逮捕から17年「判断遅すぎる」 足利事件・刑執行停止(asahi.com 2009年6月4日16時10分 続報)
足利事件の経過
DNA型が一致しないという鑑定結果が検察側に伝えられたのは5月8日だそうですが、今日まで釈放されなかったことについて、「遅すぎる」という声もあるようですが、従来の検察の対応と比較すると、かなり早いのではないか、という印象を持っています。
私は、検事当時から、検察は一旦起訴した事件については有罪判決に執着し過ぎるのではないかと思っていましたが、だんだんその傾向が薄くなってきたかな、という気もしていました。
今回の刑の執行停止の決定は、その延長線上にあると思います。
決定のための手続的な時間を考慮してももっと早く釈放が可能だったとは思いますが、20年以上前だったら相当決定的な無罪の証拠が新たに出てきたとしても、刑の執行を停止したかどうかさえ疑問があるところです。
ところで、弁護人のお一人の佐藤博史弁護士は
「誠に一方的で唐突な釈放。17年半も自由を奪った人に対し、自らの責任の重さを自覚しない行動だと思う」
と声を荒らげたそうです。
「誠に一方的で唐突な釈放。」と言うのはどういう意味だろうと思ったりしますが、佐藤弁護士のこれまでのご苦労からすれば、そういう言葉が出るのもわかる気がします。
あらたにすに、佐藤弁護士の10ページにわたる長文のインタビュー記事が掲載されています。
「足利事件」とDNA鑑定>佐藤博史弁護士に聞く
一級の刑事弁護士が事件を冷静に振り返っているのがよく分かるとても読み応えがあるインタビューです。
有罪判決の決め手の一つとなったDNA鑑定は当時としては最先端の科学捜査技術だったのだろうと思いますが、最先端=成熟した信頼性のある技術とは言えないわけで、科学鑑定が「神話」と化してしまった本件から反省すべき点は多いです。

佐藤先生の記事は控訴審での自分の戦術上の誤りを認め、その反省にもとづき、その後はもっとも効率の良い戦術で今回の再審に漕ぎついたのは、一人の専門家としてのあるべき姿を示していると思います。
また、9ページ目の"私たちの現在の課題は、菅家さんの1日も早い無罪で、他の事件ことや刑事司法全体のことはそのあとの問題です。しかし、DNA鑑定という最新の科学による鑑定結果が間違っていたことは、足利事件以外にも影響を及ぼすと思います。"という言葉には、刑事事件における、弁護士の正義があくまでも被告の利益と権利を守ることによってのみ達成されるという姿勢が反映されていますね。
被告の利益より自分のイデオロギーを優先させるんじゃないだろうかと心配になってしまう先生もおられますが、、、
いやはや、専門家として尊敬の念を覚えます。
佐藤弁護士の長文インタビュー読みました。酷い事件ですね。何もしてないのにすぐ自白してしまう人間の弱さも良くわかります。
冤罪を起こしただけでなく、時効により真犯人も取り逃がした警察や司法は冤罪被害者や本件犯罪被害者遺族にわびるだけでは足りず組織を洗い直した方がいいかも。
非常に読み応えのあるインタビューですね。
佐藤弁護士が、記事の7頁目にある「宇都宮地裁は,何故DNA鑑定の再鑑定を命じなかったのでしょうか」という質問に答えて、
と述べているのが、とても印象に残りました。この言葉は肝に銘じなければいけないなと、わが身を振り返る思いです。
本件は、小倉弁護士が言っている「ヤマ勘捜査」の対極にある事件です。
当時のDNA鑑定を絶対視していた警察・検察・裁判所は、たとえ自白がなくても、客観証拠が極めて強固な事件として確信をもって起訴し、有罪判決を宣告したことが想像されます。
組織の洗い直しというよりは、科学ないし技術というものに対する理解を見直す必要があるように思われます。
しかし、防ぎ得なかった冤罪ではないと思います。
落合弁護士が、検事をされていたときにその当時のDNA鑑定の確率に疑問をもった旨のエントリを最近書かれていたと記憶しています。
本件に関与した検事または裁判官の誰かが同様の問題意識を持っていたら、起訴しなかったかも知れませんし、もっと早く冤罪であることがはっきりしていたのではないかと思われます。
元の刑事事件を担当した地裁・高裁・最高裁の裁判官は、揃いも揃って「有罪」の判断をしたのですね。彼らは、少なくとも17年は刑務所暮らしをしたらどうかと思いますが。
そもそも、記事にあるように、DNA鑑定以外にも無罪を示す強力かつ多数の証拠があったわけです。すると、裁判官たちは内心では無罪と分かりつつ有罪の判決を書いたか、明らかな無罪証拠を見逃すほど知能程度が低かったかのいずれかです。
前者であれば人間として不適格、後者であれば裁判官として不適格です。
最高裁に少しでも良心があるなら、担当判事の氏名を公開した上で、ただちに弾劾裁判を開始して罷免するよう、国会の裁判官訴追委員会に訴追請求すべきでしょう。
多分しないとは思いますが、少なくとも、そういう連中が司法権を握っていることを我々市民は銘記しておかなくてはなりません。
最近のこのブログでの議論との関係でのコメントですが、佐藤弁護士は、「およそ裁判官は」というような一般化した考えやものの言い方をしていないことに注目すべきだろうと思います。
個々の裁判官の意識や感覚を問題にされています。
それが普通の感覚です。
いや、結果論で裁判官を弾劾してはちょっと(^^;)
当時のDNA鑑定が指紋以下の本人同定能力しかないと言うことが問題だったのであり、当時は科学的な判断なのです。ですから、自白が矛盾していても、それは証拠能力が低いとみて、確実なDNA鑑定をもって有罪を宣告したのでしょう。後出しでこれ自体を責められません。
でも被害者の衣服に付着した精液という決定的証拠をもう数年早く最高裁又は再審請求時に再鑑定してれば、真実に迫れた可能性があったかとも思います。
ほうほう、アナタの言い分によると、そんだけ被告人の無実を推認させる証拠が揃ってたにも拘らず3たびにわたって有罪判決を下させ続けてしまった弁護人は極めつけの無能者だってことですね。
ていうか、相変わらず論理的思考も分析的思考も出来ない人ですね、アナタは。
裁判官が、どんな証拠をどのように評価して判決の結論を導く論理を組み立ててるか分析して、それに対処できる論理を戦略的に組み立てることが出来なきゃ勝てる戦だって負けるわけだよ。
挙句、依頼者に不利益もたらすたんびに、全部「裁判所が悪い」だけ言って被害者気取りしてりゃいいってんならホントに気楽な商売だよね、刑事弁護人ってさ。
精度の低かった時代のDNA鑑定を使った裁判記録を片端からひっくり返して再確認しますって宣言した最高検に比べて、何と程度の低いことか。
有名な吉田岩窟王事件で、再審無罪判決を言い渡した裁判長が、戦前の誤判を謝罪するコメントを付した部分を読んで感動したことを思い出しました。
>「ここでは被告人と呼ぶのに忍びないので翁と呼ぶ。我々の先輩が翁に対して犯した誤審をひたすら陳謝するとともに、実に半世紀の久しきにわたり、よくあらゆる迫害に耐え、自己の無実を叫び続けてきたその崇高な態度、その不撓不屈のまさに驚嘆すべきたぐいなき精神力、生命力に深甚なる敬意を表しつつ翁の余生に幸多からんことを祈る。」
と判決文を朗読した小林裁判長は、両陪席裁判官と共に被告席の吉田さんに向かって深々と頭を下げたそうです。
佐藤先生のお話は、個人的にほぼ全編にわたって首肯できるものです。
は、今後捜査においてDNA鑑定を多種多様な事件の証拠に用いることになる我々捜査員が肝に銘じておかなければならない言葉であると感じました。警察捜査に関して言えば、長期間の内偵捜査により、捜査官らに「あいつが真犯人に違いない」という先入観が生じていなかったか、DNA鑑定を極端に重要視するあまり、その他の証拠を軽視する事になってはいなかったか、といった問題点の検証が必要でしょう。
特に、今後も次々と出てくるであろう証拠としての確度が未知数である新しい科学鑑定を立証の中心に据える際に、二度と同じ轍を踏むことがないよう、十分な検証が求められるのは当然のことだと思います。
私としては、佐藤先生が10項で述べられている
DNA鑑定の絶対神話は崩れたものの、現時点においてもDNA鑑定の証拠能力が非常に高いことは疑いのない事実です。今回の釈放の決め手になったのもDNA再鑑定であり、ここで結果がでなければどれだけ他の証拠を揃えても有罪判決は覆らないと思われます。有罪の決め手となったのもDNA鑑定であり、おそらく無罪であるという判断の決め手となったのもDNA鑑定であるわけです。DNA鑑定と矛盾するような証拠を揃えたとしても、再鑑定を行うネタがなければやはり覆らなかったのではないでしょうか。
DNA鑑定による判断が覆ることもありうる、というのは一つの前進ではありますが、DNA鑑定の神話はまだまだ確固たる物として残っているように感じます。このニュースを見た後であっても、やはりDNA鑑定でクロと出た容疑者は最も疑わしいことに変わりはなく、再鑑定を行ってシロと出ない限りは疑いを晴らすことはできない。即ち、弁護側が犯行を否定するDNA鑑定の証拠を提出すること以外は何を言っても決め手になりえない。
DNA鑑定は非常に強力なツールですが、まだまだ使いこなすことができずにツールに振り回されているという状態なのかもしれません。今回の件を契機に、扱い方を議論していかなければなりませんね。
