについての説明は他の方のコメントですでになされています。  「自白を得るための取調べ」というのは真実の供述を得るための取調べです。  「自白を得るための取調べ」と言いましたけど、被疑者が犯人であることを前提としているわけではありません。  私は、何の留保もなく「自白」と言う場合、原則として「真実の自白」の意味で使っています。  「強要された自白」という場合は真実性に問題があるニュアンスが含まれます。  「虚偽自白」という場合は文字通り虚偽の自供のことです。

 「自白調書を作るための取調べ」というのは真実性の確認をおろそかにして、最悪の場合は無視して、「私がやりました。」というような自白調書の作成を目的する取調べです。

>それにしても、ここでの議論は、どうしても「疑わしきは罰せず」という原則から離れているように見受けられます。

 だれのどの文章に基づいてそのように思うのかということを指摘しないと、本当にそうなのか、あなたの誤読ないし誤解なのか、あなたの読んだ文章の書き手の書き方が悪いのかわかりません。

 私は、証拠が十分でない場合は起訴できないと明言してるんですよ。
 そして、それに誰も異を唱えていません。

 捜査段階において、犯人である確証がなければ捜査をしていはいけない、取調べもしていはいけないというのであれば、すでに指摘されているようにそれは間違っています。
 捜査の開始時点では「疑わしい」程度の嫌疑しかないことは普通です。
 最後まで「疑わしい」にとどまってしまうことも普通にあります。
 そして現行の刑事司法制度は、そのことを前提にしています。

 なお、捜査段階では、「適正手続の確保」が問題になります。

「疑わしきは罰せず」を挙げたことが批判されているようですが、続けて、

「疑わしいだけで確証がない場合は、たとえ犯人かもしれなくても罰しない」(冤罪は、それほどまでに忌むものである)

と書いたことを無視されていないでしょうか。「疑わしいだけで捜査するな」と言っているのではありませんし、そもそも捜査の段階では「疑わしい」以上の判断はできないでしょう(たとえ警官の目の前で殺人を行ったとしても、あくまで“容疑者”ですよね)。たまたま、ホットエントリになっているトピックもありますが、ここでの議論では、犯人が処罰を逃れる事態を許さないあまりに、現実に冤罪が起きているという問題が軽視しているように読み取れるのです。
証拠が十分でない場合は起訴できない

とおっしゃいますが、現実に冤罪が起きていることまでは否定されないですよね? 十分な証拠があるときだけ起訴されるからこそ起訴後の有罪率が高いのでしょうが、そうであれば、なぜ冤罪が起きているのでしょう。むしろ、だからこそ、その制度が問題視されているのではないでしょうか。そもそも冤罪が起きた犯罪では、事件は解決したことになるので、真犯人は逃げた上で悠々と時効を待てる状態に置いてしまう、という意味で「真犯人が処罰を逃れる事態」を招きます。

人々に「犯人を起訴できない可能性が高まるとしても、弁護士の立会いを認めるべきだと思いますか?」と聞いたら Yes と答える人はいないかもしれません。しかし、その人たちは「犯人を起訴する可能性を下げないために、無実の罪に問われる可能性を受け入れますか?」と聞かれて Yes と答えるでしょうか。「治安を維持するために多少の犠牲はやむをえない」とお考えではないですよね。国民は兵士ではないのですから。冤罪の疑いがあるものがすべて冤罪であるとも言えませんが、痴漢冤罪のようなものまで含めば無視できるほどわずかな比率でしかない、とは信じがたいところです。

小倉弁護士が冤罪が強く疑われる裁判について例示されていましたが、それらの事例を見ると、いずれも供述調書が有罪認定に強く関わっているようです。「それボク」も一貫して否認しているように描いていますが、署名した供述調書には“作文”が組み込まれています。私は、小倉弁護士が言うところの「立身出世のため」には同意しませんが、しかし署名された供述調書を易々と「疑ってよいもの」にすると、まともな供述調書ですら事後の被疑者の行動によって「疑わしい」から罰さない、という事例が増えかねません。だからこそ、供述調書は「易々と疑ってよいものではない」と認識されているはずです。そうであれば、易々と疑うことができない環境を用意する、ということは、それほど批判されるものではないように思います。

補足します。

制度というのは、想定可能な起こりうる事態を全て織り込んだ上で設計されるべき

であれば、モトケンさんは、現実に起きている「警察の見込み違いにより、冤罪を招く“ことがある”」という事態を回避するためには、どのような提案をされているのでしょうか。
(過去ログ読め、かもしれませんが)

 小倉弁護士のように,極端な限界事例(0.03%)を標準的に対処せよと言わんばかりの言及意見を前提にすると,制度設計を誤ります。工場の生産ライン設計で不良品率が0.03%なら、この不良品率を限りなく0に近付ける平均的標準設計すると異常な高コストになります(パレイトの法則・ヨストの法則参照)。
 部外者が見れば、犯人も被害者も不定形供述や鑑識を組み立てるエビデンス群体オーダーメイド一品生産の「捜査」で手間暇と時間をかける構造なのに、オシャカ率が0.03%なら驚異的に見えます。

>と書いたことを無視されていないでしょうか。

 私は、あなたがあなた以外のこのブログの誰のどういう発言を根拠にして

>それにしても、ここでの議論は、どうしても「疑わしきは罰せず」という原則から離れているように見受けられます。

と書いたのかと質問したのですが、それに対する答はなしですか?

>ここでの議論では、犯人が処罰を逃れる事態を許さないあまりに、現実に冤罪が起きているという問題が軽視しているように読み取れるのです。

 これも同じです。だから誰のどの文章をそう読み取ったのですか?
 あなたは、根拠を示さずに単なる自分の感想・印象を述べているだけです。
 これでは議論にならないし、結局あなたが何を言いたいのかも分かりません。

>現実に冤罪が起きていることまでは否定されないですよね?

 私は、過去に何度も「冤罪の発生は不可避だ。」と言っています。
 読んだことありませんか?

>なぜ冤罪が起きているのでしょう。

 人間は過ちを犯す動物だからだと考えています。

>むしろ、だからこそ、その制度が問題視されているのではないでしょうか。

 「その制度」というのはどの制度ですか?
 どのように問題視されているのですか?

>「治安を維持するために多少の犠牲はやむをえない」とお考えではないですよね。

 「多少の犠牲」というのが「冤罪」という意味であれば、「冤罪の発生は不可避だ。」ということは、犠牲の発生はやむを得ないということになります。
 社会秩序の維持を図りつつ犠牲の数をゼロに近づけるために最大限の努力をするということです。
 あなたには、常に相矛盾する要請の狭間でその矛盾を調整する大きな責任を負っている仕事、というものが理解できませんか?

>易々と疑うことができない環境を用意する、ということは、それほど批判されるものではないように思います。

 だから可視化自体については批判していません。
 このブログの常連さんの多数もそうだと思います。
 私は、情報管理について問題提起しているだけです。

 しかし、弁護人の取調立会権は可視化とは比べものにならない影響を取調べに与えます。
 刑事司法全体に対して根本的な影響を与えると思います。
 現在の捜査実務の中に取調立会権だけを持ち込んだとしたら、事件の起訴率は確実に下がると思います。
 それを冤罪が減ったと見るか、逃げ得の真犯人が増えたと見るかは人によって違うと思いますが。

 つまり、私の立会権に対するスタンスは、刑事司法制度全体の見直しの中で導入を検討する必要があるというもので、何が何でも反対というものではありません。
 しかし、導入のハードルはかなり高いと思います。

 違法な取調べの抑止ということであれば、取調べの全面録画ということでほぼ対応できると思います。

 批判されるべきは、正確な現状認識に基づかない意見、現実無視のバランス感覚を欠いた主張です。
 
>であれば、モトケンさんは、現実に起きている「警察の見込み違いにより、冤罪を招く“ことがある”」という事態を回避するためには、どのような提案をされているのでしょうか。
(過去ログ読め、かもしれませんが)

 過去ログを読んでください。
 ところどころで書いています。
 冤罪はいろいろな理由で発生します。
 制度上の問題もあれば運用上の問題もあります。
 刑事司法に関与する個人の資質の問題も大きいと思います。
 一般的な質問に対して、簡単に答えられるような問題ではありません。
 今後も個別のテーマが問題になったときに、その都度意見を述べるつもりです。

あなたのコメントを読むと、

ここでの議論には、
冤罪について言及された文が見あたらないから
みんな「疑わしきは罰せず」という原則から離れていて、
現実に冤罪が起きているという問題を軽視している

と、あなたは考えているということになりますが、
それはさすがに「過去ログ読め」です。

これは冤罪のエントリじゃないから、冤罪について言及されていないだけです。
それに、「疑わしきは罰せず」が妥当するのはなにも冤罪のシーンだけではありません。

ついでに言えば、冤罪の発生件数というものは冤罪の性質上、
正確な計測は不可能です。

再度の横入り、ご容赦下さい。

犯人が処罰を逃れる事態を許さないあまりに、現実に冤罪が起きているという問題が軽視しているように読み取れる
このご見解に私は不同意です。

私には、モトケンさんや他の方々のご意見は、次のように読み取れます。

捜査段階での「適正手続の確保」、すなわち完全な取り調べの録画録音や、弁護士の全面的立合という制度改革を行えば、冤罪の発生するリスクを低減出来るだろう。でも冤罪発生リスクの低減は、冤罪発生が完璧ゼロになることと同義ではない。

犯人が処罰を逃れる事態を最大限に許容したとしても、冤罪が発生する可能性が低減してゼロに近付くことを、冤罪発生が完璧にゼロになるとの前提に、意識的に置き換えて議論されていないだろうか。現実的なアプローチを行う相手に、観念的な理想論で反論しても食い違うばかりである。

現実の捜査手続きを段階的に改善し、捜査段階で確保される適正手続のレベルを順次上げることが、冤罪発生リスク低減についても資する筈とと私は思う。そこを無視し、或いは評価せずに、冤罪が発生している事実を軽視している、冤罪が完璧にゼロにならない制度改善は無意味な提案だ。このように現実的暫時前進の主張に、観念的な理想の実現絶対視の立場から評価できぬとご意見を言われるのは、フェアな議論の姿勢であろうか。現実を無視した観念の議論は不毛である。

モトケンさんはエントリ本文でも、理想論と現実論を分けた議論をしたいと言っておられる。そこをわざと無視して、冤罪撲滅の理想論を採用しないのはケシカランと、ご自分の信念・理念のご意見を言われても、噛み合わないしスジが違うのではないでしょうか。

現実論での討論を設定された場に、理想論や観念論、或いはご自分の信念や理念という感覚論を持ち込まず、事実に基づいた現実論で討論して頂きたい。

ええと、No.28に書いた、まず全面録画を導入した上で、そこで「具体的な問題」が確認されなけあれば立会権の導入しない(確認されれば、検討する)ということについて、とくに問題はないでしょうか。(何度もフィクションを持ち出して恐縮ですが、「それボク」程度は、これで解決するのではないかと思っています)

その点では、以下、蛇足になりそうな気もしますが、

それに対する答
先に書いた通り、私は「疑わしきは罰せず」とは「冤罪は、それほどまでに忌むものである」と理解しています、という意味で挙げたのですが、これで答えになっていないということでしょうか。

モトケンさんは、「人間は過ちを犯す動物だから」「冤罪の発生は不可避」という回答をされていますが(文字通りの理解でよいですよね?)、だからこそ「過ちを犯さないようにする」「過ちを未然に防ぐ」仕組み(制度)が求められているのではないですか?という話をしています。

「その制度」というのはどの制度ですか?
どのように問題視されているのですか?
少なくとも、日弁連のサイトにまとめられているような状況にあると私は理解していますが、これでは不十分ということでしょうか。とくべつ警察に知り合いはいませんが、日頃目にする情報からすれば、ほぼ妥当な内容だと考えているのですが。

こちらは今見つけたものですが、やはり妥当な指摘であるように見えます。

犠牲の数をゼロに近づけるために最大限の努力をする
“誰”が努力するのか、ということです。別に「誰も努力していない」と思っているわけではなく、ごく一部だとしても「過ちを犯す」人がいるからこそ、制度的な防御策が必要だという話をしていたつもりなのですが。

冤罪は0にしなければいけないと思います。
しかし、道交法や自動車運転過失致死傷罪の場合、本人が虚偽の供述をして身代わりになるケースが相当数あります。
これも冤罪にカウントされてます。
だが、捜査機関は、こういった虚偽も含め、冤罪の発生を0にする努力が必要だと思います。

だけど、0にするのは、いかなる司法制度を導入しても、難しいと思います。

冤罪っていう言葉の定義をどうするかによって変わるかもしてませんが、そもそも日本(の司法制度)は世界的にみて冤罪が多いのですか?

>「自白を得るための取調べ」というのは真実の供述を得るための取調べです。

これはすっごく真っ当な当たり前のことのようでありながら、ちょっと忘れられてることかもしれませんね。
弁護士さんのブログでもこんな感じですから。
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2009/05/post-f8d0.html
「もちろん,捜査機関側としては,常に「冤罪を生み出す余地」を残しておいた方が望ましいということかもしれませんが。」

しろうととしてはどこが「もちろん」で何が「望ましい」だろって思うわけで。

たとえば容疑者が誰かをかばって犯人じゃないのに自分がやりましたと虚偽の自白をしている場合、それが虚偽であることを聞き出すのも重要な取り調べでしょうし。
取り調べというものはそこにいる容疑者を犯人にすることを目的としているのではなく、真実の供述を得るためのものだって考えればしろうとにはすっきり。

そこのとこを大前提として、それからはずれた取り調べが行われないようにするにはどこを改良すればいいかって考えれば建設的かと思います。

あと知りたいのは弁護士さん以外の専門家の立ち会いって可能なのでしょうか?
以前にここで取り上げられた知的障害者が容疑者の事件で、報道から判る情報からは取り調べがうまくいってないと感じたんです。
誘導尋問をする意図が無くても、容疑者の障害の特性から誘導になってるようで。
たとえば発達障害の専門家や、福祉のプロが立会って対応を指導するとかは出来ないんでしょうか?

>弁護士さん以外の専門家の立ち会いって可能なのでしょうか?
 判例に表れたものとして
・幼児や知的障害者(被害者)の取調べで、保護者(両親、施設の担当者)
・米国軍人被疑者の取調べで、米軍法務官(米国弁護士資格者)
というのがあるようです。

>ALL(皆様)

 冤罪の定義に争いがありますが、最広義の「冤罪=無罪」と広げれば、起訴件数における無罪率は、過去20年間平均で、キメイラさんが出された数値0.03%くらいです。これは起訴件数を母数とするので、検挙件数を母数とすれば、0.013%くらのはずです。(犯罪白書参照)

>ええと、No.28に書いた、まず全面録画を導入した上で、そこで「具体的な問題」が確認されなけあれば立会権の導入しない(確認されれば、検討する)ということについて、とくに問題はないでしょうか。

 私は、そんなことは言ってませんよ。


>これで答えになっていないということでしょうか。

 なっていません。
 あなたは、

>それにしても、ここでの議論は、どうしても「疑わしきは罰せず」という原則から離れているように見受けられます。

と言ったのです。
 「ここでの議論」ついて、「『疑わしきは罰せず』という原則から離れているように見受けられます。」と評価したわけです。
 私は、「ここ」つまり私のブログの議論が「『疑わしきは罰せず』という原則から離れているように見受けられます。」という評価を受ける根拠を聞いているのです。
 あなたがそう評価するという結論を聞いているではなく、あなたがそう結論した根拠を聞いているですよ。
 私の日本語は分かりにくいですか?
 私やたぶんここの常連さんも、「疑わしきは罰せず」という原則から離れているつもりはないからです。
 つまり、あなたの評価は心外なんですよ。


>だからこそ「過ちを犯さないようにする」「過ちを未然に防ぐ」仕組み(制度)が求められているのではないですか?という話をしています。

 私もそういう話をしています。


>>「その制度」というのはどの制度ですか?

というのは、取調べ可視化のことですか、立会権のことですか、それとも他の制度のことですか?という質問です。
 それぞれ、問題点や影響の及ぶ範囲が異なりますから、どの制度について議論するのかを明確にしないと意見を述べられません。


>“誰”が努力するのか、ということです。

 刑事司法に携わる者全てが努力すべきでしょう。


>ごく一部だとしても「過ちを犯す」人がいるからこそ、制度的な防御策が必要だという話をしていたつもりなのですが。

 私も最初から制度論の話をしています。
 ただし、あちらを立てればこちらが立たずという関係が存在するので、制度設計においてはバランスを取る必要があると言っているわけです。

被疑者が外国人の場合には通訳はつきますね。その場合は事件捜査に、それなりに通じている人が選ばれてるようです。

それはそれとしてあくまで思いつきの印象論で言うわけですが、司つかさの業務執行に“過剰に”異を唱えて「立ち合わせろ」云々を言うのは、なんかこう「ウチの子供にちゃんとした授業をしてるか見てやるから毎日全授業に立会いをさせろ」とかネジこむ“教育熱心”な父母とか、「医療ミスがないか確認してやる」とか言って手術室に入り込もうとする患者家族とかの像を連想します。

上記「父母」や「家族」と違って弁護士は専門家だって?いやいや「捜査や取調べ」については門外漢のシロウトですよ。

>№44 mohno 様
>に書いた通り、私は「疑わしきは罰せず」とは「冤罪は、それほどまでに忌むものである」と理解しています、という意味で挙げたのですが、これで答えになっていないということでしょうか。

これに関連して、モトケンブログで2年ほどお世話になってきた人間として、くどいようで申し訳ありませんが、どうしてもお尋ねしたいことがある。それはmohno様がNo.28での次の文章の冒頭に付けた「ここでの」という言葉の真意についてです。

それにしても、ここでの議論は、どうしても「疑わしきは罰せず」という原則から離れているように見受けられます。私は、これを「疑わしいだけで確証がない場合は、たとえ犯人かもしれなくても罰しない」(冤罪は、それほどまでに忌むものである)と理解しているのですが。

この「ここでの」という4文字は、モトケンさんだけを指しておられるのですか?

それとも「ここでの議論」という6文字として、モトケンブログに参加して意見を述べている、私も含めた多数の討論議論を指しておられるのですか?

私には「ここでの議論」という言い回しが、モトケンさん一人を指すとは思えません。議論と言うからにはモトケンさんを含む複数の意見の交換を指すと理解します。すなわちmohno様は、私も含むモトケンブログでの議論全体を指して、「疑わしきは罰せず」という刑事司法の原則理念が乏しい、このように断じられたものと受け取れます。

このような貴方様の決め付けに、モトケンブログに参加している多数の一員として、私は抗議したい。また(冤罪は、それほどまでに忌むものである)という括弧書きが付けてあるから云々という、言い訳的弁解に終始されていることも、私には不誠実な態度に感じられます。

貴方様はモトケンさんとだけしか応答されないようですので、私としては一方的宣言のようで不本意ではありますが、貴方様の言論姿勢に対し遺憾に思っていることを表しておきます。

 某所に以下のようなカキコがありました。

頑張って読んだけどモトケンさんとこの話は素人には難しくてよく分からないな
取調べを可視化したり弁護士の立会いを認めたりするとメリットと同時にデメリットもあるというのは分かったけど
実際にメリットとデメリットのバランスがどうなっているのかが分からない

 頑張って読んでいただいてとてもありがたく思います(^^)

 でも、「素人には難しくてよく分からないな」というのも正直な実感だと思います(^^;

 特に前のエントリでは、素人向けの配慮をあまりしないで書いてましたから。

 質問していただければ、できるだけわかりやすく説明したいと思いますが、時間と表現力の限界がありますので、ご理解いただけるかは自信がありません。
 弁護士の立会権のイメージは法律家によっても変わるように思いますし、そもそも取調べというのはどういうふうにやっているのかについては、弁護士であったとしても私のような検事経験者でなければ相当刑事弁護の経験のある弁護士でなければ分からないかも知れません。
 検事経験のない弁護士でも、驚くほど的確に取調べというものを(その効用も危険性も含めて)理解している方がおられます。

亀レスになりましたが、今のところ誰に対しても書き込みすべきではないという考えは持っておりません。

> 私は、そんなことは言ってませんよ。

そうですか。

> 「疑わしきは罰せず」

先に書いた注釈の通りなのですが、言い換えてみます。「疑わしきを罰しない」ためには、本来、供述調書が疑わしくてはいけません。実際、よほどのことがない限り、供述調書は「疑わしいものではない」と認識されているようですし、それは必要なことでしょう。しかし、日弁連のサイトで指摘されているように、疑わしい供述調書が作られる状況が制度的に存在する、というのが私の理解です。「疑わしい供述調書」が作られる状況があるのに、それを疑うことを許さず刑罰を与えるのであれば、「疑わしきを罰せず」に反します。逆に、「疑わしきは罰せず」というならば、まず「疑わしい供述調書」を作り出してしまう制度的な問題を解決すべきではないでしょうか。

何事もバランスの問題であるのは当然です。私も、何が何でも冤罪をゼロにする、ということまで求めているのではありません。それでは、現在は「バランスの良い状態」なのでしょうか。端的に言って、私にはそうは思えないということです。一方、“ここでの議論”は「制度を変更するとバランスが悪くなる」と言っているように見えます。別の言い方をすると「問題点があることを否定しないが、制度を変えることでより大きな問題点が生じる」、具体的には「疑わしい供述調書を排除しようとすることで、犯人を罪に問えなくなるケースが増える」という懸念が示されているように読み取れるのですが、違うのでしょうか。これが「疑わしきは罰せず」から離れているように見える理由なのですが。

もちろん、冤罪と疑われているものすべてが冤罪ではないでしょうし、比率を特定することなどできないのですが、モトケンさんをはじめ常連の方々は、現状生じているであろう冤罪は社会的に受け入れるべき程度に収まっているとお考えなのでしょうか。

あと、先に書いた通り、他の方との議論に割り込まないようにしようとしているだけで、私への指摘をスルーしようとしているわけではありません。

もうひとつ。

> 刑事司法に携わる者全てが努力すべきでしょう。

この“努力”とは、制度を変えず、より冤罪が起きないように努力しようということなのでしょうか。現状レベルで問題ないとおっしゃるのであれば、それはもう見解の相違としか言いようがないので話は終ってしまうのですが、そうでないなら、今の人々は「努力が足りない」と言っているように見えます。

私は、小倉弁護士がいうような、役人は怠惰なものだとか、大企業はガメツイとか、著作権者は保守的だといったステレオタイプな評価が“大嫌い”なのですが、同じように刑事司法に携わる人々の「努力が足りない」というつもりはありません。だからこそ、一部に生じている問題を「制度的に防御」する必要があるのではないかと申し上げています。逆に、もっと努力することで改善できるのだというのであれば、「とっととやれ」としか言えなくなってしまうでしょう。

>日弁連のサイトで指摘されているように

 日弁連は、被疑者被告人の人権を守るために様々で多用な提言等を多数発表されてます。お手数ですが、どの提言、声明、決議……を引用されているのか、教えてください。一緒に考えたいと思います。

>それを疑うことを許さず刑罰を与えるのであれば、

 どなたがそんなことを言いましたか? そのようなことはどなたも言ってないと思いますが? 任意性に疑いがあれば弁護人が指摘し、調書の証拠調べが却下されて無罪(有罪)になってる判例(判決例)は多数ありますよ。

>“ここでの議論”は「制度を変更するとバランスが悪くなる」と言っているように見えます。

 どなたのどのような発言を指しておっしゃってますか?

