現在の心境については「死刑になっても構わない」などと話しているという。
パチンコ店放火殺人犯のニュースです。
最近、死刑になってもかまわない、とかもっとあからさまに死刑願望を口にする人間が目につくのですが、こういう人たちは自分が死んだらどうなると思っているのでしょうか?
誰にも分からないことですが、多くの宗教は悪行を行った者が死ぬと地獄に堕ちると説いています。
もしそれが事実なら、このような人間は死んでから本当の後悔をするのでしょう。
現在の心境については「死刑になっても構わない」などと話しているという。
パチンコ店放火殺人犯のニュースです。
最近、死刑になってもかまわない、とかもっとあからさまに死刑願望を口にする人間が目につくのですが、こういう人たちは自分が死んだらどうなると思っているのでしょうか?
誰にも分からないことですが、多くの宗教は悪行を行った者が死ぬと地獄に堕ちると説いています。
もしそれが事実なら、このような人間は死んでから本当の後悔をするのでしょう。
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最近、死刑志願の確信犯的通り魔瞬間連続殺人(同時多発瞬殺を含む)が増えたような……。対策は教育しかないのだろうか_| ̄|〇
この手の、いわゆる「拡大自殺」的な事をする人間と言うのは、時代・地域を問わず、(数の多い/少ないは有るかもしれないにせよ)出るものじゃ無いですかね?
この手の連中への対策が有るとすれば、出るのを完全に防ぐのは無理(元から数こそ少ないかも知れないけど)、ってのが、その「対策」の出発点のような気もします。
「死刑になっても良い」と言うのは、一種のハタ迷惑極まりない「自殺」であって、「自殺」を考える所まで追い込まれた事の無い人間が、(非難するにせよ、その逆にせよ)その内面を、兎や角言ってもなぁ、と言う気も……。
私は死刑については反対なんです。
死刑が凶悪犯罪を抑制するという考えも有るでしょうが、最近の傾向は人生に絶望した人が無理心中みたいに他人を殺して自分は死刑にしてもらうのを望むというのが流行のような。
死刑は有りだけど死ぬより酷い目にあわせるのは人道的じゃないというのもよく判りません。
生かしといてがっつり後悔させたいと思っちゃいます。
自殺願望の人は「死ぬより酷い目に遭っている」と思っていそうですよ。
刑事としては、事件被害者の慰撫にも復讐を容認は具合悪いし「犯人の後悔」はウエイト大きいでしょう。
で、裁判で与える刑罰には、自殺願望者や道連れ殺人者に「後悔してもらわなくちゃあ成らない」との考えも含まれているはず。
それには「考えを改める」がポイントですが。
さんざん間違いを指摘されても考えを改められない人を結構見かけるので、刑罰が等価に後悔に繋がっているとは言えないのが悩ましいです。
ハスカップ様
非常に大切な事だと思います。
秋葉原のときもそうでしたし、通り魔事件で気がかりな事は、捕まった直後に被害者に対して反省の気持ちを表明していないことです。(報道で見聞した限りでは)
そんなところにも問題の根深さが有るだろうとは思うのです。
横レス失礼します。m(_ _)m
>さんざん間違いを指摘されても考えを改められない人を結構見かけるので、刑罰が等価に後悔に繋がっているとは言えないのが悩ましいです。
人格がこの方向で固着する(自己規定ガチな拡大自殺型な)人は、限度を知らない毒を食らわば皿まで、という心理に陥りがちで(根底に「社会的承認の欲求」の歪んだ発露)、それも変更修正容易性を喪失しているだけに、そこまでいったら対策は絶望的かと思います。
