小倉弁護士が、「総論賛成,各論反対」という総論の押しつぶし方という扇情的なタイトルのエントリを書いています。

 最初は余談ですが、

ある提案に「無条件で」賛成するかどうかというのは,「はい」「いいえ」の閾値を高めに設定する機能しか有していないのであって,どちらかに誘導するものではありません。

とのことですが、なぜ閾値を高めに設定する必要があるのかについての説明が何もありません。
 すでに、何度も説明したことですので、別エントリを読んでください。
 小倉弁護士の誘導の意図は明白です。

特に,既に縦書きレベルで法案が作成されて議会に上程されている段階で,「理念としては反対はしないが,むにゃむにゃ」みたいな話をされても,なんだかなあという感じがしてなりません。

 これも批判のための批判としか言いようがありません。
 法案が作成されて議会に上程されている段階で、法案について個人的な疑問点を指摘することについて、なぜ「なんだかなあという感じ」がするのでしょうか?
 この文章ですでに、小倉弁護士に誘導の意図が明らかなんですけど、小倉弁護士自身は分からないようです。

 以下、このエントリのタイトルの本論です。

被疑者段階での取調べの全面録音録画の義務化を推進しようとする人々は,現在捜査機関側に相当有利になっている実情を少し被疑者側に有利に変えていこうという志向を有しているわけですから,

と小倉弁護士は言っていますが、小倉弁護士は何をもって「有利」と考えているのでしょうか?

 取調べの可視化の問題は、捜査側、被疑者側のいずれかに有利とか不利という問題ではありません。
 違法な取調べの抑止のためのものです。
 違法な取調べができるということは捜査側に有利な事情ではありませんし(違法捜査はいかなる意味でも許容されません)、可視化が被疑者が有利というわけでもありません。
 小倉弁護士が、ブックマークした青木孝之琉球大学教授の「取調べ可視化論の整理と検討」(pdf)の55ページに、小坂井久弁護士の

「捜査構造論として、糺問的捜査観、弾劾的捜査観、訴訟的捜査構造論といった見解が唱えられている。しかし、『取調べ可視化』それ自体は、『価値中立的』であって、いずれの見解とも整合しうる」。「すなわち、可視化は、被疑者を『主体』足りえる環境を整備すると同時に、被疑者を直ちに『客体』にすることをも可能にする」もので、「それ自体は、真実主義に親和し、むしろ『敵に塩を送る』制度だ」といえるくらいである。したがって、「可視化によって、理念としての捜査の構造は、何も変わらない」。「要するに、可視化は『公正・適正・正確』、すなわち、『刑事司法の尊厳』に奉仕するが、それ以上でもそれ以下でもない。可視化は、攻撃と防御の双方にとって等距離・等価値のもので、全体のシステム・機能を‥‥毀損させなどしない」。そしてこのような認識にもとづき、「『理念としての捜査構造』を何ら変えないものは、直ちに実現すべきで、裁判員制度の導入と同時にこれを実現させることに障害があるとは思われない。『取調べ可視化』は、『我が国の刑事司法の使命』、すなわち、刑事訴訟法1条の理念に極めて適合的」

という説明を紹介しています。

 この説明は正しいと思います。
 小倉弁護士は、これまでしきりに捜査官の違法な取調べを強調していますが(まるで捜査官は違法な取調べをするものであるとでも言いそうです)、小倉弁護士は、捜査官が違法な取調べをできなくなることをもって捜査官に不利になると考えているのでしょうか?もしそうなら小倉弁護士は取調べ全面録画反対論を全く理解していないことになります。つまりいつもの藁人形論法になります。
 
 小倉弁護士は、自ら青木教授の論文をブックマークしながら、読んでいないのでしょうか?
 取調べ可視化論の議論で何が議論されているのかよく分からずに、単純な捜査側と被疑者側の有利不利論で説明できると思っているようです。
 私は、これまで何度も説明しいるのですが、私のいうバランス論は、捜査側と被疑者側のバランスではありません。
 小坂井弁護士が引用文の最後で指摘しているように刑事訴訟法1条の理念の問題、すなわち、実体的真実の発見と被疑者被告人の人権保障のバランスを言っているのです。
 小倉弁護士は、常にこの点を捻じ曲げて私の意見を批判しています。
 本当に理解していないのでしょうか?
 刑事訴訟法の基本なんですけど。

 つまり、小倉弁護士の

その分,別の方法で捜査機関側に有利になるような制度を設けることでバランスを取れというのは,一般的な全面録音録画義務化推進論とは異質であるということができます。

は、藁人形論法であるということです。

 個人攻撃をしている暇があったら,

 笑いました。
 私のエントリが個人攻撃なら、小倉弁護士のエントリは何なんでしょうか?