>体的には「疑わしい供述調書を排除しようとすることで、犯人を罪に問えなくなるケースが増える」という懸念が示されているように読み取れるのですが

 どなたのどのような発言を指しておっしゃってますか?

>これが「疑わしきは罰せず」から離れているように見える理由なのですが。

 それは論理が飛躍していませんか? 上記懸念を示すことが「疑わしき罰せず」から離れているように見える根拠理由をご説明いただかないと。

>私への指摘をスルーしようとしているわけではありません。

 であれば、上記5点と下記3点あけでも、ご説明をいただければ幸いです。

No.55>>
>この“努力”とは、制度を変えず、より冤罪が起きないように努力しようということなのでしょうか。

 どうしてそのように読めるのですか?失礼ながら誤読ではありませんか?

>現状レベルで問題ないとおっしゃるのであれば

 どなたがどこでそのようなことをおっしゃいましたか?

>「制度的に防御」する必要があるのではないかと申し上げています。

 みんなで制度の改善を議論しているのですが……???

・・・もしかして、
被告人が犯罪を犯したことが「疑わしい」

供述調書が、被疑者被告人の言葉もしくは真意をを正しく記載しているか「疑わしい」
を混同してない?

「疑わしきは罰せず(in dubio pro reo)」という原則は,ある事実の存否について,裁判所の心証が真偽不明となった場合に,被告人に有利なように事実認定をするということ意味しています。

これに対し,取調べの可視化や弁護人の立ち会いは,捜査機関による取り調べの適法性を担保し,被疑者の黙秘権を保護することを目的とした制度です。
被疑者が自白を強要されないように監視し,自白がなされた場合はその任意性に疑いが生じないようにするための制度であり,主に供述証拠の証拠能力に関する問題です。

そして,自白の証拠価値が高く評価されているのは,人は自らに不利益なことを話したがらないものであるから,任意に自白した場合は信用することができるという経験則が認められているからです。
これは,自白の信用性の問題です。
もっとも,身代わりの場合は任意に虚偽の供述がなされるので,この限りではありませんが。

これらの問題は相互に関連しているとはいえ,レベルの異なる問題なのですが,mohnoさんがどのレベルについて議論しているのか分かりづらいです。

> と言っているように見えます
> という懸念が示されているように読み取れるのですが、違うのでしょうか

No.49でモトケンさんが

> あなたがそう評価するという結論を聞いているではなく、あなたがそう結論した根拠を聞いている

と仰っていますね?
どの方のどの発言のどの部分が「そのように見える」「そのように読み取れる」のか、一カ所でもいいですから具体的に示してください。
相手の言うことを聞かないで一方的に自説だけを主張したいのなら、それは議論ではなく演説です。あなたはここで議論をしたいのか、演説をしたいのか、皆がその意図をつかみかねているんですよ。

>そうですか。

 信用できませんか?
 読めば分かると思いますが。


>疑わしい供述調書が作られる状況が制度的に存在する、というのが私の理解です。

 これは取調室が密室であるということですね。
 そういう意味なら理解できます。
 しかし

>「疑わしい供述調書」が作られる状況があるのに、それを疑うことを許さず刑罰を与えるのであれば、「疑わしきを罰せず」に反します。

 これは意味不明です。
 「疑うことを許さず」というのは、何を疑うことを許さないという意味でしょうか?

 取調室が密室であることが当然であり、それ以外の可能性を疑うことを許さないということでしょうか?
 それとも、密室で作成された供述調書の証拠としての価値を疑うことを許さないということでしょうか?
 前者の意味の主張している人は誰もいないと思います。
 後者の意味ならば、あなたの司法制度に対する無知ないし無理解を示していることになります。
 あらゆる証拠はその価値を争うことができます。
 あなたは、取調べの可視化がどういうことを意味するのか理解していますか?
 その点についてかなり疑問が生じました。


>それでは、現在は「バランスの良い状態」なのでしょうか。端的に言って、私にはそうは思えないということです。

 冤罪の発生頻度を問題にしているのでしょうか?
 その意味なら、私はかなり悪いと思ってます。
 たぶん、数的にはあなたが考えているよりはるかに冤罪は多いです。
 殺人とか強盗とかの重罪は相当慎重ですが、特に少年事件はかなり問題がありますし、痴漢冤罪については最高裁も問題視していますね。


>一方、“ここでの議論”は「制度を変更するとバランスが悪くなる」と言っているように見えます。

 冤罪の発生率が下がることはいいことです。
 しかし、その反面として真犯人が罰せられない事態も増えると指摘しているのです。
 私がいつも言っているように、あらゆる制度にはメリットとデメリットがあります。
 制度の変更にもメリットとデメリットがあります。
 制度を変更するとそのバランスが変わるので、全体的にバランスが悪くならないように制度の変更の仕方を検討しなければいけないと言っているんですよ。
 そして、バランスがいいか悪いかは国民が判断することです。
 私は、こうすればどうなるかを指摘しているわけです。


>具体的には「疑わしい供述調書を排除しようとすることで、犯人を罪に問えなくなるケースが増える」という懸念が示されているように読み取れるのですが、違うのでしょうか。これが「疑わしきは罰せず」から離れているように見える理由なのですが。

 「疑わしきは罰せず」の原則は、真犯人ではないものを罰しないようにするための原則です。
 私が示した懸念は、真犯人が罰せられない可能性の増大についてです。
 どう考えると、「疑わしきは罰せず」から離れているように見えるのですか?


>モトケンさんをはじめ常連の方々は、現状生じているであろう冤罪は社会的に受け入れるべき程度に収まっているとお考えなのでしょうか。

 どこをどう読めばそういうコメントが出てくるのですか?
 改善する必要がないと考えているのであれば、可視化の必要を認めたりしません。


>55
 すでにハスカップさんが指摘済みですが

>この“努力”とは、制度を変えず、より冤罪が起きないように努力しようということなのでしょうか。

 あなた、日本語をまともに読めてますか。
 いいかげんにしてください。
 なぜ、書いてもいない前提を勝手にくっつけるのですか?
 私は、「可視化自体については批判していません。」、「私の立会権に対するスタンスは、刑事司法制度全体の見直しの中で導入を検討する必要があるというもので、何が何でも反対というものではありません。」と数時間前に述べたばかりですよ。
 まともに議論するつもりがありますか?
 他人のコメントを読む気がないならお引き取りください。
 他の方ともっと実のある議論をしたいと思います。


>逆に、もっと努力することで改善できるのだというのであれば、「とっととやれ」としか言えなくなってしまうでしょう。

 冤罪の問題は、制度的な問題と制度運用の問題の二つの側面があります。
 制度的な問題は立法の問題です。
 つまり「とっととやれ」と言う相手は国会議員です。
 運用の問題については法曹内部の問題で、「とっとと」やらなくてはいけない問題は決して少なくありません。

ところで、20日間黙秘を貫くというのは容易なことではないですよ。  あなたは黙秘しようと思えば簡単にできると考えているかも知れませんが。

その通りで、黙秘を貫くことには、肉体的、精神的、心理的に相当な負担を伴います。真犯人にとっても、無実の者についても。

憲法上の権利である黙秘権の行使に少なからぬ負担が伴うというのは、異常な事態であり、是正されるべきです。【理想論】

よって、理論的には、取調べ受忍義務を否定すべきだし、捜査官にも、被疑者が望まない取調べを慎むよう教示しなくてはならない。【理想論】

ただし、現に被疑者の身柄を確保しているのは捜査機関側であり、彼らは、その物理的実力を行使して取調べを強行する。【現実論】

そこで、弁護人としては、この現実を変えさせるべく、現行法規の枠内で、可能な限りの手段をとるべきである。捜査段階であれば、勾留決定・勾留延長決定に対する準抗告、勾留理由開示、勾留取消請求はほぼ必須だし、黙秘権を侵害されて供述を強要されても、調書への署名押印は拒否できることを被疑者に十分理解させておく必要がある。弁護人の立会いを求めていたことを立証できるよう、その点の証拠化作業も重要である。そして、弁護人の立会いなく作成された調書については、その証拠能力を徹底的に、粘り強く争う。

わが国の取調べ制度を、現在の野蛮な状態から文明国のレベルに向けて少しでも引上げ、将来、黙秘権の完全な保障を確立するためには、こうした実践の積み重ねが何より必要と思う。【理想を達成するための現実論的アプローチ】

また、司法の後進性、捜査機関の野蛮性を広く市民に伝えて、この点に関する問題意識、国民的議論を喚起することも必要であろう。特に中高生や高齢者には、お巡りさんは正義の味方という素朴な印象が未だ根強く、出前講義をすると、現実とのギャップに驚かれる方が非常に多い。さしあたりの目標は、教科書に「人質司法」の項目をもうけること、「カロウシ」「モッタイナイ」と同様に、「ヒトジチシホウ」を国際語とすることである。【中長期的アプローチ】

 独り言ですが……。

 某自称検事(比較法の学識や実務判例の細部まで精通した書きぶりなので多分本物でしょう)が、某巨大掲示板で、要旨「取調べの全面可視化は導入しても、むしろ問題がないどころか、被疑者の取調べの反省の度合いが裁判官に可視化されて弁護活動が楽になるけれど、反面、検察官にも、被疑者の荒唐無稽な弁解、次々変遷を重ねる弁解、被害者誹謗や検察官罵倒のふてぶてしい態度も証拠化されて、悪情状立証が楽になる。」と投稿されてました。
 どのような制度をどのような形で導入するかは難しいですが、取調べ可視化を導入する時、偏面的証拠能力の制限(被告人に不利な利用を認めない一部証拠禁止)も検討した方がよいかも知れません。
 また、弁護士立会取調べとするときは、取調べ可視化DVDの併用は禁止した方がいいという弁護士先生もいらっしゃいました。間違ったリーガルアドバイス(例えば、某弁理士資格を持つ弁護士先生がブログで再三再四指摘されているように、児童買春で示談の要はないとすう地方の弁護士先生に従って実刑となって相談されても……)をしたとき弁護過誤の動かぬ証拠になるので、それだけは避けたいからだそうです。
 とすれば、弁護士立会取調べでは、録音録画DVDは弁護人が反対したら中止するという制度設計の検討もありかと愚考します。

 ここでも、どんな制度も諸刃の剣ということが指摘されてますね。

 その自称検事はたぶん本物の検事です。

犯人が処罰を逃れる事態を許さないあまりに、現実に冤罪が起きているという問題が軽視しているように読み取れる
かどうかですが、

軽視しているというよりも、重視しすぎることを警戒しているというスタンスの方が多いように思います。そのようなスタンスを取るのも、パブ弁!さんの強硬すぎる意見による反作用という面が大きいのではないでしょうか。

逆に
「弁護士はレベルが低くて嘘をつくから信用できない。だから被告人の権利を強化すべきではない」
等とのたまう警察の方でも降臨すれば、意見の一時的な多寡はあっという間に逆転することでしょう。

>わが国の取調べ制度を、現在の野蛮な状態から文明国のレベルに向けて少しでも引上げ
>司法の後進性、捜査機関の野蛮性
>「ヒトジチシホウ」を国際語とすることである。

 研究対象としたので、具体例や根拠理由を教示していただければ助かります。次と比較して。

 日本の被疑者勾留期間は最長20日間(内乱罪を除く)ですが、ドイツは1カ月単位で延長は重罪なら無期限ですし、フランスの予審勾留(起訴前勾留)は、重罪だと6か月~2年はザラです。日本の感覚なら不当な長期勾留でしょう。
 ドイツと韓国では、起訴状一本主義ではなく、起訴状送付と同時に捜査書類全部が一件記録として裁判所に送付され、裁判官も(参審員も)すべての捜査記録を熟読してから初公判に臨みます。日本の感覚なら予断排除法則違反でしょう。
 米国のラフジャスティスは有名で、「①奧さんと始終口論していた、②被疑者には愛人がいた、③奧さんが何者かに殺された、④犯行現場には夫である被疑者の血染めの手袋が遺留されていた、⑤死亡推定時刻ころ(プラマイ1時間前後)被疑者が自宅から出てくるのを近隣住民が目撃した、⑥被疑者は弁護人のアドバイスに基づき「供述を拒否する(レヒューズ・トゥ・アンサー)」しか供述しなかった、という証拠程度で、大陪審(起訴陪審)は検察官の請求に基づき、被疑者を妻殺しの殺人罪で起訴した。」という程度です。日本の感覚なら、杜撰な捜査と粗雑な証拠構造でしょう。
 米国の無罪率は、州によって異なりますが、ザックリ見て10~20%が多いです。日本の0.03%から見たら、あまりの冤罪率の高さに人権侵害と騒がれるでしょう。

 よろしかったら、この比較法に反論して日本の後進性と野蛮性と「ヒトジチシホウ」を立証してみてください。
 「法の理念は事実をして語らしめよ。」(米国ホームズ判事)

パブリシティ(宣伝)・・・・いやいや。

「理想論(べき論)」というのは「カクカクシカジカの理由からそのような状態であることが望ましい」という具合に順序だてて語らないと「論」ではなく「夢想・妄想」の類と大差なくなる場合があります。
もしくは詐話的、欺瞞的になると申し上げてもよろしい。本当の狙いを隠し甘言を弄するような具合に。

極端例を示しますと「偉大なる指導者様に領導されることこそ人民すべてにとって望ましい」という【理想論】もあるわけで。
つまりは、その『理想』の正当性もまた検証されるべきものなんですな。『人権』を持ち出せば他のあらゆるファクターはひれ伏すとか思ってるとしたら、そりゃ大きな勘違いですよ。世間知らずにもほどがある。

>その自称検事はたぶん本物の検事です。

 もちろん2chですからログ解析で「裏付け証拠」はできないですがw、他の投稿で3年くらい過去ログ見ても、フランス刑事法の権威島岡まな教授、FBIの特別捜査官(弁護士有資格者)のメル友、ご存じの落合元検事弁護士先生がそれぞれ公表している見解と矛盾を感じないです。

ひょっとして,ソースは,FBIやDOJのほか,ハーバードロースクール,イェールロースクール,ソルボンヌ大学法学部,ゲッティンゲン大学法学部の各教授先生の論文ですか?

 かも知れませんが、そうでないかも知れません(爆。これくらいは昔から現代比較法の初歩で、まだ修士課程の大学院生でも、図書館で勉強している人はご存じです。それに30年前に一度、朝日新聞が代用監獄の特集連載で各国制度を紹介していた記憶です。そこで私も初めて「ミランダカード」の現物を新聞社しで見たのを覚えています。

 パブ弁!さんが述べている理想論は冤罪被害防止の観点からの理想論ですね。
 パブ弁!さんの現実論における現実の評価もパブ弁!さんの理想論に基づく評価ですね。

 しかし、刑事司法には真犯人の処罰という別の理想もあります。
 理想が違えば現実の評価も違ってきます。

 そして制度設計論としては、いずれも大事な理想をどのように高度に調和させることができるかを考える必要があると思います。
 自分の理想以外の理想とその理想を実現しようとする努力を無視したり軽視したり侮蔑するような姿勢では建設的な議論はできないと思います。

しかし、刑事司法には真犯人の処罰という別の理想もあります。

一般論としてはその通りですが、刑事訴訟法の基本理念は、「実体的真実発見の妨げにならない程度に人権を保障する」ではなく、「人権保障を前提にした上で、実体的真実も明らかにしようとする」という点にありますので、「真犯人の処罰」は人権保障に劣後する、副次的要請という位置づけになります。

そして、取調べから弁護人の立会いを排除しようとする捜査機関の主張は、「真犯人の処罰」ではなく、「自分たちが捕まえた者の処罰」を目的にしているに過ぎません。

再言しますが、弁護活動、弁護人の取調べへの立会いというのは、真実発見と決して矛盾しないわけです。弁護活動によって虚偽自白が防止され、冤罪が回避されれば、被疑者以外の真犯人に対する捜査が行われることになりますから。冤罪の歴史は、無辜の市民による虚偽自白の歴史であり、それは、真犯人を取り逃がす歴史でもありました。

また、弁護活動全般について言えば、捜査や公判遂行が弁護人による批判的検討に晒され、監視されることによって、より精度の高い適正なものに鍛え上げられるという面もあります。

このような意義を忘れて弁護人を闇雲に敵視し、弁護活動が奏功すれば真実発見が阻害されるかのような短絡的発想に陥るのはいかがなものかと思います。

 

自分の理想以外の理想とその理想を実現しようとする努力を無視したり軽視したり侮蔑するような姿勢では建設的な議論はできないと思います。

仰るとおりですね。法務当局は、熱心な刑事弁護活動を殊更に敵視し、人権保障を実現しようとする努力を貶め、阻害することに暗い執念を燃やしてきました。安田弁護士、山本弁護士は不当に逮捕されました。過去には、弁護人抜き法案という論外、荒唐無稽な策動もありました。彼らがより高いステージに到達し、人権保障という刑事訴訟法の要請を尊重する姿勢を見せる日は来るのでしょうか?

素人の疑問なんですが・・・。
アメリカでは取調べの可視化や弁護士立会いが制度化されてるんですよね? なのに、冤罪件数はすごく多くて、刑事裁判の無罪率も日本よりはるかに高いと聞いています。
これって、冤罪防止と弁護士立会いが必ずしもリンクしていないということにはならないんですか?

法律についてはまったくのしろうとなのですが、ここの議論には一通り目を通しています。
ところで、「弁護人を闇雲に敵視し、弁護活動が奏功すれば真実発見が阻害されるかのような短絡的発想に陥るのはいかがなものかと思います。」とモトケンさんあてにお書きになられていますが、どこにこのように取れるコメントがあったのか教えていただけないでしょうか?

過去には、弁護人抜き法案という論外、荒唐無稽な策動もありました。
そういう法案が出てきた経緯や背景には触れないのですか?もともと荒れる法廷とか闘争法廷とかがあって、弁護士が被告人と結託して欠席戦術や辞任・解任・選任繰り返して引き延ばしを画策したからだと聞いています。
彼らがより高いステージに到達し、人権保障という刑事訴訟法の要請を尊重する姿勢を見せる日は来るのでしょうか?
(荒唐無稽な策動を考えなくてもよいように)、彼らが普通のステージに到達し、正常な裁判を行うという憲法・刑事訴訟法以前の要請を尊重する姿勢を見せる日は来るのでしょうか?("彼ら”とは誰かわかりますよね?)

 弁護人の出廷拒否辞職戦術への自浄作用強化により,弁護人抜き裁判特例法案が廃案された経緯があるわけですね。

法政大学大原社研 1978~1979年弁護人ぬき法案反対運動〔日本労働年鑑 第50集 388〕http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/50/rn1980-388.html
日弁連-78-05-27第29回定期総会・弁護士自治の維持に関する宣言
http://w3.nichibenren.or.jp/ja/opinion/ga_res/1978_4.html

 論評抜きで情報提供します。

第84回 - 衆議院 - 法務委員会 - 3号 昭和53年02月15日
>○山崎(武)委員(前略)
>被告人と弁護人か意思を通じた上での訴訟遅延目的の弁護人の辞任、解任、正当な理由のない弁護人の不出頭、退廷の場合に、弁護人なしで裁判できるとするものであります。しかも、被告人はいつでも新たに弁護人を選任したり、弁護人が欠席、退廷戦術をやめて法廷に帰ることにより、弁護人のある裁判に復帰することができるのであります。このように、被告人にとってその弁護人を選任する権利、あるいはまた裁判で弁護人の立ち会いを受ける機会はいつでも与えられており、これが妨げられることはありません。弁護人抜き裁判というのは、被告人の意思に反して法廷から弁護人を引き抜いて裁判をするという印象を与える点で誤った表現であると思います。特例法案は、被告人と弁護人が意思を同じくして、弁護人が訴訟のルールを無視して勝手に法廷から抜け出た場合に、被告人、弁護人の身勝手で不法な実力行使のあったために裁判がストップしてしまう状況を放置することは許されないから、その間でも裁判を進めることができるようにするものであります。

http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=5912&SAVED_RID=2&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=5&DOC_ID=1229&DPAGE=2&DTOTAL=33&DPOS=33&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=6203

 同様に提供です。

「刑事弁護ガイドライン」を創ろう --- 下村忠利
2000年8月25日 おもしろきこともなき世をおもしろく・・・-- 高杉晋作
>(長文なので引用による文意を損ねてはいけないので省略)
http://www.mirandanokai.net/body/essay/20000825.html

>「真犯人の処罰」は人権保障に劣後する、副次的要請という位置づけになります。

 いや、あなたがどう考えようと自由ですけど、刑事訴訟は、検察官が国家刑罰権の発動を求めて起訴することによって起動します。
 それを「副次的」と言うのですか?
 あなたの主張では、「人権保障の限度内において真犯人を処罰する。」ということになると思いますが、それってどういう意味ですか?
 刑事裁判の主たる目的は被告人の人権保障にある、ということですか?
 それって、論理矛盾にならないですか。
 
 ただし念のために付言しておきますが、私は被疑者被告人の人権保障を軽視してもいいとは毛ほども言ってませんからね。


>そして、取調べから弁護人の立会いを排除しようとする捜査機関の主張は、「真犯人の処罰」ではなく、「自分たちが捕まえた者の処罰」を目的にしているに過ぎません。

 なるほど。
 恐ろしく人をバカにした主張ですね。
 あなたはそういうことを小中学生に教えているわけですね。
 自分の言っていることの弊害に気づかないんですかね。
 あなたの主張によれば、警察組織というのは社会に存在すべきでない悪の組織という感じですね。
 社会秩序の維持というのは、とても大きな社会的要請ですよ。
 一度、あなたも犯罪の被害にあってみたらいかがですか。

 
>再言しますが、弁護活動、弁護人の取調べへの立会いというのは、真実発見と決して矛盾しないわけです。

 警察官・検察官の取調べは、真実発見と決して矛盾しないわけです、とも言えますね。

 ところで、弁護人が取調べに立ち会って被疑者の供述をコントロールすることにより、現在よりさらに真犯人が処罰される確率と無実の者が処罰されない確率が上がるとお考えなのですか?
 あなたは弁護人の真実義務についてどういう考え方をしているんですか?


