すでに多くの人が気付いているところですが、小倉弁護士のレッテル貼りの方法を紹介するエントリです。

 小倉弁護士のla_causetteの過去ログに「さくらちゃんと烏賀陽さん」というのがあります。
 このエントリで触れられている「さくらちゃん事件」というのは、さくらちゃんという少女について、日本では臓器移植ができないことから海外で臓器移植手術を受けるための募金活動が行われたのですがその募金活動が激しく批判された問題であり、小倉弁護士のこのエントリは、小倉弁護士がその批判者たちを非難したエントリの一つです。
 ただし、ここでは海外での臓器移植やそのための募金活動の当否を問題にしません。その問題に関するコメントはトピずれです。興味がある方は、旧ブログの「逸郎くんを救う会」で議論されたことがありますのでそちらへどうぞ。ただし、コメントはできなくなっています。

 ここで問題にするのは、小倉弁護士の批判者へのレッテル貼り論法についてです。
 小倉弁護士の攻撃手法の問題を論じます。

 小倉弁護士は、同エントリのコメント欄で

あれはさくらちゃんの渡米手術費用を捻出するための募金活動を断念させる(それによって渡米手術を断念させ、さくらちゃんに短い一生を終えさせる)という目的が先ずあって、要求事項はあとから考え出されたものにすぎないと読み取れます。

と書いています。
 つまり、募金活動を批判した者は、「さくらちゃんの渡米手術費用を捻出するための募金活動を断念させる(それによって渡米手術を断念させ、さくらちゃんに短い一生を終えさせる)という目的」をもって批判したと言っているわけです。
 なぜ、こういう言い方が出てくるのかを考えますと、小倉弁護士の論法(決して論理と言える代物ではない)が明瞭に見えてきます。

 小倉弁護士は、まず

 募金活動に対する批判
     ↓
 募金活動が阻害される。
     ↓
 十分な募金が集まらない。
     ↓
 海外で移植手術ができない。
     ↓
 少女が死ぬ。

という因果関係を想定します。
 この因果関係自体は、想定可能です。
 そして、募金活動に対する批判の内容、根拠、理由を一切捨象して短絡的に要約してしまい。つまり、


 募金活動に対する批判
     ↓
 少女が死ぬ。
  
という因果関係を提示するわけです。

 この段階ですでに議論の体をなしていません。

 そして「少女が死ね。」という(想定可能な)事実としての結果(批判者の意図如何にかかわらず、批判することによって生じる客観的因果関係)を、批判者の主観的な意図・目的にすり替えます。
 これにより、どんな理由の批判者も殺人者に仕立てあげてしまうわけです。

 小倉弁護士が「具体論を述べると玉虫色ではいられなくなりやすい」において私に「冤罪を生み出す余地をどこまで残したいと思っている」というレッテルを貼り付けたのも上記の方法の発展形というべきものです。言うまでもなくより悪質に発展させています。
 さくらちゃんの問題で、小倉弁護士が提示した因果関係自体は、比較的自然なものです。
 しかし、「具体論を述べると玉虫色ではいられなくなりやすい」において提示している例ははるかに恣意的かつ捏造的です。

 取調べ録画の被疑者の意思に基づく録画中止の問題が、小倉弁護士にかかるとどうなるかを見てみましょう。
 この問題については、私もすでに意思に基づくか否かの認定について問題が生じることを指摘しているのですが(取調べの録画拒否)、そういうことには目をつぶるのが小倉流です。
 私は、上記エントリで「被疑者の意思に従うとした場合、その意思をどのようにして弁護人が確認するのかなどについてあらかじめ決めておかないと、公判段階で拒否の事実の存否をめぐって争いが生じてしまいそうです。」と指摘しているにもかかわらず、小倉弁護士は、録画を中止された間における暴行・脅迫・偽計等による虚偽自白の強要の可能性を提示するのです。
 つまり、

 捜査官の偽計等による必ずしも被疑者の真意に基づかない取調べ録画の中止
     ↓
 録画が中止されている間の暴行・脅迫・偽計等による虚偽自白の強要
     ↓
 冤罪の発生