すみません。本筋からはずれるのですが、、、
多型のDNA鑑定が確率として十分に犯人を絞るだけの能力を持っているのかという議論と、現実的技術的な問題として誤った鑑定をしてしまう可能性を十分に排除できるのかという問題は分けたほうがいいのかなと思います
前者について言えば、昨今のさまざまな方法を併用すればほぼ確実に本人を言い当てることは可能かもしれません。たしか99.99%くらいまで言い当てられたはずです。
しかし、後者の問題として擬陽性を排除できるかというと、なかなか難しいです。一部の報道では(毎日新聞だったと思いますが)、一審で使われた鑑定方法で再鑑定した結果もやはり別人だったとのことでした。そういった、人的なエラーは現在に至っても排除することはできないです。ご存知だとは思いますがPCRは非常に結果がぶれやすい技術です。実験室レベルでも数回の試行を繰り返して異なる結果が出ることも、(稀ではありますが)体験します。まぁ、疑えばきりがないし、独立して同じ結果が出ればとか、どこかで折り合いをつけないといけないのかはしれませんが
そう考えると、再鑑定に備えた証拠の適正な保管が今後益々重要となってくるでしょう。
特に、DNAは公判において再鑑定されるという前提で捜査を進めていかなければならないでしょうね。
予算的、人員的に厳しいものがありますが・・・。
民間委託だと同一性の確保に問題が生じそうですし・・・。
古くて精度の粗いDNAを覆すのは、最新の精密なDNA鑑定である、このことは大事でしょう。技術の進歩が誤判を暴き冤罪から無辜を救済するなら、技術の進歩万歳だと思います。
今回、足利事件に関する佐藤弁護士のインタビュー記事や、その他多くの報道などから感じた疑問があります。
それは間違った結果であった「最初のDNA鑑定」は、菅家氏が逮捕される以前に実施されたと聞きます。しかもサンプルの一つは被害幼児の下着に付着していた精液というのは分かりますが、対比するためのサンプルが菅家氏の精液の付いてティッシュという情報があります。この対比サンプルを警察はどのようにして手に入れたのでしょうか?
任意提出なのか、それとも令状による入手なのか。普通に考えれば令状による入手と私などは思うのですが、とするとサンプルを入手するための捜索差押令状の発付が、取調べより先に行われたことになります。つまり逮捕状の発付より先でないとツジツマが合いません。
もしサンプルのティッシュが、家宅捜索で屑籠などから採取されたとしたら、本人性確認はどうなのか・・・等々、最初の警察の内偵捜査(長期間尾行するなど潜行した捜査が行われていたそうですが)の実態がどうであったのか、興味と疑問を感じています。
昔の精度が低い時代のDNA鑑定で「有罪」になって、「死刑」になった方はいらっしゃるのでしょうか?
最先端の科学捜査の結果です、と言われても、必ずしも確実な証拠とはいえない場合がある、ということは肝に銘じておきます。ますます裁判員になる(かもしれない)のが怖くなってきました。
担当裁判官の名前は判タ等に記載されている公開情報です(ただし、地裁再審については未確認)。パブ弁さんが「公開せよ」というのは、一般の方にもわかるようにということかもしれませんが、誤解のないように補足します。
担当裁判官の名前は判タ等に記載されている公開情報です(ただし、地裁再審については未確認)。パブ弁さんが「公開せよ」というのは、一般の方にもわかるようにということかもしれませんが、誤解のないように補足します。
飯塚事件というのがあるようです。
今調べただけで詳しいことは知らないのですが、死刑執行されています。
福岡・飯塚女児2人殺害事件
この事件では、当時の鑑定の精度が大きく取り上げられてます。1000人に1人程度であったらしいですが、この数字はそんなに悪いものではないことは、競輪や競馬のオッズ比を考えてみても分かると思います。
実はこの最初の裁判の鑑定書のなかのDNAバンドを見た専門家は、菅谷氏と検出された犯人のものとされるDNA型はとても一致していたとはいえないと述べております。鑑定は手順として正しく行われていたが、その解釈は間違っていた可能性が高いということらしいです。問題の根は深いようです。
一般論ですが、誤判だけでは、それ自体が犯罪を構成するような極端な場合を除き、そもそも弾劾裁判の訴追要件や弾劾要件(罷免要件)に該当しないはずです。裁判官弾劾法と弾劾先例をご存じない本物の弁護士はいないはずですが?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%AE%98%E5%BC%BE%E5%8A%BE%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80
http://www.dangai.go.jp/
米国FBIなら「ガベージ・コレクション」という手法があります。つまり推定被疑者がゴミ回収用に道路に遺棄したゴミ袋から「ゴミ漁り」をするわけです(州法レベルで合憲な捜査手法という判例ああったかと思います)。
1,000人に1.2人の誤認率が低いと私はとても思えません。 日本には1億2千万の人間が住んでいる訳でその確率を適用するならば日本だけで14万人の冤罪を生む可能性が有る訳です。
現在の精度は4兆人に1人と言う事ですから当然クリアする精度ですが、少なくとも日本の人口レベルはクリア出来ないならば司法の証拠で使うのは危険だと思います。
金銭で補償出来る物なら間違いも許されるでしょう。ですが今回結果的に菅家氏の17年にも及ぶ時間と名誉を奪ってしまいました。
色々な科学が進み証拠を得る事が出来る様になりましたが、証拠として用いるに当たっては慎重に慎重を重ねるべきだと私は考えます。
大学時代の友人に、国税庁に入って一時マルサに配属されたヤツが居ます。その友人の居酒屋講釈によれば、ゴミ箱漁りはマルサの常套手段だそうですね。
彼曰く、紙屑ゴミの中に請求書や領収書の控えが破り捨てられているなんて小綺麗なものから、ラーメン店のゴミ箱に棄てられた割り箸の数を数えたり、ピンクキャバレーのオシボリの空ビニール袋(概ね空袋5~6枚に客一人と判断するらしい、何で客一人にオシボリ5本なのだろう?…カマトト)の数を数えたり、張り込み内偵の苦労話は結構聞いて知っています。
でも刑事裁判の法廷審理では、こうしたゴミ箱漁りの証拠収集では被疑者本人のゴミかどうか、本人のものとの証明に問題が出て来るのじゃないかと思うのです。或いは100%本人のものとは断定できない、ゴミ箱漁りで得たサンプルでDNA鑑定した結果を基に、身柄拘束して自供を得るべく厳しく取り調べたのなら、「オマエがやったのは、DNA鑑定で間違いない!」と追求した手法は、DNA鑑定の精度問題とは別の批判が成立すると思うのです。
足利事件を捜査していた当時の状況などをしるにつけ、令状によるサンプル採取だったのか、内偵捜査でのゴミ箱漁りだったのか、そこがハッキリしないと、先の自供を迫った取り調べ手法への批判が成り立たないので、サンプル入手の経緯を誰か知っている人は居ないかなぁ~と思う訳でして・・・。
そのレベルまでなら、公判記録を見てみないと本当のことはわからないでしょう。逮捕してから口腔粘膜や毛髪で再度DNA鑑定をやっていた強盗致死事件を法廷で傍聴したこともあります。
http://www.yabelab.net/blog/2006/09/08-203643.php#comments
このブログでもこのようなことが言われていました。
別の観点から、我々は賢く慎重に考えていかなければいけない
ように思います。
情報提供です。
被告人の精液であるとの認定の根拠については、本件は、「一人暮らしの男性宅から出たゴミのなかのティッシュ」という特殊性があるのではないかと思います。
大阪のタクシー強盗(未遂と別のタクシー強盗殺人)も、容疑者のスニーカーについていた被害者の血痕と、現場に落ちていたタバコの吸殻から検出された容疑者のDNAが決め手になってましたね。このときのニュースで、近年のDNA鑑定の精度が非常に高くなっている、という話を聞いた記憶があります。
私は、裁判官弾劾法(弾劾には直接関係ないですけど、裁判官分限法も)の解釈・運用につき子細を承知している訳ではありませんが、訴追の時効及び時効の起算点はどう解釈されるのでしょうか。
ところで、今回はDNA鑑定の問題でしたが、汎化した世間という空気の雰囲気として、技術の無謬性を信じすぎる(不確実性への無理解や不寛容が強いと言い換える方が宜しいでしょうか?)風潮が根にあるような気もするんです。
私見を表明するとするなら、私は単に感情にまかせて声高に弾劾を叫んだり、(当事者のみならず、汎化した一般論としても)裁判官や捜査関係者を糾弾すれば済む話でもないと思います。
地蔵様、情報提供ありがとうございます。
控訴審の東京高裁で一応の判断が出されているのですね。佐藤弁護士は控訴審から弁護を担当されたと聞いておりますので、証拠収集手法の違法性やサンプルの本人特定の疑問点などは、佐藤弁護士が高裁で主張されたと思われます。さすがは斯界に評価の高い佐藤弁護士だけあって、私などが思い付くような論点は出し尽くした上での結果(高裁有罪判決)だったのですね。
これで足利事件での経緯は分かりましたが、改めて疑問というか懸念というか、裁判員制度での法律素人の判断はどうなるのだろうか?