とりあえず,私が知る限り,現実に縦書きレベルで起案されているもので最も完成度の高いものが既に参議院を可決している野党共同提案だったから,たたき台として用いただけで,

 はあ?
 方向性に反対するものではありませんが、完成度が高いと言われると疑問符をつけざるを得ません。
 

より完成度の高い改正案があるというのであれば,それを提示していただければよいと言うだけのことです。建設的な議論って,そんなものでしょう?

 最近ニコニコ動画にはまってるんですが、ニコニコ動画にアップされている作品に対して、批判的なコメントがつけられると、それに対して、「それならお前がもっといいものを作ってみろ。」という批判をする人がいます。
 こういう批判に対しては、「厨房は黙ってろ」というようなコメントがつけられることが多いです。
 これ以上の説明は不要だと思いますが、要するに小倉弁護士の考えでは、単なる批判や問題提起というのは建設的ではないということのようです。
 たぶん、小倉弁護士は評論という仕事を認めないのでしょう。

まあ,理念としては反対しにくいけれども,そのような制度ができると困ると言うときに,総論としては賛成して見せつつ,些末的な問題を針小棒大に表現することで,全体を押しつぶそうという手法は,古来よりよく用いられるものであるとはいえ,何だかなあと思ったりはします。

 なるほど。これが建設的な議論というわけですね。
 どうしても私が可視化反対論者であると思わせたいようです。
 ここに小倉弁護士の本質が表れています。
 印象操作体質が染み付いていると言っていいと思います。


 なお、青木教授の論文は、議論の整理として一読されることをお勧めしますが、その中で、68ページの真実発見論のパラドクスの部分は、認識不足に基づく誤解だと思われます。
 自供によって死体や凶器などの動かぬ証拠が発見されるということがあるのであり、その場合は自供に基づく証拠の発見によって、その時点で自白の真実性が確認されます。
 そういう場合が一定割合であることは事実であり、取調べの可視化がそのような自白を阻害する可能性は感じています。
 だからといって、全面録画の必要性を主張することに変わりはありません。
 これだけ明言しても、私を可視化反対論者に仕立て上げたがる人がいるということは不思議なことであり、それが弁護士であることはもっと不思議です。
 これは小倉弁護士がいつも例に挙げている、「なんと言おうとお前が犯人なんだ。」といって虚偽自白を強要する取調官と同じ姿勢だと言っていいでしょう。
 弁護士がでっちあげをしていいんでしょうか?

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://motoken.net/mt/mt-tb.cgi/2610

コメント(10)

IT弁護士で刑事司法については教科書レベルの理解しかできないと自称されている小倉秀夫氏はこう述べられています。
>被疑者段階での取調べの全面録音録画の義務化を推進しようとする人々は¸現在捜査機関側に相当有利になっている実情を少し被疑者側に有利に変えていこうという志向を有している
は?取調べ可視化の導入は、捜査段階も含めた刑事司法制度全体の適正化を目的としているのであって、導入の結果「被疑者側に少し有利になる」こともある(不利になることもある)のはあくまでも、副次的効果でしょうに。
ちなみに私の経験上、可視化が実施された場合、それが取調官に有利に働く状況は容易に想定可能です。
しかも「被疑者側に有利に変えていくために可視化を導入しろ」なんて言うと、「被疑者に有利になること」が(最終的な国民の利益である)司法制度の改善に繋がる証明を求められる事になるんじゃないですかね。
内心は別として、そんな主張している人はいるんでしょうか?
適正手続の保全や不正防止のためなら国民の同意も得られるのでしょうが、被疑者側を有利にするため、では反対も増えるでしょうね。
真剣に導入を論じている人からしてみれば、小倉弁護士の主張は妨害以外の何者でもないでしょう。

ある提案に「無条件で」賛成するかどうかというのは,「はい」「いいえ」の閾値を高めに設定する機能しか有していないのであって,どちらかに誘導するものではありません。

 小倉弁護士はこの時点で言ってることがおかしいんですが・・
 
 「無条件で」と条件をつけた場合、「はい」の閾値は高くなるけども「いいえ」の場合は逆に低くなります。

 そもそも、「はい」「いいえ」で質問しておいて,「はい」「いいえ」の閾値を高めに設定するってありえないんですが。両者の閾値はトレードオフの関係にありますから、一方が上がれば一方が下がるのが当然です。

 きっと小倉弁護士は,

「はい」「イエス」の閾値を高めに設定する

 と書きたかったんだと思います。

 あるいは法学では閾値という言葉は独特の使われ方をしてるのでしょうか?(例:”善意”

 蛇足 法学での読み方は”いきち””しきいち”のどっちなんでしょうか?