という因果関係を提示します。

 そして、私が被疑者の意思に基づく取調べ録画の中止とその際の意思確認の方法について問題提起をしているにもかかわらず、それらを全て無視して、「取調べ録画の中止」の制度の採用を示唆していることだけを取り上げて次のような因果関係を提示します。
 
 取調べ録画の中止
     ↓
 録画が中止されている間の暴行・脅迫・偽計等による虚偽自白の強要
     ↓
 冤罪の発生

 あとは、募金活動を批判した人たちを殺人者呼ばわりしたのと同様です。

 自分に都合のいい恣意的な因果関係を捏造的に設定してから、私がそのような因果関係を意図して原因行為を認めているようにすり替え、私に、冤罪を生み出す余地をどこまで残したいがために取調べ録画の中止を採用しようとしている人間というレッテルを貼り付けたのです。

 これが小倉弁護士のレッテル貼りの方法です。
 小倉流藁人形論法の典型パターンの1つと言っていいでしょう。
 こうなるといかなる意味でも批判ではありません。
 まさしく、誹謗中傷と言うべき個人攻撃です。
 しかし、論理を無視した個人攻撃は必然的にブーメランになるようです。
 ([人を呪わば穴二つ]

 小倉弁護士は、取調べに対する弁護人の立会権の制度化を支持しています。
 立会権を採用した場合には、以下のような因果関係を想定することができます。

 立会権の制度化
     ↓
 弁護士が、真犯人に黙秘させたり調書への署名を拒否させる。
     ↓
 真犯人が処罰を免れる。

という因果関係が想定可能であり、これを短絡的にまとめると

 立会権の制度化
     ↓
 真犯人が処罰を免れる。

ということになります(あくまでも小倉論法に従えばですよ)。
 そうすると、立会権の制度化を主張する小倉弁護士は、真犯人を処罰から免れさせるために立会権の制度化を主張しているのであり、これはつまり小倉弁護士は日本を犯罪者天国にしようとしている、ということになります(あくまでも小倉論法に従えばですよ)。

 このように小倉論法を使えば、どんな制度、意見、主張も、最悪・最低の制度、意見、主張にすり替えることが可能です。
 もう一つ例を挙げましょう。
 こういうニュースがあります。
 「被告の証拠隠滅加担」、弁護士に業務停止3カ月ウェブ魚拓

 このニュースによれば、以下のような因果関係があることが実証されています。

 弁護人の秘密接見交通権
     ↓
 秘密接見交通権を利用した弁護士の証拠隠滅行為

 これを小倉流で言い換えますと、秘密接見交通権は弁護士が証拠隠滅工作をするためにあるのであり、秘密接見交通権の重要性を主張する人は弁護士による罪証隠滅工作の余地を維持するために重要性を主張しているのだ、ということになります(あくまでも小倉論法に従えばですよ)。

 もちろん、こんなことを言う人がいるとは思えません。
 要するに、このエントリで説明した小倉論法というのは詭弁なのです。
 私は、こんな詭弁を常用する人間は、小倉弁護士以外に知りません。

 以上は小倉弁護士のレッテル貼り論法について説明したものですが、小倉弁護士の、具体論を述べると玉虫色ではいられなくなりやすいにおいては、別の藁人形論法も使われています。
 小倉弁護士は、

無実の罪で刑罰を課されるリスクを高めてでも弁護人の目を気にすることなく捜査機関側の人間と雑談を楽しみたい被疑者

という被疑者像を設定して、「捜査機関側の人間と雑談を楽しみたい」というのが被疑者が取調べの録画を拒否する理由だという前提でエントリを書いているのですが、こんな被疑者像を書いた人も録画拒否の理由として「捜査機関側の人間と雑談を楽しみたい」からだと言った人も、小倉弁護士以外にはいません。
 このように誰も言っていないことを、さも誰か(この場合は私でしょうね)が言っているように紹介してそれを批判するというのも、小倉弁護士が常用する藁人形論法です。
 発言の流れを追っている人には、誰の目にも藁人形論法であることが明らかなのに、どうして小倉弁護士はこのような捏造的なことを繰り返すのか、不思議です。
 通りすがりの一見さんさえ騙せればいいと考えているとしか思えません。