もし裁判員裁判でも、このようなゴミ漁りで得た有力証拠がほぼ唯一の検察側証拠だった場合に、裁判員の判断はどうであろうか?
裁判長の裁判員への違法証拠の問題点の説明など、プロ裁判官の素人相手への説明能力や評議の運営如何が、判決の方向性に大きな影響を与えそうですね。
北海道の新聞に出てましたけど、道内で起こった事件では、事件発生当時のDNA鑑定では遺留血痕では推定被疑者を特定できず、十余年経ってDNA鑑定をやり直したところ80京人に1人まで犯人のDNAが特定され、逃走中の犯人が逮捕されて一審死刑になったという殺人事件(2名即死)がありました。
犯人に惨殺された両親の血まみれご遺体を帰宅した娘さんが第一発見者として発見したという………(つД`)グスン
管理は大変重要な問題だと思います。
一つはご指摘のように、証拠品サンプル中のDNAが失われないように低温で保存するということですが、もう一つは証拠品のサンプルと被疑者・被告のサンプルが接触する機会を排除するということです。そういう努力はすでになされているのかもしれませんが、佐藤先生のインタビュー記事で証拠品サンプルへの汚染を危惧したコメントがありましたから、当時は必ずしも統一されたものではなかったのだろうと推測いたします。
初歩的な質問で恐縮です。
容疑者を逮捕した段階で、正式に(口の粘膜などの)DNA鑑定をするのでしょうか?
(当然、するとは思いますが)
すみません。
No.25 ハスカップ 様の書き込みを見落としてました。
後半ですが、おっしゃる報道の記事、というか、電気泳動の解釈がおかしくて結果自体は正しかったというのが事実であれば、実験におけるぶれ、というのは今回の件に関しては重要な問題ではないですね。ただ、一つ疑問なんですが電気泳動写真ぐらい残っているわけですよね。それを見直せば別人だってことぐらい分かるじゃないですか。その写真を見た、判断するための教育を受けているひとはみんなおかしいと思ってたのかな?それとも、電気泳動が不十分で識別可能なほど、バンドが分離できていなかったってことなのかな?後者の場合は、別な意味で、手順が正しかったとはいえないということになると思いますが。謎が深まるばかりです。
以前も貼ったような気がするのですが佐藤弁護士のロングインタビューを読んで以下の友人からのメールを連想しました。
・・・おい、話が終わってしまったぞw。
個人的にはこの国選弁護士の方にむしろシンパシーを抱きます。国選弁護士の安い報酬じゃ通り一遍の事しかしなくて当然です。『高い理想と技術と鋼の精神を兼ね備え、自分の戦術上の誤りを率直に認め、その反省にもとづき、その後はもっとも効率の良い戦術を取るだけの柔軟性をも兼ね備えた聖人君子という究極生物』のみに可能な仕事、それが『足利事件の再審請求』。
佐藤弁護士、おそらく手弁当どころか労力に換算すると多額の持ち出しでしょう。どこまで滅私奉公なのかと。とても常人にはお勧めできません。常人でもこういう仕事が可能なシステムを希望します。
口先プロパガンダだけの人よりも、自腹切ってまで社会正義を自ら貫く人の方が尊敬できます。前者は自己の無謬性に汲々としますが、後者の方は自己の過ちすら公にされる度量がある方のようですし。
Honesty and frankness make you vulnerable.
Be honest and frank anyway.
正直さと率直さはあなたを脆くする。
それでも正直かつ率直でありなさい。
People favor underdogs but follow only top dogs.
Fight for a few underdogs anyway.
人々は判官びいきが好きだが、
強者にしかついていかない。
それでも弱い者たちのために戦いなさい。
People really need help but may attack you
if you do help them.
Help people anyway.
本当に助けが必要な人を助けたら、
その人はあなたを攻撃するかもしれない。
それでも人を助けなさい。
ケント・M・キース著 「逆説の戒律」より
たしか、マザー・テレサの本で初めて知った言葉だったと思います。
現代のDNA鑑定技術で20年前の鑑定技術を断罪することは典型的な後出しジャンケンであり、直接被害受けた被疑者以外の第3者が言ってはならないと思いますよ。
DNA鑑定と本人自白があれば、本当に公平な刑事裁判官といえども当時は有罪にしたのはやむを得ないのでは。
あちこち事実と矛盾したり変遷する自白より(一見科学的に見える)鑑定を裁判官が重視すること自体はやむをえないと思います。今後はその上で米国のように権利として再度のDNA鑑定を要求できるような制度を立法するべきではないでしょうか。
「後出しジャンケン」と聞いて、医療訴訟と対比して考えてしまいました。
そうか!法曹も今までの医療者のように間違いをみとめないことをかえなければいけないということに気づき始めるのか!
皮肉ぽくいって申し訳ないが、科学が万能でなく、間違いがあることは理系の人間はよく知っています。特に、医学は間違いを正しながらすすんできた学問(外科なんて失敗学そのものです)であり、その要素を取り込みながら行われる文系の法曹も、その科学の間違いということに巻き込まれることがあることをこの件でよく知ったことだと思います。
そこで、間違いを認める勇気がないと、今の医療者のように信用を失って、暗黒の時代に入ってしまうのだろうと思います。
間違いを間違いとして正すことができないと、本当は正しいことまで、間違いではないかと疑われ、スムースにことが運ばなくなる。今の医療現場における問題です。間違っていないことを間違っているといわれるようになって、どんどん医療現場は荒廃しているのです。
うーん、だけど「800~1000人に1人の高確率で別人同士を識別できない」程度の鑑定結果に証拠能力を認めちゃったことには批判の余地があると思います。
先に引用のある
との記述からも伺えるのは、刑事・司法当局のみならず弁護人までもが「DNA鑑定で本人性が立証されてる」との前提から始まっちゃってるってことですよね。
かつて地下鉄サリン事件の実行犯の公判で(ムリスジの主張でしたが)弁護側が「オウムがサティアンでサリンを製造していたとしても、地下鉄で散布された毒物がサリンであると断定できなければ、被告人たちの犯人性が否定できる」というゴールに向けて、科警研や研究機関が“凶器はサリン”と断定した鑑定そのものの信頼性に(プロセス、技法、試料、装置、鑑定担当者の知見、学術論文、何から何まで)徹底的に疑問を突きつける法廷戦術を採用したのと比べると、ナンダカナァという気にさせられます。
オービスでの自動速度違反取締りだって、センサーの速度検出公差能力を巡って、相当長期の裁判をやった人だっているというのに・・・
http://www.asahi.com/national/update/0605/TKY200906050056.html弁護側の一方的話ではありますが、当時の800-1000人に1人の鑑定技術であっても、犯人のDNA型と菅谷氏のDNA型が一致してなかったことが指摘されております。法廷に出された証拠を検討しても一致するとは言いがたいとの専門家の意見もあります。
報道も良く見ると、鑑定精度が低かったことを盛んに述べてますが、そうであっても偶然に当時のDNA型が一致していたとは言ってないようです。
DNA鑑定が重要ポイントだとは思いますが、やはり自白、
しかも公判でも自白してしまった背景が気になります。
自白の矛盾点も多く指摘されていますが、「当時はDNA鑑定
の裏づけとして自白もある。」という古典的な決め手で
科学的な証拠の補完をしたような印象があります。
時効の件は、様々な方に気の毒な結果となったように思い
ます。
>現代のDNA鑑定技術で20年前の鑑定技術を断罪することは典型的な後出しジャンケンであり、直接被害受けた被疑者以外の第3者が言ってはならないと思いますよ。
これを言っちゃお仕舞いよ。って意見ですね。この事件は最高検も調査に乗り出すのでしょうが、第三者もマスコミも客観的に徹底的に問題点と責任者を追求すべきだと思いますけどね。
元外科医 さんの分野で20年前の医療レベルで行われたことを今、断罪するのは後出しじゃんけんだよ、おかしい、というのは判ります。
しかし、この事件は自白を得た取り調べの不法性という問題が一つ。あと、1997年時点で既に指摘されていたDNA鑑定の誤りを検察、司法が全て無視して暴走しているという問題が一つ。途中で過ちを認めない組織というのは怖いものでは無いでしょうか。
西の方で、当時のDNA鑑定が物証の柱となって、死刑執行されてしまった例もあるとのこと。後だしじゃんけんでも何でも、国家が個人の人権を不法に侵害していたのなら、それは明らかにすべきでは無いでしょうかね。
①「自白を得た取り調べの不法性」
②「DNA鑑定の誤りを検察、司法が全て無視して暴走している」
は、すでに認定されているのでしょうか?