>冤罪の歴史は、無辜の市民による虚偽自白の歴史であり、それは、真犯人を取り逃がす歴史でもありました。

 それはそうでしょうね。
 同時に、有罪率99パーセント以上を維持する検察の起訴便宜主義の歴史は、真犯人を取り逃がす歴史でもありましたよ。


>また、弁護活動全般について言えば、捜査や公判遂行が弁護人による批判的検討に晒され、監視されることによって、より精度の高い適正なものに鍛え上げられるという面もあります。

 まったく異議ありません。


>このような意義を忘れて弁護人を闇雲に敵視し、弁護活動が奏功すれば真実発見が阻害されるかのような短絡的発想に陥るのはいかがなものかと思います。

 はっきり言いますが、相手を敵視しているのはあなたです。
 私が検事をしていた当時は、弁護人を敵視したことはありません。
 捜査段階で私が担当する被疑者に弁護人がついてくれることは歓迎しておりました。
 接見はいつでもOKでした。
 特に、取調べ直前の接見は大歓迎でした。
 なぜなら、公判で自白の任意性を争われる可能性が大幅に減少するからです。
 接見によって否認に転じて、その結果起訴できなかったとしても、それは捜査の力不足ですから仕方がないと割り切ってましたよ。
 弁護人が、被疑者と接見して防御を尽くすというのは当然のことと思ってましたからね。


>法務当局は、熱心な刑事弁護活動を殊更に敵視し、人権保障を実現しようとする努力を貶め、阻害することに暗い執念を燃やしてきました。

 私は、法務当局が、弁護活動一般に対して「野蛮だ」と言うような言い方をしたのを聞いたことがありません。


>安田弁護士、山本弁護士は不当に逮捕されました。

 どちらの事件も今のところ有罪ですね。
 個人的には安田弁護士の事件については、起訴には批判的ですけどね。


>過去には、弁護人抜き法案という論外、荒唐無稽な策動もありました。

 弁護人抜き法案などというものが出てきた原因は弁護士のほうにもあったということはご存知でしょう。
 日弁連もこう言ってます

その中で、日弁連は、問題とされた一部の刑事裁判における異常な事態の解消について裁判所・法務省側にも善処を求めるとともに、弁護士会においても、弁護人の側の誤りによる弁護人不在の法廷を今後現出させないという決意を新たにし、そのための具体的方策を自主的に明らかにした。(ポイントを強調しました。モトケン)


>彼らがより高いステージに到達し、人権保障という刑事訴訟法の要請を尊重する姿勢を見せる日は来るのでしょうか?

 あなたは、私に対してどれだけ侮辱的なことを言っているか自覚してますよね?
 私は、約13年間にわたってあなたのいう「彼ら」の一員だったのですよ。

 パブ弁!さん

 弁護士を名乗るあなたがそこまで捜査機関に身を置くものの人格を攻撃するのであれば、責任ある発言を求めます。
 今後発言するのであれば、実名、所属弁護士会の開示をしてください。

 あなたが、捜査機関に身を置く者も人間としての良心やプライドを持っているという前提で発言するのであれば、上記の要求は撤回します。

 すでに指摘していますが、ここのブログ主はヤメ検弁護士であり、投稿者の中には、あなたと別の考えを持つ弁護士、現職警察官、たまには現職検事もいます。
 発言はしないけど読者として訪問されている刑事裁判官もおられると思います。
 あなたのコメントの表現は、それらの人に対する容認し難い侮辱を含んでいます。

 あなたが、体制や組織というものはその構成員たる個人の判断と行動の集積であることを理解せず、プロパガンダ的な口汚い体制や組織批判を繰り返すのならば、あなた個人の責任において発言することを求めます。

 私は、私のブログで覆面をしながらアジ演説をすることを認めません。
 アジ演説をするなとまでは言いませんが、するなら覆面ははずしてもらいます。

 なお、言うまでもないことと思いますが、実名開示要求の対象は、パブ弁!さんだけです。

「高いステージ」とやらに到達できていない捜査機関の中の人ですが、ちょっとだけ時間ができたのでコメントします。

刑事訴訟法の基本理念は、「実体的真実発見の妨げにならない程度に人権を保障する」ではなく、「人権保障を前提にした上で、実体的真実も明らかにしようとする」という点にありますので、「真犯人の処罰」は人権保障に劣後する、副次的要請という位置づけになります。
刑事訴訟法第一条
この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。
この条文からは、上記のような珍説は全く読みとれません。
刑事事件の真相究明のための捜査や真犯人の処罰は、犯罪という他者への人権侵害に際して、その利害調整を図る「公共の福祉」に資するものであり、被疑者被告人の人権保障と優劣を付けるようなものではありません。
そして、当然の事ながら、被疑者被告人の人権といえども、公共の福祉による制限を受けるものです。
ただし、その制限は法に定められ且つ必要最小限度のものでなければならないのは言うまでもありませんが。
また、弁護活動全般について言えば、捜査や公判遂行が弁護人による批判的検討に晒され、監視されることによって、より精度の高い適正なものに鍛え上げられるという面もあります。

言いたいことは分かりますし、現に自白頼りの捜査に対する批判から、自白に頼らない立証の実例として、DNA鑑定の積極的運用といった客観的証拠による立証が進められていますが、その「弁護人による批判的検討」なるものがすべて正当なものである根拠は何処にあるのでしょうか?
捜査に対する不適正な干渉や批判は、捜査の萎縮や過剰な反発を生むだけで、適正な刑事司法の構築にはむしろ害悪となり得ます。
ちなみに私は、刑事弁護の必要性は十分に理解していますし、よりよい刑事司法制度の発展にも意義を差し挟むつもりはありません。
現行制度を変える必要が無いとも思っていませんが、制度を変える際には、理想を盲信するのではなく、現実を見据えた制度設計が肝要であると考えています。

>モトケン先生
失礼ながら

一度、あなたも犯罪の被害にあってみたらいかがですか?
は、お気持ちは十分分かりますし、私も同じ事を言いたい感情に駆られますが、それでも些か誤解を招く一言ではないかと思います。
パブ弁!さんのように被疑者被告人の人権しか頭になく、犯罪被害者の存在や公共の安全や秩序の維持など思考の端にものぼらないような人にも、「犯罪に遭わず、幸福に生活する権利」は存在しています。
そして、本人は全く意識していなくとも、その権利を維持するのが我々の任務でありますので、上記のような一言はちょっと看過しがたいものがあります。

 ネット上の「自称公務員」と揶揄されている者から一言。

 我々行政府の(自称)法務担当公務員は、訴え出、苦情、抗議、陳情、請願などの形式にとらわれず、被害者・加害者の認定は容易にしないで全て当事者として公平に扱えと教わります。
 全て国民(地域住民)は等しく個人として尊重され(憲法13条)、平等に取り扱われる権利を有するし(憲法14条)、公務員は全体の奉仕者として中立でなければならない(憲法15条)からです。被疑者とされる人の人権保障の範囲内でしか被害者とされる人の人権が保障されるに過ぎないなんて荒唐無稽でしょう。
 交通警察部門は徹底しています。どんな事故でも、一見極めて加害者・被害者が明白であっても、初動報告書は、第一当事者、第二当事者……第五当事者と中立的に記載するフォーマットを採用されています。
 私も学生時代は、強大な国家権力を攻撃して抑圧された被疑者被告人を守る自分に酔いしれましたが(被害者への逃げ込み:フロイト)、(自称)公務員は私生活でも法的規制が厳しいく(当然です)、職務でも厳しく適正手続きの順守(行政面では憲法31条と13条の重畳適用)や公平中立性(憲法14条と15条)が求められます。
 議員や代議士の横暴や圧力に対処するときは痛感します。体制内で実質的法令順守に努めている方は大勢います。多少の舌禍ですら、ボス(首相?)がマスコミや2chに袋叩きにされるのを見るにつけ(以下略。

>パブ弁!さんのように被疑者被告人の人権しか頭になく、犯罪被害者の存在や公共の安全や秩序の維持など思考の端にものぼらないような人にも、「犯罪に遭わず、幸福に生活する権利」は存在しています。

 ご指摘のとおりですね。
 たしかに不穏当な発言でした。
 犯罪被害者の立場に立って考えたことがありますか、という趣旨でしたが、ストレート過ぎたようです。

 ご指摘を受けた機会についでにと言ってはなんですが、パブ弁!さんは、このような警察官としての感熱紙さんの意識をどう読むのでしょうか?
 犯罪とその被害に日々直面している警察官としての感覚が端的にあらわれたコメントだと思えます。
 警察官も検事も、被害者の生の声を聞いたときに、加害者である犯罪者に対する憤り、つまり処罰したいという気持ちを持つことがあります。
 しかし、それはあくまでも加害者に対してであって、「自分たちが捕まえた者」に対してではありません。
 警察官や検事にとっても、「自分たちが捕まえた者」が本当に犯人であることが処罰を求める前提です。

 制度的な観点からの問題ですが、パブ弁!さんは、現行の捜査制度が、なぜ、警察を第一次的捜査機関と位置づけ検察官に起訴裁量権を与えたのか考えたことがあるのでしょうか?

 自分はステレオタイプではないと言うのであれば、自分の頭で考えた答を聞いてみたいのものです。

刑事事件の真相究明のための捜査や真犯人の処罰は、犯罪という他者への人権侵害に際して、その利害調整を図る「公共の福祉」に資するものであり、被疑者被告人の人権保障と優劣を付けるようなものではありません。
「コッカケンリョクVSか弱き人民(犯罪者)」というステロタイプのテンプレート思考から一歩も出ることの出来ない御仁には、このごく当たり前の認識すら欠如しているのだから嗤えます。 一度大学に戻って(ま、別に戻らんでもいいですが)ルソーあたりから勉強しなおしたら、パブリシティな人も多少は更生できますかねえ?

失礼ながらまたまた感想です。

法務当局は、熱心な刑事弁護活動を殊更に敵視し、人権保障を実現しようとす

る努力を貶め、阻害することに暗い執念を燃やしてきました
⇒「私が法務当局なら、熱心な刑事弁護活動を殊更に敵視し、人権保障を実現しようとする

努力を貶め、阻害することに暗い執念を燃やします」 byパブ弁!

と読み取るべきで、対決や交渉の場ならそう読めなければ無能者です。

私の理解は「このような主張をするのなら、彼(弁護士)の言う正義は信用できない」とな

ります。

結局今の時点では、パブ弁!さんが 絶好の【弄られキャラ】となって居ます。

>そして、取調べから弁護人の立会いを排除しようとする捜査機関の主張は、「真犯人の処罰」ではなく、「自分たちが捕まえた者の処罰」を目的にしているに過ぎません。
 なるほど。  恐ろしく人をバカにした主張ですね。

なぜそう取られるのか理解に苦しみますが。暴行脅迫によって虚偽自白に追い込む手口は、正に「自分たちが捕まえた者の処罰」への固執と評価するしかないように思われます。

捜査機関は、一度身柄を拘束した後は、「自分たちが捕まえた者が真犯人ではないかも知れない」という発想を殆どしないというのが弁護人としての実感であり、このことは多くの弁護士に賛同して頂けるものと思っています。

 

ところで、弁護人が取調べに立ち会って被疑者の供述をコントロールすることにより、現在よりさらに真犯人が処罰される確率と無実の者が処罰されない確率が上がるとお考えなのですか?

供述の「コントロール」というのは、些か品のない印象操作ですね。貴方も、「弁護人は被疑者に妙な入れ知恵をするものだ」論者なのですか? 光市事件のバッシングに見られるような。

私は、不当な取調べにより任意性のない調書を作成されないために、弁護人の立会いが必要かつ有効と述べています。仮に、取調室で弁護人が被疑者の意に反する供述を「コントロール」するようなことがあれば、そのときは強要なり脅迫なりで現行犯人逮捕すればよろしいのではないでしょうか。

弁護人が取り調べに立ち会えば、「無実の者が処罰されない確率」は間違いなく上がりますね。虚偽自白がなされなくなりますし、そもそも、露骨な暴行・脅迫はしなくなるでしょうから。立会いが早く実現していれば、富山強姦冤罪事件もなかったことと思います。


>安田弁護士、山本弁護士は不当に逮捕されました。
 どちらの事件も今のところ有罪ですね。

「日本の裁判所は有罪の判決を下した」ことは確かですね。それをどう見るかは人それぞれです。

「ミャンマーの裁判所がスーチー氏に有罪判決を下した」とか「中国の裁判所が天安門事件の活動家に有罪判決を下した」というニュースを見てどう思うか、人それぞれでしょうね。

 

弁護人抜き法案などというものが出てきた原因は弁護士のほうにもあったということはご存知でしょう。

弁護人が欠席や退廷を選択せざるを得なかった事情として、裁判所の強権的で不公正な訴訟指揮があったわけですよね。光市事件の最高裁の弁論期日強行にも、その残滓が見られました。

どれだけ無茶苦茶な訴訟指揮であっても退廷は良くないという立場に立つのであれば、たしかに、「原因は弁護士にもあった」という論理も成り立つかも知れませんね。

議論に参加しておられる皆さん。
ヒートアップされるお気持ちは十分に理解できます。
でも、嘲笑や当てこすりの類は極力抑えましょう。
たとえ相手の方が揶揄してきたり聞く耳を持たなくても、
自分の方まで同じスタンスで望んでは、単なる
石の投げ合いにしかなりません。

こういう時こそあえて冷静にお願いします。
でないと、誰かにネタを提供するばかりですよ。

・「捜査機関が、取調べで暴行・脅迫に及ぶことがある」

・「弁護人が、接見時に虚偽供述をすすめることがある」


 前者は「プロパガンダ」で「口汚い批判」で「容認し難い侮辱」で「アジ演説」であるから実名開示を求めるが、後者はそのいずれにも当たらないから匿名でよし、ということですか?

 ともあれ、誰しも人間としての良心やプライドを持っているであろうことは当然の前提であり、厳しい批判と言うのは、そこに訴えかける言葉でもあるわけです。「そんなことをしていて恥ずかしくないのか?」という問い掛けです。

 私は実名や所属弁護士会をここで開示するつもりはありませんので、「匿名の書き込みとしては容認し難い」と貴方が判断されるものがあるならば、これまでの書き込みでも、今後の書き込みでも、貴方の権限において削除して下さい。

でも裁判所の言うことに従わなかったり、模擬裁判を理由に欠席したら、英米を含む先進諸国なら法廷侮辱罪ものでしょう(詳しくは知りませんが)。外国の法律家なら、ミャンマー裁判と同じくらいぶっ飛ぶと思いますよ。日本だからナアナアになっているのではありませんか。

なるほど,ようやく理解できました。

例えば,パブ弁!さんが弁護士任官して裁判官になった場合は,審査などしないで令状を発付するし,検察官や警察官になればになれば被疑者に自白を強要する取調べをするということですね。

>なぜそう取られるのか理解に苦しみますが。

 あなたの主張が、一般論的に捜査機関の人間は倫理観の欠片もない人間だ主張しているように読めるので、「恐ろしく人をバカにした主張」だと言ったのですよ。


>捜査機関は、一度身柄を拘束した後は、「自分たちが捕まえた者が真犯人ではないかも知れない」という発想を殆どしないというのが弁護人としての実感であり、このことは多くの弁護士に賛同して頂けるものと思っています。

 この「捜査機関」というのは警察ですか検察ですか?
 警察については、警察官の方に譲ります。
 検察については、少なくとも重大犯罪については起訴の段階で相当厳しいチェックをかけているというのが多くの法曹の実感だと思います。
 ただし、私個人の感想として、痴漢事案を代表として被害者の供述を信用しすぎる傾向は感じています。
 また一旦起訴してしまうと公訴維持に執着する傾向も感じています。
 しかし、それらと「『自分たちが捕まえた者が真犯人ではないかも知れない』という発想を殆どしない」というのとは違うと思います。
 検察官が、事件関係者の供述を疑わなくなったら終わりです。
 それが、被疑者であれば被害者であれ参考人であれです。
 少なくとも、私がいた時代の検察では私を含めて多くの検事はそう思ってました。
 あなたがどう思おうと。


>供述の「コントロール」というのは、些か品のない印象操作ですね。

 これでも穏当な表現をしたつもりです。
 取調官が無実の者に虚偽自白をさせるのは供述のコントロールでしょう。

>仮に、取調室で弁護人が被疑者の意に反する供述を「コントロール」するようなことがあれば、そのときは強要なり脅迫なりで現行犯人逮捕すればよろしいのではないでしょうか。

 ほう、そうしますと、弁護人が自白しようとした被疑者を制止して黙秘するように指示した場合には、その弁護士を強要なり脅迫なりで現行犯人逮捕してもいいのですか?
 そんなことができると考えている警察官や検察官は一人もいないと思います。

 しかし、弁護人が自白を制止することによって、自白する被疑者は確実に減ります。虚偽自白も真実の自白も含めてです。
 その結果、起訴できない事件が増加します。冤罪被害者についても真犯人についてもです。

 パブ弁!さんは、無実の者に虚偽自白をさせる捜査官がいることを強調されていますが(私も割合はともかくそのような捜査官の存在を否定しませんが)、真犯人に対して罪を認めさせない(その結果として真犯人の処罰を免れさせる)弁護人が存在することを認めますか認めませんか?
 この質問に対しては明確に回答してください。


>弁護人が欠席や退廷を選択せざるを得なかった事情として、裁判所の強権的で不公正な訴訟指揮があったわけですよね。

 あなたは、日弁連が「弁護人の側の誤りによる弁護人不在の法廷を今後現出させないという決意を新たにし、」と明言している事実をどう考えるのですか?

・「捜査機関が、取調べで暴行・脅迫に及ぶことがある」

・「弁護人が、接見時に虚偽供述をすすめることがある」


 前者は「プロパガンダ」で「口汚い批判」で「容認し難い侮辱」で「アジ演説」であるから実名開示を求めるが、後者はそのいずれにも当たらないから匿名でよし、ということですか?

 あなたは、安田弁護士や山本弁護士の逮捕・起訴については、当然のごとく不当逮捕・不当起訴と言いながら、不当ないし違法な取調については、それを一般化して捜査機関を口汚く罵っています。

 私は、あなたの主張の内容ではなく、そのあまりにも偏った発言姿勢を問題にしているのです。
 要するに、議論にならないということです。

 もしここで議論を続けたいのであれば、もっと現実に即した発言をしてください。

>「匿名の書き込みとしては容認し難い」と貴方が判断されるものがあるならば、

 誤解してますね。
 「匿名の書き込みとしては容認し難い」から実名を明らかにしろと言ったのではありません。
 あなたの発言姿勢に鑑みて、弁護士としての責任を明らかにしてもらう必要がある、と思ったから実名開示を求めたのです。

 「真犯人を適正に処罰すべし」という理想は、つまるところ、その事件の被害者および将来的に発生するかも知れない被害者の人権保障の問題なんですけど、パブ弁!さんの発想の中には、そういう観点が完全に欠落しているように思われます。
 つまり、人権保障対人権保障の緊張関係が存在するということなんですけど、パブ弁!さんは刑事政策というものを考えたことがないのでしょうか?

 パブ弁!さんのような発言をする弁護士がいるから、光市事件において安田弁護士バッシングが起こったと考えることもできます。

 パブ弁!さんは過去ログなんか読んでないと思いますので余談として言っておきますが、私は、光市事件における安田弁護士を含む弁護団の弁護方針には批判的でしたが、弁護団バッシングについてはバッシングの不当性を強く主張していました。
 橋下弁護士の懲戒請求扇動についても、弁護士ブロガーとしては最も強く橋下弁護士を批判した者の一人だったと思います。

「取調べの可視化」は日弁連の主張であり、説得力のある議論ですから、それを主張する方には、一般の方にその説得力が伝わるような形で議論して頂きたいと思います。

ここの議論だけ見ると、可視化が不必要であるかのような誤解を生じてしまいそうです・・・


なお、愛媛県警察の研修で使用されていた「被疑者取調べ要領」(ウィニーで流出)によれば、

「調べ室に入ったら自供させるまで出るな」
「被疑者の言うことが正しいのではないかという疑問を持ったり、取り調べが行き詰まると逃げたくなるが、その時に取調室から出たら負けである」
「否認被疑者は朝から晩まで調べ室に出して調べよ。(被疑者を弱らせる意味もある)」

ということが指導されてます。
つまり、被疑者が真犯人であるのかどうかに内心疑問を持ったときでも、それをおくびにも出さず、絶対に自供させるという気迫を持って取調べに当たられているのだろうと思われます。

被疑者取調べ要領(下記コメント等から実物と思われます)
http://y-nakamoto.cocolog-nifty.com/docs/miketsu/ehime-manual.html

愛媛県警察のコメント(8頁参照)
http://www.police.pref.ehime.jp/soumushitsu/ryusyutu_chousa.pdf

捜査機関の方々が上記のような態度で取り調べに従事されることは、その職責上理解できなくもないですが、これに対して裁判所なり弁護人なりのチェックが必要であることも自明のことだろうと思います。

2日連続で投稿が失敗しているようですが、途中のリンクを外して再投稿します。(なんだか、周回遅れの展開という気がしないでもありませんが)

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No.49 の

> 私は、そんなことは言ってませんよ。

は、どちらの意味なのでしょう。「問題ないでしょうか」と尋ねて「そんなことは言っていません」と答えられたら、「問題がないとは言っていません」と受け取るのが“文字通りの解釈”だと思うのですが?

> 「疑うことを許さず」というのは、何を疑うことを許さないという意味でしょうか?

冤罪や冤罪が疑われる例が wikipedia にリストされていますが、たとえば小倉弁護士が挙げられた「高知白バイ衝突死事故」や「御殿場事件」をみると、いずれも被疑者が、いったんは無罪の主張を諦めているように見られます。いずれも判決文を読んではいませんが、これらの事例だけをみると、なぜ真偽が問題にされないのか不思議です。「それボク」でも、“作文”を残したまま署名してしまったのに、それを疑うことが許されていません。「価値を争う」ことができるのは、“決定的な反証”がある場合に限られるのではないですか? 供述調書こそが証拠となる場合、それを疑うことがありえるのでしょうか。

> 冤罪の発生率が下がることはいいことです。
> しかし、その反面として真犯人が罰せられない事態も増えると指摘しているのです。

これは、ハスカップさんの質問の答えになると思います。(たとえ結果論だとしても)不当な取調べは冤罪の原因となっているのであれば、ここで「疑わしい供述調書を排除しようとすることで、犯人を罪に問えなくなるケースが増える」と私が理解していることに問題はないですよね? それはもちろん、

> こうすればどうなるか

というモトケンさんのご意見に同意しているわけではありません。先に書いたとおり、冤罪は真犯人が罰せられない事態を招くのですから。

> 真犯人ではないものを罰しないようにするための原則

であれば、不当な取調べによって、真犯人ではないものを罰してしまう冤罪が起きている現実を踏まえつつも、「真犯人が罰せられない可能性の増大」を盾に、それを防ぐことにためらうのは、この原則に反しているのではないですか?

