小倉弁護士が、米国裁判例に見る「誘導尋問」がさらに恥の上塗りをしています。
小倉弁護士は、私の小倉秀夫弁護士のための誘導尋問講座の
誘導尋問の目的は、質問者の思惑通りの回答を得ることにあるのであり、回答を暗示するということはその典型的な方法ではありますが、別の方法もありますので、回答を暗示するということは、誘導尋問の本質的要素ではありません。
という説明について、「世界標準とは異なる「誘導尋問」概念」と言っています。
これは、小倉弁護士が前提状況の違いを全く理解していない無視していることを示しています。
私は、小倉秀夫弁護士のための誘導尋問講座において
小倉弁護士は、特定の答えを暗示するなどの特定の事情がない限り,誘導尋問にはあたらないと評価することになります。と言っていますが、まずここで、誘導尋問の本質を「誘導」から「暗示」にすり替えています。
すでに述べたように、誘導尋問の本質はその名の通り「誘導」にあるのであって「暗示」はその手段です。なぜ「暗示」がその手段になるかと言うと、訴訟における主尋問では、証人は質問者側の人間であることが多いことから、質問の中に回答を混ぜ込む二者択一質問によって、質問者が期待する回答を回答者(証人)に知らせることによって、質問者の意図する回答をさせることができることから、「暗示」が有効な手段になるわけです。
つまり、事実関係に関する質問において(証人尋問は原則的にそういう質問)、迎合的な回答者に対して、特定の事実(またはその反対事実)を質問に混ぜ込むことによって、その事実を肯定する(または否定する)回答を暗示することが、有効な誘導尋問の手段になります。しかし、私と小倉弁護士のような敵対関係にある者同士の間で、意見に類する発言を誘導しようと思うと、「暗示」はそれほど有効な手段ではありません。
そこで手段として考えられるのは、論理です。
回答の範囲を論理的に限定する)質問、すなわち回答が二者択一になる論理構造の質問をし、しかもその二者択一の選択肢の一方を回答者が選択しにくい問題に設定することによって、回答を他方の選択肢に誘導することが誘導尋問の方法として考えられるわけです。
小倉弁護士の質問は、まさにこのパターンに典型的に該当します。
と説明しています。
つまり、証人尋問において証人に過去の事実についての記憶を誘導的に証言させる場合と、議論において相手の意見を一方向に誘導する場合の違いを検討しつつ、両者の場合の共通概念その意味で誘導尋問の本質について説明しています。
これに対し、小倉弁護士が引用しているCleveland弁護士の説明も渡辺直樹弁護士の説明も訴訟における証人尋問を前提にしている説明です。
当然、事実を暗示することが誘導尋問の手段になります。
この点において、私も全く同様の理解です。
しかし、最近の一連のエントリの応酬において問題となった小倉弁護士の質問は、訴訟における証人尋問ではなく、また事実確認の質問でもない私の意見を求めるための
野党の共同提案にかかる刑事訴訟法改正案には無条件で賛成されますか?
という質問です。
これが誘導尋問かどうかが問題になっていたのです。
この問題に対して、「誘導尋問」という概念は証人尋問においてのみ問題になるのであって、証人尋問における質問ではないブログ上で単に意見を求める質問については、およそ誘導尋問という概念に当たる余地はない。従って誘導尋問ではない、という主張であるならば、それは「誘導尋問」という定義の問題として、それなりに理屈は通ると思います。
しかし、小倉弁護士の主張はそうではありません。
議論の場において他人に意見を求める質問において、誘導尋問というものを観念するのであれば、証人尋問と議論の場という前提状況の違いが誘導尋問というものの判断にどのような違いが生じるのかを分析検討する必要があります。
そこで問題になるのは、証人尋問(主尋問)において誘導尋問が禁止される理由は、小倉弁護士が翻訳引用しているように、まさに
すなわち,誘導尋問か否かを判断する上で欠かせない要素として,その質問が証人に対して尋問者が欲している特定の答えを示唆しているために,実際の記憶にかかわらずそのような回答がなされそうか否かということがあげられています。
ということです。
ところでこの文章の構造をどう読むべきでしょうか?