それとも認定する側が当事者だから間違っている!
と言うことを前提に感想文を書いているのでしょうか?
根拠は何でしょうか?
アジっぽくて※△×■
だって当時の裁判の事実認定と鑑定技術の水準の低さでは、「法廷での自白があり、それを補強する1000人に1人のミスしかないDNA鑑定がある。」「DNA鑑定と矛盾しない法廷での自白がある」ということでは有罪になるのはやむをえないでしょう。いずれも、証拠としては全く価値がないことが今では判明していますけどね。その時点でも法曹界の多くはこれはおかしいと言っていたのでしょうか。
インタビューの最後のページの「飯塚事件」が気になって仕方ありません。DNAが再鑑定される可能性はあるのでしょうか。
無実だったら証明されて欲しいと思う反面で、本当に無実だったらと思うと……手に汗が出てきます。
「飯塚事件」のPCRの資料は被害者の衣服の血液、被告人所有の車のシートの血液、尿(こちらはPCRしていなかった?)だったような感じでしょうか。一審で、科警研のPCR方2種類のうち1種の方の信頼に疑問を示していたと思われます。 現在資料は保存されているのでしょうか?被告人の資料も。資料からもし否定されたら。
元外科医さまに質問なのですが、、、
1、1000人にひとりという人数は少ないでしょうか?
これは私には判断できないことですがどうでしょうか。たとえば強姦等の裁判が年間2,000あり、それらがすべて同じような基準で判断されたとして、期待値として年間2件は自白だけで有罪になってしまうことになります。重大な犯罪だけに直感的には許容できないほどの擬陽性の率だと思いませんか?
もちろんほとんどの事件については正当な捜査と裁判がなされていて、今回は稀なケースだったのでしょうから、これは極端な思考実験ですが。
2、科学的証拠の不確定性についてどのように考えておられるのでしょうか?
No.12で言いたかったことなのですが、科学的手法には(おそらくおおよそ人間のすべての判断には)、必ず不確実性が伴うものです。ですから、原理的、統計的に導き出される正確性より実際の正確性より常に低いということになります。そして、そのような不確実性は定量的に測りうるものではありません。その、不確実性が無視できるほど小さいと判断するべきなのは誰なのでしょうか?
DNA鑑定にはPCRを行う必要があります。そして、PCRはとりわけ(実施者として直感的に)擬陽性が起こりやすい方法でもあるわけです。それは実施者の熟練度に責任を求めるのは酷です。これはPCRにおける不確実性の問題ですが、一回の試験あたり、一実験室での試験あたりの不確実性を取り除くのは人間が手を動かして実施している以上は避けることはできないでしょう。参考にURLを提示します。上は横田めぐみさんと北朝鮮が主張する遺骨のDNA鑑定騒動の際、Nature誌において議論された科学的不確実性の議論です。下は本件DNA鑑定の問題点を支援団体が指摘したページです。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/05-03/050322asyura-nature.htm
http://www.watv.ne.jp/~askgjkn/dnamon.htm
3、今では???
"(略)いずれも、証拠としては全く価値がないことが今では判明していますけどね。"
今では判明しているとおっしゃいますが、今回の件に関して誰が証拠としての価値がないと判断したんですか?
自白に関しては私は判断ができませんが、DNA鑑定に関しては、結果的には別人に由来することを明らかにするためには当時の科学水準であっても可能だったでしょう。結果的にはというのは、証拠品の犯人に由来するDNAが検出不可能なほど少なければ明らかにすることが出来なかったからです。また、別人に由来することを明らかにしなくてはならなくなったのは最高裁で有罪になったからです。
すいません。誘導的な質問になってしまったかもしれませんが、答えていただければ幸いです。
後だしジャンケンについて
3つの観点を区別する必要があると思います。
①裁判官個人に対する法的責任の追及
パブ弁さんが言っていたのがこれです。
弾劾裁判なり、民事上の不法行為なり、いずれにしても少なくとも現状の解釈・運用を前提にすると、責任があるという結論にはならないでしょう。
それでいいのかという議論はあり得ます。実益はあまりなさそうですけれど。
②裁判官個人の倫理的責任
事実として、犯人ではない人の自由を奪う結果となってしまったのですから、関与した裁判官はそれぞれ、人として後悔するでしょうし、人として、被告人に詫びるべきではないかと思います。そう思わない裁判官もいるでしょうけど、まぁ、それも自由です。「慎重に判断した結果」と取材に答えた裁判官も、眠れない夜を過ごしているのかもしれません。
人の命や自由を奪う判断をする仕事についている以上、誠実であればあるほど、自分が間違っているかもしれないという不安から解放されることはないのでしょう。厳しい仕事だと思います。
③事実認定の方法論についての批判的検討
裁判官としては、それなりのセオリーに従って証拠を評価して、有罪判決という結論を出したのですが、結果としては間違っていたということです。
事実認定の世界で「結果として間違っていた」ということが明らかになることは、そんなに多くありません。上級審と下級審が違う結論に達した場合、法律的には上級審の結論が優先されますが、本当にどっちが正しいかは神ならぬ人間にはわからない(ことが多い)のです。
足利事件は、有罪の判断が間違っていることがほぼ明らかになりつつあるある特殊ケースです。なぜ判断を誤ったのか、責任追及とは離れて、原因を解明し、後日の教訓とすることが極めて重要と思います。
以上、裁判官についてですが、同じことは検察官・警察官にも程度の差はあれいえることです。弁護人もそうかもしれません。
また、こうやって整理すると、医療事故のケースと比較しやすいのではないでしょうか。
>「法廷での自白があり、それを補強する1000人に1人のミスしかないDNA鑑定がある。」「DNA鑑定と矛盾しない法廷での自白がある」
というのが、決定的な証拠だとおっしゃるならもう何も申し上げいたしませんが、1000人に1人のミスってのは人を裁くには大きすぎませんか。逆に1000人に1人の指紋は同じであるってなったら、証拠として弱いのでは無いでしょうか。あくまで、補強証拠に過ぎず、本人性を否定する証拠では無いという読み方をすべきでしょう。
長くなりますが、ご容赦を。
今回の事件に問題点を感じるのは、指紋とは異なり当時のDNA鑑定は800-1000人に一人は同じだということを判っていたはずの警察、検察という捜査組織が、他の物証も無く被疑者に決定的な証拠だとして追求し、自白を得たという点にあります。
つまり、特性性が低い検査結果が卵で生まれたのが自白なんだと思うのですよ。そして、自白と事件には矛盾があり、そこはDNA鑑定で乗り切った裁判なんだと、担当弁護士の10ページ(モトケンさん紹介)から伺えるんですね。
私も当時のDNA鑑定は 20年前だから、間違いもあったんだろうし、それを責めてもしょうが無いと思っています。科学は進歩するもので、その当時の検査官を責めてもしょうがないでしょう。それは後だしジャンケンでしょうねー。でも、800-1000人は同じなんだ、という認識は捜査官にはあるべきで、それを持っていなかった捜査官を責めるのは後だしじゃんけんでも何でも無いでしょう。
更に、その後1996年押田先生が問題提起をされている。そのことを、今年、5月の時点で知ったとき、。押田先生には日航墜落の時のご尽力がある方で警察当局も耳を貸したんじゃないかなーと感じつつ、何故に控訴審で生かされなかったのかと思ったのですが、その経過もモトケンさんご紹介の弁護士の話から状況が判りました。もう、今から13年の前に鑑定の間違いが指摘されている。少なくともその時点で再鑑定をすべきであったんだろうと素人には思えるんですけどね。
日本にいる全ての人に犯行の機会があったとすれば,鑑定の1/1000の精度であれば該当者は12万人いることになり,特定として十分ではないことは明らかです。
しかし,実際には全ての人に犯行の機会があったわけではありません。
犯行の機会,能力がある人が何人いるかで鑑定結果の証拠価値は異なるのです。
1/1000の精度であっても,1000人しかいない孤島でDNA型が一致していたとなればかなり強く犯人と被疑者の同一性が推認されることになります。
本件だって,犯行の機会,能力があった者が精度のみが問題になるほどたくさん存在したとは考えがたいでしょう。