いずれも判決文を読んではいませんが、これらの事例だけをみると、なぜ真偽が問題にされないのか不思議です。
最低限、そのくらい読んでからコメントしなさい。 学生同士のゼミでもあなたのような態度は論外ですよ。 周回遅れ以前でまったくお話になりません。

 ちなみに判例を読むなら、上級審まで読み、地裁判決例をクリームスキミングするのはやめましょう。
=================================================
大阪高裁 平成16年8月5日
破棄差し戻し
 記録を調査し,当審における事実取調べの結果も併せて検討するに,b刑事から上記のような脅迫を受けた旨の被告人の原審供述は到底信用することができず,また,他に本件各調書の任意性に疑いを差し挟むべき事情も存しないから,原審裁判所が,上記のような脅迫の存在を理由に,本件各調書の証拠調請求を却下したのは是認できず,原審裁判所のこの措置には,刑訴法322条1項の適用を誤った訴訟手続の法令違反があるといわざるを得ない。
第一審 京都地決平15・2・28(関連決定 京都地決平13・11・8;某弁護士が自ブログで引用したもの)

>これは、ハスカップさんの質問の答えになると思います。(たとえ結果論だとしても)不当な取調べは冤罪の原因となっているのであれば、ここで「疑わしい供述調書を排除しようとすることで、犯人を罪に問えなくなるケースが増える」と私が理解していることに問題はないですよね?

 あなたが「不当な取調べ」と「疑わしい供述調書」をどうイメージしているかによって結論は大きく変わってきます。TVドラマのデフォルメされているのをイメージしてるのか、ミランダ判決の事案か、吉田岩窟王再審無罪判決の理由か、でれで大きく結論が左右されます。答えるならもう少し真面目に特定してくないと困りますので問題多すぎです。

>ここの議論だけ見ると、可視化が不必要であるかのような誤解を生じてしまいそうです・・・

 私も同様の心配をしています。
 私とここの常連のほとんどは、温度差はあるかも知れませんが取調べの全面可視化の必要性を認めています。

 取調べの可視化の問題は、時には相矛盾する異なる理想の調和的な実現を目指す制度論です。
 そしていかなる制度も異なる理想を全て完全に満たすことができません。
 つまり、既存の制度も将来採用される制度も、全ての制度には社会全体から見ればメリットとデメリットが存在します。

 しかし、パブ弁!氏は、パブ弁!氏自身の理想だけに基づいて、冤罪の原因となった取調べ状況だけを前提として(つまり、事件の真相が見いだされた多くの取調べの実在に全て目をつぶり)他方の理想の担い手を敵視して攻撃しています。

 そうなると、制度論的観点からは、取調べ可視化論一般ではなく、「パブ弁!氏の取調べ可視化論」を批判せざるを得なくなります。

 その結果、専門的観点からの問題点の分析が困難な多くの素人の皆さんにとっては、「ここの議論だけ見ると、可視化が不必要であるかのような誤解を生じてしまいそう」な事態が生じていると思われます。
 つまり、このブログの常連が取調べの全面可視化を主張しているパブ弁!氏を批判しているので、このブログの常連は全面可視化を批判している、というような誤った印象が生じかねないという恐れがあります。
 重ねて言いますが、私や常連が批判しているのは、パブ弁!氏の主張であって、全面可視化の必要性ではありません。

 私が、パブ弁!氏の議論のあり方を批判するのは、まさにKTさんと同じ心配を共有しているからです。
 取調べに対する弁護人立会権の議論も同様です。
 立会権は、実務に及ぼす影響が可視化論と比べものにならない大きいですから、可視化論以上に批判せざるを得ません。

 はっきり言えば、パブ弁!氏は、取調べの適正化の議論を歪めています。

虎の威を借る狐のようで恐縮ですが、モトケン先生からパブ弁さんに対する

私は、あなたの主張の内容ではなく、そのあまりにも偏った発言姿勢を問題にしているのです。
「真犯人を適正に処罰すべし」という理想は、つまるところ、その事件の被害者および将来的に発生するかも知れない被害者の人権保障の問題なんですけど、パブ弁!さんの発想の中には、そういう観点が完全に欠落しているように思われます。

等の発言を拝見し、弁護士さんの中にはこのような指摘を受ける方もおられることを心に留めて、裁判員裁判に臨むのがよいと感じました。

 刑事訴訟法1条の背後にある「公平な裁判所による裁判(憲法37条)」の趣旨とは、裁判所(裁判員を含む)が、生の感情から遮断されて、法の客観的意味内容を探るものである、という解釈がなされています。
 いたずらに週刊誌的な当罰的感情にも流されず、一方的な人権保障熱情にも流されずに、法の客観的意味内容を探り(これは職業裁判官の専権事項でしょう)、法(適正手続き)によって認定される「犯罪事実」も「情状事実」も客観的立場で冷静な合理的理性的な判断でなされること(裁判員を含む)が期待されていると思います。
 被害者や遺族がかわいそうで同情に値するからといっても、それが事実認定に影響されて、証拠不十分なのに被害者や遺族のために有罪とするのは避けていただきたいと思います。
 また、警察不信・検察嫌悪(逆に警察検察盲信)があるからといっても、それが証拠の価値判断や事実認定に影響されるのも避けていただきたいと思います。検事調書は検事の意見・作文に過ぎないから私は価値を認めないとか、警察検事の作成した調書だから信用性十分とか、いずれも正しい判断ではないと思います。

素人さんへ

弁護士さんの中にはこのような指摘を受ける方もおられることを心に留めて、裁判員裁判に臨むのがよいと感じました。

予断は、禁物ですよ。と、同じく素人の僕が言ってみる。

つまり、被疑者が真犯人であるのかどうかに内心疑問を持ったときでも、それをおくびにも出さず、絶対に自供させるという気迫を持って取調べに当たられているのだろうと思われます。


これが本物なのかどうか分かりませんが、もし本当に使っていた物だとすると、刑事課等の捜査部門の新人君向けでしょう。
おそらく、若手に対する「気合い入れ」だと思います。

新人君は、ベテラン被疑者からバカにされますからね。
若手のお子様刑事に、甘いことを言ってたら、被疑者に丸め込まれちゃいます。


捜査主任官が、疑問を持てば裏を取りますよ。
こいつが絶対に犯人だと決めつけたりしません。
捜査機関は組織ですから、絶えず色々な方向から考えています。

 私の

 「真犯人を適正に処罰すべし」という理想は、つまるところ、その事件の被害者および将来的に発生するかも知れない被害者の人権保障の問題なんですけど、パブ弁!さんの発想の中には、そういう観点が完全に欠落しているように思われます。  つまり、人権保障対人権保障の緊張関係が存在するということなんですけど、パブ弁!さんは刑事政策というものを考えたことがないのでしょうか?

というコメントは、全くの素人の方には説明不足だったかも知れませんが、刑法の教科書ならどの教科書にも載っている刑法の法益保護機能、その中でも特に一般予防機能(つまり、悪いことをしたら処罰されるぞ、ということを国民全般に周知させることによって、犯罪を予防しようという威嚇効果。ひらったく言えば脅し)を指摘したものであり法学部の学生程度の知識があれば当然分かると思っていました。
 小倉弁護士には、「将来的に発生するかも知れない被害者」という言葉が理解できなかったようです。
 被害者が発生すると言うことは、命や財産を奪われる人が生じるということです。命や財産は「被害者の人権」です。

 そして一般予防のための威嚇効果を十分発揮させるためには、理想的には真犯人が必ず検挙され処罰されるという事実が必要だという、刑事司法に携わるものにとって常識的と言えることを述べたものです。
 逆に言いますと、言い逃れなどによって罪を免れる真犯人が増えてくれば、犯罪防止のための威嚇力が失われるということです。

 ただし、現実的には、真犯人を起訴しようとして無理な取調べ行うと冤罪が生じる危険性が増大するというこれも実務家なら当然の理解のもとに「緊張関係」(対立ではない)が存在するという当たり前のことを述べたつもりなのですが、小倉弁護士には理解されなかったようです。

 小倉弁護士は、

被疑者・被告人の手続的権利を十分に保障することなく引き出された「自白調書」に頼らなければ有罪判決を下せないような案件は,もともと冤罪である蓋然性が高い

と言っていますが、法律家的にはとても違和感のある文章です。

 小倉弁護士は、単なる「自白調書」ではなく、「被疑者・被告人の手続的権利を十分に保障することなく引き出された『自白調書』」と言っています。
 どうしてそういう限定をつけて論じるのか疑問ですがそれはともかく。
 法律家は、自白調書については証拠能力と信用性を問題にします。
 証拠能力とは証拠として使えるかどうかの問題で、具体的には、任意性に疑いがある場合とそれより広く自白調書の成立経緯について手続的な違法がある場合が考えられます。
 「手続的権利を十分に保障することなく引き出された」というのは、そういう意識のもとに書かれた文章なのか不明瞭ですが、証拠能力に問題がある場合という意味であるならば、そんな「自白調書」はそもそも頼ることができません。
 小倉弁護士は証拠能力に問題がある「自白調書」に頼って有罪判決を下すことを認めるのでしょうか?

 まさかそんなことはないと思いますので、最大限善解すれば、警察や検察官は「「手続的権利を十分に保障することなく」自白調書を作成するが、裁判官はそれを見抜けない、ということが言いたいのかも知れません。
 
 しかし、そうであるとすると、検事は、任意性に疑いのある自白調書に頼って、裁判官がそれを見逃してくれること期待して起訴していることになります。
 小倉弁護士の同期にも検事や刑事裁判官が何人かいると思いますが、その人たちが小倉弁護士のエントリを読んで小倉弁護士をどう評価するかは、ある程度確実に予測できます。
 小倉弁護士は、私に対する批判が私に対する批判にとどまらないところがあることを自覚されているのだろうか?

 「自白調書」には、「任意性や信用性に全く問題がない自白調書」、「任意性には問題がないが信用性に問題がある自白調書」、「任意性に疑いがある自白調書」があります。
 小倉弁護士は、このうち「任意性に疑いがある自白調書」だけを問題にしたいみたいですが、それだけでは制度を的確に評価したり批判したりすることはできません。
 それとも小倉弁護士は、およそ自白調書というものは任意性がないとでも言うのでしょうか。もしそうなら、それは刑事弁護実務からもかけ離れた認識です。

 上記引用部分以降の文章も、一般予防というものを全く念頭に置いていない記述のようですので、論評する前提を欠いていますが、

客観証拠がなくとも,怪しげな人間を捜してしょっぴいてきて,「真犯人であろうとなかろうと自白せざるを得なくなる」方法を用いて被疑者を「自白」させて,被疑者を起訴して,無罪判決嫌いの刑事裁判官に有罪判決を下してもらっていっちょ上がり,という流れ

 という文章は法律家の文章とは思えません。
 まだ、パブ弁!さんの文章のほうが弁護士的です(そうかな、という声も聞こえてきそうですが)。

 たぶん、文章の目的が法律的議論をするというものではないのだろうと思います。
 まあ、弁護士が実名で自分のブログで何を書こうと(法令に反したり懲戒事由にあたらない限り)自由ですし(私も同じ^^;)、特定の誰かに対して粘着攻撃をしてもその相手がスルーしてしまえばいいのですが、裁判員制度が施行された現在、弁護士が実名で刑事裁判実務について誤った認識や偏った考えを繰り返し述べるというのは困ったものだと思っています。
 小倉弁護士は、たぶん自分自身の論理性というものに絶対の自信をお持ちなのだろうと思いますが、論理の前提となる事実や実情を知らないと、結局独りよがりの意見にしかならないと思います。
 小倉弁護士は、「脅迫されて仕方なくした約束を遵守しないことはそんなに非難されることか」において、現在の保釈面談の実情について説明していますが、その小倉弁護士の認識と、小倉弁護士自身がブックマークしている高野隆弁護士のブログエントリで紹介されている保釈面談の状況がかけ離れていることを理解しているのでしょうか?

 小倉弁護士は、

 で,日本の裁判実務では,多くの場合,保釈のために面接に訪れた弁護人に対し,公判では起訴事実を全部認めるのか,供述証拠を全部同意するのかを尋ね,これらを全部約束しないと保釈決定をしないという運用が行われます。

と書いていますが、実際は、裁判官はそんなことを尋ねてきませんし、弁護人のほうから一方的に約束したとしても、裁判官は約束してくれたから保釈を認めましょうなどと言いません。約束したってだめなものはだめとけんもほろろです。

 実情は、高野弁護士が紹介されているように、何を言っても

 裁判官:「……」

というように返事をせず、たまに保釈を認めないことについての不合理な言い訳をするという裁判官が多いのです。

 つまり、約束したら保釈が認められるという小倉弁護士の認識は、保釈における人質司法の現状認識として間違っており、甘すぎるのです。
 なお、保釈面談の問題は、精確に議論しようとすると場合分けをする必要があります。

 こう言うコメントを書くと、また賑やかになるな(知る人ぞ知る)、と思いますが、私のブログはもともと刑事裁判の実情というものを書いてみたいという動機で始めたところがありますので、誤解曲解は正さざるを得ないです。

 たぶん、何も反論しなくてもしても、あんまり変わらないでしょうからね(ヤレヤレ)。

 小倉江弁護士先生は、ご自身で「バカバカしいから刑事弁護は10年くらいやってない」とおっしゃっていますし(ボソッ

予断は、禁物ですよ。
そうですね。実際には、法廷での主張等を自分の良心に照らして判断することになると思います。

なんかおかしいなとは思っていたのです。
「被疑者・被告人の人権保護と被害者の人権保護はトレードオフではない」という見解は、光市差し戻し審に絡む議論でモトケンさんも繰り返し言及されていたので。
追加のコメントを読んで、どうにか理解できました。

 理念的ないし論理的には全然トレードオフじゃないんですけど、真相発見と被疑者の人権保障というものを対置したときに、現実問題として「緊張関係」が生じるわけです。

 光市事件のときは、弁護活動と被害者を対置していますので、今回の議論とは土俵が違ってきます。

 形式論理では対応できない問題状況です。
 全然わかりやすくない言い方をしますと、刑事司法のダイナミズムみたいなものの理解が必要です。

 事実認定にあたっては、虚心坦懐という姿勢で証拠を見ることが大事だと思います。
 証拠に基づかない憶測や思い込みに陥っていないかどうかを常に自問自答する必要があると思います。
 ただし、矛盾する証拠が存在する場合が珍しくないのが悩ましいところです。
 最終的には、常識的判断みたいなところに頼らざるを得ないかも知れません。
 いずれにしても、警察や検察のやることに間違いはない、と考えるのは大間違いであるのと同様に、警察や検察はヤマ勘で仕事をしていると決めつけるのも間違いだと思います。
 ヤマ勘で仕事をして有罪率99%以上はありえません。
 しかし、冤罪が生じていることも否定できない事実です。
 私も、冤罪だと確信できる有罪判決を直接知っています。
 有罪にすることしか考えていない検事も知っています。
 何があっても不思議はありません。

>ヤマ勘で仕事をして有罪率99%以上はありえません。
>しかし、冤罪が生じていることも否定できない事実です。
>私も、冤罪だと確信できる有罪判決を直接知っています。
>有罪にすることしか考えていない検事も知っています。
>何があっても不思議はありません。

 それを牽制するのが反面教師的に言えば0.03%の無罪の存在でしょう。
 無罪を防ぐ努力する(捜査を尽くす、証拠を集めるだけ集める、被害者や遺族に罵倒されても無理な起訴はしない、公判活動に全力で取り組む、違法収集証拠の排除は甘受する)、つまり、手抜きで冤罪は許さない職務精励義務(無罪の脅迫恫喝という面もあるかもしれません)。
 人を殺したら死刑の威嚇と同じように、手抜きや違法な捜査で冤罪起訴したり公判活動したら無罪をくらうという恐怖。
 これは、米国ブランダイス判事の「無罪判決は適正手続きを実質的に担保して威嚇する」からのパクリですが(^^ゞポリポリ

 ちなみに敷田稔・元検事さんが、法情報工学に関する講演で、無罪率と犯罪処罰率の適正均衡という主題の講演で、要旨「0.02%という無罪率(当時)を米国並みに20%(当時)に引き上げれば、嫌疑不十分で逃げ得の犯人が半分以上は処罰されるだろうが、無罪率を1%に引き上げても、それは日本人の法感情が許さないだろう。」とおっしゃっていました。

正直、小倉先生のこの言い訳は見苦しすぎます。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2009/05/post-d139.html

: 引用されている京都地裁の決定は大阪高裁でひっくり返されています。どっちを信用するかは皆さんのご自由ですが、法制度上は上級審の判断が尊重されます。
: まさに、「取調べ状況に関し被告人と警察官との間で「言った,言わない」の水掛け論になったら公務員たる警察官の意見をより信用する裁判官にあたった場合」にどうなるのかという例ですね。
: そういうことを言いたいなら高裁判決も引用すべきでした。


ググったか何かで↓ここを見つけたんでしょう。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www5f.biglobe.ne.jp/~nakagawa1015/0355610hanrei006.htm

高裁でひっくり返っていることなんて、他所で指摘されるまで知らなかっただけ。

はてブで思考過程だだ漏れですよ、小倉先生。

>高裁でひっくり返っていることなんて、他所で指摘されるまで知らなかっただけ。

 刑事法研究者の間では、地裁高裁で逆転となった任意性判例して有名すぎるほど有名なんですけど……。

… 

… 
 青物横町事件コメントの再来(ボソッ

小倉弁護士は、たぶん自分自身の論理性というものに絶対の自信をお持ちなのだろうと思いますが
自信だけ持ってても能力が追いついていな・・・(以下略)

丁寧な返信を頂き有難うございました。裁判員裁判に臨む場合の助言として忘れないようにします。

事実認定に関してはおっしゃるとおりなのですが、こと「裁判員制度」を見据えて考えた場合、当該制度は量刑判断までを我々シロウトに要求するものでありますから、困難の度合いは恐ろしく高まると思われます。

過日こちらのブログにコメントさせていただいたことなのですが、たとえば東京で起きた「女房が旦那の頭をワインボトルで滅多打ちにして殺害し、遺体をバラバラに切断して遺棄した事件」などは、現行制度下では裁判員参加の公判になるはずです。

公判の傍聴記録はMSN産経がかなり詳細に掲載していましたが、事実認定・・・主として犯人性や犯行のプロセス・・・に争いがなかったとしても、例えば動機面、情状面(加害者に有利に斟酌すべき事情や「被害者の落ち度」など)をどのように「評価」するかまで考えに入れると、一部の弁護士が熱心に主張してやまぬ「コッカケンリョクVSか弱き人民」の図式に基づくプロパガンダごときでは到底対処しえぬ難題が突きつけられる形になっていると思えてなりません。

善良で健全な市民感覚に基づく普遍的な<報復感情>で量刑して構わぬと(それこそが制度趣旨であると)仮に時の法務大臣が公言したとしても「DV夫の支配に曝され他に逃げ場がないと感じるまでに追い詰められた」と評価しうる被告人に対し、どの程度の<報復感情>をぶつけていいものやら困惑せずにいられないのではないでしょうか。

・・・ってエントリーの趣旨からは明らかに脱線ですが、どうにも気になってましたもので。

実名強制ですかぁ・・。弁護士の発言としていかがなものかということが理由のようですが、議論の正確性は論理によって、すなわち議論そのものによって担保されるというのがこちらのブログのスタンスのように感じていました。

ので、ちょっと意外ではあります。

「口汚い」や「アジ」というかなり厳しいお言葉から考えるに、論理ではもう話にならんと、ある種の荒らしに近いと判断されたがゆえの、特定人の実名強制措置になったのですかね。ま、そこらあたりは評価の問題でしょうが。

またその一方で、実名を強制するというのは珍しいと言いますか・・荒らしなら書き込めないようにすればよろしいわけで、荒らし認定ともまた違う?といった印象を受けました。

ある場合には実名でないとダメというと、匿名の議論の場で、特定の人だけの口を実質的に封じることができますから重いと言いますか・・まぁ別に擁護するわけでもないのですけれども・・ま、ちょっと意外に感じただけです。

いやぁ、あの手合いは書込み禁止などの不利益処分を受けたら、それこそ調子に乗って「言論封殺」だの「弾圧」だのと殉教者気取りで吹聴し、勘違い全開のトンデモ論理を益々信奉するように(そしてそのトンでも論理の被害者をさらに拡大させるように)なりますから・・・。

ややアレな喩えですが、“ポアされてよかったね”論理を広めようとてる匿名の人物が「自分は宗教家だ、その宗教家の自分が言ってるんだから、“ポアされてよかったね”は真理なんだ」みたいな態度なら、そりゃ「お前、どこの宗派だ」くらい言われても仕方ないんじゃないですかね。

ともあれ、件の広報宣伝(パブリシティ)弁士氏、サッパリ現れなくなりましたな。
仮に再登場することがあるとしたならば、そのときはアジ文にしてももう少し聞き応えのある中身を伴って来て欲しいものです。これまでは最大限褒めても福島瑞穂レベル。定型フレーズを繰り返すだけ。
やはりドイタカさんくらいのステージにまでは達していただかないと。

>実名強制ですかぁ・・。

 強制なんかできませんよ。実質的な意味はせいぜい勧告どまりです。
 アク禁宣告はしてませんし、IPやキーワードによるブロックもしてません。
 勧告に従うか、従わずにハンドルで投稿を続けるか、投稿を自発的に止めるかは、パブ弁!氏の意思に委ねられています。
 なお、勧告の中には、実名を開示するかハンドルのままで表現を穏当なものにするかという二つの選択肢を許容しています。
 そんなに厳しい勧告じゃないと思ってますけどね。

>ま、そこらあたりは評価の問題でしょうが。

 そのとおり、ブログ主の専権としての評価の問題ですね。
 私の評価は概ね支持されていると思っていますが。


>荒らし認定ともまた違う?といった印象を受けました。

 そうですね。違います。荒らし認定なら即アク禁です。

>ま、ちょっと意外に感じただけです。

 要するに、弁護士としての発言だからですよ。
 裁判員制度が施行されて一般人が裁判に参加することが予定されている現在において、公開されている場で弁護士として他の法曹や捜査機関に対する一般的人格攻撃を行って司法制度の基本的な公正さを揺るがす発言するのであれば、それなりの責任があるでしょ、ということです。

「強制」という言葉は似合わないと思います。
「要請」かな?
「匿名」と言いつつ「弁護士」という「資格」「職」を公言してます。
ので、「同職」として「行き過ぎた」あるいは「誤解を導く」発言があったので、「真意」あるいは「同意できる部分」を 適切に導く意味で基本的な情報・立場を整理する(したい)という意思の表明(または要請)と受け止めまちた。。。

理解いたしました。「制度への批判」と「一般的人格攻撃」との境目はなかなか難しいものがあるような気もしてはいるのですが、あまり主張はいたしません(笑)。

レスをありがとうございました。

 補足しておきますと、パブ弁!氏の主張は、「弁護士性善説&役人性悪説」に基づく主張ということになろうかと思います。
 その「役人性悪説」の部分が「一般的人格攻撃」と書いたところです。
 
 お互い人間だ、という前提で議論できればいいんですけど。

ご返答ありがとうございました。
ただ,もう少し自分の投稿姿勢を反省する必要があると思いますのでROMに戻ります。

 近い将来の投稿をお待ちしています。

専門家としての現状分析と、それに対する批判的評価に対して「弁護士として他の法曹や捜査機関に対する一般的人格攻撃を行って司法制度の基本的な公正さを揺るがす」というレッテル貼りをしてしまう辺りが、何とも痛いというか、アカデミックでないというか、公正でないというか。

最新号の週刊朝日には、「職業裁判官の質の低さ」という、実に痛快かつ時宜を得た、専門家による対談記事が掲載されていますが、さて、これは「一般的人格攻撃」により「司法制度の基本的な公正さを揺るがす」ものなのでしょうか?