「はい」「イエス」の閾値を高めに設定する
それは=「No」への誘導。

閾値の対象は「イエス」で、それしか頭に無かったというのは有りがちと思われ。

>蛇足 法学での読み方は”いきち””しきいち”のどっちなんでしょうか?

 蛇足 ガチ文系の法学では、「敷地」は出てきても「閾値」は出てこないです。(゚Д゚)マヂデス
 一般常識の作法としては「しきいち」と読む人が多いですね。電磁波や放射線が人体の健康をむしばむか否かの論点では、弁護士も学者も公務員も「しきいち」と発音する人が多数です。「生血」と誤変換しても嫌ですし(。_・☆\ ベキバキ
 なお 困ったときのネ申↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%BE%E5%80%A4

トピズレです、もともとアレなコメンターゆえお許しを。

「閾」は「区域」など境界の概念に通じますが、訓読みは「しきみ」なんですね。

しきみと言うと、お寺の「樒」はその毒性で魔除けに成っていますが、あるいは「結界」とも通じる部分が有るかも、と妄想。

>小倉弁護士はこの時点で言ってることがおかしいんですが・・
 
 詐称誘導しているのに、詐称が詐称になっていなくて詐称の意図を見抜かれて、必死に暗示や誘導でないと変な「閾値」の理由付けで強弁しているからでしょう。
 
A「これは誘導尋問ではありませんが……。」
B「異議、誘導尋問です。」
A「誘導尋問でないと断っていますが……。」
B「誘導尋問ではないと誘導してます。不当仮定尋問です。」
J「リーディングというより、ミスリーディングですな。異議を認めます。誤導尋問として(ニヤリ。」
ウイグモア「ある日の法廷から」1939年(邦訳未出版)

「Yes」の閾値を「100%」に引き上げたからって,「No, but」がいえなくなるわけではないことくらいわかっているでしょうに。

 じゃあ小倉弁護士はそれを実行すべきです。

野党共同提案に係る刑事訴訟法改正案に賛成するか否かを繰り返しお尋ねの方がおられるようですが、この改正案自体については賛成です。もちろん、以前に提出された刑事訴訟法改正案には、取調べへの弁護人の立会権が定められており、それが盛り込まれていた方がより素晴らしいとは思いますが、今回の野党案は、それはそれで一日でも早く可決成立され、施行されるべきだと思っています。

 なんで小倉弁護士は「No, but」ではなく「Yes, but」で答えるんでしょうか?
 「無条件に」と言う限定が付いている以上「Yes, but」と言う回答はありえないはずです。
 彼への質問も「無条件に」と言う限定付だった筈です。
 それを質問文を改竄してまで「Yes, but」で答えるのは何故でしょうか?
 「先ず隗より始めよ」この言葉をかの弁護士に送りたいと思います。

建設的な議論をしたいのであれば

小倉弁護士が「無条件に賛成か否か」と言う質問に回答する。
もしくは「無条件に」と言う条件をはずして再質問する。

いずれかを選ぶべきでしょう。
まあ、かの弁護士が建設的な議論をしたいようには全く見えませんけどね。

 参考情報です。諸外国の例も捜査手法も含め平易に。m(_ _)m

クローズアップ2009:取り調べ可視化 一部か、全面か 揺れる法務・検察
http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20090630ddm003040063000c.html

 一方、弁護人の秘密接見交通権の濫用で懲戒例もorz

「被告の証拠隠滅加担」、弁護士に業務停止3カ月 大阪
http://www.asahi.com/national/update/0629/OSK200906290102.html

毎日の記事、簡潔で良い記事だと思います。
全面可視化の導入を見据え、これからは捜査機関側からの制度立案が重要になってくるでしょう。
記事中にもあるように、組織犯罪捜査への悪影響は避けられませんから、それを最小限度に抑えるには、被疑者への開示拒否権の付与と使用用途の制限(不正使用への厳罰措置)は必須であると言えます。
裁判員制度のように有耶無耶の内に成立させるのではなく、可視化によるメリット/デメリットを適切に提示した上で、イデオロギー優先ではなく、刑事司法の改善という目的達成に資する制度の構築に向けた議論が望まれるでしょう。
「民主党案に非ずは可視化に非ず」みたいな人からすれば、容認しがたいでしょうけどね。

コメントする

太字 イタリック アンダーライン ハイパーリンク 引用

このエントリのコメント


楽天(売れ筋)