もっと早く再鑑定すべきであったという批判や,資料や鑑定方法に問題があったという批判や,自白を得る過程に問題があったという批判(実際に問題があったか私は判断できませんが)は正当だと思いますが,DNA型鑑定の精度を問題にして捜査官を批判することには違和感を感じます。
例が適切ではありませんでした。
この例だと6割強の確率でその島には2人以上同じDNA型の人がいることになってしまいます。
私のコメントの趣旨は,鑑定の精度は場合によるということです。
犯行の機会,能力がある者の数が限られていれば,血液型ですら強い推認力を持つこともあるということです。
当時の司法の世界では、「800-1000人は同じなんだ」という認識を持つのが当たり前だったのでしょうか。
当時の司法の世界で、そのような共通認識が存在しなかったのであれば、捜査員個人を責めるのは後出しじゃんけんになると思います。
tottoさんの個人的な基準に基づいて、断罪しているだけではないでしょうか。
1000人に1人が問題にされているようですが、こう考えてみてはいかがでしょうか。
1000人あたり1人に対して、確実に死をもたらす薬があるとします。残りの999人には劇的な効果をもたらします。
その薬を投与して、不幸にも患者が亡くなった場合、国民は医師を責めるべきでしょうか。あまりいい例えではないかも知れません。
なお、この件に関して思うことは、冤罪の確率をゼロにすることができない以上、足利事件の様な事が起こることは不可避ですし、冤罪によって処刑されることは不可避だと思います。その事を受け止める必要がありますね。
従って、今回の事件の場合、冤罪に関して捜査員を批判しても無意味でしょうし、冤罪に関して、検察や裁判所を批判しても無意味かも知れません。冤罪を減らすことはできるでしょうが、ゼロにする事は不可能だと思いますので。
批判されるべきは、再鑑定に応じなかった件が主だと思います。
科学に対する科学的・合理的な理解が重要であることを認識させているのではないでしょうか?
鑑定の結論のみを取りだして、その結論が正しいとすることは、危険である。鑑定にも、その前提としたこと、採用した方法、評価した方法、結論を導くにあった際の理論の構築等々様々な要素があり、再現性や検証制の確保、生データの記録等々もあります。
鑑定は、その時の最新の合理的な科学水準を超えることはできず、その後の学問の発展等により、不合理な内容になることはあり得る。
鑑定というと、難しくて、そのまま結論のみを採用しようとする。しかし、鑑定を合理的に評価して、扱うことが必要だと思います。
一審の時の弁護士さんを含めて、捜査員、検察官、裁判官
の個人責任論で語るべきでは無いと思いますが、他の巨大
掲示板ではすでに当時の関係者を非難する書き込みが増殖
中ですね。
裁判員制度、大丈夫だろうか?
悪魔のくじ引きですね。
とすると、問題は、
①発生した被害に対してどのような形で補償するか
②被害の発生を最小限度にするには何が必要か
だと思います。
訂正
発生不可避な事故について医師を責めても仕方がないので、
代わりに(というと変ですが)、「誰が」「どのような形で」補償するかという意味です。
うーん・・・「精度」は「確率」と違うんじゃないかって思うんですが・・・。
DNA鑑定というのは、要するに真犯人に対する“揺るぎない本人性”を証明する証拠とみなされたわけですよね。当時。
ところが実際のところ当時の技術水準では800~1000人ごとに「お前が真犯人だ、証拠はある」と言われる人が出てきてしまうレベルだった。大雑把に足利市の人口を14万人と仮定すると、市内に140~175人程度「間違いなく真犯人の証拠」に該当する人がいたことになってしまう。犯行が単独によるものと推認されるにも拘らず。
当日のパチンコ店の来店者だけに絞っても、鑑定結果上「お前こそ真犯人だ」に該当する対象者は、たぶん3人かそこらいたはずです。だとしたら、そんなもんは鑑定結果自体が100%正しかろうが全然犯人性の証明になんかなんないですよ。
その「甘い精度」を知ってか知らずか知りませんが、この鑑定結果を『決め手』にしたのならば当時の鑑定技術の水準がどうであれ、批判されてしかるべきだと私は考えます。精度の限度においての証拠能力しか持ちえないものを「絶対的な・揺るぎない・間違いのない証拠」として過度の信頼を置いて取り扱ってしまったと言う一点において。
そしてこの批判は司法当局側にとどまらず、男性を真犯人と思ったまま弁護活動を行った1審時点の弁護人にも向けられるべきことと思います。
「1000人に1.2人」というのは型が一致する確率ですよね。そもそも技術が稚拙すぎて、型の判定自体が間違っていたんですからそれ以前の問題でしょう。
同じ試料を検査して違う結果が出るんですから、科警研は鑑定に信頼性がないことはわかっていたでしょう。これこそ犯罪的だと思います。
「科警研の技術、拙劣の一語」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/262581/
これが指し示す件とは飯塚女児殺人事件のことであると思われます。このことが正しいとすれば、飯塚事件で否認のまま処刑された被告は、証拠なし、自供なしで、あくまでも捜査官と検察官の犯人であるという印象のみで処刑されてしまったということになります。
おまけに、最高裁判決2年で処刑されるという短期間の処理であり、恣意的であるという疑いすらもたれてしまうと思われます。
石山教授いわく科警察研は”拙劣極まる分析結果と技術力だった。分析の失敗を繰り返していたのだ。”
外科医で言えば ”拙劣極まる術後成績と手技だった。手術の失敗を繰り返していたのだ。”
です。 こういう人ほど本人自身の病識がなく、本人そのものは自分自身の技術に不安を抱いていないことが多く、結果について納得してしまっていることがあります。こういう事態をどのように排除していくかが、今後の組織としての課題になるのではないかと思います。
でも 先生。
この件はの被害者のDNAが、被告人所有の車のシートの付着血痕と同一のDNAであるか?もございますので、すこし事なる証拠検証も必要かと存じます。 尿もございますが。
科警研以外でも、検査できる量の資料を残していただくのがよろしいのでしょうね。
しまさんへ
>当時の司法の世界では、「800-1000人は同じなんだ」という認識を持つのが当たり前だったのでしょうか。
司法というか、厳密に言えば警察検察という行政側と裁判所の両方なんでしょうが、私は認識不足だったのか、はたまた確率が今ひとつ判らない人たちなのかは当事者で無いので判りません。
>当時の司法の世界で、そのような共通認識が存在しなかったのであれば、捜査員個人を責めるのは後出しじゃんけんになると思います。
何故後出しじゃんけんなんでしょうか。他人を捕まえて裁く。そこには抑制が必要で、捜査官なら、精度を認識すべきことであり、そのような共通認識が無かったとしたら、恐ろしいことじゃ無いですか。科警研では当然そういう認識でいたはずで、証拠採用するなら、組織をあげて共通認識を持たせるべきです。
今回の件では、そういう点も含め最高検では調査して発表して欲しいものです。
しま さんのもう一つの
>1000人あたり1人に対して、確実に死をもたらす薬があるとします。残りの999人には劇的な効果をもたらします。
>その薬を投与して、不幸にも患者が亡くなった場合、国民は医師を責めるべきでしょうか。あまりいい例えではないかも知れません。
例えで無いとして、答えますと、そういう薬は通常、認可されませんね。例外として、治療不能な悪性腫瘍に対し999人に寛解をもたらし1人が死亡というなら、本人に十分な説明と納得をしてもらい投与という条件で使われるものはあります。
しかし、例えば999人の高血圧に劇的に効果があり1人が確実に死ぬならそれを使うのは犯罪に近いでしょうね。実際にはその程度の死亡があれば、薬としては消滅します。
>批判されるべきは、再鑑定に応じなかった件が主だと思います。
そうですね。
めそさんへ
>犯行の機会,能力があった者が精度のみが問題になるほどたくさん存在したとは考えがたいでしょう。
惰眠 さんが答えてしまっていますが。
うーん。他の物証、(目撃者でも)やらあれば、今回、検察側が再審では争わないってことは無いんじゃないのかな。犯行の機会、能力があったもので、と言えば1000人いても可笑しく無いんじゃないの。
私も
>>、補強証拠に過ぎず、本人性を否定する証拠では無いという読み方をすべきでしょう。