それを言い出したら、「人質司法」という言葉を用いるのも、「一般的人格攻撃により司法制度の基本的な公正さを揺るがす」ものとして排除されることになりませんか?

自らが「権威と思うもの」を使ってきたようですね。
その記事は実名ですよね、そういう意味では立派なものですし、どういう人が言っていると判るので、読者は割引して、あるいは割り増して評価できるのです。モトケンさんが一定条件のもとに素性を明らかに求めた相手とは違うかと思います。

自分が批判浴びてることから話を逸らすんじゃないよ(怒)。
そんなだから、アナタ方みたいな「主張」はバカにされるんだ。

 あなたとの議論は、あなたが私の

真犯人に対して罪を認めさせない(その結果として真犯人の処罰を免れさせる)弁護人が存在することを認めますか認めませんか?

という質問に答えてからです。
 もちろん、結果論ではなくて、自分の依頼者が真犯人であると思いながら罪を認めさせない弁護人がいるかどうかですよ。

弁護士を名乗る方にこんな基本的なレクチャーをするのは気が引けますが、いちおう。

弁護人は、「依頼者が真犯人であることの認定」をする立場にありません。それは検察官ないし裁判官の仕事です。

なお、接見時に、被疑者や被告人が「自分が真犯人である」と述べたとしても、そのことにより直ちに「真犯人であるとの認定」ができるわけでもありません。

また、「罪を認めさせない」という言葉の意味も分かりません。罪を認めるか否かは依頼者本人が最終的に決めるべき問題であって、弁護人が決定するわけではありません。

したがって、「真犯人に罪を認めさせない弁護士」などというものは、想定すること自体ナンセンスということになります。

誰かの脳内には、そのような虚像が存在するのでしょうけど。

「真犯人を適正に処罰すべし」という理想は、つまるところ、その事件の被害者および将来的に発生するかも知れない被害者の人権保障の問題なんですけど、パブ弁!さんの発想の中には、そういう観点が完全に欠落しているように思われます。

一連の発言から伺える姿勢に、多くの読者が↑の印象を抱いてるわけですよ。
弁護士を名乗る方にこんな基本的なレクチャーをするのは気が引けますが」みたいな幼稚な意趣返し試みる前に、アナタやるべきことがあるでしょ?
「事実」を基に「論理」を組み立てるのが仕事の弁護士を名乗る人物が、そんなことにも気づかないんですか?
そんなんで刑事被告人の弁護が本当に勤まってるんですか??

横レス失礼します。
モトケンさんの質問を、以下のように読み替えることは差し支えないでしょうか?

「被疑者・被告人は否認または黙秘しているが、弁護人はその被疑者・被告人が真犯人である可能性が高いと思っているとする。被疑者・被告人から、自白に転じようと考えていると相談を受けて、自白しないように説得する弁護人は存在するか?」

これだったら、パブ弁さんも回答してくれるのではないかと思うのですが…。

横レス失礼いたしますが、そう質問してもNo.128の回答からすると、パブ弁!さんの脳内には真犯人というのが存在しないので(というかそれを認定するのは裁判官や検察官?なので)弁護する者にとってその可能性が高いも何もないということになり、やはり答えてくれない気がします。
あるいは、「説得はしませんが、黙秘権がある、立証するのは検察官、認定するのは裁判官。黙秘権がある・・・」と繰り返し言い続けて、「私の言っていることが分かりますか? 一緒に戦いましょう!」と言って、被疑者・被告人が「はい」と言えば一緒に戦い、逆に自白したらその自白は真実とは限らないと主張するのではないでしょうか。それが

また、「罪を認めさせない」という言葉の意味も分かりません。罪を認めるか否かは依頼者本人が最終的に決めるべき問題であって、弁護人が決定するわけではありません。
という意味かなと。
実は、この「決定する」というのも勝手な解釈(すりかえ)で、「弁護人として助言するか」という意味で聞いていると思うのです(だれも最終的な決定をするとは言っていないですよね?)

 結局、パブ弁!氏は、警察官、検察官、裁判官の中には、それらの本来の職責や守るべき職業倫理を守らない者が普通にいるが、弁護士にはそのような者がいることを想定することすらできない(=存在しない)と言っているようです。

 捜査機関や裁判官については、不適切な事例を一般化し、弁護士については不適切な事例の存在を認めることすらしない、という誤った認識に基づいて制度論を議論することはできません。

 パブ弁!氏は、弁護士法に懲戒制度が存在する理由や、実際に弁護士の職責を故意に無視する非弁提携などによって懲戒処分を受ける弁護士がいることをどのように考えているのでしょう?

 制度論を議論する場合には、(様々な意味で)、おかしな裁判官、おかしな検察官、おかしな警察官が存在するのと同様に、おかしな弁護士も存在するという当然の事実に基づいて議論する必要があると思います。

 繰り返しになりますが、私は、おかしな裁判官、おかしな検察官、おかしな警察官が存在を否定しているわけではなく、それらによって引き起こされた冤罪事件についてはきちんとした検証と再発防止策が実施されなければいけないと思っていますが、同時に、弁護士の不適切な弁護活動に対する対策も織り込まれなくてはならないと言っているだけです。
 弁護士全般を批判して、自分だけはいい子ちゃんということを言いたいのではありません。

 どの業界にも変な人はいる、という当たり前のことを言っているわけです。
 パブ弁!氏は、その当たり前のことが認められないようです。

 論点や意味の摩り替えは、「ダーティ・テク」でディベートなら大幅減点で講評の注意指導事項です(ボソッ
 これは英米のディベート学の教官(講師~教授)の脳内には、コモンセンスとして常駐しています。誰かさんの脳内には欠落してるんでしょけど。

さすがに見かねたので横レスです。

論点を言葉の定義にすり替えて回答を拒むのはフェアな姿勢とは言えませんよ。
弁護士には徹底的に性善説を適用し、裁判官や検察・警察には徹底的に性悪説を適用するあなたのスタンスにはずっと違和感を感じています。

結局、パブ弁!氏は、警察官、検察官、裁判官の中には、それらの本来の職責や守るべき職業倫理を守らない者が普通にいるが、弁護士にはそのような者がいることを想定することすらできない(=存在しない)と言っているようです。

そんなことありませんよ。弁護士にも問題を起こす人はいますから。この前も酒気帯び運転だかで有罪判決を受けた方がいましたね。

もっとも、捜査官や裁判官については、違法捜査や不当判決が自身の栄達につながる(客観的真実とは関係なく、とにかく「ハンニン」を捕まえたり、有罪判決を書けば組織内で認められるが、いちど捕まえた「ハンニン」を釈放したり、無罪判決を書けば左遷される)のに対し、弁護士にはそれがありません。

つまり、捜査官、裁判官には不当な権力行使の誘惑が常にある上、実際に濫用した事例も数限りなくあるのに対し、弁護士には、そのような誘惑がない。そもそも、無理に違法な行為に及ぶメリットが何もないのですから、職業倫理違反の危険性には格段の、別次元の違いがあるのですね。

ところで、モトケンさんが頑として弁護人の取調べへの立会いを嫌悪・忌避するのは、「一部の弁護人が不当な行為に及ぶかも知れないから」なのですか? 一部の弁護人が何かするかも知れないから、弁護人全員について立会いを拒むべきだということですか? その論理に説得力があるとお考えですか?

やれやれ、困ったものですね。

この前も酒気帯び運転だかで有罪判決を受けた方がいましたね。
規範意識が低いことは間違いないと言えますが、それは別に弁護士であることの職業倫理とは深く関わりませんな。
もっとも、捜査官や裁判官については、違法捜査や不当判決が自身の栄達につながる(客観的真実とは関係なく、とにかく「ハンニン」を捕まえたり、有罪判決を書けば組織内で認められるが、いちど捕まえた「ハンニン」を釈放したり、無罪判決を書けば左遷される)のに対し、弁護士にはそれがありません
また根拠のない出任せを・・・。
少なくとも警察に関しては、「違法捜査」は発覚した際の全国20万警察官に与える影響を考えれば、むしろ避けるべきものであり、違法捜査で得た有罪を栄達などと考えるバカはあなたの頭の中にしか存在しないのではないでしょうか。
また、被疑者が無罪になったり証拠不十分で釈放となったとしても、それは今後の改善点として厳しく検討されるものであって、そんなことで左遷されたなどという話は聞いたことがありません。
もしそのような事実があるのであれば、是非ご提示下さい。
つーか、不起訴事件の件数を考えれば、その程度で左遷だの何だのやってたら、刑事はすぐにいなくなりますわ。
あとその考えでいくと、弁護士も「不法弁護によって無罪判決を得ることができれば、困難な無罪判決を勝ち得たという栄誉と、その栄誉により弁護の依頼が増え、経済的な利益を得ることができます」と言うことも可能ですな。
はっきり言えば、認識の底が浅い。

モトケンさんが頑として弁護人の取調べへの立会いを嫌悪・忌避する

これに該当するコメントを1つでいいので示して頂けませんか?
パブ弁さんの弁護士としての姿勢や能力以前に読解力に疑問が生じたので是非お願いいたします。

なんかもう、いいんじゃないですかね。

この調子で行っても議論が交わることはないと思います。

私は以前、パブ弁!さんの述べる人質司法への問題意識は共有するところがあるけれどもとしながら、その表現、姿勢を批判しましたが、その後のパブ弁!さんのコメントはますますひどくなっていると感じます。
前の私のコメントでは遠慮して言いませんでしたが、事実認識も論理展開も、この調子では実務で裁判官を説得するのは無理だろうなと思います。本当に弁護士ならですが(これを言い出すと私もどうかとなるのですが)。

モトケンさんがNO.103で

裁判員制度が施行された現在、弁護士が実名で刑事裁判実務について誤った認識や偏った考えを繰り返し述べるというのは困ったものだと思っています。

とおっしゃっていますが、皆が相手にするから「繰り返し述べる」ことになるので、だからもういいんじゃないかと。

ところで、モトケンさんが頑として弁護人の取調べへの立会いを嫌悪・忌避するのは、「一部の弁護人が不当な行為に及ぶかも知れないから」なのですか? 一部の弁護人が何かするかも知れないから、弁護人全員について立会いを拒むべきだということですか? その論理に説得力があるとお考えですか?

 あなたも藁人形論法の使い手に成り下がりましたか。
 小倉秀夫弁護士も藁人形論法の常習者ですが、あの人はまだ実名で書いてますから、自分の発言によって自分がリアルでどのような評価を受けるかというリスクのもとに発言しています。
 ご本人の自覚如何にかかわらず、発言に基づく評価が生じます。

 しかし、あなたは匿名性の陰に隠れて弁護士という権威だけを振りかざしながら姑息な手段を弄しています。

 そこで、hon(弁)さんのご意見も踏まえまして、

 パブ弁!さんが、私が「頑として弁護人の取調べへの立会いを嫌悪・忌避」していると誰が読んでもそう読める私の文章を指摘するか、誤読を認めて謝罪するか、実名を開示するか、いずれかを直ちに行わない限り、パブ弁!さんの投稿を禁じます。
 問答無用で削除します。
 転記もしません。

 横レス失礼します。m(_ _)m
>いずれかを直ちに行わない限り、パブ弁!さんの投稿を禁じます。
>問答無用で削除します。
>転記もしません。

 人権派を自称する自称弁護士の中には、真の人権派弁護士(たとえば佐藤博史弁護士)の足を引っ張るだけの非論理低知識の自称弁護士もいる、ということを国民一般の目にさらしておいた方が、国民に対する真の法教育になるかもしれません。

 そろそろ時間の無駄でしょ。
 同じことの繰り返しです。
 それに、パブ弁!さんのウルトラレフト(というとレフトの人が気を悪くするかも知れませんが)の意見を書き込まれてそれに対して批判をしていると、コメンテイターを含む私のブログの論調が実際よりライト寄りに見えてしまうことも本意ではないんですよ。

 了解です。その方がいいと思います。私がライトに見られても心外ですし。これでも私は学生時代に資本論を通読し、今でもインターナショナルを空で歌えるんですよ。(゚Д゚)マヂデス

パブ弁!さんが、私が「頑として弁護人の取調べへの立会いを嫌悪・忌避」していると誰が読んでもそう読める私の文章を指摘するか、誤読を認めて謝罪するか、実名を開示するか、いずれかを直ちに行わない限り、パブ弁!さんの投稿を禁じます。

「誰が読んでもそう読める」という辺り、なんともご都合主義な要求ですね。明らかに特定のニュアンス、方向性を示唆した文章についても、「違う読み方だってできる」という言い逃れができますしね。

私は、例えば下記のコメントなどから、モトケンさんはどうしても弁護人の立会いを認めたくない立場だと理解しました。その受け取り方が間違いということであれば、どうぞ投稿を禁止してください。ごきげんよう。

No.11 モトケン さん

例えば、被疑者が犯人性を争う事件では、弁護人としては妥協の余地がないと思われます。
 そのような事件では、弁護人の立会を認めれば自白調書が作成される可能性はありません。
 そうなりますと、被疑者の自供がなければ起訴できない事件というのは現実にありますから、そのような事件ではその被疑者が真犯人であれば、処罰を免れることになってしまいます。
 立会権を認めることが何より重要であると考えるのであれば、それもやむを得ないことと割り切ればいいのですが、はたして国民の多数意見はどう考えるのでしょうか?

No.41 モトケン さん

しかし、弁護人の取調立会権は可視化とは比べものにならない影響を取調べに与えます。
 刑事司法全体に対して根本的な影響を与えると思います。
 現在の捜査実務の中に取調立会権だけを持ち込んだとしたら、事件の起訴率は確実に下がると思います。

No.90 モトケン さん

ほう、そうしますと、弁護人が自白しようとした被疑者を制止して黙秘するように指示した場合には、その弁護士を強要なり脅迫なりで現行犯人逮捕してもいいのですか?
 そんなことができると考えている警察官や検察官は一人もいないと思います。
 しかし、弁護人が自白を制止することによって、自白する被疑者は確実に減ります。虚偽自白も真実の自白も含めてです。
 その結果、起訴できない事件が増加します。冤罪被害者についても真犯人についてもです。
パブ弁!さんは、無実の者に虚偽自白をさせる捜査官がいることを強調されていますが(私も割合はともかくそのような捜査官の存在を否定しませんが)、真犯人に対して罪を認めさせない(その結果として真犯人の処罰を免れさせる)弁護人が存在することを認めますか認めませんか?
 この質問に対しては明確に回答してください。

No.98 モトケン さん

立会権は、実務に及ぼす影響が可視化論と比べものにならない大きいですから、可視化論以上に批判せざるを得ません。

素人として、ご指摘の部分を「頑として弁護人の取調べへの立会いを嫌悪・忌避」していると読む程度の読解力しか持たない弁護士が存在することに恐怖を感じます。
もちろん、本当はわかった上でそのような発言をされているのであれば、より悪質だと思いますが。
そういう意味ではNo.140ハスカップ様のご指摘もある意味正しいかもしれませんね。(もちろん、No.141モトケンさまの判断もまた然りと思います。)

 始めに結論ありき。誤読はガチであった。曲解は結論を自由にするであろう。(マッタリ伝)

私は、例えば下記のコメントなどから、モトケンさんはどうしても弁護人の立会いを認めたくない立場だと理解しました。その受け取り方が間違いということであれば、どうぞ投稿を禁止してください。ごきげんよう。

 その受け取り方は間違いです。
 言った本人が、「その受け取り方は間違いです。」と言ったならば、普通の人は、「それは失礼しました。私にはそう読めたのですが、違うというならどういう意味なのでしょうか?」と質問するものです。
 それに対して普通の人は「私の書き方がまずかったのかも知れません。(または、説明不足でした。)私の真意はこれこれこういうものです。」と答えると思います。

 必ずしも完全でない言語による議論は、そのような修正を相互に重ねながら進んでいくものだと理解していますが、それができない人とは議論が成立しません。

その受け取り方が間違いということであれば、どうぞ投稿を禁止してください。ごきげんよう。

 これは、つまり自分の受け取り方が間違っているという可能性を認めない趣旨と理解します。
 このような姿勢は、議論の前提を欠いています。

 今後も同様のスタンスで投稿するというなら実名開示をしてから投稿願います。

ブログのコメント欄で議論が成立しないだけならまだマシです。
『前提事実』の認識を正しくできないような人物が、刑事事件の弁護に関わっているとしたら、被疑者・被告人にこの上もないリスクを負わせることになります。
さらにそのような弁護士が存在することは、回りまわって『被告人・被疑者予備軍』や『犯罪被害者予備軍』すなわち社会全体にとっても“危険”であります。

そういう人物が自説“論拠”に持ち出したのが、自由法曹団、青年法律家協会、日本国民救援会等の弁護士団体であるということから、これら団体がこのコメント欄で顕在化した「不適格弁護士」と同類の“刑事事件被疑者・被告人にとって有害な、声だけはでかい役立たずの集団”であるとの認定を、世間一般から受けることになる可能性も考慮されてしかるべきことかと思われます。

小倉弁護士のブログを見て、ふたたびやってきました。といっても、これが最後の投稿になる気はしますが。たまたま最近個人的に色々あったので追いかけられずにいて、もう周回遅れどころではないと思っていたのですが、そんなに話は進んでいなかったようですね。

まず、No.143に挙げられているのは、このブログのやりとりから普通に読み取れるものだと思います。これを“誤読”とする感覚は、一般には受け入れられないように思います。もちろん、それを“私の主観”だと言うのはかまいません。

「判決文を読んでいない」という件について、No.95で惰眠さんが「論外」と書かれています。個別の事案について述べるのであれば、たしかに論外と言われても仕方がないですし、私自身、個別の事案を評価するなら判決文を見ずに判断するのは難しいと思っています。しかし、ここでは私は“冤罪”が起きている(そのこと自体はモトケンさんも認められている)こと自体を問題に例を挙げたのであって、個別の事案について検討しようとしていません。

続いて No.96 で、ハスカップさんは上級審を見るべきと書かれているのですが(小倉氏がサイテーションしろと受けているのもよくわからない)、上級審で差し戻されたから何だというのでしょう。この件は冤罪が晴れたから何も問題なかったというわけでしょうか。賠償金を払ってもらえば、この人の人生は取り戻されるのでしょうか。もし、この人が「刑事には脅されたけど、裁判でちゃんと言えばわかってもらえる」と思っていて、地裁で認められなくてそのまま諦めてしまったら、どうなっていたのでしょう。

ついでに、「供述調書を疑う」件についてですが、反証(物証とか供述調書の矛盾とか)が出てくることなく、供述調書の信憑性が疑われる例ってあるのでしょうか。言いかえると、供述調書が「作文」である場合に、裁判で被疑者が反論するだけで、作文である可能性が認められることってあるのでしょうか。

そもそも“冤罪”の温床と言われている“取調べ”という問題を論じているのに、それに対してNo.143に示されているような否定的な見解が示されていたら、「冤罪問題を解決する姿勢」を疑問視されてもしかたがないと思います。といいますか、それが普通の感覚だと私は思います。

繰り返しますが、すべて警察官が問題のある取調べをしているとは思っていませんし、そのようなことは言っていません。さらに言えば、「それボク」の場合でも、取調べをした警察官は“悪意”を持っているのではありません。被害者に同情するあまり“不適切”だっただけです。しかし、可視化や弁護士の立会いによって、取調べに支障をきたすということであれば、そのような方向に向かう原因は、そのような不適切な取調べをしてしまう警察官がいることにあります。

ダウンロード違法化やゲームの表現規制にも通じることですが、ゆるいルールにおいて生じる問題が目に余るようになれば、ルールが厳しくされてしまうのは当然のことです。「もっと努力が必要」だというのであれば、これまで努力が足りていなかったことが悪いのです。それによって犯人を取り逃がしてしまう恐れがあるのなら、その原因を作った不適切な警察官を責めるべきです。

 取調べの違法・適正の有無内容の証拠化は、取調べの全面可視化で図るべきでしょう。そうでなければ、mohnoさんの言うように、いつまでも言った言わない・違法だ違法でないと堂々巡りとなるからです(原審・控訴審・差し戻し原審etc.)。
 ただ、足利事件のように、公判段階でも途中まで被告人が自白を維持されると(公開法廷での裁判官面前供述の高信頼性)逆に働くのが怖いですから、自白を罪体認定にはそれほど重視しないという裁判官の判断能力も求められると思います。もちろん、一審弁護人のように、弁護人自信まで被告人の犯人性を疑わないと冤罪解明発見にもっと困りますが。

まず、No.143に挙げられているのは、このブログのやりとりから普通に読み取れるものだと思います。

 あなたがそう読むことについてはなんの不思議もありません。
 あなたのこれまでの他人の文章の読み方からして想定内です。
 No.144 Beartankさんのコメントもありますが、パブ弁!氏が引用した私の文章は、今の制度の中に(パブ弁!氏の言う)弁護人の取調べ立会権を持ち込めばどうなるか、というシミュレーションを示したものです。
 その結果として私は、制度全体のバランスが崩れる(または変わる)ことは指摘していますが、それは今の制度を全く変えることなく、取調べ立会権を導入したらどうなるかという話であって、取調べ立会権の導入に伴って司法取引や証拠法則(または実体法の定め方)を変えたりすれば、またバランスは変わることを前提にしています。
 そしてどのようなバランス感覚を選択するかは国民の判断に委ねられているということを言っているのです。
 私は、決して「頑として弁護人の取調べへの立会いを嫌悪・忌避」しているわけではありません。

 以上から明らかだと思いますが、「それを“私の主観”だと言うのはかまいません。」とは言いません。
 あなたの主観ではなく、日本語の読み方としての誤読です。

失礼ながら横から一言。

No.143に示されているような否定的な見解

>No.143 でパブ弁! さんは、警察、検察、裁判所、弁護しの役割分担の理解に関する質問にさえ答えていません。
そこでパブ弁! さんの示した、モトケンさんが否定したとする対象は「取り調べへの弁護氏の立会い」では無く「根拠の怪しい観念論」です。

結局、パブ弁! さんのアジは、モトケンさんが試みた「弁護氏の立会い」肯定方向への議論の論調を、少なくとも外見上は否定方向に導いた。
となります。

呆れますねえ・・・
個別の事例を云々するとかどーとか言い逃れしてはりますが「誤審、誤判」だの「裁判官の論理の瑕疵」を口にするんなら、それなりの論拠があってしかるべきでしょう。
あなたは、そういうものに当たることもしないで決め付けをやってるんですよ。精々がとこマスコミの報道を見ただけで。だから「論外」なんです。
薄っぺらで愚かといってもいいでしょう。

ギロン吹っかけたいんなら、もうちょっとマトモな言論能力を身につけてからにしてくださいよ。
自己の主張を「攻勢」で述べ立てるときは論拠薄弱、そこを突かれて「守勢」に回ったらセコい誤魔化し言い逃ればかりになるようなショボい言論能力しか持ち合わせてない、そんなお粗末な人の相手をするのは時間の無駄ですから。