ほぼ確実な死刑判決期日が数カ月先と知って激怒する症例(パターン)も出てますし_| ̄|〇
死刑制度が殺人を誘発するなんて、古典的には想定の範囲外だったのではと。
No6でも書きましたが、性格が固着するまでの教育が勝負どころみたいです。少年法や少年審判でよく出てくる「可塑性」のある時期に「鉄は熱いうちに打て」でないと。
死刑囚の成育歴という歴史的事実を見ると、親が溺愛した、典型的なネグレクト、親の生命軽視を見て育つ、家庭内虐待で人間不信社会憎悪……。これは日本だけでなく米国でもそうだとかorz(ルイス・シュナイダー『罪を犯す死刑囚たち』本邦未邦訳)
今回の「死刑になっても構わない」や「誰でもよかった」とか、以前の「自殺は痛いから嫌だ」や「早く死刑にしろ」等、自己中心の極みに聞こえます。
真実を追究して再発防止を図ることはやるとして、それとは別に(書くのもおぞましいことですが)、自殺する方がましだと思えるような罰を科すことで、社会としてけじめをつける必要が有るように思います。
死刑が凶悪犯罪の抑止にならないのは既に知られていますが、被害者遺族にとっては死刑を望む犯罪者に対しても死刑と言う罰を与えるのがいいのでしょうか。
個人的には冤罪対策(死刑は不可逆)と社会の安全の保持の点で死刑にかえて終身刑を作ればよいと思っています。日本では死刑廃止はまだしばらくかかるでしょうが裁判員制度がそのきっかけになる可能性もありますね。
うーん。本人の望みどおり、速やかに死刑にしてほしいですね。
それが本人に対する罰になるかどうかはともかく、量刑としては死刑で当然だし、せめて死刑でないと遺族もやりきれないでしょう。
こういう刑法の想定外みたいなイレギュラーな考え方をする人間は必ず出てくるわけで、そういう人間を減らすのは刑法の役目というより、ハスカップさんの仰るように教育の役目でしょうね。
いえいえ、私のコメントは、(青少年保護部門経由の)ルイス・シュナイダー教授の受け売りに過ぎません。m(_ _)m
>量刑としては死刑で当然だし、
そうでしょうか?
殺意は未必の故意にとどまるし、確かテレクラ放火では死者3名で無機という判例があったはずです。
なお、私も死刑で当然だと思います。
死刑は死刑でも、火炙りを求める遺族が出るかも(T_T)
>殺意は未必の故意にとどまるし
現在の報道にあるような供述を維持すると、「通り魔みたいに人を殺したかった」「誰でもいいと思ってやった」「ガソリンはたくさん殺せるから」というような証言からは無差別の殺意が認められますし、防犯ビデオ映像の、ガソリンをバケツで客に向かって撒いたのも殺意がある証拠になり得るかと思います。要は「放火したら人が死んでしまった」のではなくて、通り魔の手段として、ナイフの代わりに火を使ったというだけかと。
もちろん捜査段階の供述ですので、裁判で引っ繰り返すかもしれませんが。
思うに、「死刑になっても構わないから、凶悪犯罪がやりたかった」人(犯罪そのものが目的で死刑が犯罪への抑止力にならなかった人)と、「死刑になりたくて凶悪犯罪をした」人(死刑そのものが目的で犯罪はその手段に過ぎない人)とは、自暴自棄など似ている面もありますが、本質的には違うようにも思います。前者は死刑になってもならなくてもいいのでしょうし、後者は死刑にならないと目的が果たせないので困るでしょう。
麻雀のアトヅケ理由かも知れないですけど(犯人の事後の正当化)、
(1) 自殺する勇気がないから死刑志願(飛び降りの方が楽?)