という、程度には使えるとは思いますよ。しかし、本件ではこのDNA鑑定のみが客観的な証拠らしいですからね。12万とは言いませんが、1000人位は可能性が無いとは言い切れないんじゃないですか。
DNA鑑定であれ,DNA型鑑定であれ,証拠としては間接証拠に過ぎないのですから,最終的に証拠から認定できる間接事実を総合的に判断して合理的な疑いを超えているか否かということが唯一の基準です。
パチンコ店に来店した人全てに犯行の機会,能力があったわけではないで,2人なり3人なり該当する者がいたとしても,そのことのみが致命的な問題になるわけではありません。
のであれば,間接事実からの事実認定として完全に誤りですが,第一審も控訴審も,少なくとも,判決文ではそのような事実認定はしていません。判決文の大半がDNA型鑑定に関する部分であるのは,当時,DNA型鑑定が科学的証拠として法律的関連性があるか争われていたからであり,これを唯一絶対の証拠として事実認定したわけではありません。
今回の件が避けられなかった過ちかといわれれば,避けられた可能性はあるでしょう。控訴審では鑑定の経緯について弁護人から問題点を指摘されているので,この時点で何らかの措置がとれたかも知れません。
しかし,鑑定結果が誤りである可能性を疑えとは言えるかも知れませんが,一応,鑑定能力があると考えられる者が出した鑑定結果が誤りであることを前提に捜査や事実認定をしろというのは酷なように思われます。
その判断の妥当性はともかくとして,血液型鑑定,毛髪(陰毛)鑑定,精神(状態)鑑定の結果もあったようですよ。
DNA型鑑定が「正しい」ものであったとしたら,血液型,毛髪との組み合わせを考えるだけでも,犯人と被告人とが同一性は飛躍的に高くなります。
今回,検察が認めているのは,新しい鑑定結果が刑事訴訟法第435条6号の証拠に該当するという点です。
DNA型鑑定を除く証拠だけ争えるか,本件において争うべきかはともかくとして,再審での検察の態度はまだ明らかではないでしょう。
連投失礼します。
念のために申し上げておきますが,私は,捜査機関や裁判所に問題がなかったと言っているわけではありません。
4種類しかない血液型であっても,強い推認力を持つこともあるのですから,1/1000ということを殊更に問題視するのは批判として当を得ていないのではないかと思っているだけです。
めそさんへ
しつこくてすいませんが、
判例時報の2002年の解説では
{被告人と犯人との結びつきを示す証拠が、自白の他には、DNA型鑑定しか実質上存在しなかった原判決の証拠構造に鑑みて}
とされています。
>DNA鑑定であれ,DNA型鑑定であれ,証拠としては間接証拠に過ぎないのですから,最終的に証拠から認定できる間接事実を総合的に判断して合理的な疑いを超えているか否かということが唯一の基準です。
というめそさんのコメントには私も同意です。本件ではその様な扱いをDNA鑑定がされず、絶対視に近い状態だったのだと思われますね。私の書き方が誤解を生んだのかも知れませんが、本件ではめそさんのおっしゃるような扱いをDNA鑑定は受けていないと、つまり決定的な役割を果たしているように見えるんですよ。
本件の教訓は、科学的な新しい方法は常に専門的な科学者らにより普遍的だという証言無しでは法的な証拠採用するのは危険であり、科学的素養において素人の法律家には判断が常に過ちを持つ可能性があるという時代を迎えているということでしょう。
判例時報の2002年の解説は手元にないのですが,
というのは,誰が,どのような根拠でこのように評価されたのでしょうか?
少なくとも,私が判決文を読む限り,他に証拠が挙げられているようですが。
というのが,tottoさんの評価なのだとすれば,主観の問題ですので,私がとやかくいうことではありません。
判例にコメントするときは、「自分の意見」と「判例評釈等の引用」とを区別して述べるのがよろしいかと思います。m(_ _)m
少し下調べが足りないようでした。もう少し読み直してからコメントするようにしますが、ひとつの誤りは以下によい論文でもその論文の完全否定につながります。
裁判も、その中に信用できないデーターの混入があれば、、、と思います。
DNA鑑定について,マスコミは,当時の精度では……等の記事ばかりです。
すっかり私は,鑑定精度が上がったから,菅家さんが犯人では無いと証明されたと,勘違いしてしまいました。
1,000人に1人が問題にされているようですが,私は,菅家さんが運悪くこの1,000人に1人に入ってしまったと思っていたのですが,もともと,この中には,入っていなかったのですね。びっくりです。マスコミもこういった事実を伝えてほしいものです。
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/c31bcb9227f6a36b6cf1c12a911ed156
こんな精度の低い鑑定を,絶対視してしまった過程は,検証して欲しいです(どこで?)。
追記しますと、弁護人サイドから「データの信頼性」や「証拠能力の程度」を執拗に問われるならば、それらを証拠として提出する側も反駁に堪えうるものとして出す必要に迫られるわけですから、“弁護人が仕事を果たす”ことによって“訴追側の仕事の精度も上がる”という好循環を生じさせ得ると思われます。
ところで犯行機会について言うと、被害女児の足取りって最終的に未確定ですよね。だとすると、最後に所在が確認されたのがパチンコ屋の駐車場だったとしても連れ去りの現場もその駐車場だったとは限らない。
仮に被害者が自ら車から出て敷地外に歩いて行ったとすると、当時のDNA鑑定において真犯人間違いなしとされうる「足利市内の140~175人程度」のうち、犯行機会を持つ対象者の範囲は拡大するわけです。そして本件で逮捕された男性以外にもう1人「該当者」が存在しただけで、この鑑定結果の証拠能力はパーです。
余談ながら、No.67 めそさんは血液や毛髪を試料として(対象群は被害者着衣に残留した被疑者体液)どんな鑑定が行われたとお考えでしょうか。
私は、それらを試料としてDNA鑑定を行ったんだと思いますが。
私は第一審の弁護人がどの程度鑑定の経過について疑いを持つことができた可能性があったか知るすべがありませんので,本件第一審弁護人の弁護活動の当否については評価を差し控えますが,一般に,科捜研が出してきた鑑定結果を何の根拠もなく疑えということであれば,それは困難な要求に思われます。
本件では鑑定結果が誤っていたので,その意味では法律的関連性がなく証拠能力はありませんが,証拠能力は証拠として採用することができるかという問題ですから,正しい鑑定結果であったら該当者が他にいたとしても証拠能力とは関係ありません。
その証拠からある事実が認定できるかという証明力の程度が問題になるだけです。
また,裁判所は,血液,毛髪,DNA型鑑定で,犯人と被告人の一致ないし類似が見られることと,精神鑑定から動機が理解できること,これらの証拠に沿う自白があることから,被告人と犯人の同一性を認定しています。
DNA型が一致するから被告人が犯人であると言っているわけではありません。
裁判所はDNA型鑑定が正しいものと考えていたので,血液,毛髪,DNA型が一致ないし類似していて,動機が理解できる人間の他に犯人がいると考えることは合理的な疑いではないと判断したということです。
パチンコ店の来店者の数や,その他多数の足利市の住民の数はそれほど問題ではないのです。
血液,毛髪の由来は確か第一審に書いてあったと思いますが,DNA型鑑定の資料とは異なっているものだったと記憶しています。
余談部分ですが、血液型とDNA型の組み合わせで「1000人に1.2人」という話ではなかったでしたっけ。
科警研の鑑定は科学的だから、裁判官は無条件に証拠採用するような慣習が出来ていたのでしょうね。
私たち医師は科警研の鑑定は基本的に信用していませんが(笑)
アメリカのように再鑑定を権利として認めるような立法をするべきだと思います。
前にもチラッと書きましたが、速度違反自動取締りのオービスだって、その性能について「ホントに測定結果は正しいのか?」が問われた裁判があったのと同じことと思いますけど。
DNA鑑定の精度もそうですし、試料が汚染されていないことを担保できる検査体制が整っていたかということもそうですし。
地表解像度1メートルの衛星写真で、地面に広げられた新聞の文字を読み取れるか?という問いに対して十分な立論根拠もなく「読み取れる」という前提で話を進めてしまったのが足利事件裁判のマズいところだと思うんですが。違いますかね。
まず判決文をお読みになったらいかがでしょうか?