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コメント(27)

小倉弁護士のブログla_causetteのエントリ、「具体論を述べると玉虫色ではいられなくなりやすい」の主張内容については、このモトケンさんが本文に余すことなく反論されていますので、付け加えての批判はここでは無用かと思います。

ただla_causetteの続く「取調べ状況の録音・録画物についての管理方法」と「みんなで集まって人格攻撃と陰謀論に明け暮れて具体的な議論を回避する人々」2つのエントリ、コレは本当に現職の弁護士が公開の場で書く文章ですか。名誉毀損と言われないように、矢部教授とかモトケンという人名を指す言葉は出していませんが、書かれた内容は弁護士としての品性を疑わせることおびただしいものと感じます。

もうここまで来たら、双方のブログ上での主張合戦というネット上での論争には見切りを付けて、現実社会での現実的な行動を考えるべきと思います。このまま論争を続けても、小倉氏は決して自らの主張の行き過ぎや論旨の誤りを認めようとしないでしょう。すなわち不毛な水掛論が続くだけだと思います。どちらの主張に理があるのか、どちらの主張が根拠の無い論理的破綻の主張なのか、第三者の判定の場に持ち込むべき時期に来ていると思います。

第三者の判定として、一つは名誉毀損で法廷において裁判官という第三者の判定を仰ぐ手段が考えられます。ただ、この手段では手間も時間もかかりますし、ヘタをすると相手が裁判の審理進行を解説する形を取りながら、巧妙に自己の正当性をネット上でアピールする手段に逆利用する可能性も予測できます。また裁判の傍聴などを通して、面白可笑しく取り上げるネット野次馬も多数出て来るでしょう。私には訴訟提起はベストの手段とは思えません。

もう一つ第三者の判定を仰ぐ方法として、弁護士会への懲戒請求の手段が考えられます。私の見るところ、一連の小倉氏のネット弁論は、充分に「弁護士の品位を失うべき非行」に該当する余地があると考えます。すなわち弁護士法56条の懲戒事由として充分だと思料します。

弁護士会への懲戒請求であれば、懲戒委員会に懲戒手続の開始を求めるかどうかは、先ずは綱紀委員会での審査となります。そしてこの綱紀委員会での審査は、懲戒申立人と被申立人の双方から事情聴取などはあるにしろ、基本的には双方が公開の場で対峙しての論戦攻防は行われませんので、ネット野次馬が興味本位で覗こうにも、なかなか覗き見は出来ません。すなわち野次馬も巻き込んでの、いわゆる「祭り」に発展する可能性は低くなります。

まぁ、こうした展開の予測と見積りは、本職の弁護士として数多くの紛争解決に当たってこられたモトケン先生には、まさしく釈迦に説法のことと思います。ですが小倉氏の見せかけの強さの裏には、どうせネット上のことだしリアル社会には直接響かないという、一種の居直りの感覚があるように感じます。ネットの世界では沈黙は敗北であり、手数多く連続的に攻撃し続けることが最大の防御であることを、体験上良く知っておられるのでしょう。故に感情的とも思える攻撃的論法に終始しておられるものと受け取れます。

しかしながら、小倉氏の攻撃的な討論姿勢が公平公正とは言い難く、感情的言論に終始しており、取調全面録画に対するモトケン先生への非難が、根拠のない言い掛かりであることは、多くの人に理解されるようになったと思います。これ以上不毛な言い争いを繰り返されても、我々傍観者にはもう充分という気持ちです。

論争姿勢の正当性がどちらにあるのかについては、懲戒請求という第三者の判定を仰ぐ場に移行して終止符とされ、全面録画のカウンターとしての司法取引制度の議論など、モトケン先生なりの刑事司法の改善策などの議論に、このブログの場での主題を移行発展させて頂きたく希望するものです。