(2) 死ぬ前に世間を驚愕させる(自己顕示・社会的承認)
という心理は根底又は根幹部分で共通しているような(滝汗
付属小事件のときから
「死刑を望んで犯罪を犯した人間を、本人の望み通り死刑にすることは正しいことなんだろうか?」
と思うことが多くなりました。
被害者には「落ち度」が無いのに、手前勝手な犯人のせいで殺された。きっとこんなことで死にたくないと思い、当然恐怖を感じつつ亡くなったのではないか、と想像します。
多くの「罪もない」人にそのような思いをさせた犯人が、自分は「望み通り」死刑になる。「懲罰」という点から見たとき、納得できないものを感じます。せめて、自分の行った行為の非道さに気付かせ、反省させてから執行する、ということはできないのかな?、と素人としては考えてしまいます。
もっとも、ハムレットのように、ざんげする暇も無く殺されて亡霊となった父の仇を討つのに、叔父が祈っているときには殺害を思いとどまる、という考え方もありますが。(つまり人間は祈っている時に死んだら天国に行き、ざんげも臨終の儀式もなく死んだら地獄へ行くよ、という考え方です)
自分から死刑を望んでも、すぐには執行されず反省と悔恨の日々を送らなければならない、ということになれば「死刑希望」殺人「腹いせ無差別」殺人の抑止力になるかもしれない、と淡い期待を持っています。
>死刑が凶悪犯罪の抑止にならないのは既に知られていますが
参考までに根拠を教えてもらえますでしょうかm(_ _)m
横レス失礼m(_)m
>死刑が凶悪犯罪の抑止にならないのは既に知られていますが
全く同条件で「再現・比較」実験ができない以上、推論の域を出ないようにも思います。
>「死刑を望んで犯罪を犯した人間を、本人の望み通り死刑にすることは正しいことなんだろうか?」
正しいかどうかはともかく、「死刑にすればいいんじゃないか」とは思います。
命の重み、他人の死、というものを理解できていないにもかかわらず「死刑を望んでいる」者が、「死刑」執行前に実感もなかった死というものの重みに気づくかもしれません。(逆に言えば、己の死をつきつけられてすら気づかない者に気づかせる手段は私には浮かばない)
現時点で、「死刑を望んでいる」という者が死刑執行される時点でも「望み通り」として死んでいけるものなのか、単に「命」・「死」への認識甘さを表明しているだけなのか、はっきりさせてもいいんでは?
>多くの宗教は悪行を行った者が死ぬと地獄に堕ちると説いています。
死ねば仏という説もあります。
命の尊さを説く宗教も多いですね。
>せめて死刑でないと遺族もやりきれないでしょう。
遺族の方々のご心中は、憎んでも憎みきれないし、それを一生ぬぐい去ることもできない悲しい心の中と思います。
しかし、一方で、それ故に死刑と単純な結び付けをして、よいのだろうかと思います。他人を究極まで憎み続けて天国に行けるのだろうか?あるいは、そんな憎しみを持ち続けて幸せだろうか?許すことができずとも、他人を殺すことを、遺族が望み、社会が遺族に代わって殺すことが正義なのだろうかと。
社会としては、冷静になって考えることも必要と感じます。
死刑の抑止効果については検索していただけばいいのですが一応参考までに出しておきます
死刑に関する事実と数字 より法理論上は、生命刑たる死刑の方が拘禁刑たる終身刑(仮釈放なき無期懲役)より重くなります。
しかし、行刑面では、死刑執行待機拘禁では人格崩壊まで精神が荒廃するのは極めてマレなのに、終身刑だと「社会復帰の望みもない生涯塀の中の生活が延々と死ぬまで続くという絶望感」からか10年過ぎあたりで人格変容ないし人格崩壊が進むという研究結果が出ています。そのため、フランスでは終身刑こそ残虐な刑罰だと廃止して仮釈放の恩典機会を必ず与える(社会復帰という生への希望)という動きが出てきました。
これからすると、死刑より終身刑の方が精神破壊刑として残酷なので、「いっそのこと殺してくれ」と暴動が起きたり(実際に米国では発生しています)するので、死刑を廃止しても終身刑がある限り、犯罪抑止効果はさほど変わりがないという研究結果も出そうです(実際、記憶ではイェール大学発信のレポートが出ていた)。
年間の自殺者数は3万人を超えてますね。
このエントリの趣旨は死刑の犯罪抑止力ではありません。
いわば、死刑以外の犯罪抑止力です。
死刑制度に反対する者です。