証人尋問というのは、証言を求めるものです。
有益な証言というのはできる限り真実に近い内容の証言です。
逆に有害な証言というのは、真実から離れている証言です。
そして、証人が自己の記憶に基づいて証言するときに、その証言によって最も真実に近づくことができると信じられています。
このことは、偽証罪における「虚偽の陳述」というのは、客観的真実に反する陳述のことではなく、自己の記憶と異なる陳述を意味すると解釈されていることからも理解されると思います。
そして、誘導尋問の危険性というのは、証言が質問者の意図する方向に誘導されることによって、証人の実際の記憶と異なる証言がなされる恐れに他なりません。
つまり、質問者の誘導によって記憶と異なる証言がなされる可能性が生じることが誘導尋問の危険性の本質です。
そして、証人尋問においては、質問が証人に対して尋問者が欲している特定の答えを示唆することが誘導の方法として採用されるわけです。
で、何が言いたいかと言いますと、異なる状況下における誘導尋問を想定しながらその本質を考えるときには、誘導尋問の目的と手段を分けて考える必要があるということです。
上記の翻訳文で言えば、「その質問が証人に対して尋問者が欲している特定の答えを示唆しているために,」というのが手段を示す部分です。「実際の記憶にかかわらずそのような回答がなされそうか否か」が誘導尋問の目的ないし効果の部分です。
なお、この翻訳文が正しければですが、Cleveland弁護士の説明と渡辺直樹弁護士の説明はかなりニュアンスの違いがあるようです。Cleveland弁護士の説明は誘導尋問の効果に重点をおいており、渡辺弁護士の説明は誘導尋問者の目的ないし意図に重点を置いているように読めます。
私は、Cleveland弁護士の説明のほうが正しいと思います。
証人尋問においては、質問者の意図・目的如何にかかわらず証人の証言が記憶と異なる証言に誘導される恐れがある場合は、誘導尋問と見るべきだと考えるからです。
そして、目的または効果こそが誘導尋問の本質を示すものです。
その目的または効果を達成するための手段は、誘導尋問が使われる状況の違いによって自ずと異なってきます。
小倉弁護士は、その違いを無視しています。
以上の説明を踏まえて、もう一度、誘導尋問は、回答範囲を限定する質問によって回答を誘導しようとするものである。などを読んでいただければ議論における誘導尋問というものがどういうものであるかということがわかるのではないかと思います。
法科大学院制度ができる10年くらい前から、司法試験予備校におけるいわゆる論証パターン教育の弊害が指摘されてきました。
物事の本質を理解しようとせずに、ある一定の回答パターンを覚えて形式論理操作で答案を書くというものです。
そのような勉強で司法試験を受かってきた弁護士(検事も裁判官も)は、ボス弁(検察庁や裁判所の上司・先輩)から基本的な理解が弱い、応用力がないという指摘がされてきました。
本質から離れた屁理屈はどこまでいっても屁理屈であることを忘れてはいけないと思います。

David L. Cleveland弁護士が、小倉さんの和約と日本語本文を再度英語に訳したものを読んだら驚くでしょうね。
「回答を暗示するということは、誘導尋問の本質的要素ではありません。」なんて、一人説(少数孤立説?)が明らかで、大学入学以後30年間で初めて耳にした新説です。定義から外れた本質がありえるのでしょうか?
そもそも「リーディング・クエスチョン」を先人達が「誘導尋問」と和約した経緯や理由を考えれば、火を見るより明らかでしょう。暗示が欠けたら何を「リーディング」するのか?という本質的な質問をさておいても、暗示が欠けたら露骨な回答押し付けで「プリング・クエスチョン」か「クエスチョン・フォァ・プル・アップ・アンサー」じゃないでしょうか?
なお、「少数孤立説を教えたがる教員をどうするのかという議論があったことが思い出されます」が、それは法学部非常勤講師にも妥当するので賛成です。
あっはは・・・
中央大学の法科で80年代後半にカリキュラムを見直すきっかけになった「数多のOBからの大学当局への苦情」そのまんまですね。
あろうことか、そのガッコで非常勤やっているヒトが・・・ってのは実にブラックな話です。
追加:
暗示や押し付けでないものだとして、「スティング・クエスチョン」、「リバース・スティング・クエスチョン」、「ダングル・クエスチョン」がある、という再反論が来るかもしれませんが、この3つは「ひっかけ」「逆詐術」「撒き餌」ですから、広義の「暗示」でしょうねw
なにせ、相手を欺いて(騙して)錯誤に陥れ、間違った判断をさせて、質問者本人が望む回答を手に入れるのですから。
小倉さんにおかれては、日本の判例、ウイグモア、団藤教授、高田教授、平野教授などの「誘導尋問」の定義や本質(趣旨)及び主尋問での禁止の根拠を参考にされてください。いずれもC大学法学部図書館にあります。
追加の追加:
誘導尋問の論理学的面は「集合」でも「二進数計算回路」でもいいですが、心理学的面は「キャナリゼーション(水路付け)」をググルといいかもしれません。騙し絵と暗示や暗喩の参考に面白いですし、フェイクやスティングの犯罪心理学の被害者側から見た手口例研究例としても参考になります。
ハスカップさん
>「回答を暗示するということは、誘導尋問の本質的要素ではありません。」なんて、一人説(少数孤立説?)が明らかで、大学入学以後30年間で初めて耳にした新説です。定義から外れた本質がありえるのでしょうか?
「回答を暗示するということは・・・・」は、モトケン先生の書き込み部分では??
モトケン先生を後から撃ち抜いていることになってはいませんか??
>No.5 toorisugari 様
>「回答を暗示するということは・・・・」は、モトケン先生の書き込み部分では??
>モトケン先生を後から撃ち抜いていることになってはいませんか??