 ちなみに私は、司法取引導入積極論者です。
 司法取引導入の一環としての弁護人の取調べ立会権の採用については十分前向きに検討する余地があります。
 今までの私の発言でおわかりだと思いますが。

 ただし、司法取引の余地のない事案についてどうなるかについては、いろいろ考えなくてはならないと思いますので、全体の制度設計はそれほど簡単でも単純でもないと思っています。

 私も米国法かぶれで司法取引大賛成派なんですが、次のような事例でマスコミや被害者遺族が着いてきてくれるか不安です。

(1) 組長Aを起訴するために、ヒラ組員Bと司法取引して刑事免責と引き換えにAの組織的殺人罪の共謀証言を強制する。
(2) 証拠が薄弱なので、Aの殺人という送致事実で司法取引して認める範囲の傷害致死でAを起訴する。

 というのは、民事で(費用倒れを防ぐため弁護士先生が)妥協して都道府県と裁判上の和解をしても、「弁護士が妥協して債権の一部放棄しやがった」と怒る方(遺族等)もいないわけではないので。

> シミュレーション

まるで「客観的な事実を述べているだけで、意見を述べているのではない」とおっしゃっているようですが、まさにこれが主観的な見方だと申し上げているのです。たとえば、最初の「犯人性を争う事件で、弁護士の立会いを認めれば、自白調書が作成される可能性はありません」という件について、ほんとうに異論をはさむ余地のないような“事実”なのか疑問を呈している、ということです。

たとえば、小倉弁護士が「ダウンロード違法化が成立したら、企業は個人のパソコンの中身をまるごと押さえて精査することになる」というようなことを、やはり“客観的事実”かのように紹介されているのですが、どちらも“まったく個人的な主観”にしか見えない、ということです。

司法取引については、私は小倉弁護士ほど“検討の余地がない提案”だとは思いませんが、モトケンさんが指摘される“不適切な弁護士の存在”を認めるのであれば、(国選弁護の報酬は安いそうですし)「争うより、認めた方が楽」だと弁護士がそそのかすことで別の冤罪が生まれる可能性を考えると、積極的には肯定できません。「だからこそ制度設計が難しい」ということであれば、それを否定するものではありませんが、「難しいので導入は慎重に」が過ぎれば、結局のところ「現実に起きている冤罪を解決することに積極的でない」と受け取られても仕方がないように思います。

少なくともモトケンさんは「司法取引が導入されないのなら、弁護士の立会いは認められない」というご意見であると理解してよいでしょうか。

あと、惰眠さん。取調べに問題があっても裁判になれば冤罪は晴れるものだ、とおっしゃっているのでしょうか。そんなことはモトケンさんもおっしゃっていないと思いますが。

他人の主張に疑問を呈するなら、それ相応の根拠を示してください。
裁判だって疎明が必要とされますよ。

まあ、No.152 惰眠さんもこれと同じことを言っているのに完全に無視して
>取調べに問題があっても裁判になれば冤罪は晴れるものだ、とおっしゃっているのでしょうか

とか確実におっしゃってないことを言っているあたりから
 根拠は出せないけど、偉そうに語るおまえらに文句はつけてやる
という姿勢なんだろうとは思うけど。

たとえば、最初の「犯人性を争う事件で、弁護士の立会いを認めれば、自白調書が作成される可能性はありません」という件について、ほんとうに異論をはさむ余地のないような“事実”なのか疑問を呈している、ということです。

 「犯人性を争う事件で、弁護士の立会いを認めれば、自白調書が作成される可能性はありません」というのは、論理的にも現実的にも当然のことです。
 「犯人性を争う事件」というのは、私は事件とは無関係だ、と被疑者が主張する事件です。
 そして、自白調書というのは、「私が犯人です。」という調書です。
 「現在の制度に立会権だけを認めた場合」という前提で考えれば、被疑者自身が犯人性を争う事件で自白調書に署名することを容認する弁護人は、弁護人としての資格がありません。弁護過誤になります。

「だからこそ制度設計が難しい」ということであれば、それを否定するものではありませんが、「難しいので導入は慎重に」が過ぎれば、結局のところ「現実に起きている冤罪を解決することに積極的でない」と受け取られても仕方がないように思います。
   「受け取られても仕方がない」といかにも客観的なように書いていますが、あなたがそう受け取っているということでしょう。  つまり、そのように受け取ることこそがあなたの主観です。

 新たな制度を導入するということは大変なことです。
 裁判員制度を見れば明らかでしょう。

少なくともモトケンさんは「司法取引が導入されないのなら、弁護士の立会いは認められない」というご意見であると理解してよいでしょうか。

 このような誤読をするから、先のコメントで「 あなたのこれまでの他人の文章の読み方からして想定内です。」と言ったんですよ。

 私は何度も「バランス」と言ってるでしょう。
 司法取引は、立会権の反対側に乗せるオモリの一例です。
 私が

取調べ立会権の導入に伴って司法取引や証拠法則(または実体法の定め方)を変えたりすれば、またバランスは変わることを前提にしています。

と書いた意味が全く理解できてないようですね。
 
 「司法取引や証拠法則(または実体法の定め方)」と書いてるでしょう。
 司法取引だけを天秤に乗せているわけではないことが分かりませんか。
 一度や二度の読み間違いならこのような言い方はしませんけど、あなたの場合は多すぎます。
 

そんなことは私も書いてないと思いますが。
書いてもいないことについて「おっしゃっているのでしょうか」などと問いかけられても返答のしようがありません。
先にも書きましたとおり、もうちょっとマトモな言論能力を身につけてください。

書き漏らしたことをNo.156 白片吟K氏 さんに先に書かれてしまいましたけど、mohno氏に対してはもう一点ハッキリ申し上げておくべきことがありました。

話 を 逸 ら す な 。

そんなセコい手口で「守勢」から逃げ出そうなどと甘っチョロい了見で“議論”が出来るなどと思いなさんな。

> 「犯人性を争う」

失礼しました。これは、私が勝手に「犯人性が不明の」と読み換えてしまっていました。基本的な誤読です。申し訳ない。

さて、「バランス」という点で言えば、今はバランスが悪い状態だと思っていますし、可視化や立会いはバランスを修正するものだと考えています。少なくとも日弁連の主張は、そういうものではないのでしょうか。冤罪が生まれるということは罪なき人が罪に問われるだけでなく、真犯人を取り逃がしているということですしね。

ところで、惰眠さんの指摘ですが、私は冤罪を問題にしていますが、一度も「裁判官の論理の瑕疵」を口にしていないと思います。私が理解する限りでは、冤罪とは裁判の問題ではなく、取調べの問題だと考えているためです。つまり、「(判決文に記載された)証言・証拠に対して、裁判官が判断を間違えている」ということではなく、そもそも「証言を収集する過程に不適切なことがある」と認識しています。惰眠さんが、冤罪は「裁判官の論理の瑕疵」によって起きていると認識されているのであれば、それは前提となる認識が違いますから、話がかみあわないのは当然ですね。話を逸らすつもりはないのですが、惰眠さんの認識に合わせようという気はないことは申し上げておきます。

>No.160 mohno さん
いい加減、逃げ口上はおやめなさい。
高知バス事故や御殿場事件といった「裁判事例」を引用したのはあなたです。
なお、私の認識にあわせてもらう必要は些かもありません。
あなたがきちんと「事実を前提にして」話をすればいいだけのことです。

一応指摘しておきますが、「冤罪」というのは、捜査段階で“犯人と疑われた”ことを意味する言葉ではありません。
裁判の結果、犯人ではない人物を(様々な理由から誤って)犯人と認定し刑事罰を科すことを「冤罪」というのです。裁判は最終的に裁判官が結論を決めるものですから、裁判そのものを埒外にして「冤罪」を語ることはできません。

不適切、もしくは不適法に収集された証拠が「裁判において」相応の証拠能力以上の評価をされる(極端を言えば証拠能力絶無なのに採用されるとか)ことが「冤罪」を発生させるのであって、それは本来的には「弁護活動によって排除しうる」リスクです。制度上、そのために法曹3者を分離してあるんですから。

不適正・不適法な捜査が行われる(とされること)の問題は、いくらか重なる部分があるにせよ「冤罪」とはまた別の事象です。
ある種の活動的な弁護士集団などは短絡的に両者を直結させて「お題目」を唱えますが、彼らの主張に説得力がない(故にすぐに反駁されてしまう)のは、その「論理」の筋道が木に竹を接いでいるようなもので飛躍が含まれているからです。

もう少しマトモな言論能力を身につけてから出直してきてください。

惰眠さん、そもそも私は「冤罪」を「弁護活動によって排除しうる」とは思っていません。といいますか、それはつまり“弁護活動がしっかりしていれば”「取調べに問題があっても裁判になれば冤罪は晴れるものだ」(→それができないのは弁護活動の問題だ)とおっしゃっているということですよね。これに同意される方が、この場でどれくらいいるのかは興味深いところです。

はからずもモトケンさんは「被疑者の自供がなければ起訴できない事件というのは現実にあります」と書かれているわけですが、供述調書が“作文”であったとしても、それに対する具体的な反証がなければ、供述調書は信用できるものと考えられているのではないでしょうか。矛盾のない“作文”というのはいくらでもありえるわけですが、No.148 でもお尋ねしたとおり、被疑者が「そんなことを言っていない」というだけで反証(物証とか供述調書の矛盾とか)なしに供述調書の信憑性が疑われた例ってあるのでしょうか。あるとしたら、それはそれで驚きではあるのですが。

こちらのブログではかなり正確な論理性をもって議論されているのは承知しております。法律関連のブログであるのですから、それは当然なのかもしれません。

しかし、案外、それが非生産的な議論につながっているように思われてならないことがあります。一部には、自己正当化のための議論に徹しているきらいすら感じ取れます、僕には。それはもう、いわゆる「議論のための議論」そのものではありませんですかね。

むしろ相手の非論理性や見当違いの部分はあえて流すほうが、議論を大局的に見れば有益なことが多いんじゃないかと思っちゃうんですよね・・。(実名の弁護士さんの発言はスルーしてられないのは理解できるのですけれども。)

議論に参加していない(参加できない?)者がえらそうな意見を申しまして恐縮ですが、率直な感想ですので怒らないでいただきたいところです。

>被疑者が「そんなことを言っていない」というだけで反証(物証とか供述調書の矛盾とか)なしに供述調書の信憑性が疑われた例ってあるのでしょうか。

 ピース缶爆弾事件。一審無罪で確定しています。共犯者が爆弾を運んだと自白した日時、その共犯者が運転免許センターで運転免許試験を受けていたことが警視庁の裏付け捜査で判明し、被告人全員が無罪。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E7%94%B0%E3%83%BB%E6%97%A5%E7%9F%B3%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9%E7%BC%B6%E7%88%86%E5%BC%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6

>それはもう、いわゆる「議論のための議論」そのものではありませんですかね。

必ずしもそうではないでしょう。
本論とは関係のない瑣末な部分における「非論理性や見当違いの部分」に拘泥しているのは、おっしゃるように「議論のための議論」という批判も的を射ているのかもしれません。

しかし一方で、本論における前提や柱の一部若しくは全部が「非論理性や見当違いの部分」で構成されていては、それをスルーしてはそもそも議論が成立しないと思うんです。

異なる前提をすり合わせる段階で衝突、すれ違いをしてるのですが、それが「議論のための議論」というほど無意味なものとは思わないですけどね。現に、現状でも問題点の抽出はできますし、それに対する相互の意見も分かりますし。かみ合ってはないですけど(^^)

とは言え、ヤマダ様の仰るように、そんなことは放っておいて、議論のかみ合う部分だけでも議論した方が有益だと思う人がいるのも事実でしょうし、そういう面があることも否定しません。

一方で、そんな上辺だけ取り繕った議論をしても有益な結論は得られないと考える人もいるでしょう。(私は後者です。)その辺は各々の価値観の問題かもしれませんね。

ちなみにこれは「反論」ではありますが、「怒って」いる訳ではないですよ、為念(^^;

横から失礼します。

一応指摘しておきますが、「冤罪」というのは、捜査段階で“犯人と疑われた”ことを意味する言葉ではありません。 裁判の結果、犯人ではない人物を(様々な理由から誤って)犯人と認定し刑事罰を科すことを「冤罪」というのです。裁判は最終的に裁判官が結論を決めるものですから、裁判そのものを埒外にして「冤罪」を語ることはできません。

言葉の定義の問題ですが、必ずしもそのような狭い意味でのみ「冤罪」という言葉を使うわけではありません。
身に覚えがない、あるいは、いいがかりのような被疑事実で、20日間なり40日間なり身柄拘束を受けて、結局不起訴処分になったとすると、被疑者本人にとっては立派な「冤罪」でしょう。

惰眠さんのいう「冤罪」には、「有罪判決を受けたけれど上級審で逆転無罪となり、結局刑事罰を受けなかった。」事例は含まれないのだと思います。(「刑事罰を科すこと」とおっしゃってますから。)
例えば、一審・控訴審有罪、最高裁破棄差戻し、差戻し後控訴審で無罪判決となりようやく確定した鹿児島夫婦殺し事件という著名事件がありますが、惰眠さんの「冤罪」の定義によると、これは冤罪事件ではないということになります。

惰眠さんが上記のように「冤罪」を定義して議論することは、明示した上でのことであれば差し支えないと思いますが(法律上定義された言葉ではありませんし。)、もっと広い意味で「冤罪」という言葉を使うことも通常の用法としてあるということです。


不適切、もしくは不適法に収集された証拠が「裁判において」相応の証拠能力以上の評価をされる(極端を言えば証拠能力絶無なのに採用されるとか)ことが「冤罪」を発生させるのであって、それは本来的には「弁護活動によって排除しうる」リスクです。制度上、そのために法曹3者を分離してあるんですから。

文脈からすると、証拠能力ではなくて、証明力のことをおっしゃっているのでしょうか。

「本来的には「弁護活動によって排除しうる」リスクです。」とおっしゃる趣旨がよくわからないのですが、適切な弁護活動がなされていれば「冤罪」は起こらないはずだ、ということでしょうか。
最終的には裁判所の判断ですから、必ずしもそうとは限らないでしょう。
いや、もちろん、弁護活動によって、排除できる場合があることは否定しません。

ご指摘、ごもっともです。
正直に申しまして、氏を詰りたいばかりに敢えてとりわけ狭義の定義を示したのは事実です。ディスカッションなどでは典型的な自滅ケースですね。失礼しました。

> その共犯者が運転免許センターで運転免許試験を受けていたことが警視庁の裏付け捜査で判明

これって、まさに「反証」ではないですか。

あと、前に「疑うことを許さず」と書いたのも、もちろん反証なしにという意味です。証拠(証言)に矛盾があったら疑うのは当然で、そんな話をしているのではなく、反証なしに「取調べが不適切であったかどうか疑うことがあるの?」ということです。

 「反証」というから弁護側立証かと思いました。違う意味で使っているんですね。

>これって、まさに「反証」ではないですか。

 えっ? 原告(検察官)が主張立証,被告(被告人・弁護人)が反論反証ではないんですか?
 法律は専門外なので,間違ってもいけないので,これで退散します。法律に詳しい方,お願いします。m(_"_)m

もちろん、相手の非論理を問い質すことが有益ないし不可欠な場面もありますでしょう。

ただしかし、こちらのブログのコメント欄におきまして、「敵」の非論理をあげつらっては、当てこすり、皮肉、あげくは嘲笑的な物言いがおこなわれるのを繰り返し見るにつけ、・・・。

本当に議論がしたい人は、少なくともそういうおこないはしないと思うのです。

匿名の場に何を求めてるんだかと言われてしまえばそれまでなのですけれども。

> 反証

法律用語ではそうなんですね? 私は、単に「反対の証拠」という意味で使っていました。供述調書が「本当の供述」なのか「よくできた作文」なのかは、出来上がってしまった後で区別するのは困難です。だからこそ“大元”を作る「取調べ」の改善が求められている、という話です(って、そこを説明する必要があるんでしょうか、という気がしないでもありませんが)。モトケンさんが、「実際、冤罪なんてそんなにないんですよ」とおっしゃるのであればともかく、その逆の認識であるなら、これを改善する方向で取り組むべきで、“反対側”にオモリを乗せる必要はありません。

ちなみに、小倉弁護士は、裁判員制度に解決策を見出したいようではあるのですが、「被疑者が真剣なまなざしで無実を訴えたから、どうやら供述書は怪しい」なんてことになったら、それこそ不適切でない供述書すら危機にさらされて犯人をとり逃すかもしれません。古いキャッチフレーズを引用するなら「元を断たなきゃだめ」ということです。

 批判するのであれば、名指しして批判すべき部分を特定して批判してください。
 ここでは相互批判は日常茶飯事です。
 名指ししても特に失礼には当たりません。
 ブログ主もしばしば批判されてます(^^;

>ただしかし、こちらのブログのコメント欄におきまして、「敵」の非論理をあげつらっては、当てこすり、皮肉、あげくは嘲笑的な物言いがおこなわれるのを繰り返し見るにつけ、・・・。

モトケン先生が仰るように、少なくともこうした非難をされるのであれば、具体に誰のどのコメントかくらいは提示されるべきだと思いますよ。

具体の指摘があれば個別に当事者から必要な反論(「怒る」とかじゃないですよ、為念)はできますが、ヤマダ様の印象だけで、こうした非難をされると誰も反駁できませんので。

いえいえ、そう言われるとかえって恐縮です。

ちょっと萎縮しているので、過度にガチガチのコメントになってしまった嫌いがないではありません。

 横レス失礼します。m(_ _)m
>「敵」の非論理をあげつらっては、当てこすり、皮肉、あげくは嘲笑的な物言いがおこなわれる

 論理的整合性の欠如や非論理性は、学術論文でも真っ先に批判されるのが議論の常道ではないでしょうか。「論理的整合性などどうでもいいではないか」という屁理屈はエッセイならまだしも学術議論では通用しません。
 「当て擦り、皮肉……嘲笑的」については、みなさんがおっしゃるように是非特定して該当箇所を批判されください。漠然的な印象雑感は個人的主観の感想で議論ではありません(漠然性ゆえに無効の法理)。例:◎◎。◎◎◎◎人はケチだ。

>これを改善する方向で取り組むべきで、“反対側”にオモリを乗せる必要はありません。

「反対側にオモリを載せる」ということは、制度面でのデメリット「も」検討するといってるだけで、「改善する方向で取り組む」ことの反対側にオモリを載せるという意味ではないでしょう。

mohno様は、制度論を考える場合は理想実現に向けたメリット面だけを考えればよく、デメリットなど考慮する必要はないというスタンスでしょうか。

> デメリットなど考慮する必要はないというスタンス

もちろん違いますよ。

 刑事司法制度には、真犯人に対しては必ず適正な処罰を与えるべきであるという理想と冤罪は絶対に防がなければならない、という二つの理想があります。
 しかし、この二つの理想はいずれも完全に実現することは不可能ですし、最も重要な事実は、現実的な制度設計とその運用においては、それぞれの理想を実現しようとする動きが矛盾ないし対立する場合があるということです。
 簡単な例を挙げますと、黙秘権は冤罪被疑者・被告人にとっては協力な(”強力な”の誤記)防御手段ですが、黙秘権が行使されると真相解明の要請は後退せざるを得ません。
 この文章の意味は、真相解明のために黙秘権の行使を認めるべきではないという意味ではありません(こんなことまで説明しなければいけないほど読解力ないし読解の姿勢に問題がある人がいるのは残念ですけど。あなたのことですよ、小倉秀夫弁護士!)。
 二つの理想の実現行為が、対立する場合(あちらを立てればこちらが立たずという関係が生じる場合)があるという事実を指摘しているのです。
 最近同じことを書いたんですけどね。

 そのような矛盾対立関係が生じる場合があることを前提として、真犯人の処罰の可能性を極大化しつつ冤罪発生の可能性を極小化するためには、どのような制度設計が必要かというのが、司法制度の制度設計におけるバランス感覚です。

>これを改善する方向で取り組むべきで、“反対側”にオモリを乗せる必要はありません。

というのは、私のたとえ話の意味を理解していない意見です。

> 黙秘権は冤罪被疑者・被告人にとっては強力な防御手段

“常に”強力な防御手段なら、どうして被疑者は喋ることがあるのでしょう。防御手段になりうるのは、たまたま他の証拠が出なければ、ですよね。現場検証して証拠が出れくれば、黙秘や否認はかえって無反省といった悪印象につながるのでは? 証拠が出ないからと言って、被疑者に対して「あなたの自白がないと無罪放免するしかないのです」と言う必要はないのですが。その意味で、

> あちらを立てればこちらが立たずという関係

を示すのに「黙秘権は被疑者にとっての防御手段」という一方的な“関係”を示されても、受け入れがたいということです。そもそも、モトケンさんのいう「自供がなければ起訴できない事件」(他に証拠が出ない事件)で「自白」に頼ろうとするからこそ、冤罪が起きるんじゃないでしょうかね。

まあ、小倉弁護士が最新のエントリで書いているように、どうせ弁護士がいてもロクなアドバイスができないなら(司法がそのような仕組みになっているなら)、弁護士の立会いは不要かもしれませんけどね。

モトケンさんのNo.179と重複するような感じですが・・・。


これを改善する方向で取り組むべきで、“反対側”にオモリを乗せる必要はありません。
ここで出てきた「“反対側”にオモリを乗せる」という比喩表現は、もしかして別エントリ『取調べ全面録画に関する問題』の投稿№4、№6、№7、№8で続いた、私とモトケンさんとのコメント交換から、mohno様が読み取られたことのご呈示でしょうか?


提示した別エントリでの私とモトケンさんとのコメント交換では、全面録画という司法制度改善のスピードを鈍らせたり、実現を妨げる目的で反対側にオモリを載せるとは言っておりません。

全面録画導入も早急に必要だが、全面録画を導入することによって、現行の刑事司法制度との整合性、すなわち既存制度に如何に馴染ませるかの配慮や、訴追する側と訴追される側との司法上の権利のバランスを整える配慮が必要だ。そうした「バランス取りの配慮」を指して「バランス取りの錘」という表現をしました。モトケンさんはともかく、少なくとも私自身はこのように錘という言葉を使いました。決して全面録画導入に反対する方向に天秤のバランスが傾くように、錘を載せるべきと言っている訳ではありません。

もしかしてmohno様が、この「バランス取りの錘」という表現を、全面録画導入の動きを鈍らせるためのオモリと捉えておられるなら、それは全くの誤読誤解ではなかろうかとの懸念を覚えます。私が冒頭引用したmohno様の文章をを読ませて頂く限り、「オモリ」の用語遣いについて、私やモトケンさんとの使い方とがズレているような印象を受けますので、「“反対側”にオモリを乗せる」という比喩表現を何処から引っ張り出されてこられたのか、出所を明示して頂ければと思う次第です。

仮に私が想像した、別エントリ『取調べ全面録画に関する問題』でのコメント交換とは全く関係なくmohno様が「“反対側”にオモリを乗せる」という比喩表現を使われたとしたならば、この私の投稿こそが私自身の誤読誤解に基づくイチャモンとなるかと存じます。もしかして私の方にこそmohno様の真意を誤読誤解が在るならば、その旨を明解な解説と共にご提示頂きたく存じます。私の方こそが誤読誤解であることが納得できた場合は、率直にお詫び申し上げる所存です。

>常に”強力な防御手段なら、どうして被疑者は喋ることがあるのでしょう。

防御が破られることがあるからです。


>防御手段になりうるのは、たまたま他の証拠が出なければ、ですよね。

違います。証拠といってもいろいろあります。他の証拠が出ただけで、黙秘が防御の役に立たなくなるわけではありません。


>現場検証して証拠が出れくれば、黙秘や否認はかえって無反省といった悪印象につながるのでは? 