被害者の遺族の心情、ということが必ず言われるのですが、死刑廃止国では、被害者の遺族はどう心の整理をつけているのでしょう。データを知らないのですが、死刑廃止にしてからリンチが増えた、ということがあるのでしょうか。死刑廃止にしても、恨みから犯罪に走る遺族が生じないのであれば、死刑はないほうがいいに決まっています。死刑廃止を後悔して死刑を復活させた国というのはあるのでしょうか。死刑を廃止してよかった、という国が圧倒的に多いのではないのでしょうか。
そもそも犯罪を抑止することは極めて困難であり(犯罪動機の上位を占める「金」と「女(犯罪者が女の場合は男、同性愛者の場合は同性のパートナー・・・うむ、ややこしい)」と「怨恨」はなくなりそうもないので)、どんな極刑も抑止力にならないことは歴史が証明しています。
対して、冤罪で誤って処刑してしまった場合は、取り返しがつきません。
政治犯や精神病者(政治犯を精神病者扱いする独裁国家も後を絶ちませんが)を除き、死刑になるような犯罪を犯す人は、人格(人格異常と精神異常に明確な境界線を引くのは困難です・・・)の問題や、生育歴の問題があることがほとんどでしょう。本人だけの責任問題ではなく犯罪に至るのだと考えます。
抑止力というなら、強いていえば、教育ではなく(教育という名のもとの強制や独善はあとを絶ちません)、包容力なのでは。家庭でも社会でも、です。
元外科医先生、お示しの文書をよく読んでいただけると分かると思うのですが、
「死刑が他の刑罰よりも有効に犯罪を抑止するという説得力ある証拠は、科学的研究によっては一貫して得られていない。」という当該文書の見解と「死刑が凶悪犯罪の抑止にならない」というのは、全く違う意味を指すと思うのですが。
前者(つまりご提示の資料)は、あくまで「死刑が終身刑より抑止力を持つことは、これまで科学的に立証されていない」というだけのことでは。
多分、面倒だから検索をサボったものと誤解されたのだと思いますが、私の見た学術的な研究で「死刑が凶悪犯罪の抑止にはならない」とまで断定されたものはなかったように思います。だから最初にあのようにお尋ねしました。
簡単に言えば「A=Bと証明されていない」ことは「A≠B」と同義ではないといえば、分かっていただけるでしょうか?
いずれにしても、モトケン先生から釘を刺されましたので、この辺で。
モトケン先生
すみませんでした。
>いわば、死刑以外の犯罪抑止力です。
やはりハスカップさんの仰るように「教育」ではないか、と思います。すなわちユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教などに共通する「殺す無かれ」という教えです。
養老孟司さんがよく書かれている話ですが、タイ(だったと思います。アジアの仏教国です)では「いわゆる害虫」すら殺さない人が多い、殺したら「元に戻せない」から。
あまり難しい理論ではありません。本当に簡単な教えです。
生命を絶つことはできても、死んだものを復活させることは誰にもできない。
激情にかられても、そのシンプルな教えを思い出す、それが人間の理性であり、その理性(犯罪抑止力)を叩き込むのは親や社会による教育しかないと思います。
>包容力なのでは。家庭でも社会でも、です。
そんな奴は受け入れたくない、排除したい、というのが本音でしょう。
どうせ自殺する(死ぬ)なら人生最後に自分へ目を向けさせる(自分へ世間の注目を浴びさせる、良心家族職場に大恥をかかせる)ために、死刑覚悟の凶悪犯罪or死刑利用自殺というのは、フォイエルバッハの心理強制説を持ち出すまでもなく、刑罰による抑止効は期待できないと思います。
米国でも1960年代までは、「草原の小さな家」や「奥様は魔女」の世界が当たり前で、地域社会・職場社会のコミュニティ(ボランティア慈善事業参加)や教会活動などで、何かあったら困り事や悩み事を目のうちに問題を発見して、おせっかいなほど相互協力扶助して解決できたようです。しかし、ベトナム戦争やマフィアの浸透や核家族と都市化?等で、「孤独な群衆」の素地にミーイズム社会が加速度的に波及し、何でも訴訟というギスギスした社会に変貌を遂げ、ご存じのとおり、凶悪犯が跋扈する世界に変わりました。
日本も似たところがあるという研究結果も頻発しています(特に社会学)。
その対策の一つは、地方公務員が長期的視点で取り組んでいるものとして、地域社会のコミュニティの復活と公徳心教育ですが、NHKの「ご近所の底力」のようには、なかなかうまくいかないところが悩みの種です。戦前の隣組と修身(軍国道徳教育)という負の遺産に対する警戒心があるからです。
>死刑以外の犯罪抑止力です。
被害弁済(損害賠償・慰謝料など)を身柄拘束しつつ必ず行わせる制度があると抑止力になるのでは?