第一審から最高裁までMCT118というDNA型鑑定が証拠として用いることができるだけの科学的原理に基づくものかについて,判決文において判断を示しています。
そして,最高裁がMCT118による鑑定結果に証拠能力を認めたことは,その当否はともかく,科学的証拠の判例としてはかなり有名なものです。
本件は,MCT118という鑑定方法自体の問題というより,再鑑定した結果,同方法によってさえ被告人のDNA型と下着から採取されたDNA型が一致しなかったという,個別の鑑定が問題とされているのです。
そして,裁判所や弁護人に個別の鑑定に問題がある可能性に気付くことができるだけの材料があったかについては,私には分からないので,その点について私には評価できないということです。
No.77 青魚 さん
判決文を読み直しましたが,おっしゃるとおり,血液型とDNA型の組み合わせで「1000人に1.2人」のようです。
最近は専らROM専のど素人です。
モトケンさんの本文の結びに、「最先端=成熟した信頼性のある技術とは言えない」解釈されておりますが、私はそうではなく、結局は技術を使う側の心がけの問題なのではないかと思います。今回の問題となった鑑定の場合、「1000人に1人程のエラー」という鑑定の性質・曖昧さを鑑定者が鑑定結果にどう反映させたか、同一人物であるという鑑定結果の証拠としての評価がどうなされたをきちんと分析することが重要なのではないかと思います。その結果、「最先端=成熟した信頼性のある技術とは言えない」という結論に達するかもしれませんが・・・
冤罪はもちろん許されないことですし、根絶すべきものだと思いますが、今回の件で科警研が萎縮して最先端の科学捜査を放棄し、解決できたはずの事件が解決できなくなるのは、社会の安全保障という点からみると大きなマイナスになってしまいます。検察、裁判所および科警研は、今回の件をよく反省・総括し、今後の捜査、司法に充分に活かしてい頂きたいと思っております。
>私はそうではなく、結局は技術を使う側の心がけの問題なのではないかと思います。
私が、No.4 で述べている
>>組織の洗い直しというよりは、科学ないし技術というものに対する理解を見直す必要があるように思われます。
というのと同じ趣旨かなと思いますが、いかがでしょう。
私が思うに、鑑定士は当然「1/1000のエラー」という鑑定の曖昧さはもちろん理解していたが、警察組織は犯罪立件・有罪立証が職責だということも後押ししてか(?)、無理な判断をしてしまったのではないかと推測しているのですが、どうでしょうか?
そういう意味では科学への理解というよりも(もちろん大事なことですが)、警察組織の科学捜査に対する姿勢や位置づけの問題のような気がします。今回の件は、警察が科学捜査を犯罪立証の道具としてしか見ていなかったためにおこった間違いであり、科学捜査を、いわゆる科学と同じように、真実を明らかにするツールと考えていれば、あるいは防げたのではないかと思います。
科学は万能ではありませんが、たとえ999/1000の精度でも、それに見合った運用(厳格な評価、繰り返し等)さえしていれば、この様な間違いは犯さないと思います。言い換えると、たとえ999/1000の精度でも運用さえ間違わなければ、科学捜査は変わらず強力なツールになりうると思います。
当時の時点の判断として、将来的に鑑定精度が上がれば、「別人である。」という確定的な結果が出る可能性がある、ということを捜査側が考えていなかったことが致命的な間違いではなかったかと思います(推測です)。
その可能性を考えていれば、取調官の姿勢も変わっていただろうし、全体的な証拠評価の結果も変わっていた可能性があります。
そのあたりを今検証しているんだろうと思いますが。
鑑定にしろ飛行機事故にしろ、システムのトラブルは
(1) マン(ニューマンエラー要因)
(2) マシン(機械の不具合故障要因)
(3) マテリアル(周辺環境要因)
(4) マネージメント(運営管理要因)
という切り口で見るといいかもしれません。
原因が1つということはなく、法律的な責任は別として、たいてい複合的なエラーの連鎖で事故は発生しています。
私見の思案に過ぎませんが、受刑者釈放という前代未聞の事態になたDNA鑑定は、当時の最新科学を盲信してしまった文系捜査関係者や法曹に1つの要因があったかもしれません。
技術屋の私見としては、当時のDNA鑑定(手法を含む)の精度の悪さを暴いたのも、現在の最新のDNA鑑定という最新科学の勝利です(アイロニーですが)。
初書き込みです。
マスコミの報道などを見ますと20年前のDNA鑑定技術と現在の鑑定技術の差が取りざたされていますが、生物化学系の研究室でガチで遺伝子関連の研究に携わっている友人に言わせるとそもそも警察が行うDNA鑑定には、およそ科学とは呼べない、研究論文の実験結果として提出しようものなら世界中から失笑を買うような紛い物が散見されるそうです。
例えばDNA鑑定の資料を警察が紛失してしまい再検査ができないというような場合、たとえその鑑定結果が誰の目にも明らかに正しい、疑念を差し挟む余地の無いものであったとしても科学的には無意味であり、証拠とは成り得ません(第三者が追試験できない実験は実験とは認められない)。それが科学が要求する『再現性』であり、だからこそ科学鑑定が重要な証拠として認められる……はずなのですが、実際の裁判ではそれが正式な証拠として認められ、実際に有罪となった事例が幾つか見られます。
今回の足利事件を機に法律に興味を持って過去の判例を調べた友人は「裁判官というのは小学校の理科の授業を受けなくてもなれるのか?」と呆れていました。鑑定手法うんぬん以前の問題で、裁判所が「科学的な捜査による証拠を正しいと認めるか否かの基準」、その根本の理解がまずおかしいので科学リテラシーを一から勉強しなおせ、ということだそうです。
>その根本の理解がまずおかしいので科学リテラシーを一から勉強しなおせ
禿同です。m(_ _)m
失礼を省みずにいえば、刑事、検事、弁護士~最高裁判事までの文系人間の「理系音痴」「科学音痴」には、時々頭が痛くないます。間違った技術情報を堂々とブログに掲載して、間違いを指摘されても、誤りを認めて訂正・謝罪しないどころか、間違い指摘投稿を「匿名」だから信用できないと一方的に削除する不誠実な先生までいます。
水で動くエンジンという投資話に加わった弁護士先生もいましたし。
法執行機関と法曹の技官・技術者よ、奮起せよ!(アジです)。文系人間の間違いを正しましょう。
「オッカムのカミソリ」に囚われないことですね。
Science for All Americansの日本語版
ttp://www.project2061.org/publications/sfaa/SFAA_Japanese.pdf
Science Literacy for all Japanese
の研究が進んでいます。
社会「科学」系の学徒であった文系人間としていちごん申し上げたく思うのですが、それは「文系」「理系」のくくりの問題ではないと思っています。基礎知識や考え方のメソッド等々に格差があるのは言うまでもないことですが(そういう勉強をしていないんだから当たり前)、一番大きいのは「理系か文系か」ではなく「論理的思考をしているか、いないか」なのではないでしょうか。
「論理的」と言うのは、妥当性のある論拠に基づき、その論拠を合理的に解釈し、飛躍なく合理的に結論を導き出すという階段のステップを踏んでいる、と言う程度の意味合いですが。
これを裏返して言うと、論拠の妥当性に関して・解釈に関して・結論に至るまで整合性について、あらゆる段階で反証に耐えられ得る論理が備わっているかが問われるということで、これは理系・文系カテゴリによって「方法論」に差異があるにせよ、問われる基本は同じだと思います。
だってほら、いわゆる「理系」でもトンデモ科学を謳いあげる人とかいるじゃないですか。専攻のカテゴリの問題じゃないですよ。
激しく同意致します。
一般的な傾向はありますが、あまりカテゴライズしすぎるのはどうかと思います。
No86のZeroZeroさんのご友人の
>今回の足利事件を機に法律に興味を持って過去の判例を調べた友人は「裁判官というのは小学校の理科の授業を受けなくてもなれるのか?」と呆れていました。
が、具体的にどの事件のどの判断部分を指しているのかを言って頂かないと、これはどうか?と思ってしまいます。
「高校の理科の授業を受けていない」と言われると、身に覚えがあるので、うなずくところもあるのですが(^^;)
>ALL
ちょとアジ演説プロパガンダが過ぎました。m(_ _)m
もちろん理科系にトンデモ科学を唱える方もいらっしゃいます。理系文系を問わず、わからない学問分野は真摯に初学者になって虚心坦懐に事実と証拠を見て、その適切な評価を下すのも、もちろん大事なことに変わりありません。
私は、大学学部までは文系ストレート公教育を受け、その後XXXから理系の教育に走り、脳内がクロスオーバーというかヒュージョンしているので、どちらの立場も理解しております。どちらかというと文系支配に理系が遠慮している雑感があり、そのためのアジ演説でした。許されたし。m(_ _)m
電車内痴漢、男性に逆転無罪=一審は実刑-東京高裁
第一線の研究者もがんばっておられますね。鑑定技術はここまで進歩しているのですね。
今朝、こんな記事がありました。
<ひき逃げ>「耳あか」が容疑者逮捕の決め手…大阪府警
>No.92&No.93 通行人1(被医療者)様
DNA鑑定は、よい精度で正確に使えば犯人性の決め手となり、犯罪必罰も冤罪防止にも効果的な科学捜査でしょう。
ハスカップさま。
逮捕令状請求手続きとしては、認められるのですね。参考人が目の前で、捨てたガム、吸殻(所有権の放棄)の唾液からも可能なのですね。 少し腑に落ちない所もございまして、収集手続きとしては合法なのですね。
被疑者や参考人又は氏名不詳者が現場に遺留した証拠物は、所有者や占有者の任意提出がなくても、法執行機関は、領置することができます。これを実務では書式名にちなんで「乙号領置」というらしです。
【刑事訴訟法】
第二百二十一条 検察官、検察事務官又は司法警察職員は、被疑者その他の者が遺留した物又は所有者、所持者若しくは保管者が任意に提出した物は、これを領置することができる。
【犯罪捜査規範】昭和三十二年七月十一日国家公安委員会規則第二号・最終改正平成一〇年三月一九日国家公安委員会規則第八号
(遺留物の領置)
第110条 被疑者その他の者の遺留物を領置するに当つては、居住者、管理者その他関係者の立会を得て行うようにしなければならない。
2 前項の領置については、実況見分調書その他によりその物の発見された状況等を明確にした上、領置調書を作成しておかなければならない。
ありがとうございます。拝んでしまいそうです。
私はまだ無縁仏になるのは早すぎますよ(爆。
遅くなりましたが
レス頂きありがとうございます。
ドラマなどで刑事さんが変装して「ゴミ漁り」をするというシーンがありますが、あれも「乙号領置」という訳ですね。
また一つ勉強しました。((○| ̄|_
あれ?