そりゃ決定的な証拠が出てくれば、その時点で防御は破られます。
破られた盾は、もう盾としての役目を果たしません。
でも盾が防御に使われるものだ、という事実は覆りません。


>そもそも、モトケンさんのいう「自供がなければ起訴できない事件」(他に証拠が出ない事件)で「自白」に頼ろうとするからこそ、冤罪が起きるんじゃないでしょうかね。

じゃ、どういうようにすれば良いんですか。
自供がなければ起訴できない事件は総て処罰を諦めろと言うんですか。

あなたは文句を付けてばっかりで、
自分の意見を全く持っていないじゃないですか。

>まあ、小倉弁護士が最新のエントリで書いているように、どうせ弁護士がいてもロクなアドバイスができないなら(司法がそのような仕組みになっているなら)、弁護士の立会いは不要かもしれませんけどね。

 もしそれが本当だと仮定したら、ミランダルールを最高裁が認めて法律化した米国の制度は説明がつかないですよ。論理的整合性をもってご説明をお願いします。

> 黙秘権は冤罪被疑者・被告人にとっては強力な防御手段

“常に”強力な防御手段なら、どうして被疑者は喋ることがあるのでしょう。

 私の「黙秘権は冤罪被疑者・被告人にとっては強力な防御手段」という一文を引用しながら、それに勝手に「“常に”」という一言を書き加えるのはどういう意図からなんでしょうか?
 小倉弁護士的藁人形論法でしょうか?

 それはともかく、あなたは、制度設計論における捜査側と被疑者・被告人及び弁護人側の攻撃防御のバランス論と個々具体的な訴訟における攻撃防御を混同しているようですね。

 制度設計論におけるバランス論というのは、いわば(例え話で言えば)、野球などの対戦型スポーツにおけるルールの制定または改定のようなものです。
 そして実際の試合では、あらかじめ定められたたルールに則り、その場その場の戦況や試合全体の流れを見極めながら、複数考えられる攻撃防御のオプションの中から、最も有効適切と思われるものを選んでいるわけです。

 私はルール改正の話をしているのですが、あなたは、あなたが独自に設定した戦況を前提にして個々の試合における作戦のことを問題にしているのです。

 要するに話がかみ合っていないと言うことです。

> 「“常に”」という一言

では、“常に”防御手段になるわけではない、ということでよろしいですね? 繰り返しますが、今のルールは「バランスが悪い」というのが私の認識です。可視化や立会い権はバランスを改善するものだと私は思っています(日弁連の見解もそういうものだと理解しています)。司法取引を“反対側のオモリの一例”と表現されたのはモトケンさんですが、小倉弁護士のように検討の余地なしとまでは思わないものの、“バランス調整”のために導入するようなものではないと思います。

また、白片吟K氏さんの「自供がなければ起訴できない事件は総て処罰を諦めろと言うんですか」にお答えすると、“考えもできない選択肢”だとは思いません。喜んで想像するようなものではないですが、自分が犯罪被害者側の立場になったとして、証拠が犯人の自白しかなく、裁判になって「無理やり言わされただけで、俺はやってない」と言われ続けたら、本当に被疑者を犯人として恨んでよいのか疑念が生じる気がします。

たとえば、足利事件では菅家さんに注目が集まっていますが、言うまでもなく事件被害者がいるわけで、遺族にとっては真犯人を取り逃したどころか、悠々と時効を迎えさせてしまったわけです。足利事件は“証拠がなかった”ものではありませんが、「自供がなければ起訴できない事件」に処罰を求めようとすることが、必ずしも被害者側のメリットになるわけではないでしょう。冤罪は、被疑者だけでなく被害者にとっても不幸なものです。

ハスカップさんのご質問については、小倉弁護士のエントリによれば、ということです。

>ハスカップさんのご質問については、小倉弁護士のエントリによれば、ということです。

 では貴方独自の根拠や制度間の論理的整合性はお持ちではないのですね。

何か重要な点が見落とされているようですが、自白が重要視されるのは、「自白が無ければ絶対に分からない事実」が存在するからです。
例えば未発見の遺体の遺棄場所、未発見の凶器の投棄場所、解明されていない盗難品の隠匿方法等、真犯人しか知りえない「秘密の暴露」が自白には含まれているからこそ、捜査機関は自白を得ようとするのです。
自白とは「私がやりました」と認めるだけのことではないんですよ?

では、“常に”防御手段になるわけではない、ということでよろしいですね?

 黙秘権は制度論的には、被疑者・被告人の防御手段です。
 制度論においては、「常に」という副詞をつけることが無意味です。
 あなたは、「車のブレーキは、”常に”車の速度を減速し停止させるものである。」という言い方をしますか?
 具体的な事件において、黙秘権の行使が常に有効な防御手段になるとは限らない、ということです。

司法取引を“反対側のオモリの一例”と表現されたのはモトケンさんですが、小倉弁護士のように検討の余地なしとまでは思わないものの、“バランス調整”のために導入するようなものではないと思います。

 刑事司法制度は、全体としてバランス調整のための制度です。
 刑事訴訟法の基本書を読むことをおすすめします。
 なお、刑事弁護をしていない小倉弁護士の刑事司法に対する理解と主張をどの程度尊重するかは読者の判断にお任せします。
 実務法曹は、職人の世界です。
 たとえ弁護士であっても、それぞれの分野において経験の乏しい弁護士の意見はそれなりの評価しか得られません。
 ましてそれが教科書的理解からも外れていたり、他人の主張を意図的に曲解またはねつ造した意見であれば、恥をさらしているだけです。あなたには分からないかもしれませんが。

また、白片吟K氏さんの「自供がなければ起訴できない事件は総て処罰を諦めろと言うんですか」にお答えすると、“考えもできない選択肢”だとは思いません。

 そういう選択肢もあるでしょう。
 自白以外の証拠で有罪になる事件だけ起訴すればいい、ということになれば、警察も検察官も仕事が楽になって喜ぶと思います。
 ただし、「自白以外の証拠では有罪にできそうもありませんので不起訴です。」という警察や検察の発表に対して、国民の多数が文句を言わないということが前提条件になります。
 あなたの意見はどうなんですか?
 あなたの家族が殺された事件で、警察や検察が「A被疑者が犯人であるという状況証拠はたくさんありますが、決定的な証拠はありません。ですからA被疑者を取り調べることもしません。」と言ったとして、あなたがそれに納得するのであれば、あなたの意見としては一貫していると思います。

 なお、「あなたの家族が殺された事件で、」というのはわかりやすい場合としての例示です。

角が立つのををおそれているわけではないのですけれども、具体的に指摘する必要はないかと。皆さまが、そんなことはないと、思われるのであれば、そうなのでしょう。僕とは見方が違うようですが。

論理的整合性はどうでもいいとまで言ったつもりはなかったのですがね。論理の完璧さを相手に求めるとかえって議論の効率が悪くなることがあるのではないですかねと言いたかっただけです。

>具体的に指摘する必要はないかと。皆さまが、そんなことはないと、思われるのであれば、そうなのでしょう。僕とは見方が違うようですが。

そうですか。それじゃ仕方がないですね。

> 「車のブレーキは、”常に”車の速度を減速し停止させるものである。」

凍った路面でブレーキを踏んだらスリップして車を減速させられないという状況はあるかもしれませんが、通常は、ブレーキは車の速度を減速したいときに踏むものです。黙秘権を行使することは、他に証拠がなければ有利に働くかもしれませんが、証拠が出たら反省の意が感じられないと不利に働くかもしれません。感熱紙(刑)さんが指摘される件についても同様で、黙秘すれば証拠が見つからないと犯人が確信しているなら(それほど冷静な犯行なら)現状でも犯人は黙秘するのではないでしょうか。

黙秘が有利か不利か確定的に判断することが難しいという点は、ブレーキとは違いますし、ブレーキに例えることの不適切さをあらわす点でもあります。また、被疑者が犯人だということを弁護士が知っている場合、反省の意をあらわすことを避けて「黙秘して犯人性を争おう」ということにはなるかどうか疑問に思います。まあ、被疑者から「俺は犯人だが、やってないと言え」と言われた弁護士の対応は難しい気はしますけれど。

> 警察も検察官も仕事が楽になって喜ぶ

モトケンさんの仕事の姿勢についてとやかく言いませんが、警察も検察官も「仕事が楽になることを喜ぶ人たち」なのであれば、現在でも特に一生懸命犯人捜しをしないのではありませんかね。「それボク」で冤罪の原因を作った警察官ですら、正義感がなくてやったわけではないように見えます。そもそも、

> 「自白以外の証拠では有罪にできそうもありませんので不起訴です。」

というのは、現在でも黙秘する被疑者がいれば、ありうることですよね(もっとも状況証拠が確定的に被疑者の犯人性を示しているなら、それによって有罪の判決を出されている例はあるようですが)。私の家族が殺されるような事件があれば、「適切な方法」で捜査を続けてほしいと思いますけれど、それが普通の感覚ではないでしょうか。アメリカのドラマを見ていると、不適切な捜査で発見した“証拠”が証拠として採用されないことすらあるのですが(不適切な捜査を助長しないためでしょう)、そういう状況にある場合、被害者は不適切な捜査をしてでも証拠を見つけ出してほしいと思うでしょうか。足利事件の被害者遺族は、今でも一生懸命捜査してくれた結果なのだと感謝しているでしょうか。私があの立場であれば、警察に激しい憤りを感じると思います。

ハスカップさん、私個人の意見としては、弁護士が警察と一緒になって「やったと言う方が身のためだ」などとアドバイスするだろう、という小倉氏の見方には同意していません。しかし、「それが現実なのだ」ということであるなら、弁護士の立会いには賛同できませんね。

あなたは、「車のブレーキは、”常に”車の速度を減速し停止させるものである。」という言い方をしますか?

という問いに対し,

凍った路面でブレーキを踏んだらスリップして車を減速させられないという状況はあるかもしれませんが、通常は、ブレーキは車の速度を減速したいときに踏むものです。

という解答をしたら試験では0点ですね。
「問いに答える」という基本的なことができないと議論など到底不可能です。

モトケンさんの質問は

あなたの家族が殺された事件で、警察や検察が「A被疑者が犯人であるという状況証拠はたくさんありますが、決定的な証拠はありません。ですからA被疑者を取り調べることもしません。」と言ったとして、

それで納得するか?
です。
あなたの
私の家族が殺されるような事件があれば、「適切な方法」で捜査を続けてほしいと思いますけれど、それが普通の感覚ではないでしょうか。

では、質問に対する答えになっていません。


あと、この人は
違法収集証拠排除法則を「アメリカのドラマ」にしかなくて、日本にはないと思っているらしいこととか(多分人的証拠と物的証拠を分けることも知らない)、
足利事件の被害者遺族は、警察に対し、
真実の犯人を捕まえなかったことではなくて、「適切な方法」で捜査をしなかったことに対して警察に激しい憤りを感じると思ってるあたりとか
そもそも「適切な方法」とは何なのかがずーっと問題になってるんちゃうんか、問題の所在わかってないのとちゃうんか
とか、

言うのもめんどくさいので、もーいーや。

ちょっと遅いですが。

簡単な例を挙げますと、黙秘権は冤罪被疑者・被告人にとっては協力な防御手段ですが、黙秘権が行使されると真相解明の要請は後退せざるを得ません。

必ずしもそうとは言い切れません。
冤罪被疑者・被告人の中には事件のことについては何も知らない人もいます。そのような被疑者・被告人が黙秘権を行使すると、何も知らない人があれこれ口をはさむ場合と比べて、捜査機関は真相解明から遠ざからないこともあるでしょう。

もちろん、何も知らない冤罪被疑者・被告人が黙秘権を行使することで、真相解明の要請が後退することもあり得ます(捜査機関が供述を契機にその被疑者・被告人の無罪に気付いて、ほかの捜査にリソースを振り向けることができる場合とか)。
また、事件に関与している冤罪被疑者・被告人や真犯人である被疑者・被告人が黙秘権を行使すると、真相解明にはマイナスでしょう。

要は、個々のケースによるので、「真相解明の要請は後退せざるを得ません。」は言いすぎではないでしょうか、ということです。

事件について何も知らない人が黙秘したら、「その人が何も知らない」という情報自体が捜査機関に入らず、それが捜査のミスリードにつながる可能性は納得できます。
ただ、冤罪被疑者が黙秘した方が真相解明に望ましいケースというのがどうもイメージできません。仮定で結構ですので例示していただけないでしょうか?
(冤罪であろうがなかろうが)被疑者が黙秘権を行使した場合、捜査側が黙秘の解除を強制できないとしても、「黙秘する理由」を調べるために捜査のリソースをそっちに割いてしまうということは考えられないのでしょうか。

>ハスカップさん、私個人の意見としては、弁護士が警察と一緒になって「やったと言う方が身のためだ」などとアドバイスするだろう、という小倉氏の見方には同意していません。しかし、「それが現実なのだ」ということであるなら、弁護士の立会いには賛同できませんね。

 人の質問には正面から答えていただければよろしいかと思います。根拠・理由・現実の具体例なき貴方の仮設的個人的見解に興味ありません。

横レスすみません。
モトケンさんとmohnoさんのやりとりは傍から見ていてもすれ違いが著しいです。イエスかノーで答えられる質問に対しては、まず自分の答えを明示してから逆質問してはどうでしょうか。

ブレーキのたとえに関しては、mohnoさんの回答はモトケンさんが前に書いた、

私はルール改正の話をしているのですが、あなたは、あなたが独自に設定した戦況を前提にして個々の試合における作戦のことを問題にしているのです。

の繰り返しになっているような気がします。
別にブレーキであるかどうかは重要ではないんですよ。上記の混同は議論の妨げであると示すためのメタファーでしかないと思います。
ある機能を有した部品(ルール)が標準装備されていても、それが絶対確実にドライバー(被疑者)の有利に機能するとは限らない。その代わり、個々の状況においてドライバーが対処法を選択する余地が与えられている(エンジンブレーキ・ハンドブレーキ・ハンドル操作による回避など)。だから「常に」という表現は無意味である。
モトケンさんはこう言いたかっただけなのではないでしょうか。

思いつくままに実例を挙げると、足利事件、宇都宮強姦冤罪事件とかですね。冤罪被疑者による虚偽の自白が、結果として真相解明から捜査機関を遠ざけてしまっています。

事件について何も知らない人が黙秘したら、「その人が何も知らない」という情報自体が捜査機関に入らず、それが捜査のミスリードにつながる可能性は納得できます。

黙秘といっても、文字通り一言もしゃべらないということをイメージして書いてはいませんでした。「俺は関係ないよ」という主張くらいは捜査機関に伝わるのが通常ではないでしょうか。「黙秘するってことは、やっているに違いない!」と思われてしまう、という意味でミスリードするかもしれませんが。

>必ずしもそうとは言い切れません。

 あなたも、制度論としての制度趣旨と、その制度の個々具体的な現実場面における効果を混同して議論するのですか?


>要は、個々のケースによるので、「真相解明の要請は後退せざるを得ません。」は言いすぎではないでしょうか、ということです。

 被疑者・被告人しか知らない事実がある。
 被疑者・被告人が語らなければその事実は明らかにならない。

 という事実を指摘しているだけです。

 但し、そのような事実的な関係があるからといって、真相解明のためには黙秘権の行使を抑制すべきである、というわけではありませんよ(そう曲解する人がいるので付言しているだけですが)。

 黙秘権の行使が真相解明の要請を後退させる結果になったとしても、黙秘権は被疑者・被告人の防御権として重要な権利である、ということが当然の前提的理解です。

 ただし、制度的に黙秘権が認められている、ということと、それをどういう場合に行使するか、行使した結果どうなるか、という問題は別問題だということに留意する必要があります。
 これを忘れると、「制度論としての制度趣旨と、その制度の個々具体的な現実場面における効果を混同」することになってしまうからです。

なんだか「質問の答えになってない」というご意見が多いのですけれど、文脈を無視して単純に

> 「車のブレーキは、”常に”車の速度を減速し停止させるものである。」という言い方をしますか?

と聞かれたら私は No と答えます。“言い方をする”かどうかより、先に書いたとおり、凍った路面ではブレーキを踏むとかえってスリップして減速できない可能性を考えられるので、実際に“常に”そうだとは言えないからです。でも、ここでは「ブレーキとは車の速度を減速させるように設計されたものだということを否定するのですか?」と返されそうな気がします。だからといって、単純に Yes と答えてしまうと、「ブレーキは常に速度を減速させるもの」と思い込んで、“個別の事情”など考えもしない短絡思考のように受け取られそうです(そのように受け取ることが可能です)。そういう文脈を考えて、わざわざ「凍った路面でブレーキを踏んだらスリップして車を減速させられないという状況はあるかもしれませんが」という断り書きを書いたのですが、それを「質問の答えになってない」とおっしゃるのですね。ついでにいえば、個別の事情を考えないのであれば、“常に”という“言い方”をすることに問題はないと考えます。

非常に興味深いのは、「Yes、No で答えられるような質問」でないのに「Yes、No で答えないのはおかしい」という批判を受けていることです。取調室でも、こんな状況があるんじゃないかという気がしてきます。つまり不適切なのは質問の方なのに、答え方が不適切なのだと誘導されていくようなことがありそうです。

あと証拠の違法収集ですが、以前、違法な捜査で発見された証拠について、捜査の違法性は問題視されたものの、証拠能力は否定されなかったケースがあったように記憶していたので、そのように書きました。間違いでしたら失礼しました。

>非常に興味深いのは、「Yes、No で答えられるような質問」でないのに「Yes、No で答えないのはおかしい」という批判を受けていることです。取調室でも、こんな状況があるんじゃないかという気がしてきます。つまり不適切なのは質問の方なのに、答え方が不適切なのだと誘導されていくようなことがありそうです。

 そういう根拠なき貴方の印象や感想は議論を錯綜させる効果しかないのでやめてもらませんかね。

うーん、何と言えばいいんだろう・・・。正直なところ、うがちすぎに思えます。
モトケンさんの一節を引用した意図がお分かりいただけなかったのでしょうか。そういう認識に立って黙秘権なりブレーキなりを考えれば、「常に」という接頭語をわざわざ付けることはしないでしょ、というだけの話だと思うのですが。

それに、ここでの議論を取調べと対比するのは妙ですよ。
たとえば「ある犯罪をやったのか、やってないのか」はイエスノーでしか答えようがないわけです。捜査機関側にしたって、イエスの答えを得なければ犯人と見なせません。グレーの返事では、冤罪を作ることすらできませんよ。
第一、取調べでは相手に逆質問などできないでしょう。

おっしゃることは理解できます。
ただ、それは黙秘権の話とはちょっと違うような・・・。
虚偽自白にしても「俺は関係ない」という供述にしても、黙秘権の行使とは別物ですよね。

 あなたは最後までこのエントリのタイトルの意味が理解できないみたいですね。

> 「車のブレーキは、”常に”車の速度を減速し停止させるものである。」という言い方をしますか?

と聞かれたら私は No と答えます。

 私もその答を期待してました。
 車のブレーキとは何か、という説明において、「車のブレーキは、”常に”車の速度を減速し停止させるものである。」という言い方はしないからです。

 比較的厳密な表現としては、「車のブレーキは、車の速度を減速し停止させるためのものである。」という言い方があると思います。
 これは、ブレーキの機能ないし目的に着目した言い方で、機能分類的には安全確保のための装置と言えます。
 
 しかし、ブレーキについては、凍結路面で不用意な踏み方をすると、減速も停止もできないばかりか車のコントロールを失う危険もあるわけで、安全確保のための装置であるブレーキも、その使い方を誤ると危険を増大させる場合があることも事実です。

 以上の文章にうち、「比較的厳密な表現としては」以下の文章が制度論です。
 そして、「しかし、ブレーキについては、」以下の部分が現実的運用面における問題です。
 両者は別問題です。
 おわかりですか?
 私は、この二つを区別して議論するべきだと何回も言っているのです。
 但し、司法制度は、車の構造ほど単純ではありません。

堂々巡りですね。私は黙秘権が被疑者の防御を目的とした“制度”だということまでに反論していませんよ。しかし、ブレーキと違って、黙秘権の場合は「(必ずしも)路面が凍結しているかどうかわからない」ということは言っていますし、だからこそブレーキにたとえることは不適切と書きました。実際、これが“現実”ですよね?

また、密室で取り調べるという“制度”では、不適切な取調べを判別する術がないということも言っています(これが本題)。もちろん、そのままで問題が起きていないのなら、制度を変える必要はありませんが、そうではない“現実”(冤罪)があるのだから、“制度”を改善する必要があるということです。

横ですが
>“常に”強力な防御手段なら~

議論すれ違いの起点である「常に」を付けて藁人形を創ったこと、への質問に答えをはぐらかして答えてない。

それは答えられない様子が窺え、堂々巡りの原因は「mohno さん」です。

私は貴方の発言全体を雑音と評価します。

mohno様、横から失礼。

一つの“現実”への対応を取り出して制度設計の全部をひとからげに論じようとする立場と、制度全体の目標から煮詰めていって個別の設計を論じている立場の違いでしょう。

それぞれの考え方の前提というか立場が全く違うのだから、議論は擦れ違うばかりに思えます。

これはmohno様とモトケンさんとの遣り取りを、横から見ての感想ですが・・・。

横ですが。

>しかし、ブレーキと違って、黙秘権の場合は「(必ずしも)路面が凍結しているかどうかわからない」ということは言っています。

この部分って、それこそ現実的運用面の問題ですよね。
やはり制度論と現実的運用面の違いが解っていないよう感じます。

ですから
>実際、これが“現実”ですよね?
というmohno さんの問いには、自分が答えるのならNoという答えになります。


>そうではない“現実”(冤罪)があるのだから、“制度”を改善する必要があるということです。

mohnoさんと議論の噛み合っていない人達も、今の制度の改善する必要がないといっている人はいないように自分は思います。
実際、「取調べの可視化」であるだとか、「司法取引を導入したうえでの弁護士の立会い」などなど、いろいろと冤罪を減らすための制度の改善案がでてきております。


制度論と現実的運用面の違いを、mohnoさんが理解していないだけと、横からは見えました。

さて、この議論の始まりというと、パブ弁さんの意見で問題だったのは「制度のバランスをとらないままでの[弁護人の立会いだけ」を認めようというのは、運用面で問題がある」ということだったはずです。

mohnoさんのこれまでの議論の流れは、
「制度のバランスをとらないままでの[弁護人の立会いだけ」を認めようというのは、運用面で問題がない」
とmohnoさんが主張しているようですが、間違いありませんでしょうか?
少なくともずっとROMしてきた自分にはそう読めましたので。

私は貴方の発言全体を雑音と評価します。

横から失礼ですが、それはちょっと言葉が過ぎますよ。
不毛な石の投げ合いにしかつながらない「売り言葉」はやめましょう。

遅くなりまして、申し訳ございません。

あなたも、制度論としての制度趣旨と、その制度の個々具体的な現実場面における効果を混同して議論するのですか?