>被害弁済(損害賠償・慰謝料など)
非人道的な手段なら可能でしょうね。
>どうせ自殺する(死ぬ)なら人生最後に自分へ目を向けさせる(自分へ世間の注目を浴びさせる、両親家族職場に大恥をかかせる)ために、死刑覚悟の凶悪犯罪or死刑利用自殺
これを助長しているのが、
マスコミの実名報道主義だと私は考えています。
トビずれかもしれませんが、どう思われますか?
うろうろドクターさま
>これを助長しているのが、
>マスコミの実名報道主義だと私は考えています。
それに加えて「ワイドショー的・扇情的報道」もあると思います。
亡くなった〇〇さんは、国家資格の取得を目指してアルバイトをしながら専門学校に・・・。XXさんはクラスの人気者で・・・云々。
秋葉原事件で犯人に対する「賞賛」の声がネット上に流れた、という報道には寒気がしました。いまや家族などに対するあてつけだけでなく、単に自分より「幸せそうな」人間を一瞬にして不幸な目にあわせることが目的になっている、ということにどうしようもない無力感をおぼえます。
>単に自分より「幸せそうな」人間を一瞬にして不幸な目にあわせることが目的になっている
動機の単純化ですね。
>これを助長しているのが、マスコミの実名報道主義だと私は考えています。
実名でなくてもではないかと思います。
仮名で顔写真も出ない少年事件で、「自分が起こした事件がどれだけマスコミに大きく取り上げられたか、友人の反応はよかったか。」を気にしていた少年のレポートを読んだことがあります。
マスコミは一部助長していることは間違いないと思いますが、実名報道主義云々ではないかもしれません。強いて言えば犯罪報道自体に犯罪を助長する「側面」(模倣犯の全国的拡散)は否定できないかと思います。
確かに、”報道行為全般(特にストレートニュースでないもの)そのもの”が、広い意味で個々の犯罪行為の社会への波及範囲を増幅する、一定程度の強さをもった増幅装置になってる気はします。
私も、教育等の問題点を見直して精神文化を再構築するのが、かかる自爆的凶悪犯罪抑止への正道だと思います。しかし、問題事項は一部既出分を含めて、教育、核家族化、雇用形態、経済格差、急激なIT化、報道のあり方、等々多岐にわたりそうなので、一朝一夕に成果が出るとは到底思えません。
それまでの間、類似犯行を決意する犯人の気持ちを挫く名案は無いものでしょうか。
今の懲役刑を延長するだけで、かなりの効果があると思いますよ。
常習犯(常習累犯窃盗など)のほとんどが、お金を隠してますから。
憲法違反だとは思いますが、敢えて肉刑復活を提案してみます。
身体障害を負わせるけど、死刑にしない。
我ながら酷いとは思いますが、犯罪抑止にはなりますし、
被害者の報復感情も満足させられそう、仮に誤審だったとしても、死刑にしない
から一応でも取り返しが効きます。
妄言に等しいとは思いますが、三国志時代にも同様の議論があった
ようなので。
>いわば、死刑以外の犯罪抑止力です。
こう書くとなんですが、「どうなる」という想像ができない者に抑止効果なんて生じないので、この事件については、それまでのような。
「教育」といっても、「他人に迷惑をかけるな」という基本的なことですからねえ。「命の重み」「痛み」を認識していないとしか。
関連してエントリの対応する箇所について
>最近、死刑になってもかまわない、とかもっとあからさまに死刑願望を口にする人間が目につくのですが、こういう人たちは自分が死んだらどうなると思っているのでしょうか?