レベルの低いケンカに付き合うのはもうそろそろ打ち切られ、現実社会でのお叱りを模索する方向に移る時期ではないでしょうか。

 弁護士会の自治(懲戒)の前に、まずは、所属法律事務所の自治(パートナー会議の指導監督~懲戒)に委ねるのが相当かもしれません。

>所属法律事務所の自治(パートナー会議の指導監督~懲戒)に委ねる

以前の電話騒動を思い起こすと、かえって逆効果のような気が・・・。

もう一つ、これだけネット界での有名人(余り良い意味での有名じゃないですが)でありながら、所属事務所のシニアパートナーが何らアクションを取らないのは、状況を知りながら放置しているか、小倉氏の言動について一切の関心を寄せていないのか、どちらかでしょう。所属事務所のリアクションには、あまり期待できないのではないかと思うのですが・・・。

>所属事務所のリアクションには、あまり期待できないのではないかと思うのですが・・・。

 あそこの事務所は責任感のある良識派の先生ばかりですから、ネチケット指導力に期待するのも一考かと思います。民間企業でも、取締役や一般従業員の企業外非行であっても企業の信用を損ねるときは指導・懲戒処分が許されるというご存じの判例がありますし。

モトケンさんご本人も周りの方々も必死ですね。

端で見ている人は,モトケンさん・小倉弁護士ご両名の発言ともその内容までは気にしていないと思われますが。

本文・コメントとも長すぎて,私を含め普通の閲覧者はスルーでしょう。必死すぎてイタいだけですよ。

でたっ! 『普通』 www

ぁぃぁぃ(o ̄∀ ̄)ノ”ぁぃぁぃ

私を含め普通の閲覧者はスルー
「スルー」しながら「必死ですね」とは、これ如何に?

・・
え~、la_causetteに戻りますと。
>02/07/2009

みんなで集まって人格攻撃と陰謀論に明け暮れて具体的な議論を回避する人々

その「具体的な議論」とは↓
ただ,弁護人としては,その事件に関する他の記録とともに事務所内のロッカーまたは貸倉庫に収蔵するか,刑事事件を多く受任する弁護士の場合別途DVD保管用のケースを用意してそこに保管するかしかないわけで、~気がします
とかですね。
小倉先生は「PCのメモリーやハードディスクに一時ファイルが出来たり、USBメモリに複製されたり、その使用者がWinnyなどを使っていたり」ということは考え(られ)ないし。

事務員や翻訳業者から洩れる危険も「考える必要無い」それが具体的議論だ
と仰るのですねえ。

やはり、自分の見解を具体的に明示してしまうと批判されやすいのが分かっているからこそ、質問者を人格攻撃することで誤魔化そうとしていたのだなあと思う今日この頃です。  >小倉先生さま

弁護士事務所は結構泥棒に狙われてますね。

弁護士会の事務局が泥棒の被害にあったという例も
聞いたことがあります。

その中で刑事事件の調書が流出したという
話は聞いたことがないですが,
可視化しちゃうと,バンバン流出する
みたいですね。


やれやれ。
>弁護士会の事務局が泥棒の被害にあったという例も聞いたことがあります。
弁護士会の事務局に公判証拠は置くマヌケはいないでしょう、普通は。
>その中で刑事事件の調書が流出したという話は聞いたことがないですが
そりゃ、キミが知らないだけでしょう。
そもそも調書が目的の泥棒なんてのはあまり居ませんからね。
ちなみに、神戸事件では、革マル派が検事調書盗んで検挙されています。
>可視化しちゃうと、バンバン流出するみたいですね。
特定の立場の人や物好きな連中には、調書よりは遥かに需要があるだろうから、可視化後に録画記録目当ての泥棒が増える可能性は十分ありますな。
つーか相変わらず考えが浅いねぇ。

今回は早めに言っときます。
スルーできない方は場外で続けてください。
こないだみたいなのはもう勘弁。

 立会権の制度化
     ↓
 弁護士が、真犯人に黙秘させたり調書への署名を拒否させる。
     ↓
 真犯人が処罰を免れる。


黙秘は被疑者の第一の権利だと思います。
真犯人であろうと、言いたくないことは言わなくてもいいというのが黙秘権ではないのですか?なぜ黙秘されると困るのですか?

>真犯人であろうと、言いたくないことは言わなくてもいいというのが黙秘権ではないのですか?なぜ黙秘されると困るのですか?