現場に慰留してれば「乙号領置」でしょうが「ゴミ漁り」は現場じゃなくて容疑者の家とかだったら違うような....
足利事件のティッシュは「乙号領置」からはずれますよね?
No.27で 地蔵 さんが提供してくれた、控訴審の東京高等裁判所平成8年5月9日判決文より抜粋↓です。
違法の廉はない、という判示ですが、合法ならば「乙号領置」?
うわあ、解釈が難しいんですね。
というか、捜査する人たちはこういうの全部理解して捜査するんでしょうか?
法文には「犯行現場」という限定はありません。
英米法の合理的逮捕や合理的押収(無令状逮捕押収)に淵源があります。つまり、犯行現場だけじゃなくて逃走経路とか潜伏先とか凶器や死体の投機場所とか、犯罪や犯人と関連性が強度にあると認められる人は令状なくして逮捕できるし証拠物は令状なくして押収できる、というコモンローに基づいています。
これは現行犯逮捕や緊急逮捕のモデルになりましたし、逮捕に伴う無令状押収や乙号領置のモデルになりました。元はと言えば、イングランド王や代官でも合理的理由なくして逮捕押収を許さないとする理論が先生です。
ふむふむ、遺留した物というのは「犯行現場」に慰留した物という意味では無く、犯行もしくは犯人と何らかの関係に有ると思われる場所に慰留した物なんですね。
ううううう、法律関係の言葉は難しいです。o(;△;)o
毎度ていねいな説明ありがとうございます。
裁判員は全力で逃げるぞ!!
法学部生用のギャグ。
Q 犯人が遺留したものでも乙号領置できないものは何~だ?
A 膀胱に遺留された覚せい剤代謝物入り尿 (。_・☆\ ベキバキ
ロースクール生用のギャグ
Q 膀胱内に遺留された尿を乙号領置できる例外は?
A まさか身元不明の死体内の尿とか
Q ブー
A まさか解剖医から任意提出だからとか
Q ピンポン、で答えは?
A う~~ん、そうだ、所有者不詳の動物の尿
Q 正解、と言いたいが、獣医から任意提出もあるでよ
(次回に続く)
先生。国外逃亡しかありません。日本国に住民票を置かない。涙。 そうすると選挙の行使も難しいのですが。
まさか裁判員忌避で国外逃散……それより有事即応自衛官(医官)の辞令をもらう(野戦病院救急担当班長)とか……。
>裁判員忌避で国外逃散……それより有事即応自衛官(医官)の辞令
もっと簡単な方法。
選挙に出馬して、国会議員となる(裁判員法15条1項1号)か、自治体の首長となる(同17号)!
アッ、当選するのがもっと困難か・・・
ならば、禁固以上の刑に当たる罪につき起訴されて裁判中(同法15条2項1号)というのはどうだ。これなら誰でも要件を満たすことは不可能じゃないが・・・。
不可能じゃな・・・くても遠慮したいんでw
「感染症で治療中」とかは使えませんかねえ?
>「感染症で治療中」
これは裁判員法16条8号のイに該当すると思います。
ただ、先の自衛隊や国会議員などが列挙された15条は、絶対的に裁判員になれない「就業禁止事由」ですが、こちらの16条の列挙は「辞退事由」です。
どこが違うかと言うと、15条の各号に該当なら、本人が切望しても裁判員には絶対になれない。
16条の各号該当なら、本人が辞退を申し出れば自動的に認められるが、該当していても本人が辞退を申し出ない場合、例えば重病で点滴ぶら下げても裁判員を務めたいと希望する場合などは、裁判長の面接でハネられなければですが、裁判員に選ばれる余地があります。
感染症法の一類感染症、二類感染症、新型インフルエンザ等感染症、指定感染症、
ですか?。
(入院)第十九条。 第二十条。 (準用)
第二十六条。 結核患者に係る入院に関する特例)第二十六条の二。(新感染症の所見がある者の入院)第四十六条
でも、これはいやです。命はるのは。今回の新型インフルエンザ等ぐらいなら。後は結核かな。
やっぱり、
「報道などから判断するに、私はあいつが犯人だと思ふ」
と言うのが一番えぇのでは?
呼び出されても、不選任になるように思へます。
米国の陪審員忌避サイト(ただしパロディ)では
(1) その事件は俺が犯人だ
(2) エイリアンが犯人だ
(3) CIAかIMFの陰謀だ
と回答するのがジョークベスト3に入ってました(。_・☆\ ベキバキ
ハスカップ様
以前チラっとお話したドラマ「ザ・ホワイトハウス」の一シーンです。ハスカップ様はご存知かも知れませんが・・・
「ザ・ホワイトハウス」シーズン3 第12話「二人のバートレット」からドナは大統領次席補佐官の秘書。
サムは過去にニューヨークの大きな法律事務所で弁護士をしていた現ホワイトハウス広報部次長(優秀なスピーチライター)です。
アメリカの方で、興味深い判決が出たようです。
http://www.47news.jp/CN/200906/CN2009061901000769.html
情報提供ありがとうございます。m(_ _)m
実は、ホワイトハウスは、シーズン1までよく見ていたのですが、その後は、夜勤とかぶったり、ドクターストップが入ったりでなかなか見れなくなりましたので大変助かります。m(_"_)m
お礼に学生時代に見た香港映画のワンシーンです(何の映画か忘れてますが(^^ゞポリポリ)。
主人公「俺はイギリス人は嫌いだ。ホワイトピッグの事件で陪審員になりたくない。」
弁護士「大丈夫。そのとおり回答すれば、君は人種差別法(ネグリジェイションロー)で逮捕されるから陪審員を免除される。」
チャンチャン
アメリカは、良くも悪くも自己責任が徹底していて
(1) 自分のことは自分でバンバンしなさい(自費でDNA鑑定やれ)
(2) 税金投入という義務を国に認める作為請求権は認めない
というのは、昔から存外スタンダードなんですよ。
例外は、社会大多数の利益(国益)ですが、それですら連邦議会で喧々諤々の議論となりますし、連邦最高裁まで差止処分で争ったりします(ビッグ3への税金投入)。
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