私の間違いの指摘をありがとうございました。
確かに「「回答を暗示するということは・・・・」は、モトケン先生の書き込みを小倉さんが引用したものに間違いありません。
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2009/06/post-ebfa.html 参照
私の誤った引用で御不快に思われたであろうモトケン先生とオグラさんにお詫びします。_| ̄|○ m(_ _)m ○| ̄|_
定義の神学論争はあまりしたくありませんが、私の誤りを弁明するため、やや詳細に学術的説明となることをお許しください。
1 誘導尋問における「誘導」とは、「①(狭義の誘導)求める答えを暗に示唆する水路付け(キャナリゼーション)質問形式の一切で,②(広義の誘導)これと等価な効果を生ずる明示的な押し付けを含み、③(説得除外)理詰めの説得を除くもの」と私は解釈しています。つまり、誤解を恐れず言えば、「誘導尋問」=「求める答えを暗に示唆する一切の質問」が根幹・本質であり、「誘導尋問」=ほとんど「暗示」だと解しています。すなわち誘導尋問の本質は暗示だと思います。
2 広島高裁松江支部判決昭和25年5月10日付け判例のいう「言語、音声、態度、形式等特殊な発問方法により相手方をして発問者の意図する事実を故意に供述させるような尋問方法(「特殊」という言葉は誤解を生むと思いますが「ノーマルでない」という意味でしょう)」の根幹は「発問者の意図する事実を故意に供述させるような尋問方法」であり、ほとんど発問者の求める答えを何かで暗に示唆することを必要とします。
3 また、ウイグモアのいう定義「特定の答えを期待して自由記述方式の質問を回避して押し付けないし暗示を用いる質問」は、そのものズバリ暗示を定義しており、暗示でない答えを明示した「押し付け」は、本来誘導されるものではなく直截的に一つの結論を認めさせようとするもので「狭義の誘導」ではないとも解されます。答えを直截的に明示して肯定を求める尋問は「水路付け質問」から外れますので「狭義の誘導」には該当しません。しかし広義の誘導尋問とされているのは、狭義の誘導(リーディング)ではないものの提示された結論を認めさせることで狭義の誘導と等価の結果を得ますし、「結論の提示」は「結論が正しいと暗示する」要素もあるからだとされているからです。
4 また、相手をひっかけたり・逆詐術を駆使したり・美味しい物(回答)に飛びつきたくなるような撒き餌を使ったりして、相手を錯誤に陥らせ、誤った判断に基づいて尋問者の望む回答を得るのは、回答そのものは示唆しないこともありますが、まさに「詐称誘導」に基づく水路付けの典型例であり、これも答えを詐称誘導するので「暗示そのもの」と理解されます(ニクソンのオプションマジックが典型例)。
5 このように、私とモトケン先生とは、誘導尋問の本質の解釈について、結論を異にしますが、それは、一見暗示でない直截的な「押し付け」(犯人は9時に来ましたよね?)質問が存在するからで、これを重視すればモトケン先生ご主張の「暗示は誘導尋問の本質ではない」という趣旨も当然成り立ちます。
ただ、私は、押し付け質問は、明確な水路付け質問ではないものの、あたかも回答が正しいものだと暗示する要素を含みますので、等価な効果を生じる広義の誘導に該当することもあり、やはり、暗示は誘導尋問の本質であると解します。
いずれにしろ小倉さんのエントリを誤読して誤った引用記述をしたのは私の重大なミスであり、御不快に思われたであろうモトケン先生と小倉さんにお詫びします。すいませんでした。
ハスカップさんの説明がありましたので私の補足意見も書くことにします。
この問題は、証人尋問における誘導尋問と議論における誘導尋問の関係をどう捉えるかという問題と、議論において相手の回答を論理的に誘導しようとする場合(例えば小倉弁護士の無条件に賛成するかという質問)を「暗示」と言うべきか否かという問題が絡んでいると思います。
後者を否定し、前者の問題を統一的に考える場合は、「暗示」は誘導尋問において本質的ではない(手段の一つ)ということになろうかと思います。
後者を「暗示」と言っていいのであれば、「誘導手段」としての「暗示」は誘導尋問の本質的要素と言っていいと思います。
なお、証人尋問においては、質問は論理または意見ではなく事実に関する記憶の内容を問うものですから、回答(証言)を誘導する場合には、必然的に回答内容を暗示(または露骨に明示)する必要が生じますので、少なくとも暗示が必要不可欠的手段という意味で定義に取り込まれる、その意味で本質的要素と言うことになると考えています。
某べんごしに、豹変するだけの君子の素養が有れば、双方に得るものが生まれるのに・・・藁人形増産中↓
多重トラックバックや二重コメントはそろそろやめて下さい。
la_causetteでしか見られない文言⇒「DVDの封印方法故にこの法案に反対」
文言の出現率から判断すれば小倉先生は可視化に反対ですね。
豹変には「謙虚さ」が必須ですがカケラもないですねえ、あるいは「演者」には邪魔と思っているのかも。