混同しているつもりはありません。
私は、モトケンさんが、黙秘権が行使されると真相解明の要請は後退せざるを得ないとおっしゃったので、そうじゃない場合もありますよ、と言ったに過ぎません。


制度設計という観点から申し上げると、以下のようになります。

黙秘権を被疑者・被告人に与えると、捜査機関としては有力な証拠収集手段を失う(=黙秘権の行使は防御手段として働く)結果、被疑者・被告人についての有罪判決を得るだけの証拠が収集できるケースは減ると予想されます。嫌疑不十分により不起訴処分となる被疑者も増えるでしょう。
そうすると、刑事罰を免れる被疑者・被告人が増えることになります。

問題は「刑事罰を免れる被疑者・被告人が増えること」が、真相解明の要請の後退と言えるかどうかです。
神ならぬ我々には区別できない、2つのケースが混在しています。(1)真犯人が刑事罰を逃れる場合と、(2)真犯人でない被疑者・被告人が刑事罰を逃れる場合です。
(1)の場合に、真相解明の要請が後退していることは異論がないでしょう。
(2)の場合はどうかというと、「真犯人ではない被疑者・被告人が刑事罰を受ける場合」と比べると明らかですが、間違った事実が認定されることが避けられたという意味で、黙秘権という制度は真相解明に貢献しています。

翻って制度設計者として考えると、黙秘権を与えるという決定には、(1)真相解明を後退させる効果と、(2)逆に真相解明に資する効果が不可分に伴います。真犯人には黙秘権を与えないということは不可能ですから、(2)だけを享受することは不可能です。

ここで、(1)(2)あわせて総合的に評価すると、黙秘権という制度により、真相解明の要請が後退するのか、そうではないのか。これは軽々には判断できないことだと思います。
被疑者・被告人が真犯人である蓋然性が高いという認識を前提にすると(ここは誤解しないでほしいのですが、モトケンさんがそのような認識を有しているといっているわけではありません。)、真相解明の要請が後退すると評価できそうです。


かなりの部分が釈迦に説法状態になっているような気がして恐縮ですが、ご海容ください。

 元々の私の文章は以下のようなものです。

しかし、この二つの理想はいずれも完全に実現することは不可能ですし、最も重要な事実は、現実的な制度設計とその運用においては、それぞれの理想を実現しようとする動きが矛盾ないし対立する場合があるということです。  簡単な例を挙げますと、黙秘権は冤罪被疑者・被告人にとっては協力な(”強力な”の誤記)防御手段ですが、黙秘権が行使されると真相解明の要請は後退せざるを得ません。

 「黙秘権が行使されると真相解明の要請は後退せざるを得ません。」というのは、「それぞれの理想を実現しようとする動きが矛盾ないし対立する場合」の例示です。
 つまり、黙秘権が行使されると真相解明の要請は後退せざるを得ない場合がある、ということです。

 あなたの主張と私の主張に違っているところがありますか?

お言葉感謝です。

けれども私には彼のやり取りが、議論の入り口で不毛な言葉遊びに引き込んでいる様に見えました。
で、彼には直截な言葉しか通じないと思えたし、直截な批判でも売り言葉に成らない、との見込みで書きました。

そろそろ結果も判ると思います、みみみさんの指摘が当っているかもしれませんが。

> 「常に」

No.180 では、“常に”そうですよね、と書いたのではなく、“常に”そうではないですよね、という意味で書きましたが、読み取りにくかったのでしょうか? まさに、

> 黙秘権が行使されると真相解明の要請は後退せざるを得ない“場合がある”

だけで、常にそうではないですよね、という表現をしているのですが。何も“はぐらかして”などいないのですが。それに、弁護士が立会うことで、冤罪が未然に防がれるのであれば、結果として真相解明が進む“場合”も考えられますね。冤罪を防げない環境という“悪いバランス”に対して、「弁護士の立会い」で調整しようとしているところに、「司法取引」を“引き換え”にしようとする合理性が私にはよくわかりません。

あと話がかみ合わない理由ですが、No.11 に大きく戻すと、モトケンさんは

> 冤罪の発生を極小化しようとすると真犯人が罪を免れる可能性が極大化するという関係

とおっしゃっています。(犯罪があるなら)「冤罪の発生」=「真犯人が罪を逃れる」ですから、私は、この関係に同意しません。

あるいは、この“傾向”があるのだとしても、「国民の多数意見はどうか」という際に後者(真犯人が罪を逃れる可能性)だけではなく、引き換えになる前者(冤罪で罰せられる可能性)を受け入れるのがやむをえないことと「国民の多数意見」が考えるのかどうかも考えるべきですよね。どうも、この場では前者だけが強調されているように見えるのですが。

コメント感謝です。
レスのすれ違いが意図的でないことは判りました。

No.180について私の意見を補足すると。

> 黙秘権は冤罪被疑者・被告人にとっては強力な防御手段

に対し
“常に”強力な防御手段なら、どうして被疑者は喋ることがあるのでしょう。
この文章は、黙秘権を絶対的防御手段と位置づけてそれを否定していて
“常に”そうではないですよね、という意味
とは全く違います。
そこからNo.213 の趣旨を読み取る事はできません。


それから
No.11 は、ウエイトや比率の認識に開きが大きい。
大方の人や司法関係者は「冤罪の発生」=「真犯人が罪を逃れる」よりも、真犯人の「断罪」VS「(証拠不足で)放免」の問題が大きいと認識しているようです、それでmohno さんと視点が逆転してる。

バランスを如何視るかは、その辺りも吟味した方が良さそうです。


尚「冤罪」は「濡れ衣」から「再審無罪」までの間で、発言者の立場と考えで意味が違う

たとえば「無実の本人」にとっては「参考人」の段階でも「冕罪だ」と主張可能ですが第三者には「無罪確定」しないと判らない、複雑で分析や理解するのにも厄介です。

 双方に前提についての誤解や了解間勘違いがあるようですね。一度前提を整理して双方納得の前提の上で議論されたら、よりよき制度論が生み出されると思います。

 制度論ないし制度設計論と制度運用論の違いをもう一度説明します。
 制度論を考えるときは、想定し得るあらゆる場合(パターン化して考えますけど)について、メリット・デメリットをできるだけバランスさせようとします。
 最低限押さえなければいけないパターンとして説明したのが、「自白事件と否認事件と冤罪事件」です。
 ある仕組み(可視化や立会権)を一旦制度化してしまいますと、その仕組みは自白事件否認事件にかかわりなく全ての事件に適用されることになります。
 そうなった場合、そろぞれのパターンの事件にどのような影響(いい影響も悪い影響も含めてですよ)があるのかを考えて、制度を設計する必要があるわけです。

 ところが、あなたは制度設計論の段階において、特定のパターンしか念頭に置かないで考えているように思われます。
 No.207 法務業の末席さんはずばりと当たっているように思います。

 それでは制度論としての体をなしていないのです。

> 特定のパターン

逆に、ここでは、デメリットのパターンばかり強調されているように見えるのですけどね、ということを言っているのですが。

冤罪の実数を測定することはできませんから、どれほどの“バランス”が適切なのかはわからないといえばそうですが、“国民の多数意見”は「真犯人を取り逃がさないためには、まれに冤罪で重罪に問われることがあっても仕方がない」ことを受け入れるでしょうか(私は別に、“国民の多数意見”がいつも正しい方向を向くとは思っていませんので誤解なきよう)。

取り調べの全面的録画を行えば、被疑者或いは被告人にとって「自白の任意性」を争う非常に大きな武器となり、その面での被告人へのメリットは多大なものがあります。これには私も異論ありません。

ただし、取り調べの全録画を再生して法廷で争うならば、例えば裁判の長期化、すなわち無罪なのか有罪なのか、その有罪としてもどのような量刑で裁判が確定するまで、現行より長期間を要する現象が起こり得ると想像できます。裁判が長引けば長期間「被疑者被告人」として社会生活に悪影響(例えば毎月何回か出廷したり弁護士と打合せするだけでも時間と費用をロスします)があります。これは被告人にとってデメリットになります。

取り調べの全面録画による自白の任意性への疑義が減少するメリットは、モトケンさんも私も更に他の多くの投稿者も認めています。

ただ全面録画導入によって司法制度全体としては、メリットだけでなくデメリットも想定されるので、そのデメリットを打ち消すような制度改善策、すなわち制度全体としてバランスを取るためのカウンターシステムをも同時に導入することも考えておかないと制度論としては片手落ちである。このように主張しています。

そして、そうしたバランス取りのカウンターシステムとして考えられる一つの例が「司法取引制度」だと、モトケンさんは終始一貫して主張されていると私には読めます。決して全面録画そのものを否定したり、メリットが無いと主張しているように主張してるとは読み取れません。

しかるにmohno様は、司法制度全体としてのメリットデメリットの比較バランスの論点には一切目もくれず、終始一貫して自白の任意性への疑義という部分的得失にのみに拘った議論を為されておられるように感じます。こうした論点のズレを、再三スレ違ってますよと指摘されているのではないでしょうか。

 先進国を含む諸外国は、おおむね三審制と再審制を当然としながら被疑者の人権保障の拡充に向かって進んできました。その反面、犯罪被害者保護や犯罪予防制度も広げ、性犯罪常習者の登録制やシグナルトレーサー義務付け、1つの令状で集合住宅全部の捜索を許可する令状制度も付加する国もあります。
 日本でも被害者保護法令に基づく被害者や遺族の権利化を図ると共に、被疑者国選弁護制度の創設拡充・検察審査会の議決に起訴強制を認める改正がなされています。
 このような現実の動きを無視して(立法動向すら無知で)、一方の立場の観点から、デメリットばかりで偏っている、あるいはバランスがこうだと決めるけるのは、逆に、調和のとれた制度設計を考えない偏った思考方法との批判を甘受せざるを得なくなります。
 これは立法過程で学習済みの人も多かろうと思いますが、自説も他説もメリット・デメリットを比較考量した上で他接批判にいかないと、調査不十分・分析不十分で普通に却下されてしまいます。それだけ制度設計の世界は井戸端会議を超えてシビアです。

法務業の末席さん、まるで「メリット」「デメリット」を客観的事実のように書かれていますが、そこに疑問を呈しているんですよ。

たとえば、全面録画が実施されたからといって、そのすべてを全員で見直す必要はないですよね。調書に対して「言った・言わない」議論がなければ、見直す必要はないのですから。そもそも全面録画されていたら、「言った・言わない」議論になるような取調べはなくなって、被疑者が拘束される時間は長期化どころか短縮できるかもしれません。

少なくとも、そのような見方はできると思うのに「全面録画により長期化することはデメリット」みたいな(根拠の薄弱な)話が出てくるので、「一方的なパターン」ばかりが強調されているように見えるわけです。「司法制度全体」を論じるにしては、ここには強い“偏り”を感じるのです。

>そのすべてを全員で見直す必要はないですよね。調書に対して「言った・言わない」議論がなければ、見直す必要はないのですから。

 某地方裁判所で冤罪再審無罪となった事件は一審で被告人も弁護人も事実を認めて争わず確定し、その後に真犯人が現れて発覚しました。
 このような冤罪を防ぐためには、弁護人は録音録画DVDを全部見なくては防げません。

>、「言った・言わない」議論になるような取調べはなくなって、被疑者が拘束される時間は長期化どころか短縮できるかもしれません。

 裏付け捜査が重視されるべき昨今では当初の調べが終わっても警察は裏付け捜査に走り、その捜査が終了して身柄付きで起訴されます。かならずしも(というかほとんど)身柄拘束の短縮化は期待できません。

 あなたも自説に固執するあまり偏った評価をされているように見えます。ここは想定される論者のメリットデメリットを出尽くしてから議論すべきで、のっけからあなたは偏っていると決め付けるのは公平でないと思います。

No.220

日本語はきちんと読みましょう。
論点の場合分けもきっちり行いましょう。議論になっていませんよ。
「全面録画が実施されたら、そのすべてを全員で見直す必要がある」
とは、法務業の末席さんは一言も言っていません。
「取り調べの全録画を再生して法廷で争うならば」被告人にデメリットが生ずる、と言っているのです。

あなたの言うように、録画が行われることで、無用の争点がなくなり裁判が短縮できる可能性もあります。そうなれば皆がハッピーです。しかし、他エントリでコメントされているように、捜査機関側から見た「適正な取り調べ」と弁護側からみた「適正な取り調べ」との間には大きな隔たりがあります。パブ弁!氏のように極端な意見を持つ弁護士もいるようですから、録画が制度化された場合、公判で「適正な取り調べ」が争点となって裁判官および裁判員が全録画を見なければならないケースが多発することは想像に難くありません。
あなた個人が楽観視するのは自由ですが、法律の素人である私ですらここの議論を読んでいるだけで容易に想像がつくのですから、実務家や法律の専門家が楽観論だけで取り調べ録画の制度化を論ずることはできないでしょう。無邪気な楽観論に対して「こういうデメリットも考えられますよ」「性急に制度化すると後から問題が噴出してまずいことになりますよ」という警鐘を鳴らせる方々がここには大勢おられるので、あなたの目には偏っているように見えているだけです。

コメントを重ねる前に、もう一度「自分の文章の読み方が偏っているのではないか」という視点を持ち、他の方のコメントを読み直すことを勧めます。

 つまり、全ての人に通有すべき議論のルールですが、お互いが自説のよって立つ理論的根拠、具体例、想定メリットデメリットを出し合い、自説主張と他説批判を繰り返して進展するもので、その意味で、「当事者が予断と偏見をぶつけ合い闘わせると、局外者の目には真理が浮かび上がるという民主哲学」(ブランダイス判事)に基づくものだと思います。
 ですから議論の途中では偏見や偏向であっても差し支えないわけで(議論のルール違反や論理法則違反は格別)、のっけから相手を偏っていると批判することは無益だと思います。
 相手のメリットデメリットシステム設計に疑義があるならそこを、理路的根拠や具体例で批判すればよろしいかと思います。他方の方も同様に再批判すればよろしいかと思います。
 ご参考まで。

>ここには強い“偏り”を感じるのです。

 「ここには」というのはどういう意味ですか?
 公判立会経験のない法務業の末席さんの意見に基づいて、このブログの全体を評価しようというのですか?
 一人の意見に基づいて全体を評価するあなたに“偏り”はないのですか?
 なお、公判経験がないという意味では、あなたも同様です。
 
 それはそれとして

>たとえば、全面録画が実施されたからといって、そのすべてを全員で見直す必要はないですよね。調書に対して「言った・言わない」議論がなければ、見直す必要はないのですから。そもそも全面録画されていたら、「言った・言わない」議論になるような取調べはなくなって、被疑者が拘束される時間は長期化どころか短縮できるかもしれません。

というのは、ほぼ正しいです。

 ただし、

>「言った・言わない」議論になるような取調べはなくなって、

というのは正確ではありません。
 「言った・言わない」議論になるような取調べがなくなるのではなく、「言った・言わない」という議論がなくなるのです。

 私自身は、全面録画による公判審理の長期化という弊害を指摘したことはありません。
 取調べの全面録画をすれば、公判における自供の任意性に関する争いがなくなる場合がありますし、争いが生じても見れば分かるという場合が多くなるのは間違いありません。
 そして、必ずしも公開の法廷で見る必要はないとなれば、公判審理時間は短縮されます。
 その分、弁護人が公判外で相当長時間録画を見る必要が生じる可能性がありますが。
 ただし、公開の法廷で全部再生すべきである、ということになれば、今まで以上に長時間の法廷審理が必要になる場合が多いと思われます。私は反対ですけど。
 制度設計と運用次第という面は残ります。

 あなたは

>「司法制度全体」を論じるにしては、ここには強い“偏り”を感じるのです。

と言っていますが、あなたは「司法制度全体」をどの程度理解しているのですか?
 「司法制度全体」を論じるにしては、ここには強い“偏り”を感じるのです。と言えるほど、「司法制度全体」を理解しているという自信があるのですか?
 今回のコメントは正しい指摘を含んでいますが、こういうことを言うから、あなたに謙虚さが感じられないのですよ。
 あんまり上から目線の言い方はしたくないんですけどね。
 自分が経験していない領域、自分が知らない世界について議論しているという自覚がありますか?

 ちなみに、別トピックで、「弁護人は、録音録画DVDを全部通常速で見るべきであり、違法な取調べを見逃すと後で弁護過誤で訴えられるリスクがある」と投稿したのは、法務業の末席さんではなく私です。↓参照
http://motoken.net/2009/06/08-122601.html#comment-8835

 ちなみに、パブ弁!さんの考え方に従えば、原則として、被告人の態度如何に関わらず、弁護人としては全面録画されたDVDを全て見るべきことになると思われます。

 そうだと思いますが、私は、無益無意味な議論や罵倒受けは避けたいので、パブ弁!ハンドルの主観はスルーします。あしからず。
 ただ、議論のルール違反(ディベート禁忌違反はもちろん藁人形戦法や捏造を含む)やネチケット違反に対しては、相手が誰であろうとも、昔も今後もネガティブコメテータでありたいと思います。

 弁護人のあり方としては、全件全部確認は理想です。
 別エントリで、こういうコメントを書いているのですが、要するにケースバイケースで考えないと、実務運用として回っていかないだろうと思います。
 パブ弁!さんの意見には正しいところもあるのですが、何事も極論はよくないということではないかと。

 ちなみに、米国XXXX州で弁護過誤で訴えられた公設弁護人は、取調べ立会中に居眠りして弁護人の義務を果たさず、その様子がFBIの取調べVHSビデオ(日本の取調べDVDと等価)にバッチリ録画され(眠っていたのを起こしたのはFBI特別捜査官)、弁護過誤専門弁護士(元被告人受刑者が原告)の請求額1万ドルを裁判中に認諾(民事訴訟の途中で原告と裁判外で和解?)したそうです。
 取調べ立会が全面的に採用されたとき、精神的緊張を強いられる弁護士先生はたいへんですから、被疑者国選でも、せめて報酬面で報われないといけないと思います。

>パブ弁!さんの意見には正しいところもあるのですが、何事も極論はよくないということではないかと。

 彼の(ほとんど受け売り)理論は正しい面があるのに、それを独自の極論で味付けするので、パクリ元の一流の弁護士の立派な理論が変色して、一般の方から色眼鏡でみられないかと心配です。

横から失礼します。
ここでのmohnoからのコメントに根本的なところで疑問がありましたので。

>“国民の多数意見”は「真犯人を取り逃がさないためには、まれに冤罪で重罪に問われることがあっても仕方がない」ことを受け入れるでしょうか

このような設問をするということは、 mohnoさんは「冤罪が起こるのは真犯人を取り逃さないため」と考えていると理解してよろしいのでしょうか?
もし違うというのであれば、失礼いたしました。

>私自身は、全面録画による公判審理の長期化という弊害を指摘したことはありません。

その通りです。
公判審理の長期化という懸念は、私がNo.218で言及したことであって、モトケンさんが過去に言われた弊害ではありません。刑事司法手続きを実際に経験したことのない私が、その想像力で思い付いたデメリットが生じる可能性の一つです。

No.218での前半のここまでの部分は、私の想像力の産物です。

ただし、取り調べの全録画を再生して法廷で争うならば、例えば裁判の長期化、・・・(中略)・・・ 裁判が長引けば長期間「被疑者被告人」として社会生活に悪影響(例えば毎月何回か出廷したり弁護士と打合せするだけでも時間と費用をロスします)があります。これは被告人にとってデメリットになります。
ここでの長期化の懸念というデメリットは、私が新たに持ち込んだ論点です。なお、私は法廷で録画を再生しろとは申しておりません。出だしの文章は、『取り調べの全録画を(弁護人が法廷外で)再生して(、)法廷で(被告人の自白調書の任意性を)争うならば、』と()書きを足して読んで貰えれば、私の本意に近くなります。その点、言葉足らずであることはお詫びいたします。


そして後半のここからが、モトケンブログでのここ数日の議論の流れも参考にして、司法制度論として司法取引導入とセットで考えるべきと、私なりの考えを延べた部分です。当然モトケンさんの司法取引を考慮すべきとのお考えは参考にしましたが、その前提からして私とは違っていますので、司法取引導入という結論は同じようでも違いは大きいでしょう。

取り調べの全面録画による自白の任意性への疑義が減少するメリットは、モトケンさんも私も更に他の多くの投稿者も認めています。
ただ全面録画導入によって司法制度全体としては、メリットだけでなくデメリットも想定されるので、・・・(略)

まぁ、この前半と後半の前提条件などをもっと明確にして、モトケンさんの司法取引必要論とは違う私の個人見解と直ぐ分かるように書けば、読み手に親切だったとでしょう。そこは書き手としては反省事項です。

No.218、No.221、No.222 のような批判を受けたにも関わらず、モトケンさんから「今回はほぼ正しい」と判断いただいたのは興味深いですね(正確ではない、にせよ)。モトケンさんの主張を私が“誤読”しているのだとしても、それは私だけではないようです。それに、

> 公開の法廷で全部再生すべきである、ということになれば

って、誰が「法廷で全部再生すべきである」という発言をされたのでしょう(パブ弁!さん?)。私は、そんなことは言っていませんし、少なくとも“制度としてそうすべき”とはまったく思わないですから、まさに“言ってもいない”“思ってもみない”ことなんですが。

> 自分が経験していない領域

モトケンさんの(元の)立場“以外”にいらっしゃる方の経験を見聞きする機会はあるわけですが、そういう方の主張がモトケンさんと似ているかというと、そうでもないようです。

オダさん、私は No.213 で、以下のように書いています。

> 冤罪の発生を極小化しようとすると真犯人が罪を免れる可能性が極大化するという関係

とおっしゃっています。(犯罪があるなら)「冤罪の発生」=「真犯人が罪を逃れる」ですから、私は、この関係に同意しません。

あるいは、この“傾向”があるのだとしても、「国民の多数意見はどうか」という際に後者(真犯人が罪を逃れる可能性)だけではなく、引き換えになる前者(冤罪で罰せられる可能性)を受け入れるのがやむをえないことと「国民の多数意見」が考えるのかどうかも考えるべきですよね。どうも、この場では前者だけが強調されているように見えるのですが。


もう一度、これを繰り返そうと思わなかっただけです。

まあ、そろそろ読者の方の判断におまかせしてもいいような気はしています。