 それはオグラ氏理論だからです。理論上そうなるらしいですよ。

参考情報(再出):オグラ氏式藁人形用の抜粋です。

   詭弁のガイドライン

2chに登場したとされる典型的な「詭弁」のリスト。

1.事実に対して仮定を持ち出す
「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」

2.ごくまれな反例をとりあげる
「だが、尻尾が2本ある犬が生まれることもある」

3.自分に有利な将来像を予想する
「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」

4.主観で決め付ける
「犬自身が哺乳類であることを望むわけがない」

5.資料を示さず持論が支持されていると思わせる
「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」

6.一見、関係がありそうで関係のない話を始める
「ところで、カモノハシは卵を産むのを知っているか?」

9.自分の見解を述べずに人格批判をする
「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」

10.ありえない解決策を図る
「犬が卵を産めるようになれば良いって事でしょ」

11.レッテル貼りをする
「犬が哺乳類だなんて過去の概念にしがみつく右翼はイタイね」

12.決着した話を経緯を無視して蒸し返す
「ところで、犬がどうやったら哺乳類の条件をみたすんだ?」

14.細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
「犬って言っても大型犬から小型犬までいる。もっと勉強しろよ」

15.新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
「犬が哺乳類ではないと認めない限り生物学に進歩はない」

17.勝手に極論化して、結論の正当性に疑問を呈する。
「確かに犬は哺乳類と言えるかもしれない、しかしだからといって、哺乳類としての条件を全て持っているというのは早計に過ぎないか。」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%eb%cc%ca%db%a4%ce%a5%ac%a5%a4%a5%c9%a5%e9%a5%a4%a5%f3

>la_causette 04/07/2009「疑わしきは罰せず」ということ
でモトケンブログを引用した上で、暴行脅迫偽計等を理由に、取調べに弁護士立会いを主張している様ですが、その引用は。

因果関係が想定可能であり、これを短絡的にまとめると

ということになります(あくまでも小倉論法に従えばですよ)。

と小倉論法の矛盾を表現したもので、暴行脅迫偽計等の話題でない。

つまり「立会権の制度化で真犯人が処罰を免れる、とする以外の方向付けも可能」と示して自分の論法を否定しただけ

尚、暴行脅迫偽計等の話題としては。

自白調書以外の証拠のみからでは真犯人である高度の蓋然性があるとまでは言えない被疑者が,弁護人の立会いがないが故に~
足利事件は,まさにそうだったわけです。
などと主張するなら、足利事件では弁誤人が立ち合えば冤罪を防止できたと証明しなければ、プロの責任ある発言ではない

電波を流すに弁護士の肩書きは混乱を冗長するのではないか。

う〜〜む、恐るべし。
これまで印象操作を多用するけどへたっぴいなのだと思ってましたが「「疑わしきは罰せず」ということ」を単体で読んだ人はモトケンさんが以前から取り調べの可視化の必要性を言ってた人で、小倉先生は今回論争になってから無理にモトケンさんを可視化反対に見せかけようとしているとは思わないかも。
それなりに冤罪メーカーとしての才能がお有りのようですね。

あ!またもや
×弁誤人
○弁護人
(御本尊の影響恐るべし)