不謹慎ですが、死にたいのなら勝手に死ねばいいと思うんですが、「死のうとして」「死ねなかった」のなら、その時点で潜在的な「死の恐怖」とかそういうものに気づくはずなんですけどね。
どうも、自分で死のうともしていない、頭の中だけでどうこうしてるだけのくせに他人に被害を与えることだけ実行かよ、という印象があって、「自分が死ぬ」ということに実感があるのか疑問です。
上にも書きましたが、こういう方は、死刑執行時に本当に自分が死ぬんだ、という際になって、「望みがかなった」と喜んで死んでいけるんでしょうかね?それとも土壇場でメッキがはげるんでしょうかね?
メッキがはげるようなら、「刑罰を望んでいる」という訳じゃないので、メッキをはがす方法も対策になるのですが。
知っておられるかもですが、隣の国では処刑方法が物議を醸しているようですから、参考まで。
今年度末から北京で全面的に実施される注射死刑、その詳細
詳しくないのですが、かなりの数の上る死刑を合理的あるいは人道的に行う意味でしょうか。
しかしやはりと言うかアンケートでは、56%の人が銃殺希望とか。
Netの声「死刑というのは犯罪者にとって一番の懲罰の筈。震え上がるものでなければいけないし・・」
と、死刑の抑止力に期待している模様です。
死刑以外の抑止力を求めれば「心の問題」に成らざるを得ない、非常に厄介です。
ご老人の生や生き方については立派な先生も居られるのですが
聖路加国際病院 「日野原重明先生」マスコミさんのおかげで公衆の面前でエレベーターを使えなくなってしまったとか(^^;
>聖路加国際病院 「日野原重明先生」マスコミさんのおかげで公衆の面前でエレベーターを使えなくなってしまったとか(^^;
「よど号ハイジャック事件」で医学的視点から機内の様子を現認された貴重な語り部でいらっしゃいますから、そして、地下鉄サリン事件という未曽有の大規模救命救急外来を指揮された先生でもいらっしゃいますから、長寿をお祈りします。m(_ _)m 個人的にもお世話になった病院だしf(^_^;)
これの次のエントリー「再犯防止を…」にあった「教育刑的効果」という言葉を見てビビッときたのですが、「死刑になっても構わない」的発想の犯罪に対しては、刑期中(死刑の場合は執行までの間)厳しい教育刑(修身刑?とか)を科すのが良いのではないかと思いました。
その教育刑や死刑そのものの厳しさを様々な角度から広く報道すれば、中には犯意が萎えて思いとどまる場合もありそうに思いました。対症療法的な対策でしかありませんが。
稀にしか起こらないことについては、その背景や対策を論じても的外れに終わってしまうものかも知れませが…。
現状では、何もかも失って自暴自棄になった者であれ、何かかけがいのない大切なものを守ろうとする者であれ、事前に犯罪を抑止することは難しいように思います。
…事後に逃げ回る輩ならまだしも、死ねば良かろ?と開き直る奴につけるクスリはありません。自爆テロにしろ、無差別殺傷にしろ、同じ事であろうと思います。刑罰が死刑であっても無期懲役であっても、穴吊りや鋸引きであっても、やはり同じ事です。
逃げようとする意志のある者であっても、昔、王や皇帝を殺そうとして逃げ切れなければ残酷な刑罰が待っていることは周知のことでした。しかし、荊軻や善住坊など、歴史に繰り返して刺客という存在が現れては消えて行きます。
こういう稀な人々に対しては、抑止力はあってもわずかということなのでしょう。
稀ではない普通の人について考えてみるなら、かつて、自棄に陥ろうとした人々に対して、多くの場合に救済手段が用意されて来たわけです。確かにこの数年間、財政逼迫と予算不足から、その部分が急速且つ大きく弱体化したことは間違いありません。また、新たに生じた問題については、まだ何の手も打たれていないに等しい状況です。
何かを守ろうとしている人については、それを得ようとする人が対極にいる以上、対策や救済は容易ではありませんが、まだしも交渉の余地はあるように思います。
単純化するなら、その社会的コストを負担することを考えた方が、より効果的な犯罪抑止力が発揮されるのではないかと思います。
ま、単なる思いつきですから、根拠も詳細な提案もありません。悪しからず。