唐突ですが「客観証拠」について少し考えてみました。
捜査機関による捜査に対し「自白偏重の捜査を改め、客観証拠の収集に努めよ」との主張をよく目にします。
この場合の「客観証拠」とは「裁判官が、被疑者被告人は当該犯罪を犯した真犯人であると認定するに足る証拠」であると考えられます。
つまり、客観証拠があれば自白がなくとも(=否認していようとも)被疑者被告人を有罪にすることができると言えます。
実際の裁判を見ると、「自白はなくとも、その他の証拠から被告人が真犯人であると認定され判決が下された事件」は、相当数を占めることが分かります。
近年の有名事件で目に付くものを挙げれば「和歌山毒カレー事件」「筋弛緩剤事件」「植草痴漢事件」等は、「被告人は犯行そのものを否認しているが、その他の証拠から有罪判決が下された事件」です。
しかし、そのような事件の多くは、判決確定後も「冤罪である」との主張が為されることが珍しくありません。
冤罪であるとの主張は、裁判官が認定した証拠では被告人が真犯人であるとは言えないということになるわけですが、それでは冤罪を主張する方々はどのような証拠があれば「被告人が真犯人である」ことが認定可能であると考えるのでしょうか。
そして、その「証拠」は捜査機関が入手可能な物なのでしょうか。
結局「万人が認めうる客観証拠」は存在し得ないのではないでしょうか。
物的証拠では不十分、鑑定結果は信用できない、目撃証言には信用性がない、被害者の証言も信用できない、となると最終的に捜査機関が入手可能な証拠は「被疑者本人の自白」ということになろうかと思うのですが、「捜査機関が否認被疑者から自白を得ようとする行為は冤罪に繋がるので、被疑者の防御権を拡大する」となると、八方塞がりあるいは堂々巡りです。
「疑わしきは被告人の利益に」を徹底すれば、それらの事件は「無罪」にするのが望ましいのでしょうが、それでは否認した者勝ちとなりかねない危険性もあります。
またそれとは反対に、一般予防や法秩序の維持のため、裁判官の証拠による事実認定のハードルが下がってしまう危険性も考えられます。
え~、何となく取り留めが無くなってしまったのですが、何が言いたいのかというと、「取調べの可視化や弁護人立会権といった被疑者の防御権の拡大に関する議論には、捜査機関による(自白に依存せずとも犯罪を立証可能な)証拠の収集権限と収集能力の拡大を視野に入れなければならないのではなかろうか」ということなのでした。
長文失礼しました。


捜査機関の権限・能力が制限されているために、
十分な客観証拠が得られないという現状があるのであれば、
捜査機関の権限・能力の拡大を視野に入れるというのは、
よくわかる話なのですが・・・・

「「万人が認めうる客観証拠」が存在し得ない」
と言ってしまうと、それは捜査機関の権限・能力の拡大の
理由にはなりにくいと思うのですが。


冤罪を主張する方々はどのような証拠があれば「被告人が真犯人である」ことが認定可能であると考えるのでしょうか。

失礼ですが、ここは考え方が逆ではないでしょうか。「被告人が真犯人であることが納得できる証拠がない」からこそ、えん罪の主張がなされるように思うのです。

感熱紙さんの考え方は、「被告人が真犯人であるという客観的事実、真理」が存在しており、それをどのように証明すればよいかというものかと思いますが、そもそも「被告人が真犯人であること」は、それが証拠によって疑問の余地なく証明される必要があるはずです。

「えん罪が主張される」ということは、「被告人が犯人であることが証拠によって疑問の余地なく証明されていない」ということにはなりませんか。

なんとなれば、弁護人も支援者も、被告人の言い分をただ鵜呑みにするわけではありません。被告人の無実の訴えが真摯であると感じられ、かつ、それを裏付ける根拠もあるから、えん罪の主張がなされるものです。それに、捜査機関の追及に耐えて無実の主張を維持するというのは、それ自体、とても大変なことのように感じられます。

したがって、被告人が法廷で無実を主張し、弁護人や支援者団体がえん罪の主張をしているのであれば、そのこと自体がかなりの注目、傾聴に値するというべきではないでしょうか。そして、刑事裁判では、有罪の証明は疑問の余地のない相当高度なものが求められますから、現に有罪判決に納得しない市民や弁護士が大勢いるということは、それだけで「疑問の余地が生じている」こととなり、有罪判決の正当性はかなり揺らぐことになりませんか。

ほんとうに間違いのない証拠が出されているのであれば、弁護人も無理に争うことは奨めないでしょうし、被告人もその周囲の人々も心服して、大人しく刑に服するのではないでしょうか。

僭越ですが、私見を述べさせて頂きました。お時間のある時にお返事を頂ければ幸いです。

私は「植草痴漢事件」ヲチャでしたが、
「疑わしきは被告人の利益に」を過大に解釈する熊本さんの御意見は冤罪主張派のうちの非国策陰謀派(人違いだよ派)の論によく似ています。
(国策陰謀派は、そもそも裁判所が腐っているから証拠も証明も関係ない、というお気楽な論)

感熱紙さんの考え方は、「被告人が真犯人であるという客観的事実、真理」が存在しており、それをどのように証明すればよいかというものかと思いますが、そもそも「被告人が真犯人であること」は、それが証拠によって疑問の余地なく証明される必要があるはずです。

感熱紙さんの「真犯人」と熊本さんの「真犯人」では定義が違っています。
前者は客観的事実としての真犯人ですが、後者は裁判官が犯人と認定した人を指しています。
つまり、感熱紙さんが証明の方法を問題にしているのに対し、熊本さんは証明の程度の話をしています。
従って、次元の違う話であり、反論になっていないと思います。
「えん罪が主張される」ということは、「被告人が犯人であることが証拠によって疑問の余地なく証明されていない」ということにはなりませんか。

感熱紙さんの「真犯人」と熊本さんの「真犯人」では定義が違うので、
同じ言葉というだけで2つをつなぎ合わせても、正しい結論にはならないです。

ふつーに考えても、
「被告人が真犯人であることが納得できる証拠がない」と感じる方が
えん罪の主張をするわけで、その方の感覚と、裁判官の判断、そして、客観的真実は全部違うものです。

刑事裁判では、有罪の証明は疑問の余地のない相当高度なものが求められますから、現に有罪判決に納得しない市民や弁護士が大勢いるということは、それだけで「疑問の余地が生じている」こととなり、有罪判決の正当性はかなり揺らぐことになりませんか。

疑問の余地があるかどうかは、裁判官を基準として判断されるものです。
具体的事件において、有罪じゃないという意見が外部にあるから裁判官の判断はそれに拘束されるべきだ、という意見は、
自由心証主義に反し、憲法の定める裁判官の独立に反します。

ただ、

捜査機関の追及に耐えて無実の主張を維持するというのは、それ自体、とても大変なことのように感じられます。

という点だけは同意します。

示唆に富むコメントをありがとうございます。

疑問の余地があるかどうかは、裁判官を基準として判断されるものです。 具体的事件において、有罪じゃないという意見が外部にあるから裁判官の判断はそれに拘束されるべきだ、という意見は、 自由心証主義に反し、憲法の定める裁判官の独立に反します。

「外部の意見に拘束されるべきだ」とまで申し上げたつもりはなかったのですが、私の表現力不足で誤解を招いたのであれば申し訳ありません。

えん罪の主張がなされる事件において、検察官の有罪論告や裁判官の有罪判決が展開する「被告人が犯人である」というストーリーが絶対的におかしいとまでは、私は、思わないのですね。専門家の方が検討した結果ですから、「被告が犯人である」というストーリーを可能にするだけの証拠は、たぶん、出されているのだと思います。

ただ、「被告が犯人である」というストーリーと、「被告は犯人でない」というストーリーが、同時に成り立ちうる場合もあると思うのです。

そして、えん罪の主張がある事件では、被告個人だけではなくて、弁護士さんをはじめとする教養人や、被告と個人的利害関係のない普通の市民が、「被告は犯人でない」といっているのですね。これは、「普通の人が普通に見て、被告が犯人でないというストーリーも成り立つ」ということだと思うのです。

とても素朴にいえば、有罪の認定は、本来、異論を差し挟む余地のないほど確実でなければいけないはずなのに、現に異論があるじゃないか、これはどういうことなのだ、ということなのですけれども。

「それでもボクはやってない」のモデルとされた男性は実刑が確定して、近く刑務所に入れられるそうですが、普通の人から見て「犯人でないかも知れないな」という人をむりやり服役させるというのは、社会のありかたとして、また、共同体を円滑に運営するという観点からして、どうなのかなと思うのです。

素人的に考えれば、市民から有罪判決に対する異論が出るようなケースについては、無理に有罪判決に固執しない方が、司法に対する信頼が向上すると思うのです。市民の素人感覚を尊重したとされる裁判員を推進する一方で、市民によるえん罪救済運動にはとても冷淡(に見える)というのは、バランスが悪いように思うのです。

裁判所が「外部の意見」に拘束されることがない法律上の特権を与えられていることは分かりますが、えん罪の指摘がなされること自体、裁判所自身が、有罪認定の基準(異論の余地なく犯人といえないと有罪判決はしない)から逸脱していることを示しているのではないでしょうか。

横レス失礼いたします。

>「それでもボクはやってない」のモデルとされた男性は実刑が確定して、近く刑務所に入れられるそう

「それでもボクはやってない」の周防監督が、映画をつくるきっかけになったと言っているのはこの本。
矢田部孝司・あつ子「お父さんはやってない」。
この方は無罪になっていますよ。

痴漢については、物的証拠が非常に乏しく、被害者の証言をもとに検証するしかないところがあります。
「異論を差し挟む余地のないほど確実な証拠」を求めたら、痴漢の真犯人を一人も有罪にできないことになりかねません。
これを司法の問題点とみるか、治安を守るうえでの限界とみるかは、難しいところではないでしょうか。

もちろん、冤罪を減らし、真犯人をつかまえるための努力は必要です。
痴漢被害を主張する者の衣服の指紋の採取、容疑者の指に付着した衣服の繊維や被害者の体液や皮膚の組織などのDNA鑑定等の、客観的証拠を求められるようになってきたのは前進かと思います。
ただこれらの証拠も「異論を差し挟む余地もないほどの確実な証拠」にはなりえないと思うのですよ。

もうひとつ追記です。

>えん罪の指摘がなされること自体、裁判所自身が、有罪認定の基準(異論の余地なく犯人といえないと有罪判決はしない)から逸脱していることを示しているのではないでしょうか。

司法は人間が行うことであり、人間は誤りをおかすものです。
従って司法を人間が行う限り、多いか少ないかは別にして、冤罪は決してなくなりません。
つまり、「冤罪の指摘がなされること」は、有罪認定の基準から逸脱しているのではなく、司法の限界としていつの時代であっても存在し続けることです。

>そして、えん罪の主張がある事件では、被告個人だけではなくて、弁護士さんをはじめとする教養人や、被告と個人的利害関係のない普通の市民が、「被告は犯人でない」といっているのですね。これは、「普通の人が普通に見て、被告が犯人でないというストーリーも成り立つ」ということだと思うのです。

 普通の市民の皆さんはいったい何を見て「被告は犯人でない」と言うのでしょう?
 有罪無罪を決するための判断資料は、法廷で適法に取り調べられた証拠以外にありません。
 そして、原則的に普通の市民の皆さんは証拠の全容を自分で見ることなく意見を述べています。
 当該事件の弁護人は、法廷で適法に取り調べられた証拠の全容を把握していますが、その証拠評価は一方当事者のそれにとどまります。

 つまり、否認事件においては、常に異なるストーリーが成り立ちます。
 そのようないくつか成り立ちうるストーリーの中から、公平・公正な立場の裁判官が証拠に基づいて事実を認定するというのが司法の考え方です。

>素人的に考えれば、市民から有罪判決に対する異論が出るようなケースについては、無理に有罪判決に固執しない方が、司法に対する信頼が向上すると思うのです。

 証拠に基づかない主張ないし異論は、司法の場では全く説得力がありません。

 ただし、裁判官が常に正しい証拠評価をするとは限りません。
 それが、オダさんのいう

>司法は人間が行うことであり、人間は誤りをおかすものです。

ということの意味です。

 ちなみにトピずれですね。
 もし、もっと議論したいのなら別エントリを立てますよ。

証拠に基づかない主張ないし異論は、司法の場では全く説得力がありません。
ビジネスや学問の現場でも同様ですが、このツリーの主題に取り上げられている『司法に携わる人』が、その全く説得力のないことに血道をあげているのは大変困ったことだと思います。 「証拠に基づかない主張ないし異論は、司法の場では全く説得力がありません」との常識論に対しての、普通の市民の信頼を失墜せしめる“生きた証拠”になっているからであります。

トビずれの指摘が入ったので、これ以上のレスはしません。

ただ、正直オグラさんの話には食傷している私としては(小倉さんのブログ、もう読んでないし。)
この話題の方がいいです(この話も繰り返されている話題のような気もしますが・・・)。

でもまあ、議論が続くかは熊本さん次第ですね。

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